青の賢者リズ ~妹の笑顔を守りたかっただけの姉が、死にたがりの賢者に恋をした~
今日はリズの誕生日だった。街はずれの洞窟の中で、双子の妹と2人きりの誕生日。妹といっても実の妹ではない。義理の妹というわけでもない。それでもリズにとって妹は妹で、かけがえのない家族であることは間違いない。
「お姉ちゃん。世界のふもとってどんなところなのかな?」
ある日、満面の笑みを浮かべながら妹のメグが言い出したことだ。それは、街で話題になっていることだった。エルフの女性に伝えられた世界のふもとの話。街の人達はほとんど信じていなかった。ただ一人、ルイスという少年を除いては。
物乞いとして生活していると信じきっている妹の笑顔。
だが実態は違う。リズは毎日のように泥棒をしていたのだ。両親がおらず、身寄りもいない姉妹が生きていくために必要なことで、妹のメグには決してバレないようにしていた。全ては妹の笑顔を守るため。街の人からは煙たがられてしまったが、それでもメグの手を汚さないために隠し通していた。
「さぁ。言うほど大したことないんじゃない?」
そんなメグの笑顔を見ながら、リズはそっけなく返事をした。
実のところ、世界のふもとへ憧れていたメグと同様に、リズも世界のふもとに憧れていた。泥棒として生きていくということが楽しいわけがなく、もっと幸せな生活を夢見ていたからだ。
なにがあるかわからない世界のふもと、逆に言えばどんな素晴らしいことがあってもおかしくない世界のふもと。
けれど表には出さない。妹が期待を膨らませて、そしてガッカリするところを見たくなかったからだ。憧れはしょせん憧れで、無駄な期待を抱かせないほうがメグの笑顔を守れると思ったからだ。
そして時が経ち、青年となったルイスが共に世界のふもとへ旅立たないかと街の人達に呼びかけた。多くの人は話を聞くどころか相手にもしない。
あまりに話が大きすぎて信じられていないこともあったが、人間というのは今ある生活を手放そうとしないものだ。多少不満があったとしても、なにがあるかわからない世界のふもとに、わざわざ危険な旅に出てまで行こうと思う人などほとんどいなかった。
リズもその一人だった。この時のリズは、女を売ることで生計を立てるようになっていた。もちろん妹のメグには知られないように、巻き込まないようにしている。
満足な生活というわけではないが、メグを養うには十分だった。自分だけが犠牲になれば良いのだと、今ある生活を捨て旅立つ気などなかった。
だがメグは違った。
「お姉ちゃんも一緒に行こうよ」
期待に目を輝かせるメグの笑顔を守るために、ルイスの呼びかけに応じざるを得なかった。8人の男女が集まり、世界のふもとへと旅立つ。旅はとても長く険しいものだったが、メグが幸せそうでリズは一安心だった
だがそんな旅の日々でも、リズの心に余裕はなかった。どんなに旅を続けても、世界のふもとになにがあるのかわからなかったのだ。
リズは旅の道中でも女を売ることをやめようとしなかった。最悪の結果に備えたかったのだ。期待をすればするほど、なにもなかったときの反動も大きい。お金があれば良いというものでもないが、メグにしてやれることが確実に増えるから。
「リズさん。そういうのは良くないよ」
「うるさい。あなたになにがわかるの?私とメグにはなにもないの。旅が終わった後に、帰る場所のあるあなたとは違うのよ」
女を売っていることをルイスに知られてしまった。元々気が合わないリズとルイスは、事あるごとに意見が対立していたが、これが決定的になり2人の溝は取り返しがつかないほど深いものになってしまう。
ルイスの方が正しいことを言っていると、リズは理解はしていた。だが理解していたとしても気持ちは追いつかないものだ。相反する感情に挟まれながら、リズは穢れてしまった自分を恥じるようになっていく。
リズは穢れてしまった自分の顔が嫌いになっていく。
そして旅は終わった。世界のふもと。幼いころに妹へプレゼントした満月花が一面に広がっていた。
周囲に生きるエントと呼ばれる種族が、毎晩のように世界を淡く照らす月を打ち上げていたからだ。世界樹の創り出した太陽が沈んだ後、月が世界を照らしている。
月を静かに見上げていたリズに、世界樹から贈り物が授けられる。
