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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合っぽいもの

乙女たちの巣

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

 金曜日。夜になって雪がちらちらと降り始めた。今夜は冷えるぞ、と思いながら、美路は給湯室のコンロで湯を沸かし、湯たんぽの準備をしていた。やかんを持ち上げて湯を入れ、湯たんぽを専用の巾着に入れて口をぎゅっと閉めたところで、廊下の灯りが消えた。消灯を知らせる音楽が流れ始める。美路はあたたかく重たい巾着を抱え、スリッパの音が響かないように気を付けながら、のんびりと自室に戻った。

 とある高校の女子寮。消灯は午後十時と決まっている。十時になれば、各部屋の電気が一斉に消える。しかし、例外もある。寮生ひとりひとりに与えられた勉強机に取り付けられたデスクライト、そして、四階の給湯室や洗濯室などは十時を過ぎても灯りが点くようになっている。消灯だからといって、眠らないといけないわけではない。なので、寮生たちは皆、自室の自分のデスクで各々勉強や読書など、したいことをしている。

 美路が部屋に戻ると、同室の後輩のデスクライトだけが煌々としていた。半纏を着たまるい背中は、おそらく読書をしているのだろう。

「先輩のスマホ、さっき机の上で震えてましたよ」

 後輩が部屋に入ってきた美路の気配を察し、首だけで振り向いて教えてくれた。

「あ、本当?」

 美路は、後輩の机のとなり、自分の机の椅子に腰かけてライトを点け、湯たんぽを膝に置いてスマートフォンを操作する。仲の良い寮生たちで作ったグループチャットにメッセージが届いていた。シンプルに、『談話室集合!』とある。今夜は夜更かし決定だ、と美路は内心わくわくしながら、『了解』とメッセージに返信した。

「ちょっと、談話室行ってくるね」

「はーい」

 美路は自分の半纏を羽織り、デスクライトを消すと湯たんぽを抱えたまま自室を出た。再び階段を上り、四階の談話室へと向かう。談話室というのは、寮生たちが就寝する部屋から少し離れた場所にある、六畳ほどの和室である。騒ぐなら自室ではなくここで騒ぎなさいよという役割の部屋だという共通認識を寮生たちは持っていた。なにもない部屋だが、押入れには折りたたみ式のテーブルや座布団などが用意されている。

 四階の廊下で、青色の半纏を着た後姿を見た。長い髪をしめ縄のようにひとつに三つ編みでまとめている後姿を、美路は、蔦子さんかな、と思う。蔦子さんとは先日、寮の廊下でぶつかりそうになってお互い同じ方向に避け合って笑い合ったことから、顔見知りになった。ちゃんと話したことはないが、廊下ですれ違ったら会釈するくらいの間柄だ。美路は現在二年生だが、蔦子さんが先輩なのか、同級生なのか、それとも後輩なのか全く知らない。しかし、会釈してくれる蔦子さんの笑顔はとても感じがいいので、仲良くなりたいと美路は密かに思っていた。そういう話を周囲にもしていたので、誰かが蔦子さんをグループチャットに誘ってくれたのかもしれない、と美路は思う。その蔦子さんらしき人物は、談話室の引き戸を開き、静かに中に入って行った。美路もその後に続く。

「美路が最後だね」

 真っ暗な談話室。真ん中に置かれたテーブルの上で、スマートフォンの灯りが四つ見える。それをぐるりと囲むように皆座っているようだ。誰かが持ってきたらしい懐中電灯の光が、眩しいからだろうか、壁の方を向いていた。美路は空いていた座布団に体育座りをする。

「あ。ミロたん、湯たんぽ持って来てる。いいなあ」

 左隣に座るテンテンが言った。

「いいでしょ。あったかいよ」

「寝るまでに冷めちゃわない?」

 今度はどこからかすーちゃんの声がした。

「冷めたらまた沸かすよ」

 湯たんぽを持って来ているのは美路だけだったが、おそらく全員が半纏を着て分厚い靴下を履いているのだろうし、各々カイロや膝掛けなど、防寒グッズを用意しているようだ。半纏や室内履きの分厚い靴下は、誰が最初に身に着け始めたのか不明だが、冬になると寮内で大流行し、寮生全員が着ぶくれて、同じような格好になるのだ。

