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緑の賢者マリー ~夢破れ、ただ祈るだけの永遠の日々。だが余命3年の王女と出会い、最期の旅を決意した~

 マリーは貴族の家に生まれた。そして今日、成人の儀がとり行われ正式に貴族として迎え入れられる。煌びやかな衣装に身を包み、本来であれば胸を高鳴らせているはずの日。


 だが憂鬱だった。なぜなら、幼い頃からの夢が破れてしまったから。


 子供の頃から音楽が好きで、毎日のように楽器を演奏していた。宮廷音楽家の道を歩みたかったのは当然のことだ。


 だが、音楽の道には進めなかった。


 努力を怠ったわけではない。むしろ人一倍練習していた。にもかかわらず宮廷音楽家のオーディションに挑み、落ちてしまった。


 理由は単純な実力不足。それ以外になにもなかった。マリーがどうして合格できなかったのかと問われれば、才能がなかったからとしか答えようがなかった。


「一緒に世界のふもとへ行かないか?」


 落胆しているマリーを誘う人物がいた。のちに黒の賢者と呼ばれるようになるルイスという平民だ。


 貴族と平民。本来であれば交わるはずのない2人。だが2人は昔からよく会い、話す間柄だった。


 世界のふもとへ行きたいという突拍子もない夢を追い続けているルイスは変人として有名だった。街の人々に陰で笑われたり馬鹿にされていたが、マリーは違った。


 宮廷音楽家の夢を追い続けていたマリーと、世界のふもとへの夢を追い続けていたルイス。夢は違えど2人は気が合い、そしてマリーはルイスのことを好いていた。


 宮廷音楽家の夢が叶わなかったマリーと、世界のふもとへの夢を叶えようとするルイス。マリーは周囲に反対されながらも世界のふもとへ行くことを決めた。理由は違えど、呼びかけに応じて8人の男女が集まる。


 ルイス本人と、その親友のオリバー。双子姉妹のリズとメグ。悪い噂が絶えないサルマンとバルフォア。そしてマリーと、婚約者のジョー。


 婚約者のジョーがいることにマリーは驚いていた。婚約者ではあったが、それはあくまで親同士で決めたこと。世界のふもとへ行きたがるような人だとは思っていなかったのだ。


 驚いたとはいえマリーは安心感を覚えていた。ルイス以外にも見知った顔が一緒だったからだ。そして世界のふもとへの旅路が始まった。

 人間の街をいくつも訪れ、エルフの都をいくつも通り、エントの森を抜けていく。旅はとても長いものになった。


 旅の中でルイスとの関係を進展させたいとマリーは思っていた。だが一歩踏み出すことができない。なにかしようとするたびに、落ちてしまった宮廷音楽家の審査官の顔が脳裏をよぎるからだ。


 審査官の表情は柔らかかった。なのに結果は落選だった。今は笑っているルイスも、心の中で本当はどう感じているのか。そんなことを考えてしまい、マリーはなにも出来なかった。


 なにも起こらないままに旅は続いてしまい、ついに世界のふもとに辿り着く瞬間がやってきてしまった。ルイスはとても喜んでいたが、マリーの気持ちは沈んでいた。最後まで関係を進展させることが出来なかったからだ。


 世界のふもとでマリーは星空を見上げた。広がるのは大きな天の川。織姫と彦星を別つ天の川。旅の日々は楽しかったなと、これで楽しい日々は終わってしまうのかと、マリーは胸を締め付けられる思いだった。


 そんなマリーに贈り物が授けられた。

それは、魔法と永遠の命。

未来永劫、祈り続けるマリーの人生の始まりだった。


 マリーの心配とは裏腹に、8人で過ごす日々は終わらなかった。全員で世界のふもとで暮らすことになったのだ。相変わらずルイスへ想いを伝えることはできず、ただ祈るだけの生活になってしまったが、マリーはこのままの方が良いと考えるようになっていく。


 そして世界のふもとで、いつしか楽器を演奏するようになっていた。旅の最中は余裕がなくてできなかったが、世界のふもとでの豊かな暮らしの中でマリーは音楽を奏でてみんなを楽しませるようになる。


 宮廷音楽家の道からは落ちちゃったけど、宮廷音楽家の道を目指す日々は楽しかったな。マリーはこんな風に考えていた。そしてルイスとの関係についても同じように考えるようになっていく。


