スプーンの正体
コテージ近くの空き部屋を借りて、そこをジャルジーラさんに託すことにした。
彼が数日間で準備すると言ってから、なんだか波風の当たりが強くなってきたみたい。
眠りにつく前に、お酒を少々頂きながら大きな波音に耳を傾けているようで……聞こえてくるのは男女の口論する声だったり。
以前は、海を見てはしゃぐクルフィの声がうるさいほどだった。それが今は、恋人が海を見にベランダに出ていることを咎める声になったみたい。
向こうがパタンとガラス戸を閉めていても、クルフィの荒ぶる声が波間に聞こえて来た。
あの日、雨の景色を見ながらでも、彼が彼女に結婚の申し込みをしていたら未来は明るいものになったかしら?
「……ふふ。恋の矢をどうにかするのも楽なものではないわね」
部屋中に香るバラの匂い。
留守の間に夫が送ってくれたという大きなバラの花束が、私のひとりごとを聞いていた。
「……」
分かってはいるけれど、花束は言葉を話すことが出来ないわ。
だったら月はどうかしら。今夜は雲の切れ間から、ごく細い弓なりの月が見えているけれど。
「リーデッヒ。あなたなら私のことを慰めてくれない? ……なんてね。馬鹿で仕方がないわ。私たちの事情なんかには目を閉じているとでも言っているよう。あんな細い月で何が見えるって言うのよ」
白ワインをひと口飲んで、胸が苦しくなる。
「どうせ……。愛の女神というのも、真面目に仕事してい無いんでしょうね」
次のリーデッヒの演目だったのに。
観たかったわ。
海外で人気の『愛の女神』っていうものを。
だってリーデッヒ。あなた、そういうのが一番好きじゃない。……でしょう?
「おはようございます……ソルベさん?」
翌朝に顔を合わせたジャルジーラさん。この私が思いのほか早くギャラリーに来ていた事に驚いているよう。
「おはよう。あなたが来る前に花を届けておこうと思って」
水瓶に花を活けている。ジャルジーラさんの作風に合った紫や白の繊細な花をたくさん挿してある。時折、真っ赤なバラも数本忍ばせておいて。
綺麗に飾った花を遠目に眺めて「どうかしら」とジャルジーラさんにも意見を仰いだ。
「……綺麗です」
「そう? よかったわ」
だけど、ジャルジーラさんが私の顔ばかり見て来るのだから困りものね。
私からは相手をしてあげないで、道具の片づけを始めていたら、ジャルジーラさんも手伝ってくれるみたい。
「昨日……眠られましたか?」
ハサミを拾い上げながら突然そんなことを私に聞いた。
「ええ。ぐっすりと」
「嘘です。昨夜はずっと明かりが点いていました」
「……」
私は変わらない態度でジャルジーラさんからハサミを取り上げ、布で丁寧に拭いておく。
「真っ暗にすると眠れないだけよ」
「それだけですか?」
「そうよ」
生け花の道具を仕舞おうと、スカーフの上に並べて置いていた。
それを包んで持ち帰るはずだったのだけど、知らないうちに未使用の花が添えられているのを見つけた。切り落として使わなかった真っ赤なバラの花だった。
もちろん花を置いた犯人はジャルジーラさん。
「……これ、名前を伏せていたんですけど。本当は僕が送ったバラなんです」
悪い事をした子犬のように、しっぽや耳をシュンと垂れるのだから……。
「はぁ。いけない子」
私は叱ってあげなくちゃならないのかしら。
言葉で示してあげてもいいし、体で導いてあげてもいいけれど。まずは聞いておかなくちゃいけない事がある。それが、私がここへやって来て彼と接触する理由でもあるから。
「ねえ、ジャルジーラさん。作品を見てもいいかしら」
「あっ、そうですよね。どうぞ」
子犬だった彼は、しっぽをピンと立てて正気を取り戻した。
無数にも思えるほど沢山の作品。そのひとつひとつを紹介するにあたって、ジャルジーラさんは職人気質を取り戻していく。恋愛はひどくロマンチストで自制出来ないようでも、仕事に対する熱意は好きだと私は思った。
貝殻であつらえたアクセサリー、食器、衣服、家具も。どれも素敵で私のブティックにも取り上げたいほど。
ただ、私の目当てのものは無かった……。
「ジャルジーラさん、雑貨はこれだけ?」
「え? いいえ、工房にはまだ沢山……」
「そう……」
ずらりと並ぶ品々を拝見し、私は唸っている。
「何かご要望がありますか?」
「そうね……実は、あなた達が恋仲だって知るずっと前、クルフィがとっても綺麗なスプーンを持っていたのを見かけたのよ。素材が鉄やガラスとは違うから気になっていて」
すると、ジャルジーラさんはすぐに分かったよう。
「ああ! それはアイスクリームスプーンのことですね!」
手を叩いて喜ぶ姿。それはどうしてなのか。聞いてみるとこんなエピソードが。