「あ、ねえ。聞いたんだけど。この寮の四階で、深夜に廊下を行ったり来たりしてる子がいるんだって。物干し場から端の部屋まで。なにしてるのって話しかけても、にこって笑うだけで立ち止まりもせず無言で、ただ行ったり来たりしてるんだって。冬限定で。夏にはいないの。こういう機会があったら聞こうと思ってたんだ。そういう話、みんな知ってる?」

 すぐ右隣からひっそりと聞こえたその声が誰の声なのか、美路にはよくわからなかった。雰囲気から、たぶん蔦子さんかなと思う。蔦子さん、隣に座ってるんだ。そう思うと美路は少しうれしくなった。

「え、やだ。四階ってここじゃん。物干し場もすぐそこだし」

 怖がりなすーちゃんが情けない声を上げた。

「うちも先輩から聞いたことあるわ。でも聞いたのってもうずうっと前。入学してすぐくらいのころやよ。にこって笑うだけやからそんな怖くないって、先輩言うてた」

 ぼそぼそと話すこの関西弁はくめっちだ、と美路は思う。

「なにそれぇ、あたし今まで聞いたことなかったよ。この寮って、そういう七不思議みたいなのがあるの?」

 テンテンがそう言って、美路の腕に絡みついてきた。

「七つもないんじゃない。私は、この話以外知らないよ」

 そう答えたのも美路には聞きなれない声だった。たぶん緑ちゃんだ、と外見のイメージで美路は思う。緑ちゃんとも廊下でよく会う。いつもにこにこしている、忙しそうな子だ。緑ちゃんが続けて軽い口調で、

「あ、そうだ。ねえ、怪談やろうよ。怖い話」

 そんなことを言い出したものだから、皆がさらにざわつき始めた。

「え、今から? 暗いし寒いし怖いよ」

 すーちゃんが言う。蔦子さんが美路の肩に半纏を着こんだ肩を寄せる。両サイドからくっつかれて窮屈だが、あたたかい。

「暗いし寒いし怖いからいいんじゃない」

「やだやだ、眠れなくなっちゃう」

「今夜はどうせ、みんな寝ないでしょ」

 各々がきゃあきゃあと声を上げてはしゃいでいる。

「じゃあ、最後に来た美路からってことで。時計回りでいこうか」

 緑ちゃんが言った。

「えっ、待って、やだ。怪談なんて全然知らないよ」

 急に言われて美路は焦ってしまう。

「なんでもいいんだってば。人から聞いた話でもいいし、ネットで拾った話でもいいよ。本で読んだ話でも。即興で作ってもいいし。あ、そうだ。ミロたん、小説書いてるって言ってたじゃん。こういう、お話作ったりするの得意だったりしないの?」

 左隣からテンテンが緑ちゃんに加勢する。テンテンはすっかり怪談に乗り気のようだ。

「書くのと話すのとは全然ちがうよ。それに小説って言っても、あれは文芸大会の課題で書いてただけだし、得意なわけじゃ……」

 ぶつぶつと文句を言っていた美路だったが、ふと思い出したエピソードがあった。今まで、なんとなく誰にも話したことがなく、すっかり忘れていたのだが。

「怪談っていうか、ちょっと不思議な話なんだけど」

 スマートフォンの灯りは全て消えてしまった。あさってを向いた懐中電灯の先に分厚い靴下を履いた足が見えた。怖がったのか、誰かが輪から出てしまっているらしい。

 美路は話し始める。


 小学校五年生だったかな。私、個人塾に通ってて。その塾は、民家の一室っていうか、昔お店だったのかなって感じのスペースを借りて、そこを教室として使ってて、その奥の一段高くなってる畳の部屋が待合室になってた。私が通ってた日は、四年生と五年生を教える日で、夕方の四時半から五時半までが四年生、五時半から六時半までが五年生ってなってたんだ。だから、五年生たちはいつも待合室で友だちと四年生の時間が終わるまで少し待ってた。

