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第十五話 ふたりの心

「……で。ミユキに思いは伝えれたわけ?」


 相応に広い女子浴場の、湯船の一角で。ユウキは、隣で湯船に浸かるレツィーナにそんなことを訊ねられていた。


「……お前は、何を言ってるんだ」


 突然の問いに、ユウキは思わず怪訝な表情をつくる。

 身体と髪を洗い終わって、ようやくしっかりした休息がとれるといった状態なのに。なのに、なぜ、レツィーナはそんな訳の分からないことを急に訊ねてくるのだろう。

 目を瞑るユウキに、レツィーナはさも当然のことかのように言葉を続けてくる。


「なにって、あんた、ミユキのこと好きなんでしょ? それも、ずっと前から」

「それはそうだが…………」


 なぜ、レツィーナがそのことを知っているのか。平静を装いながらもユウキは胸中で戸惑う。

 しばらく考えてから、ユウキは続きの言葉を紡いだ。


「恐らく、おまえの考えているような関係を望んでいるのではないと思うぞ」

「じゃあ、あんたの望む関係って、どんな関係なのよ?」


 あえて視線を交わさず、わあきゃあと(かしま)しい嬌声(きょうせい)をあげる部下たちを優しい瞳で見つめながらレツィーナは()いてくる。


「……私は、あいつが幸せに生きてくれたらいいと思っているだけだ」


 ミユキが幸せなら、ミユキが笑っていてくれるだけで、私は幸福だ。そこに私という存在の有無は関係ないし、存在する必要もない。

 私は、私のなすべきことを全うするだけだから。

 「そう」と、素っ気なく一言呟いて。レツィーナは目を合わせて更に問うてくる。


「なら、あんた自身が幸せかどうかは、関係ないってわけ?」

「私は、今のままで十分幸せだと感じている。これ以上を求めるのは傲慢(ごうまん)だ」


 五年前のあの時、本当なら私はもうすでにこの世界からいなくなっていた。ミユキやレツィーナ、アレンたちとは、もう二度と会えないと思っていたのだ。

 だから。今、こうして自分がいて、みんながいてくれるだけで、私は嬉しい。これ以上の幸福は、望むのすらもおこがましい。 


「……そっか」


 それきり言葉は途切れて、二人の間には沈黙が訪れる。けれど、その沈黙にぎこちなさや気まずいというような感覚はなくて。どこか、不思議と心地のいい沈黙だった。


「……でも。幸せを追求するのは、別に傲慢でもいいんじゃないかしら?」


 再び口を開いたレツィーナに、ユウキは片目を開けて視線を送る。それに気づいたらしい、レツィーナはくすっと笑って続けた。


「もっと幸せが欲しいって考えるのは普通のことだと思うし、傲慢だとか権利がないとか、そんなのはないと思うわよ? 第一、あんた()幸せになってくれないと、私たち()幸せになれないっての」

「……そうなのか?」

「あら、私たちって随分冷たいやつらだと思われてたのね?」


 わざとらしく眉を上げて、レツィーナは口元ににっと笑みを浮かべる。

 ……こういう表情をする時のレツィーナは、言葉の本質を分かった上でからかってきているのだ。だから、反論や否定は、なんらの効力も発揮しない。


「……私の負けだ」


 大人しく投了の意を示すと、隣からはくすくすとレツィーナの笑い声が聞こえてくる。

 ――もっと、自分のために生きてもいいんじゃない?

 恐らく、それが彼女の言わんとすることなのだろう。もっと傲慢に、自己中心的に生きてもいいのではないかという、彼女なりの気遣いだ。

 その気遣いに、心が暖かくなるのを感じていた時だった。


「あ、あの、アレスシルト大尉!」


 突然、どこか聞き覚えのある声に呼ばれて、ユウキは視線を振り向ける。すると、そこには緊張で顔を強ばらせた一人の少女がこちらを見つめて立っていた。


「……君は、」

「も、()第九六魔導士大隊B班所属の、アグネス・エルスリー准尉です」

「……ああ。あの時の」


 微かに目を細めて、ユウキは答える。

 第九六魔導士大隊は、現在の特設(S)技術(T)試験部隊(T)に配属される前にユウキが指揮していた部隊の名称だ。〈D-TOS〉の予測を大幅に越える〈天使〉の襲撃によって定員の九九%が帰らぬ人となり、結果、この惨劇は魔導士たちによるユウキの評価を決定づけることとなった。



 ――どうせ、その右眼の傷もお前を恨んだやつがやったんだろ!?