「クルフィがとても良い演劇だと何度も言うから、僕も気になってひとりで観に行ったんですよ。すると主人公の求愛の場面がとても良かった。感動ばかりか僕も真似したくなっちゃいまして、気付くともう僕の手は素材を選んでいました」
ジャルジーラさんは側の工具箱から数枚の洗った貝殻を取り出した。机の上に丁寧に並べると、同じ種類の貝殻でも色や艶めきが全く違うのだと分かる。
そして、あの例のアイスクリームスプーンとの輝きと似ていることにも私は気が付いた。
「あ、あなたが作ったの!?」
嘘でしょ。驚いた。
ジャルジーラさんはもじもじと揺れている。
「アイスクリームスプーン。それは食事において最後に使うスプーン。主人公がヒロインに渡した時のように僕も……彼女にとって最後の存在になりたい想いで、あのスプーンを製作したんですよ。お恥ずかしながら……」
言ってから、暑い暑いと急に汗をかき始めたジャルジーラさん。
そんな彼を私は手で仰いであげた。ジャルジーラさんは優しいから「涼しいです」と冗談を言っていたけれど。
私は内心すごく衝撃を受けていたのよ。
だって、あのスプーンはリーデッヒから受け取るものだと思っていたのだから。ドンドゥルマが貰ったという前に、クルフィが持っていたのはリーデッヒとどんな関係があったのかと……。
「そう……リーデッヒからの物じゃなかったのね……」
安心した。
溜め息をつく私に「どうしました?」とジャルジーラさんが顔を覗いた。
何でもないわと首を振ってから、私は冷静になって、そうよ、あり得ないわと思えてきた。だって著名人のゲイン・リーデッヒがただの一般人を特別扱いするはずがないもの。
「あ、あはは……」
馬鹿ね。どうして気付かなかったのかしら。目の前のことに執着し過ぎたあまり、こんな初歩的なことに気付けないなんて。
「ソルベさん?」
「う、ううん。何でも無いの」
私の馬鹿さ加減とは裏腹に、まさかこんな素敵な話を間近で聞かされるなんてね。本当に困ってしまう。たった今、私がやろうと思えば、いくらでも彼をたぶらかすことが出来る状況で。
「すみません、個人的な話になってしまいました」
「いいえ。素敵だったわ。彼女のことがとても好きなのね」
素直な感想だったけれど少し嫌味にも聞こえたかしら。ジャルジーラさんは罰が悪そうになり、せっかく出した貝殻を再び仕舞おうとしている。
嫌味ついでにもうひとつ尋ねてみたいわ。
「その、あなたがクルフィに渡した特別なスプーンだけど。最近は彼女、身に着けていないようだけど?」
「ああ……。どうやら失くしちゃったみたいで」
「失くした?」
そうなの?
「新しく作ろうかとも言ったんですが……逆に僕の発言がマズかったんですよね。あれはだって世界でひとつだから意味があるスプーンであって、量産できるなら何も特別じゃなくなってしまいますもんね……」
「あら、ごめんなさい。嫌な思いにさせちゃったかしら?」
「いえ……大丈夫です」
ジャルジーラさんは苦笑を浮かべている。
私も口元だけ少しだけ笑ってあげた。
とはいえ思ってもいなかったわ。ジャルジーラさんがクルフィのために作ったものだなんて。だけどその虹色に光るスプーンが、今はドンドゥルマの手に渡っている事までは知らないのね。
でもクルフィはドンドゥルマが持っていることを分かっているはずよ。なのにどうしてドンドゥルマから取り戻そうとしないのかしら。
あの劇が終わった後、そのまますんなり帰ってしまって良かったわけ? あの馬鹿みたいに無鉄砲な性格なら、スプーンを見た瞬間に声を張り上げて叫んでもおかしくないのに。
「あ、ねえ。ちょっと知りたいんだけど。クルフィとあなたの関係って……」
その時。大きな破壊音が聞こえた。何かが割れた音だけど、とても大きかった。
音の出どころは入り口付近。すると、水瓶から大量の破片と水が床に広がっており、立体的に活けていた花も全て台無しになっていた。
「ひどい。誰がこんなことを」
ジャルジーラさんの言う通り。いくら水瓶がもろかったとしても、ただ半分以下の水量と花を抱えただけでは自ら割れることは無い。
どうやら、私たちの関係を疎ましく思う人物がいるみたいね。
あるいは、私が何か確信付ける事を阻止しようとするための動きだったりするかしら。
「……まあいいわ。今日はこれで帰りましょう。とても楽しかったですわ。また今後もよろしくお願いします」
「は、はい! どうぞよろしくお願いします!」
握手を向けてきたその手には、私のマネージャーのネームカードを持たせておく。
散らばった花の香りが湧きあがり、バラの甘い香りも感じ取れた。だけど不思議なのは、ナッツを砕いたようなあの香ばしい香りがどこにも感じられないということ。
(((次話は来週月曜17時に投稿します
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