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第十一話 伝えたいこと、伝えられたこと

 気がついた時には、世界は夜明けの青色と朱色に染まっていた。 

 〈オファニエル〉の巨大な体躯はどこにもなく、それどころか〈天使〉の一匹すらも見当たらない。あるのは、どこまでも続く草原と、静謐(せいひつ)の空間だった。


 ……おれは。なにを。


「やっと目が覚めたか?」


 ミユキの背後から、ユウキの声が聞こえてくる。

 その声へと視線を向けて――そこで、自分が彼女と背中合わせで座っていることに気がついた。

 背中に彼女の温もりを感じながら、ミユキは問う。


「……〈オファニエル〉は」

「既に討伐済みだ。奴の率いていた〈天使〉は殆ど消滅したし、残存の奴らも既に撤退した。今、ここに〈天使〉は存在しない」


 繋がっていた〈D-TOS〉から、左目の網膜に周辺の地図を展開する。が、彼女の言う通り、周囲五キロメートルに〈天使〉は一匹も存在していなかった。


「現在、ラプラスは私たちの受けた精神侵入の除去に奔走している。……だから。私たちの思考は、今の彼に伝わることはない」

「……」


 最後に残っている記憶は、〈オファニエル〉の目の中で精神侵入を受けた時のものだ。薄々察してはいたものの……やはり、かなりの強度を誇る精神侵入だったらしい。

 武力制圧を行う〈智天使(ケルビム)〉にしては珍しいな、とミユキは思った。

 しばらくの沈黙ののち、ユウキがぽつりと呟く。


「……ありがとう、ミユキ。あの時、私を救ってくれて」

「え?」


 なんのことか分からず、ミユキはぴくりを眉を上げる。ちらりと目線を向けるが、真反対に位置する彼女の表情は何も見えない。


「私に許されることはないと、その価値もないと、お前は言っていたな」

「……」


 言われて、ミユキは視線を空へと逸らす。

 そうだ。おれには、ユウキに許される価値なんかない。

 だから、命を散らしてでも、彼女のために動かなくてはならなかったのに。

 なのに。おれは、〈オファニエル〉の精神侵入ごときで動けなくなってしまって。ユウキを危険に晒してしまった。


 ――ほんとうに、おれはなにをしているんだろう。


「何故、お前が私の右眼を潰したのか。お前は、覚えているか?」


 唐突な問いに戸惑いながらも、ミユキは首を横に振る。


「……なにも、思い出せないんだ」


 あの日の記憶は断片的にしか覚えていなくて。なぜ、ユウキの右眼を突き刺したのか。なぜ、あんなことをしたのか。前後の記憶が、すっかり抜け落ちていて、思い出せないのだ。

 けれど。


「でも。おれがお前を傷つけたってことは変わらない」


 どんな理由があったとしても、ミユキが彼女の右眼から光を奪ったのは事実だ。大切な人を平気で傷つけてしまったという事実は、決して消えない。

 地面に視線を移すミユキとは対照的に、ユウキは視線を(あか)(あお)の空に移して。ぽつぽつと言葉を紡いでいく。


「……五年前のあの時、私は、〈天使〉の精神侵入のただ中にいた」

「……え?」


 驚愕に目を見開くミユキを傍目に、ユウキはなおも言葉を続ける。


「己の存在を失いかけていた私は、一緒にいたお前と一つになろうとした」


 それを聞いた瞬間。ミユキの脳裏には、五年前の記憶がゆっくりと表出してきていた。

 ミユキを支配していた恐怖と不安が、その力を急速に失っていく。

 無意識のうちに心の奥底に閉じ込めていた、ずっと思い出せなかった記憶が、ゆっくりと溶け出してミユキの脳裏を満たしていく。


「だが。お前は、それを拒んでくれた。私の右眼を突き刺して、同化から私を救い出してくれたんだ」


 痛いと泣き叫ぶ幼いユウキ。けれど。その表情には、痛みと同じぐらいの安堵が浮かんでいて。

 突然立ち上がったユウキが、ミユキの正面に回ってくる。

 立ったままミユキを見下ろして、彼女は優しさの詰まった声音で言う。


「……ミユキ。私は、お前に感謝しているんだ。あの時、お前が私を拒んでくれなかったら、私はあの日この世界からいなくなっていた。お前とこうして話すこともできなかった」


