この国は呪われている
ファンタジーディストピア。
ナルハザーク伯爵家の長女、ヴァネッサには早くに決められた婚約者がいた。
ファムド公爵家のランベルトだ。年齢はヴァネッサの二つ上。
この婚約は完全に本人の意思を無視して家同士で――どころか、国王にも認められているものだったのである。この婚約はヴァネッサが五歳、ランベルトが七歳の頃に整ったものだった。
……のだが。
ヴァネッサには二つ年下の妹がいた。
名をイヴリールと言う。
幼い頃から愛くるしいその姿は周囲を魅了し、成長するとますますその愛らしさに磨きがかかっていった。
ただ可愛いだけならヴァネッサも妹を周囲と同じく可愛がっただろう。
けれど――
イヴリールは、ヴァネッサの持ち物をことさら羨ましがる傾向にあった。
姉の真似をしたいお年頃、と言えば可愛いものかもしれない。
けれど、姉が着ているドレスをずるいと言い(別に何もずるくはない)。
姉が身に着けているアクセサリーにもずるいと言い(これも何もずるくはない)。
とにかく姉が手に入れた物に関して何もかもがずるいとのたまった。
姉にばかりドレスやアクセサリー、嗜好品といったものを与えて、妹に何一つ与えないというのであれば妹がずるいと言うのは正当な言い分だろう。
けれど、そうではない。
成長に合わせてドレスを新調しているので、イヴリールにも新しいドレスは与えられたし、アクセサリーだってそうだ。
幼い頃に与えられたふわふわの動物を模したぬいぐるみも、絵柄のとても素敵な絵本も。
成長していくにつれて嗜好品は姉と妹で好みが分かれてきたので同じようなものを与えるといった事はなかったが。
それでも、ヴァネッサに与えたのであれば、イヴリールにも同じように与えていた。
姉に百を与え、妹に一を与える、というような差もなかった。
何かの折に与えられるものは、姉妹の事を考えた上で贈られていたのだ。
だがそれでもイヴリールはヴァネッサに対してずるいずるいと言ってはことあるごとに姉の持ち物を奪おうとしていたのである。
両親が叱っても一向に効果はなかった。
そこで反省して素直に与えられるものに満足していれば良かったのに、余計反発してぎゃんぎゃん喚くさまは、とても貴族令嬢とは思えないほどで。
幼い頃ならまだ笑って許された駄々こねも、ある程度成長しても変わらぬとなれば周囲の目線は可愛いだとか、微笑ましいなんてものからは遠のいていく。
きちんとした教育を受けさせているのに、どうしてこうも性根が卑しいのか。
父も母も大層頭を悩ませたし、引退して田舎に引っ込んでいた祖父母も同じく頭を悩ませた。
叱っても説得しても一向に効果がないのだ。
どうしてそこまで姉を羨むのか、と聞いても妹はひたすらにずるいずるいというだけで明確な理由が出てこない。
あまりにも酷い様子に、このまま下手に外に出して姉以外の物を羨みずるいとのたまい奪うような真似をされてはたまったものではない。
身分が下の家ならこちらからの丁寧な謝罪でどうにか穏便におさめてくれるかもしれないが、下手に身分が上の相手に失礼を働かれてみろ。その結果妹だけでは終わらず、家ごと潰されるかもしれないのだ。
必死に教育して駄目なものはダメ、我慢を覚えなさい、姉の物は姉の物、貴方の物はちゃんとある、といくら説き伏せてもぎゃんぎゃん喚き散らすその様子は野生の猿並みに酷かった。
きちんと教育してもコレなのだ。
それで外でやらかされたら、そちらの家ではマトモな教育をしていないんです? とか嫌味を言われる結果となる。してるけど! 効果がない! と叫べればマシだが、まぁそうはいかない。
もういっそ、修道院にでも放り込んでしまおうかしら……と教育に疲れ果てた母が呟いた言葉は、父にも魅力的に聞こえたらしい。
だがしかし、妹はそこそこ厳しいと評判の修道院に送られてなお、蘇った魔王のように修道院を脱走し我が家へと帰ってきた。道中は決して安全ではなかっただろうに、無傷で。
そして叫んだ。
「お姉さまずるいですわあああああ! 私が修道院で質素極まりない食事をしている間にも、さぞいい物を食べてらしたんでしょう!? ずるいですわずるいですわずるいですわあああああああああ!!」
確かに修道院の食事と比べれば、天と地ほどの差があるかもしれない。それもあって妹のシャウトはとても騒々しかった。一瞬ではあるがヴァネッサはイヴリールの背後に黄色い鳥の幻覚が見えた気がした。
