第十話 〈智天使〉
初夏の早朝は、思っていたよりも肌寒かった。
飛行魔導を巡航状態にして、黎明の空を翔け抜けながら。ミユキはそう胸中で呟いていた。
現在時刻は、午前五時二十分。到達予測時間とほとんど同じだ。
ミユキの装備はいつも通り二本の長剣と、軍の制式小銃。そして、左腿には一丁の拳銃が備え付けてある。
風を受けてばさばさと音を立てるコートはそのままに、ミユキはユウキの指示を聞く。
『奴の率いる〈主天使〉や〈大天使〉は、他の魔導士部隊が相手をしてくれる。……ミユキ、お前はいつも通りやればいい。突破口は、私が切り拓く』
「……了解」
心を完全な戦闘状態に入れ替え、己の精神状態を冷静そのものに固定する。基本的に劣勢な対〈智天使〉戦闘において、冷静さほど勝利の近道はない。
『各員の〈D-TOS〉を予備戦闘起動』
『了解』
ユウキの言葉に、ラプラスが応じる。直後、意識を集中させるミユキの脳内には様々な機械音声が流れ込んできた。
【〈D-TOS〉予備戦闘起動開始。飛行魔導を巡航状態から戦闘状態へと移行。――予備起動状態で停止】
【視覚及び各種神経系の感応速度を強化。――戦闘対応処置の予備起動を完了】
【〈魔導銃〉および〈魔導剣〉を起動】
そこで、ミユキは魔導の起動方法を少し変更する。
というのも、〈魔導銃〉と〈魔導剣〉には予備戦闘起動の状態は存在しないのだ。
別にそのまま放置していても起動自体はするものの、エラーメッセージが脳内に流れるのだから仕方がない。あれは、なんとも言えない不快感があるのだから。
手に持つ〈魔導銃〉が幻の熱を帯び、左右の腰に提げた〈魔導剣〉が淡い青の燐光を放つ。
魔導の出力を調整して、停止ギリギリのところで操作を止める。
――これで、予備戦闘起動は整った。
あとは、突撃の指示を待つだけ――そう思った瞬間だった。
『前方より超高エネルギー体接近!』
「っ――!?」
咄嗟に一時加速を起動し、前方から迫り来る極光の光線をなんとか逃れる。直後。地面に命中した光条は激しい爆発を引き起こした。
『発見されたか……!』
爆風に煽られながら、ユウキが小さく舌打ちをして悪態をつく。
進行方向を見やると、そこには巨大な四枚の翼を持つ純白の〈天使〉がこちらを見据えて佇んでいた。頭部と思わしき場所には、四方向に同じ形がつくられていて。身体の中央にある巨大な一つ目が、その異様さを際立たせている。
体勢を立て直して、ユウキは決然とした口調で告げた。
『これより、STTは〈オファニエル〉と交戦状態に入る。各員、突撃!』
了解、と言い置いて。ミユキは呟く。
「〈D-TOS〉、戦闘起動!」
それとほとんど同時に世界の速度が遅くなり、背中に広がる純白の翼が更に実体感を増す。
【飛行魔導を戦闘状態へと移行。〈魔導銃〉および〈魔導剣〉の出力を一二〇%へと上昇。固定】
【――全〈D-TOS〉システム、正常に起動完了】
左腰の〈魔導剣〉を、引き抜く。
瞬間。ミユキは一時加速で敵中へと突撃を開始した。
上下左右のあらゆる方向から、敵と味方の青色の光条が煌めいては消えていく。薄明に染まっているはずの空は、〈オファニエル〉を中心に真っ白に染まっていて。なのに、地上はなおも真っ暗闇に沈んでいるままだ。
『知ってると思うが、空を白色に染めているのは〈守護天使〉だ! 絶対に入るんじゃねぇぞ!』
「ああ。分かってる!」
空を白く染め上げているのは、〈守護天使〉と呼ばれる小型の〈天使〉たちだ。戦闘能力こそないものの、やつらは空から降り注ぐ太陽光を遮断し、妨害電波を発して電子機器や〈D-TOS〉の動作を阻害、停止させる。
【妨害電波を感知。全〈D-TOS〉システムの出力が一五%低下】