 関係が進展すること。それを期待する日々は楽しいだろう。だが一度断られてしまったら楽しくなくなってしまう。永遠の命を持っているのだから、関係が進展することを祈っている楽しい日々が続く方が良い。


 マリーが楽器を演奏しながら世界のふもとでの生活を楽しんでいたある日。予想外のことが起きた。婚約者のジョーに告白されたのだ。月明かりに照らされた世界のふもとで、ジョーから想いを伝えられた。


 一体いつから?最初にマリーが思ったことは、そんな疑問だった。婚約者だった。だが、ただそれだけ。ジョーがそんなことを想っていたとは、夢にも思わなかったからだ。


 てっきり旅の途中で想いを募らせていたのだとマリーは感じていた。だがそういうことではなく、旅が始まる前から、もっと言えば幼い頃からずっとだったらしい。マリーはさらに驚いていた。全く気づいていなかったからだ。


 未だにルイスへの想いが変わらず、むしろこじらせてしまっていたマリーは当然のように断ってしまう。ジョーは肩を落としていたが、マリーの生活が変わることはなかった。


 しばらく世界のふもとでの生活が続いたが、次第に人間の街に帰らないかという声が大きくなっていく。特にオリバーとサルマンが強く主張していて、続いてジョーも帰ろうと言うようになる。


 残ろうと強く主張していたのは双子姉妹だった。そしてマリーも残ろうと主張する。永遠に祈るだけの生活に満足していたからだ。


 帰ろうという人と、残ろうという人。


 話し合いはしばらく続いたが、結局人間の街に戻ることになってしまう。マリーだけ世界のふもとに残るということもできたが、その選択はしなかった。


 ルイスが帰るということもあったが、一人で残るということを選べなかったのだ。後ろ髪を引かれながら世界のふもとから人間の街へと帰ることになる。


 帰った後に、サルマンが魔法の力を街の人たちに見せてしまった。特に気にしていなかったのだが、本当は止めるべきだったのだとマリーはすぐに後悔することになった。


 魔法の力を目の当たりにした人々が、世界のふもとを目指すようになったのだ。それだけなら良かったのだが、何故か他種族はそれを止めるようになり、それでも世界のふもとへ行きたい人間と他種族の争いとなり、そしてその戦いに8人全員が巻き込まれてしまう。


 どうして自分が戦っているのか。マリーの頭の中はそんな疑問でいっぱいだった。マリーが使うのは木の魔法。癒やしの効果が強く、怪我人を治療し続ける日々が続く。


 いつまで続くのか。マリーの心の余裕が底をつきかけていたとき、黄金のドラゴンが8人を訪れた。


 黄金のドラゴンは他種族が人間を阻む理由を教えてくれた。魔物が生まれてしまったかららしい。だがマリーにとっては理由などどうでもいいことだった。そんなことよりもルイスが怪我しないかと心配ばかりしていた。


 8人で話し合いが行われた。マリーは他種族と共に戦いたいと主張した。その方が早く戦いが終わると考えたからだ。もともと人間と他種族の間の戦力差は大きく、ほとんど8人と他種族の戦いになっていたことにマリーが不満を覚えていたことも大きかった。


 裏切り者と呼ばれながらも他種族と共になり、マリーは改めてその戦力差を実感していた。怪我人の数が圧倒的に少なかったのだ。全くいないということはもちろんなかったが、人間と比べて一目瞭然だった。


 他種族は8人を賢者と名付けた。そして、マリーは緑の賢者と呼ばれるようになる。戦いのさなか、8人は少しずつ離れ離れにされていく。あまりに強大な魔法の力を恐れたエルフにより、そう仕向けられたからだ。


 他の人はともかく、ルイスと引き剥がされることには最後まで抵抗した。それでも別れのときはやってきてしまう。離れたくないとマリーから言い出せば一緒にいれたのかもしれない。一言伝える勇気がマリーにあれば引き止められたのかもしれない。


 マリーは祈るだけだった。だからルイスは一人で別の戦場に行ってしまった。


 結局独りになってしまったマリーは、ただひたすらに怪我人を治療し続けた。いつかまたルイスに、他の賢者にも会えると祈りながら。


「あれ?」


 祈りが通じたのだろうか。人間と他種族の戦いは決着し、他種族の勝利で幕を閉じる。マリーは喜びながらルイスのことを追いかけた。行方を聞きながらひたすら進み、ルイスのいる場所へと向かう。