「随分と騒々しいな……これが話に聞くあの妹か」
だがそんな妹をぴたりと黙らせたのは、ヴァネッサの婚約者でもあるランベルトである。
その日は婚約者として交流を深めようか、という日であり、いつもはヴァネッサがランベルトの家へと出向いていたのだが今回はランベルトがナルハザーク家を訪れていたのだ。
ランベルトにとってイヴリールの存在は、ヴァネッサからの手紙で知っていた。
見た目は可愛いが中身が何故か強欲で、どうしてか自分のおさがりをやたらと欲しがる困った妹なのだと。
それさえなければ問題のない令嬢なのに、そのせいで大問題しかない令嬢になってしまい、両親もおいそれと外に出そうとしないのだと。
下手に外に出して問題を起こされても困るし、いくら教育をしても効果がなさすぎていよいよ修道院にて礼儀を身につけるべく送られた、とも。
そしてその妹が、勝手に戻ってきたその場にランベルトは居合わせてしまったわけだ。
今まで会う機会もなかったので、あくまでもヴァネッサの手紙と、あとは社交界での噂くらいでしか知らなかった。
成程、確かに愛らしい見た目をしている……とは思う。
ちょっと一生黙っててくれと思わなくもないが。
いくら外見が愛らしかろうとも、これだけけたたましい勢いで喚き散らされてはその愛らしさが霞むというもの。むしろ、下手に見た目がよろしいせいで、淑女とは到底呼べない不出来な部分が目立ちに目立ち、逆に悪い印象しか抱けない。
うんざりした様子でイヴリールを見ていたランベルトであったが、イヴリールもまたランベルトを見ていた。
ふとランベルトの脳裏に自分が深淵を覗き込む時、深淵もまた~という言葉が浮かんだ。冗談ではない。
早々に視線を外せばよかったものの、しかし下手に目をそらすのは危険ではないかという勘が働いてしまい――何故って野生動物みたいだったから――結局ランベルトとイヴリールはしばしの間見つめ合う形となってしまった。
ランベルトを見たイヴリールは思わず息をのんだ。姉に婚約者がいるという話は聞いていたものの、今の今までお目にかかった事はなかった。
だが、今までマトモに顔を見せにこなかったというのは、それってつまり人前に姿を見せることができないような――醜い容姿をしているのではないか、とも思っていたのだ。
何のことはない、下手にイヴリールの視界に入ればまたお姉さまずるいですわという鳴き声が響き渡るからこそ、普段はヴァネッサがランベルトのいる屋敷へ行っていただけの話である。
今回はイヴリールが修道院に送られたから、家にいないからこそランベルトが訪れたに過ぎない。
まさか修道院から脱走してくるとは思わなかったが。しかもランベルトがやってくる日ピンポイントで戻ってくるとは誰も想像していなかった。
ランベルトは、一言で言えば絶世の美青年、という存在だった。
人間離れした美しさに、イヴリールは思わず目を奪われたのだ。
姉に対してずるいずるいと喚いていた時は姉に対して意識が向いていたが、しかしランベルトの声が、あまりにも美声だったもので。
そちらへつい視線が動けば、そこにいたのは恐ろしい程の美貌の青年。
イブリールはまるで時間が止まったかのような感覚に陥って、息をするのも忘れて見入っていた――が、ふと今の自分の姿を思い出し、頬を紅潮させ服についた汚れをぱぱっと手で払う。
自分がどうして修道院などに行かねばならないのか。姉は屋敷にいるのに。
それがあまりにも不公平に感じられて、怒りのあまりイヴリールは修道院を抜け出し馬車で揺られていた時の、窓から見える風景から記憶を頼りに戻ってきたのである。
普段は勉強もあまりやらずお世辞にも賢いとは言えないようなものだったのに、こういう時だけ馬鹿みたいに記憶力が仕事をしているし、道中、実のところ年頃の若い、しかも容姿の良い娘が一人で歩いているという事でよからぬ事を企んだ輩もいたのだが、イヴリールは姉への執念からか火事場の馬鹿力を発揮し襲われる前に全てを薙ぎ払っていた。
ポテンシャルが凄い。
その凄さをせめて別方向に活かせばよかっただろうに、しかしイヴリールがその力を発揮するのはあくまでもずるい姉を糾弾する時なのである。周囲から見て姉は何一つずるくないというのに。
だがしかし、イヴリールの中では姉は悪の権化だった。イヴリールが満たされないのは姉のせいだった。
