黒の賢者ルイス ~永遠の命を手に入れた賢者は、愛のために死ぬことを誓う。たとえこの世界が滅んだとしても~
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?
ルイスの人生の中で最も幸せな瞬間。
幼いころから恋焦がれていた、この世でただ1人の最愛の人との結婚式。ルイスは人間で、最愛の人はエルフ。本来であれば契りを交わすことのない2人が結婚できたのは、ルイスが黒の賢者になれたから。
「世界のふもとには、世界樹があるのよ」
時はさかのぼりルイスの少年時代。のちに契りを交わすことになるエルフは、既に大人だった。ゆえに、結婚することになると少年ルイスは夢にも思わなかっただろう。だがこの時、憧れ以上の感情を持っていたはずだ。
話を聞いたルイスは、世界のふもとへ行きたいと強く願うようになる。
そして青年となったとき、実行に移した。共に旅立つ人はいないかと聞いて回り、旅の友を集めていく。
呼びかけに応じてくれたのは、同い年の7人の男女。
そして始まった世界のふもとへの旅路は、とても長いものになった。
人間の街をいくつも訪れ、エルフの都をいくつも通り、エントの森を抜けていく。
旅は壮年と呼ばれる年齢を終える頃まで続き、8人の間にとても強い絆が生まれたとルイスは感じていた。そして、ようやく辿り着いた世界のふもとで見たのは、世界樹が太陽を打ち上げるところ。
太陽。
毎朝昇り朝焼けを生み出す太陽は、世界樹の創り出したものだった。
ルイス達が知ったことはそれだけではない。この世界アキシギルそのものが、全て世界樹によって創り出されたものだと知る。
「ここが、世界のふもと」
心を奮わせながら世界樹を見上げる8人に、贈り物が授けられた。
それは、魔法と永遠の命。
未来永劫、終わることのないルイスの人生の始まりだった。
世界のふもとでしばらく暮らした後に、8人は生まれ故郷へと帰還し魔法の力を披露してしまう。
それが間違いだった。
欲深い人間にとって、魔法と永遠の命というものは喉から手が出るほど欲しいもの。誰もが血眼になって世界のふもとを目指すようになる。
しかしそれを、他種族が許さなかった。
世界のふもとへと押し寄せる人間は、他種族の妨害によって全てせき止められる。特にエルフの妨害は激しいもので、かつて自由に行き来できていたエルフの都は固く閉ざされ、人間の前に立ちはだかる巨大な要塞と化した。
人間たちは憤慨し、エルフへ戦いを挑む。
当初、ルイス達は人間と共に戦った。ほどなくして、そんな8人に黄金のドラゴンが訪ねてくる。
「皆さんに、お伝えしたいことがあります」
ラウレリンと名乗るドラゴンは、他種族がどうして人間を止めるのか伝えに来たのだ。その理由とは、魔物が生まれてしまったからというもの。
ただの偶然かもしれない。だが、8人が世界のふもとに辿り着いた後に魔物が生まれたのは事実。だからこそ、これ以上人間を世界樹に近づけるわけにはいかないと伝えられる。
8人で話し合った。話し合って決めたことは、人間を止める側になるということ。裏切り者と呼ばれながら、人間と戦うことになってしまった。
エルフたちは8人を賢者と名付けた。そして、ルイスは黒の賢者と呼ばれるようになる。戦いのさなか、8人は少しずつ離れ離れにされていく。あまりに強大な魔法の力を恐れたエルフにより、そう仕向けられたからだ。
それぞれの戦場で、それぞれの魔法で、それぞれの敵と戦う。
ルイスは孤独だった。たまに他の賢者と会うことはできるが、共に戦うのは常にエルフだけ。
「本当に、これで良かったのか?」
人間と戦うことに抵抗を覚えるようになったルイスの心の支えになったのは、かつて世界のふもとについて話してくれたエルフの女性。少しずつ共に過ごす時間が増え、少しずつ共に戦うことが増え、少しずつ共に分かち合うものが増えていく。
ルイスの心の奥底に秘めていた想いが溢れかえってしまうのも無理からぬことだった。
人間とエルフ。結ばれるはずのない2人。それでもルイスは何度も何度もアプローチする。しかし、ルイスの思うようにはいかなかった。