『出力の低下分はこっちで上げておく! 気にせず戦え!』
ラプラスの声が通信機に響く。それには応答せず、ミユキは〈オファニエル〉へと全速力で突撃していた。
〈D-TOS〉の示す位置情報によると、ユウキはミユキの十メートルほど後方に追従している。ミユキの進撃を邪魔する〈天使〉どもは、彼女の狙撃で片っ端から撃破されていた。
……これなら。目の前にだけ集中していればよさそうだ。
【〈魔導銃〉を停止。〈魔導剣〉の出力を五〇〇%へと上昇】
手を離した〈魔導銃〉から幻の熱が消失し、それと同時に右手に持つ〈魔導剣〉の刀身が二倍に延伸される。
射線の関係上でユウキが撃ち漏らした〈大天使〉を、煌めきの増した蒼の刃で一閃。背後に咲く極光には目もやらず、ミユキは眼前の巨大な天使だけを見つめる。
〈オファニエル〉が動く。
四枚の翼をはためかせ、生じた風を魔導によって真空の刃へと変換する。それを感じ取った〈D-TOS〉が警告を発し、聞こえた時には既に二人ともが魔導盾を展開していた。
真空の刃を魔導の盾で受け止める。けれど、進撃の脚は全く緩めない。
『一時離脱する。ここでは援護が不可能だ』
一方的に言い残して、ユウキが左下へと離脱していく。真空波の中では魔導盾は解除できず、かといって魔導盾の中では〈魔導銃〉の弾丸は跳弾してしまう。
今、ここにユウキがいても、足でまといになるだけだ。
〈オファニエル〉の巨大な一つ目が、キラリと煌めく。
「っ――!?」
【右方向へと指向方向を変更。飛行魔導を九〇〇%に一時加速】
【戦闘適応処置機能を一律八五〇%に一時加速】
直後。ほとんど無意識で動いたミユキの左側を、極光の光線が通り抜けた。
遅れて、地面に命中。そこを中心として、地表が大爆発を轟かせる。
……あれが、さっきおれたちを襲った光線か。
爆風を背後の翼で受け止め、それを追い風にして更に〈オファニエル〉へと肉薄する。
【使用中の〈魔導剣〉の出力を五〇〇%に一時強化。刀身長を現状維持。溶断率へとエネルギーを転化】
直後。ミユキの脳に激しい痛みが走った。
だが。〈D-TOS〉の接続は絶対に途切れさせない。
『行け! ミユキ!』
凛とした少女の声と共に、左下から殆ど白色の光条が放たれる。極光は虚空を切り裂き、ミユキの眼前で“半透明の何か”を貫いた。
間髪入れず、ミユキの蒼刃が一閃。
眼前に出現していた薄い紫色の障壁――〈オファニエル〉の個体防壁が、音を立てて砕け散る。
『防壁破壊弾を最大出力で射出した! 十秒間、そいつは個体防壁を再展開できないはずだ!』
「ああ」とだけ返して、ミユキは更に〈オファニエル〉へと肉薄する。虚空から放たれる青色の光条を躱し、〈魔導剣〉で受け止めて。ミユキは目の前の巨大な一つ目へと剣を突き立てる。
剣の切っ先が、〈オファニエル〉の一つ目に突き刺さる。
それは豆腐を割くように、いとも簡単に刃は奥へと突き刺さっていく。
そして。そのまま剣の切っ先が〈オファニエル〉の核に到達するかと思われた――その時。
ミユキの精神を、強烈な精神侵入が襲った。
「……ミユキ? ミユキ!? 応答しろ、ミユキ!」
〈オファニエル〉へと剣を突き立てたまま動かなくなったミユキを見て、ユウキは通信機へと叫ぶ。
だが。それとは裏腹に、ユウキは歴戦の勘から彼の身に何が起きているのかを悟っていた。
……あれは。精神侵入を受けてしまっているのだ。
【飛行魔導を八〇〇%に一時強化。超加速発動】
【〈魔導剣〉起動。出力を九〇〇%に一時強化】
意識して考えるよりも先に、思考と身体が動いていた。
右腰から〈魔導剣〉を引き抜きながら、ユウキは〈オファニエル〉の一つ目へと全速力で急行する。