どうしてそう思うのかはわからないが、それでもイヴリールの中で姉と言う存在はずる賢く、妹を虐げる存在だったのである。
ヴァネッサがイヴリールの事を虐げた事など一度もなくとも。
まるで魂が焦がれるような、そんな思いが常にあったのだ。しかしイヴリールはそれを言語化できなかった。どうしてそんな風に思うのか、イヴリールだってわからない。わからないがただとにかく、姉がずるくてずるくてどうしようもなかったのだ。
そしてここにきて、姉はやはりずるいと思えるだけの事ができてしまった。
姉の婚約者がこんな素敵な方だったなんて――
聞いてない。知らない。どうして黙っていたの。
彼に見つめられただけで心臓は早鐘を打つようで、息をするタイミングすら掴めない。下手に自分の呼吸音で彼が口にするかもしれない言葉を邪魔するのは、とんでもない事だと思えた。
だがそれと同時に、自分の事を知ってほしいという欲望も生じた。
姉ではなく、もっと自分を見てほしい。
そう、強く思ってしまった。
結局その後は、早々にランベルトが屋敷を後にしたのでイヴリールが彼に付きまとうような事はできなかったし、周囲の使用人がさせなかった。
だが、彼がいなくなった後、響き渡るのは勿論――
「ずるいですわおねえさまあああああああ!!」
妹渾身のシャウトである。
「聞けばあの家とは昔から婚約する事が決められていたというではありませんか。ランベルト様が先にお生まれになって、ナルハザーク家に女児が生まれたなら婚約は確定だなんて、ずるいですわお姉さま! お姉さまが先に生まれたせいで、私はランベルト様と結ばれないではありませんか!!」
「聞けばまるで相思相愛のような言い方だけど、貴方とランベルト様は今日が初対面よ。彼は珍しい動物を見る目を向けただけで、貴方に女性として想うような事は一切なかったわ」
「いやー! ランベルト様と結婚するのおおおおおおお! ランベルト様じゃなきゃいやあああああああ!!」
ぎゃおおおん、とまるで怪獣の鳴き声みたいな奇声を発してイヴリールは両手と両足をめちゃくちゃに動かした。大人しく地団太踏んでる方がまだ可愛げがある。完全に幼児が駄々をこねるときのそれであった。
ヴァネッサは思わずドン引きした。
この子、いくつだったかしら……と思わず妹の年齢を脳内で確認する。そろそろデビュタントを迎える頃だ。恐ろしい事に何度確認してもデビュタント目前の、貴族令嬢であるならばいい加減淑女として行動できないといけない年齢である。
だがしかし実際はどうだ。
平民の子供だとてここまで駄々をこねたりはしないのではないか、と思うくらいに激しく暴れまわっている。
修道院から帰ってきていいとは一言も言われていないので、イヴリールの居場所は現時点でこの家にないというのに、大人しく修道院に戻るつもりもないのが窺えた。
少しばかり出かけていた両親が屋敷に戻ってきて、イヴリールを見て思わず白目をむいたのは仕方のない事だろう。なんで帰ってきてるんだ、ヴァネッサ、もしかしてイヴリールを呼び戻したのかい? なんて無いとは思うが念のため確認させてくれ、みたいな反応もされてしまった。
残念自力で戻ってきましたわよ、お父様、と返せば父は信じられないものを見る目をイヴリールに向けた。気持ちはヴァネッサもとてもよくわかる。
今はもうこうやって駄々をこねてる段階でよくある光景だけれど、ヴァネッサはよりにもよって婚約者との語らいの真っ最中に乱入されたも同然なのだ。白目むきたい気持ちはもちろんあったけれど、そんな顔をランベルトに見せられないと根性で耐えたのだ。
もう一度修道院にイヴリールを連れていこうにも、もう二度とあんな場所になど行くものかとばかりにイヴリールは抵抗した。一体その身体のどこにそんな力がと思うくらいの力を発揮して。
これには両親もヴァネッサも、ついでに屋敷の使用人たちもほとほと困り果てた。
野生の猿の方がまだお淑やか。思わずそんな風に考えてしまったのも仕方のない事であろう。
最初にブチ切れたのは、母親だった。
「いい加減にしなさい!」
滅多に声など荒げない母親にそう言われ、一瞬だけビクリと驚いて黙ったものの、イヴリールは「でも、だって」となおも姉のずるさについて言及しようとしていた。何一つずるくはない。むしろイヴリールの我儘でしかない。そのせいで両親に叱られ、姉に呆れられ、挙句今一度貴族令嬢としての在り方を見直せとばかりに修道院にまで入れられたというのに、イヴリールはそういった事実を何一つ認めようともしなかった。