それは、魔法と永遠の命。
この時のリズはまだ知らなかった。姉妹の別れが近づいていることを。
8人は世界のふもとの近くでしばらく暮らすことになる。相変わらずルイスと喧嘩ばかりしていたが、リズにとってもっと不快なことが起きてしまう。
大好きなメグの顔が、大嫌いな自分の顔に変わっていったからだ。
世界樹から授けられた永遠の命のせいだった。永遠の命の副産物として、メグは自分の姿を自在に変えられるようになっていた。8人の仲間全員そうだ。自分の意志で老いることも若返ることもでき、容姿すらも自由だった。
ずっと守ってきたメグの笑顔は消えてなくなり、代わりにリズの笑顔に置き換わる。違いがあるとしたら、髪と目の色だけ。青い髪と目のリズと、赤い髪と目のメグ。リズは必死に隠そうとしたが、不快に思っていることを隠しきれなかった。
「どうして?」
見た目が全てじゃない。そんなことリズは百も承知だった。だとしても、大嫌いなリズの顔で笑うメグに、以前のように接することはできなかった。
陰りが差してしまった世界のふもとでの日々は、永遠に続かなかった。続けることはできなかった。8人は生まれ故郷である人間の街に戻ろうと話すようになる。メグは反対し、リズも内心は同じだった。
泥棒として生きていた街に、女を売っていた人間の世界に、楽しい思い出など無かったのだから。
妹と一緒に最後まで反対したが、結局生まれ故郷に帰ることになってしまう。妹と2人で世界のふもとに残ることもできたが、そうしなかった。大嫌いなリズの顔のメグと2人きりになってしまうことを恐れたからだ。
8人で生まれ故郷まで戻ると、見知った顔は一人もいない。それだけ長い時を世界のふもとで過ごしたからだった。仲間の一人が魔法の力を披露するのをみながら、リズは安堵していた。
女を売っていた過去を知るものは、この世にルイスしか残っていないと知ったからだ。
そしてそのルイスが、わざわざメグにバラすようなことをしないと、気が合わないからこそ理解していたからだ。
だが、平穏な日々は長く続かなかった。他種族との戦いに巻き込まれてしまい、ドラゴンに説得されて逆に人間と戦うようになり、8人は賢者と呼ばれるようになり、そして賢者は少しずつ離れ離れにされていく。
ついに2人が引き剥がされる日がやってきた。他種族に別々の戦場に向かうように要請される。それが長い別れになってしまうとリズは理解していた。理解していたが抵抗もしなかった。妹と離れたいという気持ちの方が強くなってしまっていた。
向かった戦場で、リズは独りで立っていた。助けなどいらないと他種族に進言し、初めて水の魔法の全力を出した。
無数の器が現れる。無限の水が生まれる。際限のない冷気が支配する。
器から流れる無尽蔵の水が、氷となって全てを凍らせていく。
血で赤く染まった氷を見ながら、リズは妹のことを思い出していた。
人間など一瞬で動けなくなってしまったが、それでもリズは魔法を止めなかった。魔力が尽きるまで氷は消さない。大気まで凍りつき、地面は降り積もった雪で真っ白になり、誰一人として近寄ることができない。
雪がずっと降り積もっていき、地形は高い雪山へと変わっていく。
「はははっははははははははあはははは」
魔力が尽きたとき、辺りの景色は様変わりしていた。高く降り積もった雪は固まり、澄み渡った空が青い。そこにいたはずの人間は深い雪の底に沈んでいる。
リズは独りだった。雪山の上で独りだった。雪山が溶けていき、誰でも近寄れるようになったあとも独りだった。
そんなリズに話しかける種族がいた。その種族はドラゴン。黄金のドラゴンのラウレリンが悠然とリズの目の前に降り立つ。
「賢者の力がこれほどだとは。よろしければ、こちらへ。お聞きしたいことがあります」
リズはなにも考えていなかった。考えることすら面倒になっていた。だから断ることもせず、だまってドラゴンについていく。
それはとても短い旅だった。ドラゴンの住処までの短い道中、初めは水の魔法のことばかり聞いてきたドラゴンは、少しずつリズ本人のことを聞くようになっていく。話すというだけで心休まるものだ。ドラゴンは話を聞くだけだったが、今までリズの本心を聞いてくれるものはいなかった。そんな日々が続き、次第に安らぎを感じるようになっていく。