 で、その待合室って、民家の一部を借りてるもんだから、まだ奥があって。その日、私と友だちは早く来すぎちゃって、退屈してた。だから、誰ともなく奥へ行ってみようっていう話になった。もちろん、先生には奥へは行ってはいけませんって言われてたけど、そのころは民家の一部を借りてるからだとか考えが及ばずに、ただ、なんで行っちゃいけないんだろう、って、ふわっと思ってたくらいの感じ。だから、私たちは躊躇いもなく三人で探検気分で奥へ向かった。擦りガラスの引き戸を開けると、まず中庭みたいになってて、中庭に沿うように渡り廊下がぐるっとあって。その渡り廊下の先に奥の部屋があるっていう感じになってた。物珍しくて、私たちはきょろきょろしながら渡り廊下を渡って奥の部屋へ向かった。

 奥の部屋は、襖みたいな、でも引き戸じゃなくて開き戸になってて、鍵もかかってなかった。だから、私たちは「行くよ、開けるよ」とかなんとか言ってはしゃぎながらその戸を開けた。

 その部屋はやっぱり和室で、仏壇があった。西日が射し込んだ、黄色い畳の明るい部屋に、なんの変哲もない仏壇と、それから、日本人形の頭の上半分が部屋の真ん中に置いてあった。夏だったから、むわっと暑かったのを覚えてる。

 頭の上半分ていうのはね。ええと、人形の顔の鼻のあたりから上の部分って言えばわかりやすいかな。てのひらサイズくらい。それが部屋の真ん中の畳の上にちょこんと。髪の毛が畳の上に扇みたいに広がってた。まるで、日本人形が畳から生えてきてるみたいな感じで。うん、不気味だったな。

 私たちは、声も上げずに黙って戸を閉めた。なにが起こったわけでもないんだけど、心臓がものすごい勢いでどくどく動いてる感じがした。先生に、奥へ行っちゃいけないって言われてたことも急にちゃんと思い出して、心臓をどきどきさせながら、黙って、行く時には全く気にしてなかった足音を忍ばせて待合室に戻ったの。

 変だなって思ったのは、私たち、奥の部屋へ行く時は三人だったはずなのに、待合室に戻って来た時は二人になってたの。いっしょに戻って来た子に、「ねえ、もう一人いたよね? 奥に置いて来ちゃったかな」って言ったら、その子は「え、最初から二人だったでしょ」って。「もう一人って、誰がいたの?」って聞かれたんだけど、誰だかわかんないんだよね。塾のメンバーは決まってて顔も全員知ってたはずなのに。待合室に戻って来た時点でもう顔も覚えてなかったっていうか。「勘違いじゃないの」って、言われたし、そうかなあって思ったんだけど、でも、絶対三人だったんだよね。誰だかわかんないけど、三人だったっていう記憶だけはあるの。

 その後、塾のメンバーはちゃんと全員来て、誰ひとり欠けてなかった。不思議でしょ。


「はい。私の話は、これでおしまい」

 美路が話を締めると、

「え、普通にちょっとええ感じやん。怪談ぽい」

 くめっちがぼそっと言った。それを皮切りに、テンテンやすーちゃんもきゃあきゃあ騒いでいる。

「うんうん。いいね」

 緑ちゃんの声が楽しそうに弾んだ。急に思い出した話だったが、皆が満足してくれたようで美路はほっとする。

「その日本人形の頭って、なんだったん?」

 くめっちの問いに、

「わかんない。壊れた人形をそのままにしてただけかもしれないし。そういえば、その時いっしょにいた子とも、後からこの話をしたりはしなかったなあ」

 美路は思い返しながら答える。

「えー、気になる。なんかもやもやするなあ」

「そう言われても、その個人塾があった場所、今は駐車場になってて、もう建物も残ってないから、確かめようもないよ」

 美路たちがわいわいやっていると、

「じゃあ、次はあたしだね。あんまり怖くないかもだけど、あたしも不思議な話」

 そう言って、テンテンが話し始めた。


 二年生になってすぐのころかな。春だった。部屋でまみちゃんが寝てる時にね。あ、まみちゃんていうのは、あたしの同室の一年の子。消灯後で、まみちゃんだけが布団に入ってて。あたしは机に向かって、課題かなんかやってたの。