なぜなら、エルフには恋や結婚という文化も概念も存在しなかったからだ。欲深い人間と違って、エルフは理性的な種族。結婚などという制度を設けずとも、間違いを犯すことなどありえない。
「きっといつか、通じ合えるはずだ」
異種族の壁を乗り越えようと、ルイスは奔走する。幸いにも、永遠の命を持っているので時間はいくらでもあった。長い時が経ち、ついに全てが報われる瞬間がやってくる。
ルイスの人生の中で、最も幸せな瞬間。
告白の言葉と誓いの言葉。
どちらとも理解してもらい、どちらとも受け入れてもらい、どちらとも叶えてもらう。
そして始まった結婚生活。
他のエルフは快く思っていないようだったが、2人はこれ以上ないほど幸せだった。
人間ともエルフとも疎遠になってしまった2人は初め、誰もいない南の地で暮らすことになる。それから黄金のドラゴンのラウレリンに勧められて西の地へ移り住み、様子を見に来た灰の賢者の冒険譚に魅了されて北の地を共に旅し、最後は生まれ故郷である東の地へと向かう。
東の地。そこは人間の住まう土地。
だが活気がない。そこかしこに魔物が蔓延り、安心して生活できる環境ではなかったからだ。
「これは、俺達のせいなのか?」
そこにかつての人間の国は存在しなかった。
8人の賢者が世界のふもとへ行ったから魔物が誕生した。
確たる証拠はないが、否定する根拠もない。東の地の人間の惨状を見て、ルイスは決意する。魔物から人々を守ろうと。
人々をまとめ上げ、大きな都市を作り上げた。
中央には魔物を監視するための巨大な城を建て、周囲を魔物の侵入を防ぐための防壁で囲う。都市はやがて国と呼ばれるようになり、ルイスはやがて王と呼ばれるようになった。
なにもかもが順調だった。
やがて城で暮らす2人は、子供を授かろうと話すようになる。
ルイスの人生の歯車は、ここから狂いだしてしまう。
第1子が生まれた。20歳で永眠した。
第2子が生まれた。20歳で永眠した。
第3子が生まれた。20歳で永眠した。
何度生まれても、結果はすべて同じ。
いくら長命なエルフといっても、生涯に産むことのできる人数には限りがある。そもそも、エルフには子供をたくさん産むという風習がない。
短命な人間と、長命なエルフ。その間に生まれる子供が人間よりさらに短命になってしまうとは、誰にも予想できなかった。
孫が生まれた。20歳で永眠した。
ひ孫が生まれた。20歳で永眠した。
次の子も、その次の子も、20歳で永眠した。
子孫が死んでいくのを何度も見たルイスの心は、少しずつ黒いモヤに満たされていく。モヤを消すことができるのは、この世でただ1人の最愛の人だけ。
そしてルイスが最も恐れていたことが起きてしまった。誰しもが来ないで欲しいと感じていたことが起きてしまった。いつかは来てしまうとわかっていたことが起きてしまった。
この世でただ1人の最愛の人が遠くへ旅立ってしまった。
それでもルイスはまだ、絶望していなかった。なぜならまだ、子孫が残っていたから。遠くへ旅立ってしまった人の思い出話をしながら、ルイスにとって最後の平穏な日々が続く。
最愛の人をよく知る子孫と暮らした。20歳で永眠した。
最愛の人をよく知る子孫の子供と暮らした。20歳で永眠した。
最愛の人をよく知る子孫の子供の子供と暮らした。20歳で永眠した。
ルイスは理解してしまった。この世でただ1人の最愛の人は、もうどこにもいないのだと。子孫の記憶の中からも、消えてしまうのだと。
「もう、死のう」
この世でただ1人の最愛の人のいない生活は、なにもない真っ黒なものでしかない。この世でただ1人の最愛の人のいない世界は、ルイスにとってなんの意味もない。
世界のふもとで授かった永遠の命を、ルイスは捨てる決意をした。そうするしかなかった。この世でただ1人の最愛の人が眠る墓の前。ルイスは自分の心臓に剣を突き立てた。そして、ルイスの長い人生は幕を閉じる。
はずだった。
剣は間違いなく心臓を貫いている。だが死ねない。もう一度突き刺した。だが死ねない。何本も突き刺した。だが死ねない。
「なぜだ」
どうして生きているのか。どうして死ねないのか。ルイスにも理解できなかった。それから何度も、何度も死のうとする。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