ドラゴンの住処は、とても穏やかなところだった。なにもないと言ったほうが良いかもしれない。たまたまドラゴンの誕生日で、様々な種族が祝いの品を持って訪れてきた。誕生日の祝いの挨拶が終わり、最後に残ったリズも誕生日を祝おうとする。
なにを言えば良いのか困ってしまったメグは、水の魔法で氷の彫像を作った。なにも持っていないリズは誕生日祝いの代わりになればと思ってのことだったが、想像を遥かに超えて喜ばれた。
そしてドラゴンの住処での暮らしが始まる。朝起きてドラゴンの体を水で洗い流す。なかなか全身を洗う機会のなかったドラゴンに、とても重宝された。昼には住処の周りを独りで散策し、夜には分けてもらった食べ物を食べて床につく。
ただそれだけの、不思議な生活。世界のふもとへと旅したときのような興奮はなく、かといって街で疎外されていたときのような喪失感もない。
ただ仕事をしているだけ。ただ家に帰っているだけ。ただ遊んでいるだけ。ただ寝ているだけ。
ただそれだけの、ただの生活は、どこか物足りないとリズはずっと感じていた。
「どうして、声を掛けてくれたのですか?」
数年が経ったあとに、ふと気になってリズはドラゴンに訪ねていた。全力で水の魔法を出し尽くすところを見て、話しかける気になった理由を知りたくなったからだ。
初めは賢者の力がどれほどのものか気になっただけらしい。独りでずっと立っていたリズの表情はひどいものだったが、特に気にしていなかったそうだ。だが話している間に、賢者といってもただの人間であることにかわりはないと気づいて身の上話を聞くようになったそうだ。
「リズさんはもっと、ご自分の幸せを考えてみては?」
ドラゴンとの生活が終わりに近づいていた。旅立つことをリズは拒んだが、許されなかった。2人きりの生活の先に、リズの幸せは決してないと思われていたのだ。
妹のメグのために生きていたリズ。
もっと自分自身のために、自分の夢を見つけて、自分の人生を歩んで、自分の恋を実らせる。他人の幸せのために生きるのは悪いことではない。だとしても、自分の幸せも見つけるべきだとドラゴンに諭される。
そんなドラゴンとのただの生活。だがドラゴンは、そろそろ終わりにしようと言い出した。出会ったときは違い、ドラゴンはリズがどういう人間なのか理解していた。リズがドラゴンの世話をすることを生きがいにしていると見抜いていた。妹のメグのために生きていた頃と、変わらないままだったのだ。
そんなリズに、ドラゴンはもっと多くの人のために生きたらどうかと話した。たった一人の人間や、たった一体のドラゴンのために生きるより、その方が心安らぐのではと伝えていた。その時に、魔法は使わないほうが良いとも助言していた。強大な魔法の力を使い始めてしまうと、際限が無くなってしまうからだ。
リズの夢。人間の街に帰ることになってしまったリズだったが、自分の夢など全くわからなかった。あてもなく歩いていると、目に飛び込んできたのは道端で独り倒れてしまっている子供。
子供を助けたリズは、その後小さな孤児院を作った。身寄りのない子供を集めて成人まで面倒を見ていく。それは、かつて妹のメグにしていたことと同義だった。
結局のところ、他人のために生きることはやめられなかったのだ。それでも、リズにとって夢のような生活だった。そして孤児院で育つ子供たちに1つの約束をさせる。
一生涯、一年に一回は孤児院に顔を出すこと。日々訪れる孤児院を巣立った子供達と会い話すことがリズにとってなによりの褒美だったのだ。
リズの人生。なんの変哲もない孤児院での生活。
ただ話すだけ。ただ世話するだけ。ただ助けるだけ。ただ連れて来るだけ。ただ食べさせるだけ。ただ泊まらせるだけ。ただみつけるだけ。ただ見送るだけ。ただ座っているだけ。ただ見守るだけ。ただ聞くだけ。ただ笑わせるだけ。ただ寝かせるだけ。
それだけの生活を永遠に続けていく。
魔法を使えば、もっとたくさんの子供達を助けられるのかもしれない。だがリズはそうしなかった。ドラゴンに助言されていたのだ。強大な魔法の力を使い始めてしまえば、際限が無くなってしまう。それは人間の社会にとって良くないことらしい。