 そしたら、寝てると思ってたまみちゃんが急に、「天藤先輩」って、あたしのこと呼んだの。「なあに」って答えたんだけど、まみちゃん黙ってて。もしかして寝言だったのかなって思って、気にしなかったのね。そしたらまた、「天藤先輩」って。「どうしたの」って答えたんだけど、やっぱりまみちゃん、黙ってるの。なんだ、やっぱり寝言なのかって、あたしはまた気にしなかった。でも、まみちゃんて普段は寝言とかイビキとかない子なんだよね。今日はどうしたのかなって、そんなこと思ってたら、今度はまみちゃん、「落ちちゃった」って。「なにが?」って聞いたら、それには答えずに、「救急車の音がする」って言うの。「え? 聞こえないよ」って言っても、「救急車が来る。ああ、よかった」って。なんだか怖くなっちゃって、あたし、まみちゃんの身体をゆすって起こしたの。「なんですかあ」って、まみちゃん、眠そうな迷惑そうな声上げてた。「まみちゃん、あたしのこと何度も呼んだんだよ。救急車が来るって言ってたよ」って、そう言ったら、「なにそれ怖っ」ってまみちゃん笑ってた。「私、そんなヤバい寝言言ってたんですね」って。起きたまみちゃんはまともだったからあたしもほっとして、ふたりで笑い合ってたら、本当に救急車の音が聞こえてきたの。遠くから、こっちに近付いて来てる音。

 思わずまみちゃんと手を握り合って、じっと固まってた。

 次の日、寮監さんに聞いたら、救急車はこの寮の隣の家の前に停まって、そこの家の奥さんを運んで行ったんだって。ほら、旦那さんが奥さんを階段から突き落としたって新聞に出てたでしょ、隣の家。寮内でもちょっと話題になってたよね。息子さんだか娘さんだかが救急車呼んだって。

 たまたま、偶然なのかもだけど、あの時は怖かったんだよねえ、まみちゃんの寝言。


「それ本当? 盛ってない?」

 すーちゃんが、なにかに抗議するようなテンションで言う。

「盛ってないよ、本当の話だもん。まみちゃんに聞いてくれたっていいよ」

 テンテンは笑みを含んだ楽しそうな声で返事をした。

「寝言に返事しちゃいけないって言うよね」

 ふと思いついて美路は言う。

「向こうの世界から帰って来られなくなっちゃうからって」

「向こうの世界ってどこ?」

 すーちゃんが言った。

「わかんない。思いつきで言っちゃった」

 美路の返事に、

「なにそれ」

 さわさわとした笑いが起こる。懐中電灯の明かりの先の足は、いつの間にか消えていた。寒いから輪に戻ったのかな、と美路は思う。右手をぎゅっと握られ、美路は暗い中で少し右に顔を向ける。

「蔦子さん、怖いの?」

 ひそひそと問う美路に、

「ううん、寒いの」

 強がりなのか、本当に寒いだけなのか、蔦子さんはそう言った。まあどっちでもいいや、と美路は蔦子さんの手をやんわりと握り返す。

「次は……」

 くめっちの声を遮るように、

「次は、私が話す」

 緑ちゃんがきっぱりと言って、笑いが静まった。


 さっき話に出た、この寮の怪談。あれね、ちゃんと理由があるの。

 この寮って、当たり前だけど飲酒禁止じゃない。私たち未成年だし。でもね。昔ね、お酒を持ち込んで騒いでた子たちがいたんだ。部屋とか談話室だと匂いでばれるかもしれないから、四階の物干し場でこっそり。