だが死ねない。
ルイスは最後の手段をとった。それは、あの世へ直接行くということ。根の国と呼ばれる死者の魂の世界へと入っていく。
根の国でルイスが見たものは、世界の心理のほんの一部。だが最も知りたいこと、死ぬ方法はいくら探しても見つからず、根の国からも追い返されてしまう。そしてなぜか、この世に戻されたルイスには世界樹からもう1つ力を授けられた。それは、魔物を操るという力。
「誰か、俺を殺してくれ」
ルイスは必死だった。必死で死のうとした。その結果、魔物を率いて他種族の土地へ進行する。いつか誰かが、自分を殺してくれると信じていた。
世界中の強者がルイスを殺そうと立ちはだかった。だがルイスは死ねない。
世界中を蹂躙していくルイスに、最後に立ちはだかったのは黄金のドラゴンと灰の賢者と青の賢者。
ルイスは安堵した。やっと死ねると。理由を問いただしてきた青の賢者に、素直に答えたのはそのためだったのだろう。だが、そんなルイスの期待通りにはならなかった。黄金のドラゴンの全力をもってしてもルイスを殺すことは出来なかった。青の賢者の捨て身の攻撃もルイスには通じなかった。
これでも死ねないのかと諦めていたルイスに対し、灰の賢者は最悪の選択をした。それは、殺すのではなく封じるというもの。
無抵抗に攻撃を受け止めていたルイスに反撃する力など残っていなかった。8つに引き裂かれ、せめてもの情けにという青の賢者の願いによって最愛の人との思い出の地に封印される。
そして、途方もない時が過ぎた。
封印されながらも、ルイスの意識はハッキリしていた。なんとか死ねないかとできることは全て試みるが、死ぬことはできない。そんなある日、死のうと試みていたルイスの封印が解けてしまう。8つの中の1つ。東の地のトイグ王国の城の地下に封印されていたルイスが解き放たれた。
世界のふもとを目指す。
解き放たれたルイスが最初にやろうとしたことだ。死ぬための手掛かりは、永遠の命を与えた世界樹にあると考えたからだった。
だが一つ問題があった。8つに引き裂かれ、長い間封印されていたルイスの賢者としての力はほとんどなかったのだ。それでも死ぬことは叶わず、かといって世界のふもとを目指すことも満足にできない。
「私、あと3年しか生きられないんです」
封印の扉の前にたまたま居合わせた王女。封印の地から逃げ出すのを手伝ってもらったが、ただそれだけ。
気まぐれで話してみると、王女は20歳まで生きられないのだと語った。
ルイスにとって、それは奇跡としか言いようのないことだ。20歳までしか生きられない子孫が、命をつないでいたなどと夢にも思わなかったから。
残り3年の命だからと生きることを諦めかけている王女を、ルイスは救ってやりたいと思った。
共に隣国へと旅立つ。
山頂の街に泊っていたとき、魔物の夜襲を受けてしまった。戦いの末に、王女は高い崖の上から落とされてしまう。
ルイスは王女を追いかけて飛び降りた。ためらいなどあるはずがない。どうせ死ねない体なのだから。
「死ぬにはまだ早いだろ」
王女に呼びかける。ルイスは心の底からそう思っていた。もう生きていても意味がない自分と違って、王女にはやり残していることが山のようにあると考えていた。
ちょうど朝日が昇る時間だった。
世界樹の作り出した太陽が昇り、空は朝焼けに染まっていく。逆さまに落ちるルイスの頭上には世界樹があり、足元は血のように赤い朝焼けが広がる。それはまるで、世界樹が血を流しているかのようだった。
そしてルイスは気づいた。気づいてしまった。
世界が亡くなれば、自分も生きられないのだと。世界樹を殺せば、自分も死ぬことが出来るのだと。世界のふもとを赤く染め上げれば、自分の願いも叶えられるのだと。
血のように赤い朝焼けの中を、ルイスは堕ちていく。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓い、
そして、愛する人の命が尽きてしまったならば、
この世でただ1人の最愛の人が遠くへ旅立ってしまったあとを、必ず追いかけると誓おう。たとえこの世界が滅んだとしても。
逝こう。もう一度、
あの日夢見た世界のふもとに。