魔法を使わない上に、老婆の姿になっていた。肉体的にも出来ることを制限することで、やり過ぎないようにしていたのだ。だがそのせいで、恋愛というものにも恵まれなかった。
リズの恋。老婆となり無縁となってしまったもの。
だが、それでいいとリズは考えていた。過去に女を売っており、もう穢れてしまっている。そんな自分に恋や愛が訪れることなどないと信じていたのだ。
そんなある日、妹が訪ねてきた。
それは決して偶然などではない。かといって必然というほどのものでもない。リズは永遠の命を持ち、永遠に孤児院を続けていた。いつか再会することがあっても、なにもおかしくはない。
再会した妹は、若い頃と全く変わらなかった。
大嫌いだったリズ自身の顔。違いがあるとすれば、相変わらず赤い髪と目だけ。
再会した妹は、世界中を旅していた。
旅の話をずっと続ける妹はとても幸せそうで、リズはとても嬉しかった。
再会した妹は、魔法を驚くらいに使いこなしていた。
炎の魔法の力をただ使っているのではない。まるで自分の手足のように自在に操っていた。
あんなに大嫌いだった自分の顔を前にしても、リズは不快に感じていなかった。
リズ自身も気づいていなかったことだが、たくさんの孤児のための生活が、リズの心を癒やしていたのだ。
自然と妹と接することができるようになっていて、孤児院のことを手伝ってもらうようになる。姉が真似して老婆の姿になってしまうのかと心配していたが、妹が老婆になることはなかった。
以前とは違う。そのことに気づいた。ずっと暮らすのではなく、しばらくしたら旅立ち、またしばらくしたら戻ることにしたのだと、妹は話してくれた。
そのことを聞いて、リズはとても喜んでいた。たまにでも会えるのであれば、それで十分だった。リズの生活に楽しみなことが一つ増えた。
ただ妹を見送るだけ。リズと同じように永遠の命を持つのだから、妹のメグに会うという生活が終わることはない。
はずだった。
黒の賢者ルイス。戦いのさなかに離れ離れになり、その後ずっと音信不通だった人が、突如として魔物を率いて世界を蹂躙し始めたのだ。
かつてリズが女を売っていたことを唯一知る人物が世界を蹂躙し始めたのだ。
困惑しているリズの所にメグが訪れてきた。共に魔物と戦わないかという誘いだった。だが長く魔法を一切使わない生活をしていたため、戦うというのは難しいことだった。
「メグや。わたしゃ見ての通り老いぼれだからのぉ。あの馬鹿を説得しに行くよ」
リズはドラゴンと連絡を取った。ルイスに会いに行くといっても、どこにいるかなど知る由もない。だがあてがないわけではなく、かつて共に過ごしたドラゴンであれば知っているのではと考えたからだ。
期待通り、ドラゴンはルイスの居場所を知っていた。ドラゴンというのは、世界の秩序を守る存在でもある。世界を蹂躙しているルイスが、秩序を乱しているといえるのか慎重に判断していた。
他にもドラゴンと連絡している人物がいた。灰の賢者だ。2人の賢者と1体のドラゴン。黒の賢者ルイスへの対応について意見を出し合う。結論が出るまでにさほど時間はかからなかった。全く同じ意見だったからだ。
ルイスの真意を聞き、可能であれば説得する。もし蹂躙を止めないようであれば力づくでも止めなければならないという結論だった。
リズは灰の賢者に運ばれてルイスのところへと向かう。ドラゴンは隣を飛んでいた。そして大量の魔物を率いているルイスの前に降り立ち、灰の賢者が問いかける。なぜこんなことをするのかと。
「ありがとう。俺を殺してくれ」
ルイスは嬉しそうに理由を答えた。この世でただ1人の最愛の人が死んでしまい、何度も死のうとしているのだと言う。世界のふもとで授かった永遠の命のせいで死ねないのだという。
とても月が綺麗な夜のことだった。
理由を聞いた後のリズの心臓が、熱く鼓動していた。その理由に深く共感していたから、いや、共感し過ぎていたからだ。リズの心を大きく揺り動かし、そして想いが頭を支配していく。
心臓の高鳴りがなにを意味するのか。どうして涙が溢れてくるのか。頭の中がルイスでいっぱいになってしまっているのは何故なのか。なにもかもが初めての経験で、その全てをリズは理解することが出来ないでいた。
