表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説家に、私は成る。

作者: うめ

私の頭の中には、あまた数多くの情報が渦巻いている。

この情報の運動は、才能であり、運命である。私はそう確信している。

インプットされた情報は渦を巻くうちに触れ合いこすれ合い、混ざり一つの真実へと導く。

たとえば宇宙の成り立ち、ビッグバンから無限に広がり万物は生成されている。

一番外側までの距離が130億光年、130億年前に始まった大きさだ。

これはまさにスパゲティの皿に似ている。言ってみれば皿の上のスパゲティだ。

きれいに中心に盛ったものが、ときほぐされいつのまにかテーブルクロスの上にまではみ出しているこの様子と全く同じではないか。



そう、どんな情報も混ぜてあえて、組み合わせて真実を見抜いてしまう。

これは相手を黙らせてしまう本質の核心なのだ。

全部を都度説明してもよいのだけれども、さすがにそれは体力がもたない。

いつもは体を楽にして思索を巡らせているときにすべてがつながる。

それを書き出すだけでも大変なので、これはきっと書き残せば伝説的な本になるだろう。



しかし実際どこかに文字を書いたためしはない。どこから書き始めようかと悩む。

まず最初の発端の始まりを、どんな文章で飾るべきか。その難題が解決せず一文も、いやまだ一文字も書けていないのだ。

この世のつながりを全部解き明かすことはできる、しかし一度に広大な盤面のような相関関係のフレスコ画のような情報を、文字という糸で紡ぐのには骨が折れる。

会話の流れで話題が移るたびに、掘り下げた深層の真相に言及することはできるのだが、いかんせん本となると相手の顔が見えない。



しかし、しかしだ、この情報を共感してほしい。世の真実の裏側を。きっと本にはできるだろう。

おそらく出版社の人間も放っておかない。その価値はあると出版を薦めてくるだろう。

連載もしていないしいきなり出版というのもどんな流れか解らない。ネットで調べると自費出版というものがあるようだ。

おおよそ100万円くらいで自費出版専門の書店にも並ぶそうだ。書店にならぶのならば十分にその意義は果たすだろう。

同人誌という手もあると思うが、どちらにせよ本を売るという事を考えると売り方は考えてもらったほうが助かる。

500万円という値段もだせば全国区で対応してもらえるのではないか。なんとなくそういうイメージで進めてみるのもありと考える。

いきなりベストセラーとして店頭にPOP付きで出るならばおそらく1000万円あればいける。そういう計算になる。

友人、といってもたまたま居合わせたチャットルームの人間から言わせると、その基礎となる基準や設定、計画になにも具体性がないので砂の基礎の上にビルを建てようとしても無理だそうだ。

そんな常識に捉われているとクリエイティブなアイデアは浮かんでこないだろう。むしろ中空のビルから建て始めて基礎を最後につくるという手もありなのではないか。

斬新な発想というのは、やはり才能や運命で形作られてしまっているのだろう。



現実としてはほとんど家から出ないので友人というものはないが、アイデアを研ぎ澄ませていくためには人里を離れなくてはならないのはかつての仙人と呼ばれた人たちも同じだろう。

ことに今話題の政治、宗教、芸能人、社会情勢、天候、国際問題はほとんどすべてを網羅できている。

今のところわからない、把握していない点はない。この膨大な世界のつながりの情報を、まずどうやって最初の一文字を書き始めるかが問題なのだ。



とりあえず、ひとまずはその書き上げた本が世に出回ってどんな旋風を巻き起こし真に目覚めた本質に近い人の社会とはなにかが覚醒したとき、きっとそれは私の想像を超えているだろうけれども、まずは本を出版するというところから考えていこう。

まず、500万円で自費出版会社に原稿を持ち込み、これを本にしてもらう。そして書店にならぶ。自費出版専門の本屋らしいが、まあ本屋というからにはそのへんの本屋とかわりはしないだろう。

ここにまずドラマが生まれてしまう。

その知識はぜひとも本にすべきだと、出版社の営業がけしかけてくるのだ。そう、この情熱をまず最初の一文に込めたい。

本を書き始めるにあたって、私がみている本質の世界と一般の人間が気づいていない視野とでは大きく差がありすぎる。人の情熱をもってまず私の広大な情報の海へ誘導してもらうのも一つの手だろう。

そこからさまざまな著名人の成り行き、エピソード、その本質や真実を織り交ぜていけば、読者はうなづく以外の動作を取れなくなるはずだ。



とはいえまだ最初の一文字に込める文字を探しあぐねている。あまり知が過ぎるのも考えものだ。一文字だけで私を表せるならば何にしようか、悩むのである。

それさえ決まれば全文書き連ねるのは、指にまかせておけばいい。米粒の話から始めたのに宇宙のあり様について話すことなど日常茶飯事の私にはたやすい。




ちょっと息抜きに一般人と話をしてみようか。

たまには世俗の空気にふれてそれを実感するのも、息抜きになるし気分転換にもなる。着想のタイミングも来るかもしれない。

外界とは縁のない私にはほぼ必要のない話ではあるが、携帯電話は持っている。いざというときなにかの役にたつだろう。普段は月に決められた範囲の中で課金をしているだけだ。

