特別なスプーン
「えっ!? 夫は関係ないし、私は……特に……」
言葉を選んでいる時間をドンドゥルマは待ってくれない。
「もういいわ。直接会ってくる」
「……」
ちょっと待ちなさい! ……なんて、ドンドゥルマを引き留める人が居ない。特にソルベはドンドゥルマのことを馬鹿な人だと呆れているくらい。
ファールーデもクルフィも、ドンドゥルマが少し可哀想な人だというように見送っていた。
「じゃ、私は帰るわ」
ソルベがワインを飲み干してそこのテーブルにグラスを置く。歩き出してふらつく足元が危ないからとファールーデが支えてあげるようだ。ファールーデが去り際に、私に少し会釈をしただけであとは背中を向けた。
「グラニータ、じゃあね。旦那さんによろしく」
クルフィも行ってしまうよう。あれだけ私の夫が見てみたいと執着していたけれど、特に私について来てまで見たいわけではないのね。
そうよ。みんな口だけ。
態度だけ良いように見せて、心の内で分かり合える友人同士では無いんだと改めて実感する。
それは寂しいような……。だけど仕方がないような。
私が少し背伸びをして探してみると、夫は扉のところで人を待っているみたいだった。私と目が合ったら軽く手を上げて居場所を教えてくれていた。
……行かないと。
でも本当に良いのかしら。誰かがドンドゥルマを迎えてあげないと。
そんな気遣いなんて無用だって分かっているのに何故か。
「グラニータ!」
ドンドゥルマの声だ。
声を探して見てみると、ドレッシーな姿で飛び跳ねながら来る女性が見つかる。
「見て! 貰ったわ! 特別なスプーン!」
その瞬間。全員の目がドンドゥルマに一気に向いた。
まさかと思った。ドンドゥルマの手には見慣れないものを持っていて、大きく振って周りに見せびらかしている。
金色のスプーンじゃない。特殊な虹色に輝く素材、まるで宝石みたいなスプーンがある。
「……嘘。どうやって」
あり得ないわ。
リーデッヒがドンドゥルマにスプーンを?
嘘だ。きっと騙されている。
こんなものをドンドゥルマは信じてしまうの?
「ふん。やっぱり良い女は積極性なのよ。私があなたたちと同等なわけがないもの。この特別なスプーンは、特別な私が貰うものだって決まっていたわけ」
二人の会話だけれど、まるでロビーの空気が凍りついたかのようだった。
全員がドンドゥルマを横目に見て、ドンドゥルマの発する言葉に耳を寄せていた。
私たちを注目させたのは、その特別なスプーンの輝きではなくて。むしろ勝ち誇った様子でいるドンドゥルマの姿だった。
その事にドンドゥルマは自分で気付いている。
だけどドンドゥルマは……気付いていない。
「ド、ドンドゥルマ……? クルフィが言っていたでしょう? 恨みっこなしだって。淑女は淑女らしく、落ち着いて見過ごせることが失恋に優位なんじゃないかしら……」
私は言ってから、まだそう遠くないクルフィを探した。
張り付いた視線の中にクルフィは居た。もう帰るとは言ったけれど、ドンドゥルマの声が大きかったのか周囲の緊張感が伝わったのか、クルフィもこの事態を目の当たりにして足を止めていたよう。
クルフィは大きく目を見開いていて、かなり驚いているようだった。これならきっとクルフィがすぐに戻って来て、ドンドゥルマの受け取ったスプーンを囃し立てるに決まっている。
もしかしたらファールーデとソルベもまだ近くにいるのかも。どうかソルベがドンドゥルマを叱ってちょうだい。「あんたが求める物はスプーンだったのか。リーデッヒじゃなかったのか」と。
「失恋? 何を言ってるの? このスプーンが証拠でしょ? 私の恋は成就したの」
「で、でも……」
早く、クルフィ。
しかし……予想に反してクルフィは彼女の持ち前の明るさを出さなかった。スプーンを目撃していたのは明らか。確かに彼女は動揺していたのに、何も言わずにそのまま後ろを向いて劇場の外へ出て行ってしまうなんて。
ソルベもファールーデも現れなかった。でも。緊張が巡らされるロビーで、リズムを崩しながら歩くヒールの靴音だけ私は聞き取った。それがきっとソルベのものだったと思う……。
その時、ドンドゥルマは鼻を鳴らす。
「ふん。負け惜しみも出来ないみたいね」
ソルベの足音をドンドゥルマも聞いたよう。
「じゃあね、グラニータ。今夜のデザートは苦い味がしそうですわね」
スプーンを空中でくるりと回して見せびらかした。
七色の光を反射させたスプーンが、ここにいる全員の女性の目に植え付けられただろう。
もちろん、私の目にも。
(((次話は来週月曜17時に投稿します
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