「……良いではありませんかお母さま。この際です。
いっそ、婚約者をイヴリールに変えてしまわれては?」
「それは……」
「えっ!?」
戸惑った様子の母と、まさかの姉の援護射撃に表情を輝かせるイヴリール。
「勿論、ランベルト様の意思を確認する必要はありますけれど」
国王すらも認めた婚約だというのに、そう簡単にいくのだろうか。
もしイヴリールにマトモな常識があったなら、そう思った事だろう。
しかしイヴリールは見た目が愛らしいだけの野生の猿以下の娘だったので。
そんな事実にすら思い至れなかったのである。
もし気付いていたら――いや、気付いたとしても、自分がランベルトの婚約者になれるのだという思いで浮かれて何一つ、おかしいと思う事はなかっただろう。
それどころかそんな事を言い出した姉に対して、ようやくお姉さまが反省してくれたと思う始末である。
何度だって言うが、ヴァネッサがイヴリールに対して反省する必要はどこにもない。むしろ反省すべきはイヴリールである。
だが、イヴリールにとっては自分は正当な事を言っていると思っているので、両親からの叱責もむしろ理不尽な目に遭わされていると思っているし、きっとそれは姉の仕業なのだとも思っていた。
イヴリールの現実は、彼女にとってはどこまでもまっすぐだったが、しかし周囲から見れば明らかに歪んでいた。矯正しようにもイヴリール本人にその意思がないのでどう足掻いたところでどうしようもなかった。
それどころか正しい事を説けば説く程イヴリールにとってそれは、イヴリールから正当性を奪おうとする言いがかりでしかなかったのである。
イヴリールの内心を家族が知れば、救いようがないといっそすっぱり諦めもついた。
けれどもイヴリールの内面がここまで歪んでいるとは知らない両親は、まだどうにかなると信じたい気持ちも勿論あったのだ。
イヴリールにとって姉がようやく反省して婚約者を自分に譲って――いや、この場合『返して』くれると思っていたが、実際真っ先にイヴリールの矯正といったものに匙を投げたのはヴァネッサだった。
大体姉からすれば今の今まで何もずるい事などしていないのに、ずっとギャンギャンけたたましく騒がれるのだ。いい加減うんざりしていた。
心の安らぎは、妹がいない時。つまりは、婚約者の家に自ら向かった時と、妹が修道院に行っていた短い間だけだ。
言葉でどれだけ言っても理解しないイヴリールの事を、正直ヴァネッサは何度動物を躾けるように棒で叩くべきだろうかと悩んだ事か。同じ言葉を使っているはずなのに、話が全く通じないというのは相当なストレスだった。
相手が他人であるのなら、そういった人物との関わりを減らそうとするとか、遠ざける方法を考えるなり自分がそうするなりしただろう。
けれどもその相手が身内であるというのは、想像以上にストレスだったのである。
ずるいと喚く矛先が自分でなければ、もう少し違ったかもしれない。けれども妹のけたたましい駄々こねは、ヴァネッサに向けられていたので。
いい加減、本当に。
心の奥底からうんざりしていたのである。
ここにきて、婚約者まで奪おうとするとは思わなかった。
この時点で、ヴァネッサはイヴリールの姉という立場を放棄したのだ。
そんな心の機微を両親も感じ取ったのだろう。
あぁ、それじゃあ仕方ないな。
ファムド公爵家に話を持っていって、それから国王陛下にも……と父親が次にイヴリールの我儘を叶えようとした。
母親は……一瞬、葛藤したようではあるがそれでも。
自分の思い通りになろうとしているその様子に先程までのけたたましさはすっかり鳴りを潜めたイヴリールを見て。
小さな溜息を一つ、零しただけだった。
令嬢として相応しくあれと教育をしたはずなのに、自分のやりたくない事はしないで我儘ばかりを口にしていたイヴリールは、こうして家族から見捨てられる事となったのである。
もしきちんと学んでいたのであれば。
ヴァネッサから婚約者を奪おうなどと思うはずがなかったのだ。
――婚約者のすげ替えは、あっさりと認められた。
その事実にイヴリールはやはり訝しむ事もなく、それどころか馬鹿みたいに浮かれていた。
結婚式には素敵なドレスを着て、世界で一番幸せな花嫁になるの!
