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黄の賢者ケビン ~夢持たぬ者。他人の夢を踏みにじる者。永遠に懺悔する者。正義を執行する者~

 ケビンは貴族の家に生まれた。そして今日、成人の儀がとり行われ正式に貴族として迎え入れられる。煌びやかな衣装に身を包み、本来であれば胸を高鳴らせているはずの日。


 だがケビンの心は凪のように穏やかだった。特にやりたいことがないからだ。


 ケビンには将来の夢というものがない。ただ言われたとおりに貴族としての勉学に努め、日々の仕事をこなし、剣の鍛錬に励むだけ。


 周囲の人間はケビンになにも言わなかった。特に心配していなかったからだ。なぜならケビンはとても器用な人間であり、成績も優秀で剣の腕も良い。そもそも貴族に必要なことは義務感であって夢ではない。将来の夢を持たないというのは、むしろ良いことで、ケビン自身も周囲も全く気にしていなかった。


 夢がなくても生きていける。むしろ不要。ケビンはそんな人間だった。


 そんなケビンには気になる女性がいた。婚約者のマリーだ。宮廷音楽家の道を進みたいという夢を持ち、夢に向かってひたむきな姿に惹かれていた。貴族社会によって決められただけの関係ではあったが、好きという気持ちを確かに抱いていた。


 だから宮廷音楽家の道が破れたとき、マリーへ励ましの言葉を投げかけた。だが夢のないケビンに、夢が破れた人の気持ちがわかるわけがない。空虚な励ましの言葉は、残念ながらマリーに響くことはなかった。


 なんとかできないものかと思い悩んでいたケビンは、ある話を耳にする。それは宮廷音楽家の道の真実。


「嘘だろ」


 信頼する貴族から伝えられたことだった。ただ上手いだけでは宮廷音楽家の道に進めない。裏で手を回さないといけないという話だ。


 宮廷音楽家への道は公平に用意されているものではなかったのだ。汚職にまみれ、不正や賄賂が当たり前のものだった。幼馴染のマリーの夢は、そんなものに踏みにじられていたのだ。


 これが貴族社会の本質であるとケビンは知った。これから入る貴族社会がどんなものか知った。これまで過ごしてきた貴族社会が虚構であったことを知った。


 どう話せばよいのか、そもそも伝えるべきなのか悩みながら婚約者を訪れた。すると夢破れて打ちひしがれていたはずのマリーは、まるで立ち直っているかのようだった。ルイスという変わり者の一般人が原因らしい。世界のふもとに行きたいなどという意味不明な夢を追い続けている男だ。


 ケビンは知らないことだったが、マリーはルイスのことがずっと気になっていたのだ。好きになっていたとも言える。ひたすら夢を追いかけるという所に共感し惹かれていた。そして夢破れたマリーと違ってルイスは世界のふもとへ旅立つという夢を今まさに始めようとしていたのだ。


 世界のふもとを目指して世界を旅する。ルイスは街の多くの人間に一緒に旅立たないかと声をかけていた。その中に、貴族であるマリーも何故か含まれていて、共に旅立つことを決めてしまったらしい。元々惹かれていたということもあったが、ちょうど夢破れた直後に声をかけられたからのようだった。


 宮廷音楽家の道の真実を伝えようとしたが、伝えられなかった。世界を旅するという新しい夢に向かって歩みだしたマリーの顔がとても明るいものだったからだ。


 汚職に不正に賄賂。貴族社会は悪だとケビンは確信していた。反抗的になってしまったケビンに、周囲の態度は悪化する一方だった。


 ケビンは態度を改めなかった。反省することなどなかった。何故か?ケビンには夢などなかったからだ。叶えたい夢がないのだから、周囲にどう思われようが気にも留めなかった。


 夢を叶えるために周囲に協力してもらう必要がないのだから、夢を叶えるために教えを乞うことなどないのだから、夢を叶えるために親から援助してもらえなくてもよいのだから。