 その言葉に、ミユキはなにか熱いものが込み上げてきていた。

 心の中を安堵が満たし、視界が滲む。流れ落ちた涙を必死にとどめようとするけれど、もう、自分の意思では止められなかった。


「……お前は、おれを、恨んでなかったのか?」

「そんな感情は、一度たりとも思ったことはない」


 確固たる意思のこもった即答だった。

 その応えに、ミユキは抑えていた感情にとうとう歯止めが効かなくなる。

 口から嗚咽(おえつ)が漏れ、視界が更に滲んでいく。心を満たす感情はぐちゃぐちゃになって、瞳からはただただ熱い(しずく)だけが流れ落ちていく。

 そんなミユキを、ユウキはそっと抱き寄せる。


「ごめん、ミユキ。ずっと、お前に辛い思いをさせてしまって」


 とても優しくて。そして、申し訳なさそうな声音だった。


「おれ……、ずっとお前を傷つけたと思って……、だから……っ!」


 涙と安堵でぐちゃぐちゃになった声で、ミユキは必死に言葉を紡ぐ。

 ずっと、おれはただいっときの感情でお前を傷つけしまったのだと。

 だから、お前には恨まれていて、憎悪されているのだと。

 そんなことをするような自分は、存在する価値もないのだと。ずっと、そう思っていた。

 だけど。

 違った。


 全部、自分の勘違いだったのだ。

 己のしたことに恐怖して、自分自身に怯えて。記憶を心の奥底に閉じ込めて。あの日、あの時に、ちゃんとユウキと話さなかったから。

 ミユキを抱擁する腕に、微かに力がこもる。


「大丈夫だ。私はもう、どこにもいかない。()()()()()、ここにいる」


 恐怖と不安が溶けていく。安堵と幸福感で感情がめちゃくちゃになって、涙が次から次へと溢れ出てくる。

 (あか)(あお)の静かな朝焼けの中。ユウキの優しい腕の中で、ミユキは声を上げて泣いた。




  †




『ようやく復旧できた――……って、え?』


 精神接続(クロッシング)が復旧して早々、ラプラスの第一声はミユキからの反応がないのに困惑する声だった。

 その声に小さく苦笑を漏らしつつ、ユウキは答える。


「安心しろ、今は疲労で眠っているだけだ。精神侵入の影響も、幸いほとんどない」


 飛行魔導を起動するユウキの背には、相変わらずかわいらしい顔をしているミユキの寝顔が見える。女顔なのは、昔から変わらない彼の特徴だ。


「仮眠は摂らせたとはいえ、昨日の朝からはずっと臨戦態勢だったしな。〈オファニエル〉の撃破で、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう」


 いくら彼が〈D-TOS〉用に遺伝子改造を施されているとはいえ、それに伴う疲労が減る訳ではない。〈天使〉因子の効果は、あくまで許容量が増えるだけで疲労そのものは普通の人間と同じように蓄積していくのだ。

 それに。


「あれだけの魔導を並列で使用していたのだ、今は少しでも脳を休めて安静にしてもらっていた方が身体のためだろう」


  残っていた彼の〈D-TOS〉使用ログを閲覧(えつらん)してみると、そこには出力限界に近い一時強化(ブースト)の履歴がズラリと並んでいた。

 恐らく、対〈智天使(ケルビム)〉戦闘のセオリーである短期決戦で終わらせるつもりだったのだろうが……。いくらなんでもやりすぎだ。あとで注意をしておかなければならないな、とミユキは思う。


『身体については大尉もだけどな。……ま、事情は分かった。色々と、な』


 何か含みのある声音で返されて、ユウキははっとする。


 ……ああ。〈D-TOS〉の精神接続(クロッシング)は、内面までもが相手に伝わるのだった。


 んんっと咳払いをして、ユウキは真面目な話題に移る。


「しかし、精神侵入を主とした〈智天使(ケルビム)〉か……。ここにきて、なぜ原点回帰を?」


 最初期の〈天使〉は、光線すらも放たない精神侵入だけの攻撃だった。それから年月が経つに連れて光線を放つようになり、遂には〈智天使(ケルビム)〉という武力に特化した種類までもが現れるようになったのだ。

 なのに。なぜ、今になって精神侵入が主体の大型天使が現れたのか。ユウキはそれが引っかかっていた。

 しばしの沈黙ののち、ラプラスは彼にしては険しい声音で言う。


『奴らも学習してるんだろうな。ただ武力を振るうだけじゃ、いずれ人類と拮抗するってことを』

「……人類(私たち)には、もうそれほど時間が残されていないと?」

『実際のところは分かんねぇけどな。けど、そう考えると、今回の作戦も納得がいくだろ?』


 たとえどんなに優秀な兵器であったとしても、その習熟が満足に完了していないうちに過酷な戦場に送り出すのははっきり言って無能でしかない。どんなに優秀な兵器でも、使いこなせなければ普通の部隊と同じなのだから。


 けれど。もし、未来に猶予がないのなら。待っていられるような時間がないのだとすれば。こんなめちゃくちゃな作戦にも、一定の説得力と合理性が見いだせる。

 第一、北極点基地(エルドラド・ベース)での()()()()事故からは三十年も経過しているのだ。まだ未来に余裕があると思う方がおかしいだろう。


「……今度は、どんな無理難題を押し付けられるのだろうな?」


 珍しく皮肉たっぷりなユウキに、ラプラスは苦笑して。

 それから、いつもの調子で答えた。


『さぁな。けど、やらなきゃオレたちも人類も終わりだ』

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