その時、ドラゴンがルイスに襲い掛かった。尾を叩きつけて圧殺した、でもルイスは死なない。骨ごと噛み砕いて斬殺した、でもルイスは死なない。ブレスを吐き爆殺した、でもルイスは死なない。
どんなに殺し続けても死なないルイス。殺され続けることに苦しみ、死ねないことに苦しみ、どんなに苦しくても抵抗しないルイスを見て、リズは強く望んでしまった。
助けてあげたい。
リズは水の魔法を使ってルイスを助けようとした。高速で水を打ち出して射殺する、でもルイスは死なない。全身を凍らせて氷殺する、でもルイスは死なない。水に閉じ込めて窒息させる、でもルイスは死なない。
「なんで。なんで殺せないの」
どんなに殺し続けても死なないルイス。老婆の姿のまま水の魔法を使っているリズの姿は、次第に若さを取り戻していく。老いた姿のままで殺せないのであれば、若返って全力を出せば殺せるはずと考えたからだ。
いや、心のどこかでそれでも殺せないという不安はあっただろう。それでもリズは試さずにいられなかった。
誰かのために生きるリズ。だが、それはあくまで無意識でのこと。心の底から助けてあげたいと、黒の賢者のためになりたいと、ルイスを殺したいと、はっきりと意識したのは初めてのことだった。
助けたいという殺意が、リズの心を満たしていく。
なのに、ルイスを殺すことはできない。
ドラゴンは、もうやめた方が良いと警告した。リズがどういう人間なのか理解していたからこそ、とても危うく見えたのだ。だがもう手遅れだったのだろう。リズは自分自身の感情の爆発を抑えることが出来なかった。
リズは捨て身でルイスを殺そうとする。でもルイスは死なない。
「なんで?」
若かりし頃の、最も強かったときまで戻り、これ以上若返ることはできない。人を殺す。ただそれだけの簡単なことすらできず、リズはもはや自暴自棄になっていた。
「リズさん。もうよしなさい」
ドラゴンに力ずくで止められるまで、リズはルイスを殺し続けた。でもルイスは死なない。もう一度殺させてくれと懇願するが、ドラゴンと灰の賢者は許さなかった。
「なに?なにをするの?」
灰の賢者が札の魔法を準備しだした。だがルイスを殺そうとしているようには見えない。
「リズさん。およしなさい。このまま放っておくわけにはいきません。灰の賢者に封印させます」
「封印?ダメ、そんなのダメ。だってルイスは、もう。ちゃんと、ちゃんと殺してあげないと」
ルイスは死ななければならない。リズはそう考えていた。だからこそ、封印するだけというのは受け入れられなかった。灰の賢者を止めようとするが、ドラゴンに阻止されてしまう。
「許しませんよ」
「待って。ルイスは死にたいの。私が殺さないといけないの」
「何度も試したでしょ?」
「それは。じゃぁ、じゃぁせめて。ルイスを、愛する人との思い出の地に封印してあげて。お願い」
もうリズにはどうすることもできなかった。無抵抗に攻撃を受け続けていたルイスに抗う力は残っていない。逃れられないのであればと、リズは懇願した。せめて思い出の地にと。
「ルイス、ごめん。待ってて。いつか必ず、どんなに時間がかかったとしても、必ずあなたのことを、殺してあげるから」
そしてルイスは封印された。黒の賢者としての力を8つに引き裂かれ、愛する人との思い出の地へとそれぞれ封じられてしまう。
必ずルイスを殺す。心の底から望んでいること。だがリズはどうすればいいのかわからなかった。なにもしないこともできず、どうすれば賢者は死ねるのか確認しようとした。
餓死。
ルイスも試していなかったであろう死に方。仮に餓死できるとして、一体どれだけの年月が必要なのか想像もできなかった。
それでもリズは確かめる。なにも食べず、なにも飲まず、そして魔法の力も浪費し続ける。自らの周囲に水の球を常に浮かべるようになったのはこのためだった。
ルイスを殺す。リズはこれから、そのためだけに生きることを望んでいた。唯一の心残りは妹のメグのことだけ。孤児院に戻ればまた会えるだろうと帰りを待つ。
「姉さん?」
若かりし頃の姿で、水の魔法で作った水の球を周囲に浮かべながら、孤児院の跡地を静かに見つめていた。もうあの頃には戻れないと実感していた。
「姉さん。どうかしたの?」
「別に。ここにいれば会えると思っただけよ」