 だがそこで見たものは、ルイスが見知らぬエルフと結婚するところ。


「え?」


 マリーは目の前の光景を受け入れられずにいた。良い関係になりたいと、ずっと祈っていた人が別の女性と結ばれていたからだ。


 全力で取り組んだ宮廷音楽家の道は閉ざされてしまった。永遠に続くと思ったルイスへの祈りは届かなかった。審査官の顔が頭に浮かび、次に世界のふもとで演奏して暮らした楽しい思い出が浮かんだ。やってもやらなくても、どちらにしてもマリーの思うようにはいかなかった。


 目の前が真っ暗になり、行くあてもなくさまよう。そんなマリーにエルフが声をかけた。西の地で働かないかというものだ。


 どんな仕事なのか聞いてみると、とある種族の村で癒やしの魔法を使ってほしいというものだった。ルイスと引き剥がされる元凶だったエルフの依頼を受けることは不本意だったが、マリーには他に行くあてもない。


 そうして西の地へと旅立った。気に入らなければ辞めてしまえばいいと、マリーにとってはただそれだけのことだった。


 マリーの予想とは裏腹に、村での生活は悪いものではなかった。むしろ最高の環境であるとまで言える。それは西の地に住む種族の特徴によるものが大きかった。


 ガーダン。人間とほぼ同じ容姿で、特徴的なのは角が生えているということと、全員の髪色が黄緑色なこと。そして従順な種族であるという目に見えない特徴も持っている。


 村での生活は、マリーにとって快適そのものだった。従順なガーダンは、ただ祈るだけで望む通りに行動してくれるからだ。


 皆が丈夫な家で暮らせればと祈れば、家を建ててくれる。誰も食べ物に困らないようにと祈れば、食べ物を持ってきてくれる。全員で笑っていたいと祈れば、祭りを開いて楽しませてくれる。


 とても満ち足りた楽な生活で、辞めてしまおうなどという考えはマリーの中からすぐに消えた。村人を癒やすという本来の仕事をしながら、好きな時間に好きな曲を演奏しながら、祈っていればいいだけの生活。


 このまま永遠に続けば良いと祈っていたが、なかなか思い通りにはいかないものであった。


 巨人が突然、村に襲いかかってきた。多くの家が壊されてしまい、ガーダンたちが大勢殺されてしまう。マリーの癒やしの魔法にも限界があった。死者を蘇らせることはできないのである。


 壊滅してしまった村で、マリーは静かに祈っていた。早く復興してくれないかと、ずっと祈っていた。マリーの奏でる音楽は、村人を励ましていたことだろう。


 復興の音が鳴り止まない中、マリーは楽器を演奏し続けていた。悲しい顔をしている村の子供たちが、自分の音楽を聞いて嬉しそうにしてくれる姿を見たかったからだ。


 癒しの魔法でも癒せない心の傷を、マリーの演奏が癒していた。


 そんなマリーを尋ねる人がいた。黄の賢者と呼ばれるようになっていた幼馴染のジョーだ。どういうわけかとても申し訳無さそうにしていて、その理由はすぐに判明した。


 村を襲った巨人は、ジョーと共に行動していたのだ。どういうわけか意気投合していた巨人とジョーは、あろうことかガーダンの村を襲って楽しんでいたそうだ。その村にマリーがいることを知らずに。


 マリーが理由を問いただしても、ジョーの返事は煮えきらないものばかり。


「最低」


 演奏する気分が完全に無くなってしまったマリーは、村から出ていくようにジョーへ言い放つ。だがジョーは出ていこうとはしなかった。


 巨人がまだ村のことを狙っているらしい。その理由もマリーは問いただすが、到底理解しがたいものだった。


 そういうものだから。という理由。


 マリーは巨人が来ないように祈っていた。だが祈りは通じず、巨人は何度も村を襲ってきた。襲われるたびにジョーが立ち向かって敗れ、襲われるたびにガーダンは逃げ惑い、襲われるたびに壊れた家を直していく。だが着実に村そのものが疲弊していった。


 村から離れようとしないジョーのことをマリーは煙たがっていた。巨人に立ち向かっていく姿を見ても、全ての原因だということが脳裏をよぎったからだ。


 しばらくそんな状況が続き、いよいよガーダンの数が少なくなってしまったとき、マリーはエルフに助けを求めることにした。癒やしの魔法しか使えないマリーは、巨人を直接排除することが出来なかったからだ。