 冬の寒い時期だったらしいけど、ほら、今の私たちみたいに半纏を着こんで毛布を持ち出して、星なんて眺めたりしながらお酒を飲んでた。アルコールを飲み慣れてない上にみんな飲みすぎちゃって、もうベロベロになってて、そろそろ片付けて部屋に戻ろうかっていう時に、ひとり足もとが覚束なくなって、ふらついちゃって物干し場の手すりをするっと超えて下に落ちちゃったの。即死だったらしいんだけど、飲みすぎてたこともあって、その子、自分が死んじゃったことに最近まで気付いてなかったんだ。だから、死んでしまった季節、冬になると物干し場から四階の自分の部屋まで行ったり来たりしてたんだよ。なんだか情けない話だけど。

 でも私、あのころのことを思い出すの好きなんだよね。楽しかったもん。聞いてくれてありがとう。


 緑ちゃんはそう締めくくった。

「そんな事故があったんだね」

 すーちゃんがしみじみ言う。

「小さく、新聞にも載ったみたい」

「身近な怪談を明るく話すなあ」

 口々に言って、笑い合う。ふっと、それが途切れたところで、

「私のは、怪談とはちょっとちゃう感じかも」

 くめっちが話し始めた。


 小学生のころの話なんやけど。そのころは、私まだ関西に住んでてん。集合住宅いうか、同じ外観の建物が何棟も並んでるでっかい団地みたいなとこに住んでて、私くらいの子どもらがけっこうおったんよ。

 ある時な。土曜とか日曜とかやったと思う。学校が休みで、団地内の公園に子どもらが集まって遊んでた時、顔は見たことあるけどしゃべったことない男の子が、唐突に、「ぼくな、おっちゃん飼うてんねん」て言い出して。みんなで、なにそれ言うて、男の子の周りに集まって話聞いたら、「ぼくんちの階段上がったとこの場所に、おっちゃんおったから、飼うことにしてん。餌もやってんねん。団地はペット禁止やけど、人間やったらオッケーやろ」言うて。

 誰ともなく見に行こってなって、その男の子を先頭にみんなついて行ってしまった。ちゃんと自分ちの棟の番号覚えてないと迷子になるくらいの団地やったから、私は知ってる場所を離れるんが怖くてようついて行かんかったけど、ついて行った子の話ではな、屋上へ続く踊り場みたいなとこに、ダンボールとか毛布とか、あってんて。その男の子が餌や言うて持ってったバナナの皮とか、おせんべみたいなんのゴミとか。独特なにおいも残ってて、確かに誰かおったんやろうなっていう感じやったって。男の子はな、誰もおらんその場所見て、「おっちゃん、逃げた! ぼく、ちゃんと世話してたのに!」言うて怒ってたって。

 今になって思うと、ホームレスの人か誰か、こっそり住んでたんかもわからん。なんか怖かったって、ついてったその子は言うてた。

 私はその時、団地の住人でもない知らんおっちゃんが、あんなふうに住みついてたことよりも、そのおっちゃんを飼ってるつもりで、「餌やってる」とか言うてた、その男の子のことが怖かってん。あの子、今どうしてんねやろ。


 くめっちが、ふっと息を吐く。

「趣が違って、こういうのもいいね」

 蔦子さんが、美路の右隣で静かによろこんでいる。

「怪談じゃないし不思議な出来事も起こらないけど、なんか怖いね」

 緑ちゃんが言った。

「じゃあ、次はわたしかあ」

 すーちゃんが、明るく言った。


 わたしの話はすっごく短いんだけど、でも小さいころからずっとなんか怖いなって思ってたことがあって。

 あのね、夜に口笛を吹いちゃいけないって言うでしょ。そう、よくある迷信。地方によって、泥棒が来るからとか蛇が出るからとか、いろいろあると思う。

 でも、わたしの家ではそういうのとちょっと違ってて、「夜に口笛を吹いたら、居場所がばれて連れて行かれちゃうよ」って言われてたの。お母さんとかはそういうこと言わないんだけど、おばあちゃん、おじいちゃんにはよく言われてたなあ。

 でもね。誰に、なにに居場所がばれるのかとか、どこに連れて行かれちゃうのかっていうのは、聞いても全然教えてもらえないんだよね。知らないのか、言えないのかどっちかわかんないけどさ。