そう信じて疑ってすらいない。
本来結婚まではもう少し先の話だったが、ヴァネッサの気が変わって婚約者を奪い返そうとされてはたまらない、とイヴリールが言い出した事で、結婚式の準備はすぐにでも、となった。
イヴリールの中の姉は完全に悪役のそれである。
そんなヴァネッサは、浮かれるイヴリールをどこまでも冷めた目で見ていた。まぁいいわ、とか言いそうな表情である。
この頃にはもう両親も完全に諦めモードで、イヴリールの好きなようにさせていた。
ドレスについても、それらを飾る装飾品についても。
イヴリールの中では、きっと盛大な式が催されると思っているのだろう。
贅を凝らした花嫁のドレスは、イヴリールの希望がほぼ叶えられたと言ってもいい。
とはいえ。
実際の結婚式は、ひっそりとしたものだった。
式にはきっと色んな人が来るに違いないと思い込んでいたイヴリールの予想を大きく裏切って、式はファムド公爵家の関係者数名と、ナルハザーク家の人間――まぁ要するに花嫁と花婿の限られた身内だけだ。
そこに神父といった教会関係者が数名。
それこそまるで、駆け落ちした恋人たちがひっそりとするような式にも等しいくらい密やかなものだったのだ。
盛大な式ではない事にイヴリールは文句を言ったが、ならば式はやめて結婚もなかった事にするか? と言われてしまえば。
折角花嫁衣裳まで用意して、イヴリールのイヴリールのための素敵なドレスに身を包んだというのに、それを取りやめるなどするはずがない。
ここで結婚をやめるとなれば、この衣装にかかった資金が無駄になる。ひっそりとした式だからこそ、周囲に醜聞として広まる可能性は低いけれど、それにしたって次にイヴリールが結婚する事が決まった時、また新しいドレスを仕立ててはくれないだろう。
一度目がなくなった式のドレスを二度目に流用する、というのは、イヴリールにとって何とも惨めでしかない。
それどころか、二度目の結婚があるかもわからない。
相手を譲って差し上げたのに、と姉に言われて、もし次に姉に素敵な婚約者ができたとして、次はもう譲ってなどくれないだろう。どれだけずるいと喚いたとしても。
だからこそ、イヴリールは不平不満がとめどなく出そうになった口をきゅっと結んで、どうにか式を済ませた。誓いのキスは、もっと大勢の前で祝福されてするものだと思っていたけれど。
ランベルトの唇は、イヴリールの唇に触れたかどうか……というくらい一瞬で、それで誓いのキスは終わってしまった。決して自分がランベルトに見惚れていたからとかではない。見惚れる以前に本当に一瞬で終わってしまったのだ。
だが、ここで誓いのキスのやり直しを求めるような事を言うのははしたないと、流石にそこはイヴリールも理解していた。
いいわ、この後の初夜で改めて二人きり、愛を確かめ合うの。
そんな風に思う事で、どうにかイヴリールは自らの心を鎮めようとしていた。
結婚式をして、これで晴れて自分はランベルトの妻――つまりは公爵夫人となるのだ。
これから先の未来を考えるだけで、胸が弾むようだった。
もし姉がこの先結婚したとして、相手は公爵家以上の相手などではないだろう。
ようやく、姉の上をいけた……そう。確かにイヴリールはそう思ったのだ。
純粋に姉より上の立場になりたいだけなら、淑女としての教育を努力していけば、いつかそうなったはずであったのに。
ヴァネッサとの婚約をあっさりとイヴリールに乗り換えたランベルトは、間違いなく自分の事を愛している。イヴリールはそう信じていた。そうじゃなかったら、婚約者をそうあっさりと変更するはずがない。
だから、この後にある初夜に関しては、間違いなく甘い蜜月であると。
イヴリールは疑う事すらなかったのである。
ファムド公爵家へとやってきて、初夜のための準備を済ませる。
メイドにピカピカに磨き上げられ、そうして寝室で夫が来るのを待つ――はずだったのだ。
「え? なに?」
ピカピカに磨き上げられたところまでは、イヴリールの想定内だった。
頭の先から爪先まで。文句の付け所のないくらいに完璧。今の自分はきっと、王家の人間だと言われても疑われる事はないのではないか、そう思えるほどだった。今の自分は王女だと言えばきっと誰も疑うはずがない。そう思えるくらいに、メイドたちの仕事は完璧であった。
ところが、いざ夫婦の寝室となるだろう部屋に案内されたと思ったら、そうではなかったのだ。