 ガーダンたちにそのことを話し納得してもらい、ついてこようとするジョーには悪いと思っているならば村を守れと言い、そして東のエルフの都市へと旅立つ。


 ずっと村で祈るだけだったマリーにとって、一度旅したはずのガーダンの村とエルフの都市の間の道のりは辛いものになってしまっていた。それでもなんとか辿り着くことができた。


 話を聞いたエルフは、早速救援を出した。何百人ものエルフが列をなして西のガーダンの村へと遠征する。巨人1体と戦うためには、それだけの数が必要だったからだ。


 マリーも帰るのだが、その前に少しの間だけエルフの都市に滞在することにした。旅で疲れているということもあったが、癒やしの魔法が必要とされるのは巨人との戦いが始まってしばらくしてからだ。エルフも第2陣の準備を進めていて、それと一緒に行けばいいと考えていた。


 異変が起きたのは、ちょうどその時だった。


 エルフが急に慌ただしくなり、遠征に向かう数がどんどん増えていく。マリーは初め襲ってくる巨人が増えてしまったのかと危惧したが、事態はもっと深刻だった。


 大量の魔物が世界を蹂躙し始めたのだ。そして、その中心にいるのは黒の賢者ルイスらしい。


「嘘」


 マリーは信じられなかった。あのルイスがそんなことをするとは思えなかったのだ。


 宮廷音楽かの道に進めなかったマリーとは違い、世界のふもとへの道を進むことができたルイス。

 想いが届かなかったマリーと違い、想いが届き結婚できたルイス。

 夢を叶えられなかったマリーとは違い、夢を叶えられたルイス。


 そんなルイスが、世界を蹂躙する必要などないはずだった。


 だがエルフの様子を見ていると、本当のことなのかと思えてしまった。なにかの間違いだとマリーは自分に言い聞かせながら、どうしようか迷っていた。


 ルイスが中心かどうかはともかく、魔物が世界を蹂躙しているのは疑いようがない。そしてその被害は、当然ガーダンの村に及ぶことも考えられる。


 真相を確かめにルイスのところを目指すべきか、魔物と巨人から守るためにガーダンの村へ帰るべきか。


 マリーは結局どちらも選べなかった。ガーダンの村へ帰りながらルイスの居場所がわかれば教えてもらえるようにエルフに頼むという中途半端なものだった。


 ただ祈るだけで、自分で決めることのないマリーにとってこれが限界だったのだ。


 ガーダンの村のことはすぐに終わった。というより着いたときには既に終わっていた。巨人は魔物の方に興味を示し、蹂躙している魔物を蹴散らしていたのだ。結果としてガーダンの村は巨人に守られる形となっていた。


 一安心したマリーはルイスを探すことにした。ガーダンの村にジョーの姿がないことを全く気にしていなかったが、すぐにジョーの行方が気になるようになる。


 ルイスとジョーが衝突したという知らせがエルフから来たからだ。


 結果はルイスの圧勝だったらしい。今は黄金のドラゴンと、2人の賢者がルイスを追いかけていると聞いた。一体誰がと思いながら、マリーもルイスのことを追いかける。


 あと少しでというところで、ジョーが目の前に現れた。もう全て終わったのだと告げられる。


 ジョーが言うには、エルフの妻が亡くなってルイスは狂ってしまったらしい。どうやってか魔物を操る力まで手に入れていて、世界を蹂躙しようと思い至ってしまったそうだ。


 そして8つに引き裂かれ、各地に封印されたという。


「なにそれ」


 世界のふもとへ辿り着き、想い人と結婚する。人生の全てが上手くいっていたはずのルイスの最後は悲惨なものだった。


 どんなに努力しても音楽の道への想いは届かなかった。思い出すたびに嫌な気持ちになる。

 どんなに祈ってもルイスへの想いは届かなかった。思い出すたびに虚しい気持ちになる。

 努力も祈りも届いたはずの人は、狂った末に封印されたという。


 努力している間が一番楽しかった。どんなに練習が大変でも楽しかった。

 好きな人を見ている間が一番楽しかった。たまに笑顔で話せて楽しかった。

 希望があるだけで良かった。喜びを想像できるだけで良かった。諦めやすい方が良かった。


 そしてマリーは、世界の平和だけを祈るようになった。


 手にすることはできないが、いつか手にできるという希望がある。叶えられないかもしれないが、叶ったときの喜びを想像できる。届かないかもしれないが、届かなくても仕方がないと諦められる。