 貴族社会に入り生きることにケビンは拒絶反応を持つようになった。今までやってきたことはなんだったのかわからなくなっていた。自らが汚職や不正に手を染めることを嫌がった。


 だからケビンは逃げ出した。夢を追い求めてではなく、逃避のために世界のふもとへ、世界を旅しようと決めた。


 そして始まった世界のふもとへの旅路は、ケビンにとって大して意味のあるものではなかった。


 世界のふもとでケビンは星空を見上げた。広がるのは大きな天の川。川の大きな流れに身を委ねていているだけだった。


 そして8人に贈り物が授けられた。

 それは、魔法と永遠の命。

未来永劫、正義を追い求めるケビンの人生の始まりだった。


 8人で過ごす日々はすぐには終わらなかった。全員で世界のふもとで暮らすことになったのだ。


 世界のふもとでマリーは昔のように楽器を演奏するようになっていた。そんな様子を見ていて、ケビンの心に昔の感情が再燃する。そして星空の広がる世界のふもとで告白した。


 一体いつから?返事の前にマリーから聞かれたのは、ただの疑問だった。マリーからそんな返答が来るとは夢にも思っていなかった。


 本当に驚いているようだった。2人は親が決めただけの、貴族社会が決めただけの婚約者に過ぎない。だから本心が見えないのは当然のことであったが、それでも少しくらいは意識してくれているだろうとケビンは思い込んでいたのだ。


 実際は全く意識されておらず、さらに未だにルイスへの想いは変わっていないようで、当然のように断られてしまう。答え自体は予想できたものだったが、マリーの態度は全く予想できなかった。ケビンは意気消沈しその場をあとにする。


 しばらく世界のふもとでの生活が続いたが、次第に人間の街に帰らないかという声が大きくなっていった。特にルイスの親友とケビンが強く主張していて、昔張り合っていた人とその取り巻きも帰ろうと言うようになっていく。特に反対したのは2人姉妹だった。


 マリーへ想いが届かなかったとはいえ、世界のふもとでの生活に満足していたケビンは反対だった。


 帰ろうという4人と、残ろうという4人。


 話し合いはしばらく続いたが、結局人間の街に戻ることになった。マリーは世界のふもとに残るのだろうかと脳裏をよぎったが、その選択はしなかった。まだルイスのことを追いかける気でいるらしい。


 もしかして残るという選択をしてくれれば、自分も一緒に残れたかもしれないとケビンは思ってしまった。そんなことにはならないと理解していても期待してしまっていた。マリーのことを諦めようとしていたが、諦めきれていなかったからだ。


 帰った後に、仲間の一人が意気揚々と魔法の力を街の人たちに自慢して回った。止める理由はないと放っておいたが、本当は止めるべきだったのだとケビンはすぐに後悔することになった。


 世界のふもとへ行きたい人間と阻みたい他種族の争いとなってしまい、そしてその戦いに8人全員が巻き込まれてしまった。


 どうして自分が戦っているのか。ケビンの頭の中はそんな疑問でいっぱいだった。ケビンが使うのは塩の魔法。初めは使い方がわからなかったが、どんな者も塩と化して砕けることがわかり、1対1なら負けない強さだった。


 ケビンは戦いを楽しむようになっていた。1対1では無類の強さを発揮する塩の魔法。笑いながら、ただ一方的に殺戮し続ける。


 そんなとき、黄金のドラゴンが8人を訪れた。黄金のドラゴンは他種族が人間を阻む理由を話している。魔物が生まれてしまったかららしい。だがケビンにとってはどうでもいいことだった。


 8人で話し合いが行われた。戦いを楽しんでいたのはケビンだけだった。人間と他種族の間の戦力差は大きく、ほとんど8人と他種族の戦いになっていたことに不満を覚える人が多かったのだ。


 そして他種族と共に人間と戦うことになった。ケビンはその戦力差を実感し、そして退屈していた。ケビンが戦う必要があるほど強い人間はいなかったのだ。塩の魔法を使う前に、他種族や他賢者の魔法で人間は吹き飛ばされていく。