広い室内。家具はおろか調度品の類も何もないような広いだけの部屋。
案内する部屋を間違えたのかと思った。
ちょっと何してるの、と案内したメイドを叱責しようとして。
しかしそれより早く、部屋の扉は閉められてしまった。
バタン、と思っていたより重々しい音がして、その音にぎくりと身体が跳ねる。
何故だか嫌な予感がした。
咄嗟に身をひるがえして扉に駆け寄り開けようとしたのだが、しかしびくともしない。
押しても引いても一向に開く様子がないのだ。
「ちょっと、何、なんなの!?」
もしかして先程のメイドは、実はランベルトの愛人なのではないかしら。
イヴリールの脳裏に最初に浮かんだのはそれだった。
お飾りの妻。真実の愛。
イヴリールは勉強こそ嫌いであるけれど、娯楽小説を読むのはそれなりに好きだったから。
だからこそそういった話をいくつか知っていた。
もし、あのメイドが本当にランベルトの恋人のような立場であったなら。
お飾りの妻が初夜をするつもりで浮かれていたのを見ていたのはさぞ滑稽に映ったかもしれない。
いや、もしそうじゃなかったとして。
ランベルトのあれだけの美貌だ。
叶わぬ恋と知りながらもイヴリールに嫉妬して、初夜を妨害しようとしたのではあるまいか。
そんな風にイヴリールは疑って、冗談じゃないと力任せに扉を叩いた。
ランベルトが自分を愛している、という絶対の自信がイヴリールには持てなかったのもあって、そういった想像は有り得そうだと思ってしまったのも大きい。
結婚式の誓いのキスの時、もっとしっかりと口づけを交わしていたのであれば、まだもうちょっと余裕を持てただろう。けれど、あまりにも一瞬過ぎて、婚約者の変更を受け入れたランベルトだけれど、それはイヴリールを愛していたからではなく、他に大っぴらにできないような関係の恋人がいたからではないか? という疑いが生じてしまった。部屋に閉じ込められる前までは、自分が愛されていると思えたのだけれど。
イヴリールにとってランベルトは姉の婚約者だった男性で、圧倒的な美貌の青年であるという事しか知らない。声や見た目で惚れて、どういった人物であるのか、というのはほとんど知らなかった。そこまで交流を重ねていなかった。婚約者の変更が認められてすぐに結婚したいとイヴリールが言って、式の準備でお互い忙しい状況だったから。
二人でのんびり語らうような余裕はなかったのだ。
いや、本当にランベルトがイヴリールを愛していたなら、それでも時間を捻出したとは思うのだが。
どのみち結婚するのだから、仲を深めるのはそれからでも問題ないと思っていたのだ。
むしろ先にそうしておかないと、姉がまた何かするんじゃないかと思えてしまって。
優先するべきはそっちだと思ったから。
それもあって、何か疑わしい出来事があれば簡単に疑心に囚われるような事になってしまったのだが、イヴリールはそこまで気付いていなかった。
何度も扉を叩けども、誰かが様子を見に来るような気配もない。
声を上げているのに、暗い室内は恐ろしいくらいに静かだった。自分の声すらその暗闇に吸い込まれるようで。
それが、余計にイヴリールの恐怖を煽った。
誰かいないの、からふざけんじゃないわよ、という罵倒にかわり、アンタいい加減にしなさいよというメイドへの言葉。ここから出られたらただじゃおかないという脅し。
少なくとも貴族の娘が言うような言葉とは思えないものも飛び交って、けれどそれでも誰かがやってくるような気配はない。
「なんっなのよ……!」
扉を叩いていた手も疲れてきたからこそ、そう悪態を吐いて扉に蹴りを入れた。小石を蹴飛ばすような動作で扉に一発。けれどやはり扉はびくともしないまま。
だが、その直後床がほのかに光った。
「え?」
寝室と見紛う程薄暗い室内だったからか、そのほのかな光はそれでも充分眩しく思えた。
室内の床に円を描くように光り、そうしてその中にいくつもの模様が浮かび上がる。
「えっ? なに……?」
何が起きているのかわからない。
ただ、何故だか嫌な予感がしてイヴリールはそこから遠ざかろうとした。
けれど室内目一杯使って描かれたそれから逃げるようなスペースはなく、イヴリールの背は扉に早々に阻まれてしまった。
その光と模様が魔法陣である、と気づけたかはわからない。
ただ、そこから伸びてきた禍々しい不気味な光はあっさりとイヴリールを捕えて。
「ひっ……!?」