 世界が平和になりますように。世界のふもとが平穏でありますように。世界樹が安泰でありますように。


 手にすることも叶えられることも届くこともないであろう、大き過ぎる祈り。

世界の平和を祈り、それは世界樹への信仰心へと変化していく。


 マリーの姿に変化が現れた。若々しかった顔にシワが増えていき、初老の女性となっていく。おばさんとおばあさんの、ちょうど間くらいの年齢。


 もう夢を見ることなどない。もう恋い焦がれることなどない。もう希望を見ることなどな い。


 そして、途方もない時が過ぎた。


 マリーはずっと祈り続けていた。世界樹の安泰を祈るだけだった。平和になったのかと聞かれれば、そんなことはない。それでもマリーは祈り続けていた。


 ガーダンの村の片隅で、祈っているだけ。たまに来る怪我人に癒やしの魔法を使うだけ。マリーにとって、永遠に続くはずの平穏な日々だった。


 ある日、珍しい怪我人が運ばれてきた。ガーダンではなく、人間の女の子。怪我自体は大したことがなく、すぐに治って会話できるようになるまで回復した。


 女の子の名前はファニー。話を聞けば聞くほど、マリーにとってとても新鮮で、でも理解しがたいものだった。


 世界のふもとを目指しているということ。余命が3年しかないということ。友達のガーダンを追いかけているということ。


 マリーは特に興味があったわけでもないが、話をさえぎる理由もない。長い間祈り続けるだけの毎日、これからずっと祈り続けるだけの毎日。そんな毎日の中に、ちょっとだけ違うものが混じっただけ。それだけだと思っていた。


 ルイスと旅をしているということ。


 ファニーが最後に言ったことは、マリーにとって衝撃的な話だった。そしてなにより自分に驚いていた。長らく祈るだけの毎日を過ごしていて、驚くという感情が自分に残っているとは思っていなかったからだ。


 それからマリーは、身を乗り出してファニーの話を詳しく聞いた。世界のふもとへ、たった3年で行けるわけがない。失敗するとわかっているのにどうして挑戦するのかと。


 マリーは心の中で、それはそれで楽しいかもしれないと思っていた。音楽の道に進めないと最初から分かっていれば、毎日楽しく演奏できると思っていた。


 だがファニーの答えは違った。ファニーは人生で一番の失敗は諦めてしまったことだと語った。結婚して子供を産むべきだという周囲の圧力に屈して、世界のふもとを目指すことを諦めてしまったことを後悔している。だから失敗するかもしれなくても、やり遂げたいのだと。


 マリーはどちらにしても失敗するなら、なにもしない方が楽だと思っていた。脳裏に浮かんでいたのは、ルイスへ想いが届かなかったこと。失敗を恐れてなにもせずルイスは別の人と結ばれてしまったことを後悔はしていたが、想いを伝えた方が良かったかと聞かれればそうでもなかったからだ。


 だがファニーの答えは違った。ファニーにとって結婚し子供を産み迎える寿命と、世界のふもとを目指す旅の中で迎える寿命は全く違うものらしい。生きることをあきらめて迎える寿命と、死ぬ覚悟を持って迎える寿命は全く違うものだという。


 永遠の命を持つマリーにはその違いがわからなかった。どちらにしても失敗であることに違いはなく、失敗した事実に永遠に苦しめられると感じたからだ。


 だが余命3年のファニーの答えは違った。どちらにしても失敗であることに違いはないが、失敗した事実の最期の受け止め方が変わると感じたからだ。


 永遠の命を持つマリーと、余命3年のファニー。


 永遠に失敗と向き合わなければならないマリーと、いつか失敗を受け止めなければならないファニー。


 たった3年しかないのに。そうマリーは考えていた。

 失敗より成功の方が良いに決まってる。そうマリーは思っていた。

 ファニーはきっと成功しなきゃいけない。そうマリーは感じていた。

 祈るだけでは、それすら叶わない。そしてマリーは重い腰をあげた。


 ファニーとともに旅立つことを決心した。


 雲一つない満天の夜空だった。広がるのは大きな天の川。織姫と彦星を別つ天の川。別たれてしまったファニーとルイスが、15光年の距離を乗り越えられることを祈って。


 祈るだけではなく、行動し、見届けようと。


 ファニーの最期を見届けたら、私も人生から卒業しないと。最後にファニーに私の音楽を聞いてもらって、私も死のう。マリーの最期の祈りだった。


 弾こう。もう一度、

あの日夢見た世界のふもとより。


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