 他種族は8人を賢者と名付けた。そして、ケビンは黄の賢者と呼ばれるようになる。戦いのさなか、8人は少しずつ離れ離れにされていく。あまりに強大な魔法の力を恐れたエルフにより、そう仕向けられたからだ。


 ケビンに抵抗感はなかった。むしろ率先して一人で別の戦場に向かう。


 塩の魔法は1対1では無類の強さを誇る。逆に言えば、集団戦では真価を発揮しえない。大勢で戦う戦争状態ではあまり役立つものではなく、しかも相手は人間だった。1対1でケビンと戦える者などいるわけがなく、物足りない気持ちのまま戦っていた。


「終わったか」


 ケビンはもはや適当に遊んでいるだけだったのだが、いつの間にか戦いは終わっていた。うなだれながら敗走する人間の背中を見ながら、ケビンはただたたずんでいた。戦いが終わったところで、やりたいことがあるわけでもなかったからだ。


 不完全燃焼だったというのもあった。人間との戦いは歯ごたえのない、ただ退屈なものでしかなかった。もっと強い相手と戦いたい。そしてもっと強くなりたい。


 特に理由や目的があったわけではない。ただなんとなく、強くなれば自分の思い通りに出来るのではないかというだけだった。そんなわけないと知ってはいても、そうなって欲しいと思ってしまっていた。


 誰と戦うべきなのか。ケビンには考えがあった。それは巨人の住まう地へ行くこと。アキシギルにおいて、単体で強いと言えばドラゴンと巨人だったからだ。とはいえドラゴンはあまりに強すぎ、まずは巨人と戦おうとケビンは思っていた。


 巨人。その名の通り人間とほぼ同じ容姿ながら、個体差はあれど巨大な体を持つ。


 ケビンの戦いの日々が始まった。巨人はとても好戦的な種族であり、戦いが始まるのに理屈も理由もいらない。戦いに身を投じることが出来る日々は、ケビンにとって快適そのものだった。


 余計なことを考えることなくひたすら戦いが続く。初めは苦戦していたが、塩の魔法を使い込むほどに互角に戦えるようになっていき、そして勝利を収められるようにもなっていく。


 ただ戦っているだけの生活だったが、少しずつ交流も生まれていた。巨人は粗雑で好戦的な種族ではあるが、対話をしないというわけではない。


 横暴。それが巨人の本質。1対1で本領を発揮するケビンとは根本的に相性が良かったのだ。意気投合したというわけではない。ただ単にお互いを認めあったのだ。認めあった間柄だからこそ、お互いに横暴になるだけではなく、むしろ協力的になることもあった。


 ある日、ケビンは巨人にガーダンの村へ遊びに行かないかと誘われた。断る理由もない誘いに乗り、ケビンは初めてガーダンの村を訪れる。


 横暴な巨人の遊び。それは単なる殺戮。


 ガーダンの村に到着した巨人は、なんのためらいもなく家を破壊していった。笑いながらである。逃げ惑うガーダンをひねりつぶしながら破壊の限りを尽くす。


 巨人はケビンにも一緒に破壊してみるように促した。ケビンにも良心というものが少し残っていた。最初はためらっていた。だが試しに家を一軒破壊してしまう。


 快感だった。


 ケビンの想像以上に家はもろく、軽く拳で叩くだけで全壊してしまう。それがたまらなく快感だったのだ。他人が建てた、他人が住んでいる、他人の大切なものであるということを頭の隅に感じながら、家を破壊してまわる。他人のものだと認識していたからこそ、それを奪う快感を得てしまっていた。


 村中を巨人と共に破壊してまわっているなかで、ケビンは見知った顔を見つけた。


 マリー。かつての婚約者であり、かつての想い人であり、同じ賢者である人が、なぜかガーダンの村にいたのだ。あわてて破壊の手を止めたケビンは、遠巻きにマリーを守りながら苦悩していた。