リズの心の中は、妹とまた会えた喜びでいっぱいだった。また来てくれた喜びでいっぱいだった。不満などなにもなかった。
なのに冷たい声で話しかけてしまう。ルイスへの想いを妹と話せればどんなに楽しかっただろうかとリズは思っていた。だが妹を巻き込むわけにはいかないと心に決めていたのだ。
「また、孤児院をやるの?」
メグの声は震えていた。もし何事もなかったのであれば、その通りと答えるはずだった。だがリズの心にはもう、孤児院を続けるという答えも、妹と暮らすという答えもない。
リズの心にあるのは、ルイスへの激しい想いだけ。
「いいえ。お別れを言いに来ただけよ」
「お別れ?」
「そうよ。メグ、私のことは忘れて。メグの日常だけを考えなさい。どうか、幸せに」
そしてその場を立ち去ろうとしたリズを、メグは引き留めようとする。何度も説得しようとするメグに、リズは一度だけ立ち止まる。
「いい忘れたことがあったわ」
「姉さん。行かないで」
「メグ。お誕生日おめでとう」
メグは固まっていた。今日が2人の誕生日だということをリズは決して忘れてはいなかった。それでも黙って立ち去っていく。ルイスの悲しみをメグに知ってほしくなかった。これからずっとルイスを殺すために生きることに、メグを巻き込みたくなかった。
冷たい風が吹く満月の夜空。かつて妹にプレゼントした満月花のことを思い出していた。リズはその満月花の花束を、ルイスからプレゼントされることを想像していた。
それは初めての経験だった。プレゼントする側ではなく、プレゼントされる側になりたいと想うのは、リズにとって初めてのことだった。
「ルイス。あなたに。月が綺麗ですねと言われてみたかった」
Happy birthday to you,
Happy birthday to you,
Happy birthday, dear Liz,
Happy birthday to you.
Happy birthday to you,
Happy birthday to you,
Happy birthday, dear…
リズは小声で自分の誕生日を祝った。最初に思い浮かんでいたのは、妹との楽しい暮らし。だがそれは、すぐにルイスへの想いで上書きされていく。ルイスと共に過ごした世界のふもとへの旅の思い出で溢れていく。
そして、途方もない時が過ぎた。
ルイスを殺す方法をずっと探していたリズは、ある日8つに引き裂かれたルイスの中の1つが封印から解き放たれたことに気づいた。
今度こそちゃんと殺さないと。心から殺意を溢れさせながらリズは急ぎ向かい、再会したルイスは1人の少女と旅をしていた。
少女の名前はファニー。封印から解放されたばかりのルイスを助け、世界のふもとを目指して共に旅をしているらしい。
リズは羨ましいと思っていた。ファニーがとても清楚な少女に見えたからだ。
かつて泥棒をしていたリズとは違い、かつて女を売っていたリズとは違い、かつてルイスと言い争っていたリズとは違い、かつて多くの人の命を奪ったリズとは違い、ファニーは穢れを知らない清楚な少女に見えたからだ。
そして実感してしまっていた。自分にできることはルイスを殺すことだけなのだと。穢れてしまっている自分がルイスと結ばれることなどあり得ないのだと。この世でただ1人の最愛の人の代わりになどなれるはずがないのだと。
「たとえこの世界が滅んだとしても、なんとしても、俺は死ぬ」
2人きりになった時、ルイスの決意を聞いた。封印された時と全く変わらない想いだった。世界のふもとに再び行き、世界樹を破壊すれば、世界の滅びと共に死ぬことができるというもの。
「わかった。私も一緒に行かせて。あぁ、理由は聞かないで。言いたくないの」
ルイスへの想いを、リズは決して口にしなかった。
そしてリズは想像していた。世界のふもとはきっと、ルイスにとって最高のプレゼントだったのだろうと。なぜなら、この世でただ1人の最愛の人と結ばれたのは賢者になれたからだと思ったから。
だから。
リズは決意した。
決して届かない想いを乗せて、決して口にできない想いを乗せて、決して叶わない想いを乗せて。最高のプレゼントを。
贈りたい。もう一度、
あの日夢見た世界のふもとを。