夜鳴り
「おい、守羅。今年の『夜鳴り』はお前の家の番だぞ」
「わかってる」
莉凛香が忘れ物を届けるために用心棒衆の詰所を訪れると、親方が何やら言い含めていた。
「あの……」
莉凛香が控え目に声をかけると、親方は明るい表情になって手招きしてくれた。忘れ物を受け取った守羅は、ちょうどいい、と一人言みたいに言う。
「莉凛香、次の新月の夜、日暮れから次の日の出までの間、絶対に外に出るな。誰が訪ねてきても絶対に招き入れるな。戸も窓も開けたら駄目」
「どうして? 」
稲穂色の髪をさらりと流して莉凛香は問うた。
「その時が来ればわかるさ。必ず、必ずそうするんだぞ」
親方の強い眼光に、流されるままに頷く。2人は満足気に頷いた。
「俺は仕事が入ったから、その日に帰れるかわからない。でも、帰ったら、必ず自分で戸を開けるから」
莉凛香の両肩を強く強く掴み、守羅は言い聞かせる。わかったわ、と莉凛香は素直に頷いた。
新月の夜。
莉凛香は言い付け通り、日が暮れるまでに湯に浸かり、水を汲み、家の中で過ごす準備を整えていた。夕飯の用意をする。一人分だ。結局守羅は戻ってきていない。蒸し暑い真夏だから、食べ物を取っておくことはできない。
とんとんとん、と戸を叩く音がした。
「莉凛香ちゃん、今日は一人だって聞いたよ。家で一緒に食べないかい」
いつも良くしてくれる叔母さんだ。けれど、今日は家を出られない。
「ありがとう。でも、今日は私、もうご飯を用意してしまったから大丈夫よ」
そう答えると、戸を叩く音はふっつりやんだ。
夕飯を食べていると、とん、と戸を叩く音がした。
「ただいま、莉凛香。もう飯を食ってしまった? 」
守羅の声だ。聞き間違えるはずがない。けれど、
「貴方、偽物ね」
あんな真面目な顔をした守羅が、今更違うことをするとは思えない。莉凛香が言うと、こん、……こん、と続いていた音は途絶えた。
何となく薄気味悪い気持ちで、いつもは決して欠かさない封魔刀の手入れもそこそこに、早めに布団を敷く。ところが、今日に限って眠れない。
家が、軋んでいる。
きぃきぃ、ぎしぎし。どんどん、ぱきっ。ぽたっ……ぽたっ……。
家中の音が、なんだかやけに大きく感じる。意識を逸らそうとすると、かえって気になってしまう。音がどんどん大きくなって、まるで嵐の夜みたいだ。
灯を消した、真っ暗な嵐の夜。けれど、あの日は守羅がいた。
格子の窓の隙間が怖い。との隙間からほんのちょっと見える、夜の闇が怖い。それでも何とか眠りについた。
夜半。
ドンドンドンドンドン!
戸が激しく叩かれる音で、莉凛香は飛び起きた。
「莉凛香! 妖が出た! 早く逃げろ! 」
なんですって、と呟いて、外に出ようと駆け出して。
転んだ。寝る前に封魔刀を適当に手入れして適当転がしていたのが幸いした。微かな光も反射して煌めく刀を優しく拾い上げて、平静を取り戻した。
「大丈夫よ! 私は退魔師なんだから! もし家に入ってきてご覧なさい、退治してしまうわ! 」
努めて明るく言うと、音は急に調子を変えた。
ドンッ!ドンッ!ドンッドンドンドンドンドンドンドンドンドン!
怒りの籠った、力任せに殴りつけているような音。
莉凛香はよろよろと後ずさり、布団の上に尻餅をついた。頼りの封魔刀を、きつく握り締める。もう寝るどころではなかった。
どれほどの時が経っただろうか。
うと、うと、と莉凛香の首が舟を漕ぎ始めた頃、とん、とん、とん、と優しい音が聞こえた。
「ただいま、莉凛香。いい子にして待ってた? 」
淡々とした、どこか疲れた、でも優しい声。早く会いたくて、戸を開ける。
「こおぉぉぉぉらぁぁぁぁああっ! 莉凛香に手ぇ出すなこの野郎! 」
「えっ……きゃぁぁぁあ! 」
飛び込んできた大声に、咄嗟に封魔刀を叩き付ける。
妖力を纏った拳と封魔刀を喰らって、その「何か」は嫌な音を立てて消えた。
「うわぁっ! 」
守羅は頭を真後ろに倒すことで、封魔刀の一撃をかろうじて避けた。
走って帰って来たのだろう、ぼさぼさになった頭を振って、守羅は「何か」の残骸を見下ろした。ゆっくりと戻ってきた視線が、莉凛香のそれとかち合う。
「ふ、ふふ……あはは……」
「ちょっと、莉凛香……もう、心配してたのにさぁ……」
笑いすぎて、涙が出てくる。昇ってきた太陽の光と守羅の白い毛並みが滲んで眩しい。二人共、完全に馬鹿になってしまっている。
この後、夜鳴りの怪事は一切起こらなかったそうな。