 自分自身がやってしまったことを振り返っていた。巨人がマリーの方へ歩みだそうとしたとき、その間に割って入って別のところへ向かうように誘導した。頭の中にあったものは、後悔だけだった。


 なぜこんなことをしてしまったのか。一時の快楽に身を投じてしまったからに他ならない。他人のものだということをケビンは理解していた。にもかかわらず壊してしまった。どうせ巨人に壊されるものだったのだから、などという言い訳がケビンの頭をよぎるが、それを必死に消そうとしていた。


 満足した巨人が帰ろうと帰路についたとき、ケビンは村に残ると一言伝えるだけだった。巨人は特になにも言わない。横暴な巨人にとって、仲間の突然の行動は日常茶飯事だったからだ。


 ケビンは謝らなければならないと思いながら、マリーのことを遠くから見ていた。やらないといけないとわかっていながらも、一歩踏み出せなかったのだ。


 マリーは楽器を取り出して演奏を始めた。ガーダンたちが復興のために家を建て始めた中、村の子供たちを音楽で励ましていたのだ。


 遠くでそれを見ていたケビンは、自分の気持ちを再認識していた。やはりマリーのことが好きなのだと。一度フラレても、その気持ちは変わっていなかったのだと。


 意を決してマリーに話しかける。そして、ケビンも村を壊して楽しんでしまっていたのだと懺悔した。


 当然のようにマリーから理由を問いただされる。気持ちが良かったから、などという本当の理由を言えるわけがなく、しどろもどろになってしまった。


「最低」


 演奏をやめたマリーから村を出ていくように言われる。当たり前のことだとケビンは思っていたが、出ていくわけには行かない理由があった。


 巨人が再び村に来ることを知っていたからだ。その理由もマリーに問われるが、そういうものだからとしか言いようがない。


 横暴な巨人に、行動の理由などない。ただ壊したいから壊す、それだけなのだ。復興したての街を壊すことが最高なのだと、ケビンと一緒にいた巨人は口にしていた。ただそれだけ。巨人が言うということは、その通りにまた来るということ。


 マリーに納得してもらえるわけがなく、とにかく村から出ていくように言われた。ケビンは仕方がなく村から少し離れた場所に独りで滞在した。


 巨人が来ないようにマリーは祈り続けたようだったが、そんな祈りが通じるわけがない。再来した巨人は、復興したての家を次々に破壊していく。


 ケビンは巨人と対峙していた。塩の魔法で互角の戦いを繰り広げる。だが互角の戦いが精一杯だった。ガーダンの村に被害が及ぶことを止めることは出来ない。村全体が疲弊していくなかで、マリーに煙たがられながらもケビンは戦い続けた。


 しばらくそんな状況が続き、いよいよガーダンの数が少なくなってしまったとき、マリーはエルフに助けを求めることにした。癒やしの魔法しか使えないマリーだけで旅することを止めようとしたが、ついてくるなと言われてしまう。


 悪いと思っているならば村を守れと言われ、渋々村に残って巨人と戦い続ける。しばらくするとエルフが救援に来てくれたが、マリーが帰ってくるのはしばらく経ってからということだった。


 旅で疲れているということと、まだまだエルフの救援はあるらしく、次の救援にあわせて帰る予定らしい。マリーが無事というだけでケビンには十分で、エルフと協力して巨人と戦うようになり、なんとか村の被害も抑えられるようになった。


 異変が起きたのは、ちょうどその時だった。


 エルフが急に慌ただしくなり、そして巨人も来なくなった。なにか良からぬことが起きている。それがなんなのかはすぐに判明した。


 大量の魔物が世界を蹂躙し始めたのだ。そして、その中心にいるのは黒の賢者ルイスらしい。


「あいつが?」


 ケビンは信じられなかった。あのルイスがそんなことをするとは思えなかったのだ。


 だが村を襲うわけではなく協力を申し出てきた巨人の様子を見ると、本当のことなのだと確信してしまった。魔物の被害は巨人にも及んでいたらしく、横暴で他人と協力しようとしない巨人が、たまらず協力を申し出てきたほどだった。