 ね、なんか怖いでしょ。


「本当、どこに連れて行かれるんだろ。さっき、ミロたんが言ってた向こうの世界かな」

 テンテンが言った。

「たぶんそうだよ。向こうの世界だよ」

「だから、向こうの世界ってどこなの」

 身をぎゅうぎゅうと寄せ合って、囁くように笑い合いながら、

「次は、私だね」

 蔦子さんが静かに言った。


 と言っても、私の知ってる怪談らしい怪談って、さっきの、四階の廊下の子のことしかないんだけど……。

 だから、私じゃなくて、私の妹が小さいころにした不思議な体験のことを話すね。

 私も妹も小学生のころだった。今みたく雪が降ってて、明日には積もるだろうって言われてた夜、妹はトイレに行きたくなって夜中に目を覚ましたんだって。トイレを済ませて、雪が積もってるかなって、廊下の窓の外を見たの。そしたら、知らない人と目が合ったって。妹と私の部屋は二階で、トイレも二階にあったから、妹は二階の窓から外を見たのね。窓からは一階部分の屋根が見えてて、その屋根の端っこから人の顔が覗いてたって。

 私と両親は、妹に起こされてその話を聞いたから、お父さんがすぐに窓を見に行ったの。でも、もう誰もいなかった。

 一階部分の屋根って言っても、大人が背伸びして覗けるような高さじゃないし、梯子でもないとそんなところから顔は出せないんだけど、妹は確かに見たって。雪明りでうっすらと明るかったから見間違いじゃないって言うの。まだらに禿げたような頭で、耳がなくて、若いのか老けてるのかよくわからない顔だったって言ってた。男か女かもわからないって。

 その夜、私は怖がる妹といっしょに眠って、そしてそれ以来、両親は今まで以上に戸締りを気を付けるようになった。

 だけど、それが人間だったのか、別のなにかだったのか、結局よくわからないままなんだよね。どちらにしても怖いねって、妹と時々思い出して話してるんだ。


 そう言って、蔦子さんは話を締め、誰ともなく皆、ほう、と溜め息を吐いた。繋いだままの右手がぬくぬくと湿気を帯びている。

「これで、終わりかな。みんな話したよね」

「結構、みんな怪談持ってんじゃん」

「楽しかったね」

「うん。こういうのもたまにはええな」

「あんまり怖くなかったし、またやろうよ」

「ええ、怖かったよー」

「寒かったしな」

 解散の空気になり、美路は蔦子さんと繋いでいた手を名残惜しく思いながら離した。

「ねえ、この懐中電灯って誰の?」

 すーちゃんが立ち上がって、あさっての方へ向いた懐中電灯を拾い上げる。

「知らない。あたしが来たときにはもうあったよ。忘れ物だと思って、そのままにしてた」

 テンテンが答える。

「ふうん。じゃあ、忘れものボックスに入れとこうか」

 すーちゃんが言い、ひそひそと口々に話しながら皆で廊下へ出る。非常口を示すグリーンの灯りだけを頼りに、それぞれの部屋へ戻ろうか、となった時、美路は気付いた。緑ちゃんがいないのだ。

