生活の痕跡をたどって1
扉を開けた先の玄関は薄暗く、靴棚の倒壊でいくつも出掛け靴が散らばっていた。埃をかぶってずっとそのままのようだ。やっぱりここにはもう住人が居ないのだと分かった。
一応電気を付けてみようとスイッチを押した。洒落た飾りランプは明かりが灯らなくて、ただ家中に古い布地の匂いが充満している。
短いように見えていた廊下を歩くのにも、まるで永遠の時間を歩かされているような感覚だった。だって家の中は時間が止まったかのように静まっていたから。
「静かね……」
比較として。黙りこくっていた鳥や虫たちが、私が見えなくなった途端に鳴き始めたよう。それが家の中ではこもった音で遠くに聞こえている。
ここが彼の家……。
彼が過ごした思い出の家……。
それだけで私の胸は高鳴っていた。
「ゲイン・ジョフリー……?」
壁や小テーブルに飾ってある油絵が目について、その下に描かれたサインがそう書いてあった。ここは家族写真を飾るよりも芸術作品を飾る家のよう。
知らない家の歴史を覗き見るつもりでリビングへ、それからキッチン、浴室、寝室へもゆっくり巡る。
二階への階段を上がろうとする時だっただろう。壁にできた穴から風が舞い込んできて、一枚の紙を踊らせた。
「何かしら」
私は登りかけだった階段を急いで降り、朽ちたカーペットに落ちているその紙を拾い上げた。
「……請求書?」
数字や約款が綴られたもの。面白味のないその内容にも、私は意味があるものだと思って持ったままにする。
ただ、とても高額な値段に、一体何の請求だったのかは気になった。だからどこかに書斎があるのだと思い、私は探す理由にした。
二階は明るい。屋根の所々が抜け落ち、屋根裏部屋を通過して陽の光が降り注ぐ。
生活感を残したこの家屋は、二階層の個人の部屋にもそれをありありと残していた。
「ここがリーデッヒの部屋ね」
おそらく。
子供部屋にしては片付いている。落書きのないテーブル、何も入っていないクローゼット。幼い子供の部屋というより、青年もしくは大人になって片付けて家を出たのだと思う。
こんなに整った部屋なのに、なぜか椅子だけが無造作に倒れて転がっていた。
少し不気味かも……。
「ニャァオ」
「ん?」
声の主はベッドの下に潜んでいた。シーツも垂れていないから、剥き出しのその場所はちょっと覗いただけで隈なく見通せる。隠れ場所にするならあんまり向かない場所だと思うわ。
私はチッチッと舌を鳴らす。
「こら。外へお行き」
しかし猫は出て行く素振りがない。それどころか、私の顔が見えようが、私の手が入ってこようが、知らん顔してまた眠ろうと図々しい態度をとった。
「ちょっと。そこはお前の家じゃ無いのよ。山にでも帰りなさい」
「……クワァ」
猫はあくびをした。
「腹を立たせるわね……」
箒でもあればすぐに追い出してやるのに。見渡したところで長い物なんて何も見つからなかった。
この部屋の何も無さに肩を落とし、次の部屋へ。
今度は部屋の扉を開けた途端、見に馴染みのある生活感寄りの香りが押し寄せた。匂いだけでブランドを当てられたことも鼻が高かったけど、さすがに一昔前の化粧品は分からなくてドレッサーに歩み寄る。
「へえー。結構良いのを揃えてあるじゃない」
海外ブランドの口紅やチーク。化粧下地にはいろんな物を場所ごとに使い分けていたんだわ。丁寧にブラシもそれぞれ取り替えてね。
「裕福な暮らしだったのかしら……どれどれ?」
女性がお金をかけるところといったら化粧の次は衣服でしょ。
しっかり扉が閉じているクローゼット。建付けは無事で難なく開けられた。
「あらあら、良いじゃない~」
ドレス、シャツ、ネグリジュまで揃えてあって。しかもどれも状態が綺麗で今でも全然使えそう。
ドレスをひとつを取り出して、さっきのドレッサーの前で当ててみる。
「うそっ、やだ!」と、思わず恥ずかしくなってしまうほど。好みで手に取った色は、完全に私の肌色に合っていた。サイズ感も申し分ないはず。
一応人目が無いか辺りを見回してみる。ふと、カーテンが朽ちているのが気になったけれど。カビた窓は曇りガラスのよう。しかも景色は森の緑だけだってことは、こんな場所で堂々と服を脱いだって誰にも見られるわけもない。
私は鼻歌を歌いながらコルセット姿になり、その上にドレスを通した。後ろのチャックもしっかりと持ち上がり、やっぱりこの身体にピッタリとはまる。
「素敵じゃない!」
まるで宝物を手に入れたかのような心地でうっとりするわ。
さらに本当に宝石箱をも開けたなら、いくつかアクセサリーも入っている。
「うーん。宝石は少し見る目が無かったみたいね。……でもまあ許してあげる」
ドレスと同じ色のものを選ぶ。
耳につけたら宝石はやっと持ち主を見つけたみたいに輝いた。
美しい。綺麗だわ。
ビンテージドレスでも全然遅れて見えないのは私の華がそうさせているのかしら。
これに合うバッグは……。
クローゼットや引き出し、飾り棚を見回り、これじゃ無いあれじゃ無いと悩んだ。
すると、物置台の上部に大きめの衣装ボックスが置いてあるのを見つけた。
何の勘なのか、私はあれが気になった。
椅子を持ってきてその上に登り、衣装ボックスはそれほど重くなくって女性の手でも楽に下ろせる。
私は好奇心でその箱を開けようとしたけど。
「……何よ。今さら鍵だなんて」
開かなかった。箱を揺さぶって見れば中身はちゃんとあるし、箱の大きさや重さ的にもカバンか靴が入っていそうなのに。
パリンッ!!
その時、不意に花瓶が落ちたのだ。
「キャッ!?」
私は瞬時に身を縮めた。
花瓶は器用にカーペットを避けて、一部剥き出しの鉄板に当たって割れたよう。
「……ニャァ~」
「な、なんだ……。あんたの仕業なのね……。さっきの仕返しのつもりなら手段を選んでくれない? 高い花瓶だったらあんたが弁償しなさいよ?」
とはいえ少し腰が抜けたわ。
床に手を置きふらふらと立ち上がると、なんとその花瓶の破片の中に鍵がある。
「……」
さすがに私も、これをラッキーだとは素直に受け取れない。
「あんた……何か企んでいるんでしょ」
猫は、ベッドの下で丸くなっていた時よりも、陽の下で見た方がもっと黒みがかって見えた。呑気にあくびを垂らしていても、もしかして中身は私をおとしめる悪魔が入っているんじゃないかしら。……この家の主人の生まれ変わりだったりするかしら。
「……ふん。良いわよ。とことん私を呪いなさい」
花瓶から現れた謎の鍵は、この衣装ボックスを開けるのにピッタリとハマって使える物だった。
中には手紙と、よくよく包まれたブティックが入っていた。
「これは私が読んでも良いわけ?」
手紙をとって猫に見せる。でも猫が返事をするわけもない。
「そうね。勝手に読むから」
真っ白で模様のない便箋。ノリ付けが古くて開けた痕跡は無い。ペーパーナイフの代わりに、ドレッサーにあったスパチュラを使って開封した。
『母さんへ』
素敵な文章と共に、これが贈り物の品であることが分かった。
(((次話は来週月曜17時に投稿します
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