 その日言われた言葉が、脳裏に(よみがえ)ってはユウキの心を突き刺してくる。

 部隊が壊滅して、なんとか撤退に成功したあと。夕焼けの中で言われた言葉だ。

 絶望と悲嘆と、やり場のない憎悪と憤懣(ふんまん)を吐き出しただけの、ほとんど実質的な意味を持たない言葉。そう頭では理解しているのに、ミユキはそんなことを思ってはいないと知っているはずなのに。どうしても突き刺さったままで抜けない、猛毒の刃。

 気まずさと申し訳なさから、無意識のうちに目を逸らそうとしたその時だった。


「その、すみませんでした!」


 思い切り頭を下げられて、ユウキは逸らしかけていた視線を戻す。

 なぜ、彼女に謝られているのか。まるで理解できなかった。

 ゆっくりと頭を上げた眼前の少女は、ばつの悪そうな顔で続きの言葉を紡ぐ。


「その、あの時は友達もみんないなくなっちゃって、色々頭が追いつかなくて。だから、隊長に八つ当たりしちゃって、あんなこと言っちゃって……。だから! その、」


 視線を再びユウキに合わせて、彼女はそれを口にした。


「感謝、してるんです」

「……感謝?」


 ユウキの反芻(はんすう)に、目の前の少女は頷く。


「部隊が解散したあとに聞いたんです。隊長が、みんなのぶんのドッグタグを全部集めて届けてたこと。……それに。北部戦線で一年以上生き残れるのは、全体でも十%もないって」

「……」

「今、私が……ううん。あの時、生きていた人たちがここにいられるのは、隊長のおかげなんです。……だから、もし、あの時のことを気になさってるなら、」

「……そうか」


 言いながら。ユウキの胸中には、不思議な感覚が渦巻いていた。

 あの後、彼女がどんな話を聞いたのかは知らない。けれど。今までやってきたことが、少しだけ認められた気がして。嬉しいような、救われたような、よく分からない感慨が込み上げてきていた。

 湧き上がる感情の波を抑えて、ユウキは右頬をかきながらいつものように口を開く。


「そのことで君たちに余計な不安を抱かせてしまっていたのなら申し訳ない。……心配せずとも、私はその程度の言葉で戦闘に支障をきたすようなことはない。気にするな」


 微かに口元を緩めるのに、エルスリー准尉ははにかむように笑う。そして。硬い決意を持って、彼女は告げた。


「今回の作戦、必ず成功させましょうね」


 ユウキは深く頷いて。真剣な声音で応える。


「彼らの犠牲は、無駄にはしない」






「ユウキと仲直り、できたんだな」


 一方、男湯の湯船にて。隣でお湯に浸かるアレンは、感慨深げにそんなことを呟いていた。


「……おれ、お前に言ったことあったっけ?」


 ミユキがユウキに向けていた感情は、今までずっと自分の心の中だけに閉じ込めていたはずだ。なのに。何故、彼はその事件について知っているのだろう。

 きょとんとするミユキに、アレンは苦笑したように笑う。


「言われなくても、お前の態度見てたらだいたい察しはつくよ。…………あいつの傷、お前だったんだな」

「……」


 無言で頷くミユキに、アレンは微笑を投げかけてくる。


「でもまぁ、お前らを見てる限り、ミユキが悪いって訳でもなさそうだな?」

「……そうだった、らしい」

「らしい?」


 こくりと頷いて、ミユキは続ける。


「ずっと、その前後の記憶が思い出せなかったんだ。だから、あいつと会って話をするまで、おれは大切な人も平気で傷つけるようなやつなんだって、そう思ってた」


 大切な人(ユウキ)を平気な顔で傷つけた自分が怖くて、また同じことをしてしまうのではないかと思って。だから、誰かと親しくなることが怖くて、不安でたまらなかった。

 そして。その不安と恐怖が、ミユキの心を孤独で蝕んでいたのだ。


「……だから、おれたちとも距離を置いてたのか?」


 アレンの問いに、ミユキはううんと首を振る。


「とろうとしてやってた訳じゃないんだ。ただ、お前たちとどう接すればいいのか分からなくなって、それで」


 以前と同じように接していたら、また同じことをしてしまうのだと思って。なにより、ユウキを傷つけたのに、その罪を償うこともないままの自分が許せなくて、怖くて。

 けれど。そのことを誰かに明かすような勇気もなくて。

 気がついた時には、どうやってみんなと接していけばいいのか分からなくなっていた。

 水面に視線を落とすミユキに、アレンはいつもの明るい声音で言う。


「でも。そんなことはなかったんだろ?」

「……うん」

「なら、よかった」


 それきり会話は途切れて、二人の間には不思議な沈黙の時間が訪れる。

 実際にはアレンの部下たちが思い思いに喋っているから、浴室の空間自体は騒がしいものではあるが。


「……というか。お前も大概だよな? 大切な人って」


 ニヤリと笑って、アレンが意味深な視線を向けてくる。


「……? なにか変なこと言ったか?」

「いーや? ただ、俺が勝手に盛り上がってるだけだ」


 と思ったら勝手に納得された。

 意味の分からない言動に、ミユキは苦笑をもらす。


「……なんだ、それ」

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