『優しい世界』
夏の日の、出来事だった。
蝉が羽ばたき飛び去った。
ぼくの眼は、浴びせられた、
おしっこで、光なくした。
秋の日の、出来事だった。
啄木鳥が木とまちがえて、
ぼくの鼓膜を、突っついた。
耳はそれから、聞こえない。
冬の日の、出来事だった。
蜘蛛がひらりと降りてきて、
ぼくの口に、巣を作り、
それからぼくは、喋れない。
暗闇と、無音と、
沈思のなかで、ぼくが確かに、
感じたのは、心臓の音、ぼくの音。
それは、優しい音だった。
待ちにまった 春が来て、
頬なでる風、爽やかで、
桃の香りは、鼻くすぐった。
ごくりとぼくは、唾を飲み、
甘い春を味わった。
世界は、ぼくから奪ったが、
それでもぼくに、優しさくれた。