 襲い来る魔物に対して、巨人とエルフとガーダン、3つの種族が手を取り合って戦うことになる。そしてその先頭には、一人抜き出て魔物の群れに突っ込むケビンの姿があった。


 魔物の中にいる強者だけを狙うケビン。その後ろで大量の魔物を吹き飛ばしていく巨人。散り散りになった魔物を各個撃破するガーダン。詠唱をして魔法を放ち支援するエルフ。


 この間まで争っていたからこそ、共同戦線はよく機能していた。互いの得意とするところを託しあって魔物を撃退していく。


 戦いが終わった後、巨人はルイスを殺しに行くとケビンに話し、共に行かないかと提案した。全ての元凶であるルイスにケジメをつけさせるのだという。


 同じ賢者同士で協力したりしないかとエルフは警戒していたが、巨人はそんな細かいことは気にしない。


 ケビンからすると、ルイスは憎い存在というわけではないが特別大事な存在というわけでもない。邪魔になるのであれば、とっとと殺しておきたいと思えるほどだった。


 巨人と共にルイスを追いかける。そして見つけ出し、問答無用で戦いを挑んだ。


 1対1で負けるはずがない。自信満々だったケビンだったが、ルイスはあまりにも強かった。強すぎたとも言える。最後に見たときと比べても雲泥の差だった。


「君では無理だったか」


 勝利したはずのルイスは悲しい目をしていて、その理由をケビンは理解できなかった。地面に倒れ込んだままなにも出来ず、同じように倒されている巨人と共にルイスが立ち去るところを見ていることしか出来なかった。


 ここで終わるわけにはいかない。そう考えたケビンはルイスを追いかける。追いついたときにはもう、ルイスの姿は無かった。


 灰の賢者が封印したのだ。8つに引き裂かれたルイスは、世界各地にバラバラに封印されているらしい。


 どうしてルイスがこんなことをしたのか、その理由をケビンは聞いた。この世でただ1人の最愛の人に先立たれてしまい、それを追いかけるために、死ぬためにこんなことをしたのだという。


 マリーが聞いたらどう思うのだろうか。


 それだけを考え続けた。伝えるべきか否か、どこまで伝えるべきなのか。最愛の人がいないケビンにはルイスの気持ちは理解できない。だが苦しんでいることは伝わる。


 そしてその苦しみは、永遠の命によるもの。同じく永遠の命を持つマリーにとっても無関係ではない。


 後から追いかけてきたマリーに、ケビンは全ての理由は伝えなかった。伝えたことは、狂ってしまったという事実だけ。


 嘘ではないが、誤解を招くような言い方をあえてしてしまった。これが本当に正解なのだろうかと、ケビンは不安でならなかった。


 それからケビンはマリーとは距離をとるようになる。好きだという思いが変わったわけではない。むしろ変わっていないからこそ、後ろめたさから目を見て話すことが出来なくなってしまったのだ。


 そして、途方もない時が流れた。


 マリーはガーダンの村で世界樹へ祈りを捧げ続けるだけになっていた。世界の平和をひたすらに祈っているらしい。


 ケビンは正義を執行する毎日を送っていた。永遠に終わらない懺悔の日々。マリーの祈りを叶えるために、世界の平和をひたすら守っている。


 夢を持っていないケビンが、マリーの夢を踏みにじってしまった。そしてマリーは、ただ世界樹へ祈り続けるだけの毎日を送るようになってしまった。


 宮廷音楽家の道へ進むことに懸命だった婚約者のマリー。ルイスへ想いを届けようと悩んでいた婚約者のマリー。楽しそうに音楽を奏でていた婚約者のマリー。


 かつて眩く輝いていた姿は、もうない。年老いた姿で、毎日祈っている。


 元に戻って欲しかった。夢を追いかけていた頃に戻って欲しかった。だがケビンにできることは限られている。


 世界を平和に。


 理不尽に夢が負けることのないように、困難に夢を諦めないように、暴力に夢を壊されることのないように。


 とても困難で終わりの見えない目標。永遠に続く懺悔の日々。


 ケビンは正義を執行し続けた。理不尽から夢を守れなかった自分を思い出しながら。困難に夢を諦めてしまう姿を見ているだけだった自分を嘆きながら。暴力で夢を壊してしまった自分を殴り飛ばしながら。