「あれ? ねえ、緑ちゃんは?」

「誰それ」

「いつも緑色の半纏着てる子。勝手に緑ちゃんって呼んでるんだけど、本名は知らないや」

 美路の言葉に、

「そんな子いたかな」

 すーちゃんが言い、他の皆も首をかしげる。

「怪談しよって言い出したの、緑ちゃんでしょ。話す順番とか仕切ってたのも、緑ちゃん」

 美路がそう訴えると、

「あ、うんうん。仕切ってくれてるの誰だろうって、あたし思ってた。その時は空気壊しちゃいけないと思って、あなた誰? なんて聞かなかったけど……」

 テンテンが頷きながらそう言った。

「最初に談話室に来たの誰?」

「あたしだよ」

 テンテンが言う。

「その次に、くめっち、すーちゃん、蔦子ちゃん、ミロたん。だったよね?」

「うん。確かそうやった」

 くめっちも頷いている。

「それに怪談も、ちゃんと六人分聞いたよね」

「並び順、どうだった?」

「私の左隣りがテンテンでしょ、右隣が蔦子さん」

 美路が言うと、

「あたしの左隣は、くめっち」

 テンテンがそう続けた。

「私の左隣は、すーちゃん」

「わたしの左隣は蔦子さん」

「私の左隣は、美路ちゃん」

 くめっち、すーちゃん、蔦子さんが言う。

「テンテンとくめっちの話の間に、緑ちゃんが話してた」

 美路は言う。

「そう。それ変だなって。あたしの隣はくめっちだったのにって」

「私も、自分の番だと思ってたら、誰かが話し始めたから」

 テンテンとくめっちが口々に言う。

「そっか、確かにもうひとりいたんだね」

「でもやっぱり、五人しかいないって」

「向こうの世界に連れて行かれちゃったのかな」

 すーちゃんが弱々しく言った。

「誰も口笛吹いてへんよ」

 くめっちが言う。

「あ、ねえ。そもそもグループチャットで、『談話室集合!』ってメッセージくれたの誰だっけ」

「それも、あたし」

 テンテンが言って、スマートフォンのチャット画面を皆で確認する。

「あ、私たちの返信しかない。五人分」

 正確には、了承の返事をしたのが五人だけで、断りの返事をした子も数名いる。

「じゃあ、この今回パスした内の誰かが、実は来てたってことない?」

「にしても、今いないのはおかしいじゃん」

 五人とも黙ってしまった。

「もしかしたら緑ちゃん、四階のあの子だったのかもね」

 すーちゃんがぽつりと言った。

「ああ、そうだ。私、緑ちゃんのこと、この寮の四階でしか見かけたことない」

 美路が言うと、

「なーんだ、そっかあ」

 テンテンが声を上げ、

「そっか。そういえば、話し終ったあと、聞いてくれてありがとうって言ってたよね」

「あれは、緑ちゃん自身の話だったんだ」

 皆もそっかそっかと頷き、なんだか解決した雰囲気になった。

 いつまでも廊下で騒いでいても怒られるので、口々におやすみを言い合って、皆それぞれの部屋へ戻って行く。

「私は湯たんぽ沸かし直してから戻る」

 美路が給湯室へ行こうとすると、

「私も着いて行っていい?」

 蔦子さんが言った。

「うん」

 美路は頷く。

「こんなふうにゆっくり話すのは、初めてだね」

 給湯室で湯たんぽの中の冷めた湯をやかんに戻しながら美路は言い、蔦子さんと顔を見合わせて笑みを交わす。

「すーちゃんがグループチャットに誘ってくれて。すーちゃんとは同じクラスなの」

「じゃあ蔦子さん、同じ二年生なんだ」

 美路はなんだかうれしくなった。

「また、こんなふうに遊ぼうよ。これから何度でも」

「うん。私、美路ちゃんと仲良くなりたいと思ってたから、今日はうれしかった。こっそり手まで繋いじゃった。ごめんね」

 蔦子さんの言葉に、美路は照れくさくなり、「ううん。私も、うれしかった」と、笑みを含んだ返事をする。

「緑ちゃんも、みんなで騒ぎたかったのかな。生きてた時みたいに」

「きっとそうだよ」

 ふたり、なんとなく沈黙してしまう。しかし、その沈黙は決して居心地の悪いものではなく、美路はむしろ安心を感じた。

 湧いた湯をまた湯たんぽに入れ、給湯室を出た四階の廊下では、非常口の薄暗い灯りの中、緑ちゃんの姿が浮かび上がっていた。廊下を行ったり来たりしている。美路が緑ちゃんに手を振ると、緑ちゃんは決まりが悪そうな笑みで手を振り返してくれた。

「緑ちゃん、いるの? 美路ちゃんには見えるんだね」

 蔦子さんが言った。

「あれ? 蔦子さんには見えない? 私もいつも見えるってわけじゃないけど、うん、今いるよ。行ったり来たりしてる」

 美路は頷く。

「そっかあ」

 言いながら、蔦子さんは見当違いの方向に手を振っている。それを見て、緑ちゃんが笑ったので、美路もつられて笑ってしまった。



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