彼女が叫ぶよりも先に、魔法陣の中へと引きずり込んだ。
その後、イヴリールの姿を見た者は誰もいない。
――他の国はどうだか知らないが、この国は色々と特殊であった。
まず国王が人間ではない。
見た目こそ人であるけれど、そして大抵若い姿をしているけれど、中身は長い時を生きている。
かつて神に仕えていた天使の一人。それが、この国の王の正体だった。
神はとうの昔にこの世界に見切りをつけて消えてしまった。
神が管理しなくなった世界は荒れて、人が暮らすには厳しいものとなってしまった。
神と共にいけばよかったのかもしれないが、この天使は残った。
そうして神のかわりに世界を好き勝手し始めたのである。
いくつかの生活基盤を整えた後、彼は一つの国を作りそこを治めた。
天使の姿のままでも良かったが、人の姿をとり定期的に若返り代替わりをしているように見せかけている。
別に、これだけならそう珍しくもない。
他の国は精霊が頂点になっていたり、魔族と呼ばれる存在が治めたりもしているのだから。
この国が特殊なのは、神と敵対していた魔の者たちと手を組んだからである。
外交という名目で国としてやりとりをするならまだしも、この国の高位貴族の家のいくつかは悪魔がその地位についているのだ。
国民の大半は人間であるけれど、国の中枢にいる者たちは人外ばかり。
それを知っている者もいれば、知らないままの者もいる。
少なくとも平民が知る機会はほとんどないが、貴族にとっては常識として知っていなければならないものだ。
高位貴族の家の悪魔たちも、国王同様に定期的に若返った姿で代替わりをしたのだと偽装しているのがほとんどである。
ランベルトもまた悪魔の一人で、ヴァネッサの二歳年上とされているが実際はそれ以上の年月を生きている。
神がいなくなった世界は荒れて、魔法を自在に使っていた種族にとっても不便な状況に陥っていた。
新たな資源を発掘しなければ、世界は早々に廃れていった事は間違いない。かつては豊富に世界に満ちていた魔素すら不安定な状況で、だが気付いてしまったのだ。
人間の魂が、それらに代用可能だという事を。
だからこそ彼らは定期的に人間を生贄として求めた。
最初から堂々と生贄としてしまえば人類が反旗を翻す可能性もあったけれど、国の繁栄と引き換えに少数の生贄を出せばそれ以外の者たちの暮らしは約束されるとなれば、異種族以上に力のない人間たちからすればその程度の犠牲など些細なものである。
彼らの庇護がなくなればもっと大勢が死んでいくのだ。それだけ、神のいなくなった世界で何の守りもない状態で生きていくのは困難であった。
平民から犠牲を出すことも最初は考えたのだけれど。
かつて、神がまだいた時代、人間たちも魔法を使える者が少数ではあるがいた。それらは大抵王族や貴族といった身分を持つ者であり、今はもう魔法が使えない者たちばかりといえど、潜在的な因子はあったのだろう。
魔法の素養もない平民より貴族を生贄にした方が、効率的に彼らも力を使えたのである。
本来、ランベルトと結婚したヴァネッサがその生贄となる予定であった。
結婚までの間に多少の望みを叶える事を約束して。
ヴァネッサが求めたのは平穏だった。
何せあのやかましい妹がいたのだ。家にいても気が休まらないし、だからこそランベルトと共に居た時だけでもせめて、と穏やかな時を望んだ。
慎ましくささやかな願い。力を使わずともランベルトにとっては容易い事で。
だからこそ、生贄にするまでの間、彼は彼なりに精一杯彼女の事を大切にしていた。
それを人間が愛と呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。
ヴァネッサが生贄となった後は、ナルハザーク家には他の家の縁談が用意されイヴリールは何も知らないまま幸せになるはずだったのだ。姉が犠牲になった後、イヴリールに与えられる役目は人間を増やす事。
生贄にするのは貴族の方がいいのだから、そうなれば勿論増えてもらわないと困るので。
どれだけイヴリールの頭の中身が空っぽだろうとも、子を産む事さえできれば問題はなかった。家に関する事や政治的な部分は婿がするべき事としてしまえばいいだけの話なのだから。
だが、イヴリールがあまりにも駄々をこねるものだから。
イヴリールの願いは彼女の望む方向とは別の意味で叶えられてしまった。
婚約者の変更。つまりは、生贄の変更である。