 ただ一人公平であり続けた。どんなに薄っぺらくとも全ての種族のために。世界のために。それがケビンの正義だった。


 そんなある日。2人の人間が連行されてきた。1人は見知らぬ女性。もう1人は、なんと婚約者のマリーだった。


 罪状は、世界のふもとを目指している罪。


 世界樹へ祈りを捧げる毎日をずっと送っていたはずの婚約者が何故。ケビンの頭の中にはそんな疑問しかなかった。


 人間が世界のふもとへ行くことは禁忌である。魔物がさらに増えてしまうから。そのことをマリーも知っているはずだった。


 なのになぜ。


 マリーに聞く勇気をケビンは持てなかった。どんなに長い時間が過ぎたとしても、懺悔が終わることは永遠にないからだ。


 ケビンは見知らぬ女性に事情を聴くことにした。ファニーという名の女性で、マリーを連れ出した張本人らしい。


「どうして、世界のふもとを目指すんだ?」


 ファニーは夢を語り、身の上を明かし、自分の気持ちを話している。夢を持ったことのないケビンには輝いて見えた。永遠の命を持つケビンには余命が3年しかないというファニーが儚く見えた。気持ちを人に伝えたことのないケビンにはハッキリ気持ちを伝える姿が清々しく見えた。


 気持ちが揺れていた。


「ケビンさんには夢とかないんですか?」


 真っすぐな瞳で見つめられながら質問され、ケビンはつい本音を話してしまった。夢を持ったことがないこと。世界のふもとで永遠の命を授かり懺悔のために正義を執行し続けていること。マリーへの気持ちを伝えられないこと。


「夢、あるじゃないですか」

「は?」

「だって。マリーとお付き合いしたいんでしょ?」


 そんな些細なことを、夢などと呼んでよいのだろうか。宮廷音楽家になりたく、そのために一生懸命だったマリーの姿。世界のふもとへ行くために、努力を惜しまなかったルイスの姿。それに比べて、女性と付き合いたいだけなどというのは小さすぎるとケビンは感じていた。


「いいじゃないですか。好きな人と付き合いたいだなんて、私にはできないことですよ」

 

 ファニーにも想い人がいるらしいが、その人と付き合うことはとても困難なことらしい。そんなバカなとケビンは感じたが、少なくとも本人は本気でそう考えているように見えた。


 夢に向かって輝く笑顔と、時折見せる悲しげな瞳。たった3年しか生きられないファニーと、永遠に生き続けるケビン。


 話し終え、それでもマリーが旅立ちを決意した理由が全く理解できなかった。脳裏をよぎったのは、かつてルイスも同じように旅へ連れ出していたということ。


 理解はできないが、原因は自ずと見えてくる。夢を持っているのか、持っていないのか。たったそれだけのことが、ケビンにはとても難しい。


「これは、最後のチャンスなのだろうか」


 夢を持てる最後のチャンスかもしれない。夢を追いかける最後のチャンスかもしれない。夢を掴む最後のチャンスかもしれない。


 気付いたとき、ケビンは2人を解放していた。ただ解放しただけで、一緒に旅しようとはしなかった。そんなことをしても、マリーを振り向かせることはできないと思っていたから。


 夢を持ち、追いかけ、掴むのはそれからだ。


 2人が無事に旅立つことを陰で見届け、ケビンも独り旅立った。自分の夢の正体が、ファニーに言われたことなのか確かめるために。


 雲一つない満天の夜空だった。広がるのは大きな天の川。織姫と彦星を別つ天の川。別たれてしまったマリーとケビンが、15光年の距離を乗り越えられることを祈って。


 惹こう。もう一度、

あの日夢見た世界のふもとから。


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