「プロテクトは!?」
『二次防衛まで突破されてる! 上書きはまだかかりそうだ!』
ちっと舌打ちを鳴らして、〈魔導銃〉の銃口を〈オファニエル〉へと差し向ける。
【〈魔導銃〉の出力を八〇〇%に一時強化。弾頭拡大および爆発力強化を停止。エネルギーを貫徹力へと転化】
ミユキを撃たないように、細心の注意を払って照準を合わせる。彼と核があると思われる部分の間に、射線が合うように。
あえて正面へと出て、〈オファニエル〉の注意を引く。視線がこちらに向いたのを確認して――殆どノータイムで引き金を引いていた。
極光の光線は〈オファニエル〉の一つ目の端を貫き、そのまま内部へと侵入していく。
防壁破壊弾――|Destruction《De.》 of Barrier |Utilization《U.》 For Forcing弾は、その名の通り〈天使〉の個体防壁を破壊するのに特化した弾丸だ。それを〈魔導銃〉の最大出力で撃ち込んだのだ、いくら〈智天使〉といえども、それなりに大きなダメージとなる。
脳内に響くのは、〈オファニエル〉の放つ精神侵入の“音”。全てを無に還そうとする、破滅の音声だ。
「痛いか〈天使〉! それがお前たちが与えている苦痛だ!」
絶叫する脳内の“音”を一蹴し、ユウキはミユキのいる傷跡へと入り込む。閉じかけていた傷を〈魔導剣〉で切り裂き、侵入および撤退路を作り出す。
動きを止めて脱力しているミユキを抱き留めて、更に奥へと〈魔導剣〉を突き立てる。
「目を覚ませミユキ! 私は、お前にまだなにも伝えていないぞ!」
まだ、ユウキは彼に感謝の言葉を伝えていない。お前は悪くないのだと、お前に罪はないのだと言えていない。
そんな、絶望ばかりのままで、お前を消えさせるわけにはいかない。
――そのためには、絶対に二人で生きて帰らなければならない。
剣で進路を作り出した先、ユウキは先程撃った防壁破壊弾の痕跡へとたどり着く。治りかけている傷口の先、ユウキの目の前には彼女の身長程もある巨大な正八面体があった。
「これが、お前の心臓か……!」
核。あらゆる〈天使〉が生命活動を維持するために必要とする唯一の器官であり、自然に存在する全元素を繋ぎ合わせた、世界摂理に反する極彩色の物質だ。
限界ギリギリでの超高出力で射撃を実行したために、〈魔導銃〉は現在過熱状態になっていて使えない。かといって、冷却を待っていては間に合わない。
……となると。ミユキを抱えたまま、〈魔導剣〉を突き立てる他に道はない。
【〈魔導銃〉を停止。魔導盾を予備起動】
万が一のことを考慮しつつ、ユウキは狭い傷の中を前進していく。
【〈魔導剣〉の刀身延伸機能を解放。二〇〇%で固定】
蒼の刃が延伸され、〈オファニエル〉の傷口へと突き刺さる。そうしている間にも、二人の身体は精神侵入によって急速に汚染されていく。
ラプラスとの通信は、もう完全に汚染されてしまっていて。叫んでいるであろう彼の言葉はなにも聞こえなかった。
だが。それも、こいつの核を破壊すれば全て終わりだ。
【視覚および各種神経系を五五〇%に一時強化。身体機能を七五〇%に一時強化】
激しい頭痛を理性で堪え、重い身体を無理やり動かして〈魔導剣〉を振り上げる。そして。その刃を振り下ろさんとした――その時。
〈オファニエル〉の核が、目を灼かんばかりの極光を放ち始めた。
通常の世界ならば一瞬の出来事であろうそれを、ユウキは強化された神経系と視覚で知覚する。けれど。動きは絶対に遅めない。その場を微動だにせずに、ユウキは剣を直下に振り下ろす。
その光が、頂点へと達する直前。ユウキの〈魔導剣〉が、〈オファニエル〉の核を真っ二つに両断した。