そうと知っていたならば、絶対にイヴリールはそんな事を言い出さなかっただろう。
だが、そもそも高位貴族の家の者の大半は悪魔であるし、その家との婚約は生贄となる事だというのは人間の貴族にとっては常識である。
学んだはずなのにその常識すら憶えていない方が悪い。
本来ならば、残された方のヴァネッサには今後別の結婚相手があてがわれる事だろう。
けれど。
ランベルトはあの穏やかな時を案外気に入っていた。
だから、改めて彼はヴァネッサに求婚したのである。
今度は生贄ではなく、正真正銘の伴侶として。
イヴリールの我儘で作られた贅を凝らした衣装などにかかった費用など、生贄から得られた力を使えばすぐに補填可能であるので。
ヴァネッサにはヴァネッサのための婚礼衣装を。
ランベルトは彼女のためのドレスを用意して、正式に彼女を妻とした。
ヴァネッサとしてはこれでいいのかしら……? と少しばかり悩みもしたけれど。
だが、あの時イヴリールに婚約者を譲るような事を言わなければきっとあの妹は自分の思い通りになるまで騒ぎ続けただろう。遅かれ早かれ、いつかどこかで見捨てる事になっていた、と思えば。
素直に他の婚約者を望んでいれば、イヴリールが生贄になる事なんてなかったのだけれど。
まぁ、やはり常識を常識として学んだくせに憶えてなかった方が悪い。これに尽きる。
国王は天使だけれど、他に天使がいないわけではない。
国王として君臨する彼よりは力が劣るけれど、他にも天使はいる。
それは彼の部下として、また他の高位貴族として。
こちらも人間の魂を資源として利用する事がある。
ただ、中には資源以外に使う事もあった。
国王の側近として存在している天使は、かつて一人の少女の魂を個人の判断で転生させた。
彼女はとある貴族の家に生まれ、姉に虐げられていた。
姉は傍若無人に振舞って、妹の大切にしている物を奪い、奪った後は平気で捨てたり壊したりして妹の心を傷つけて楽しんでいた。
最終的に姉は自分にも婚約者がいたにも関わらず、妹の婚約者を奪い、彼女を失意のどん底へ叩き落し、自害するまでに追い詰めたのだ。
そんな少女を天使は憐れんで、次はマトモな姉がいる家に生まれるようにしたのである。
だがしかし、自害した時に魂の一部が欠けてしまったからか、生まれ変わった少女は歪んでしまった。
姉という存在は無条件でずるい生き物だと思い込み、奪われる前に全てを奪えとばかりに振舞うようになってしまったのである。
かつての、生まれ変わる前の少女の姉と同じように。
かつての少女のままであったなら、今回の生はマトモな姉とうまくやれたはずだった。
けれど、その機会を少女は自ら壊してしまったのだ。
少女が歪むこともなかったならば、淑女として育ち、姉が生贄になる事で彼女は今度は奪われる事なく与えられる側になるはずだったのに。
一つの魂を歪めてしまう結果に、天使は自らの上司である国王に報告した。
貴重な魂を無駄に歪める真似は推奨されないけれど、だが場合によってはその転生で魂の穢れが払われる事もあるので。
「まぁ、今回は仕方ないかな」
国王は寛大な気持ちで部下のやらかしを許す事にしたのだ。
その魂は生贄になってしまったけれど、そんな魂であっても一応力に変換可能だとなれば、輪廻の輪の中で浄化して、浄化されるまでの時間を費やす手間を減らす事もできる。
むしろ長い間そうやって魂を浄化させようとして失敗続きだった魂もあるので、これからはそういった魂を先に消費してしまえばいい。
人間はどこまでいっても彼らの資源だった。
他の国でも似たようなものだ。
ただこの国ではそれが更に顕著であるというだけで。
神が見捨てたこの世界で作られた箱庭は、いつかきっと滅びを迎える。
だが今はまだその時ではないというだけで。
作中の黄色い鳥はド○キあたりで売られてそうなやたらやかましいアレ。
基本的に人外と子を作った場合確実に魔力持ちが生まれてくるけど、その結果ポンポン魔力持ち増えるとそのうち反旗を翻すかもしれないので基本的には人間同士の交配が推奨されている。
それでも貴族から魔力持ちがいなくなった場合は平民適当に見繕って人外と交配、後に魔力持ちを増やしていく感じなので、どう足掻いても完全に管理されてる。
次回短編予告
前の活動報告にある通りのタイトル通りのおはなし。
聖女召喚とかされてる世界での行く末的な。
文字数は普段以上にさっくりしている。