最近では携帯電話のメッセージングサービスに、ユーザーが自由に集いを作成しチャットができる機能がついている。

なんのためにこんな機能があるのか全く分からないが、一応全知の識見からみれば、およそ人とはそういうものなのだろう。何がそういうものなのかは、また機会があれば。

そう、機会を逃して根底の根本となる深層の真理に至っていない事もままあるが、そんなものにかまっていられない程度には忙しいのだ。

追われる時間などはないけれども、一日という単位は万物の上に等しい。私もそれが歯痒い。

ともかく、チャットルームで煮詰まった私の思考を一般世俗で薄めて息抜きをしようかと思う。そういう気軽さから執筆の第一歩を見つけられるかもしれない。



「こんにちは。この度本の出版をもちかけられました。大手からですが、500万円とはなかなか費用がかかるものですね。」



とりあえず自分の身分は明かしておこう。自己紹介である。出版についてはまだ原稿の一文字目も出版会社も決まっていないがとりあえず大手で予定まであるとしておこう。

さして問題でもあるまい。いずれそうなるという識者の見解を説明するのにまず机上であっても論は理解してもらう必要はある。仮にこれを真実としよう。



「出版ってお金かかるっけ?」

「いや額が額というか、騙されてない?」

「本人が納得していれば、それでよいかと」



出版のイロハも知らない連中に話してもあまり意味がなかったようだ。そこはさして重要でもない。それはとりあえず良いだろう。

その流れを続けるわけではないけれど、付帯情報として成り行きも話しておくべきかと話を続ける。



「政治と宗教と人間関係、世の本質と真理について是非ともそれは本にすべきだと推されまして。その程度の額なら借金してもよいかなと思います。」



そうなることが確実だということはそうだと言い切っても問題はあるまい。物理法則においてこれからおこる危険性に対し発生する前に「危ない」という事はなにも間違いではない。

そう考えるとここで宣言している私の未来がいかように変化しても、それはそれで的中した未来であると言えよう。



「自費で出版するにしても高すぎない?」

「同人誌ならもっと安くできるよね」

「そういうのおいてくれるお店もあるし、通販も自分でできる時代だし」

「ほかにもっと安い方法あるんじゃないかな」



出版については気になるところだろうから自由に雑談してもらって構わない。そういう事を頼りに来たわけでもない。私のありあまる知識の絡みこんだ回路を解きほぐしてもらいに来ただけだ。

ついでに私の知識に触れてなにかひらめきか煌めきでも得てもらえれば、私はそれについてなにかを請求したりはしない。あふれる知識は寛大なのだ。



「いま話題の宗教団体やそれに癒着している政治家、彼らの実態や日本のあるべき姿、そういうものがあるはずですからね。」



いきなり真実に触れて核心の情報を見せつけられると眩いのだろう。私も同じレベルの議論ができる人をみたことがない。



「そういう話題は、ここではちょっと・・・」

「ここは小説を作る人が交流するだけの場所ですからね」

「現実の話題や団体組織、個人を出すのは許可がいりますし、憶測でそれを言うだけというのは憚られますね」



真実に切り込む勇気のない者は、いつもそこで足止めを食らうのだろう。私は先に進むものなのでそういう話は特に聞かないことにしている。



「実際出版大手の会社なので、いろいろ手厚くしてもらえるということで、出版の料金は借りてでもするべきだと言われました。」



軽く実際現金がまったくないことくらいは含めて状況を話しても私の癒しにはなるだろう。



「そういう話、もう止めませんか」



私の存在自体に圧でも感じているのか、話題の広がりをもっていないのか、そんなに臆することはない。私もやさしい一言くらいはかけよう。



「いえ、まだもう少し話せます。」



さて、どの業界のどんな真実について話すか。経済か、国際情勢か。何にしても今刺激的でだれしもが気になるところだろう。



「実名を出されるのはちょっと」

「本人がそれを問題視してないとかあっても、この部屋とかいらっしゃる方にも迷惑がかかりますし」

「ご自身の身の上話や日常のあるなしごとを話すのとはちょっと趣旨がちがうかな」



たしかに私は出版と壮絶な知の極地を本にする世界の話でいささか世俗の一般とはかけ離れている。それに触れることで痛みを感じる人間もいるだろう。

些末な一般人の語らいで気を紛らわせる私を慮ってくれるのはありがたい。せめて一言礼はあるべきだろう。



「ありがとうございます。ですが真実ですからね。」



まあ真実ならば仕方があるまい。しかし、かくも世界は不思議で複雑、困難なものよ。



「なんというか、中学生になったばかりと、その次の年って、いきなり外界がひらけてそこに知性がついていかない所、ありますよね」

「そう、なんでも知ってる、なんでも理解できてその裏側まで推察できちゃう気になる あれなんでだろうね」

「知ってる事まで全部しってる そんな感じになるんですよね 選択授業で知らなくていい科目が出来ると」

「点数とか評価も個人ごとにわかれるし 先生対自分みたいな感覚になるから 間違っていても世間が悪いって気持ちに否定する余地がなくなっちゃいますね」

「偏差値って生徒全体の中に自分がいること再確認するためのものだったんだ」

「中学生にはちょっと早かったですね それに反比例して身体機能や社会的な立場は一人の人間として扱ってもらえるタイミングが増えますし」



たしかに私は中学生になったばかりだが、義務教育に収まっておらず一人思索にはげみ情報量も並外れている。そういうのとは違うだろう。



「もし出版とかされるなら、借金とかしない方がいいですよ」

「できる範囲でね」

「まあそういう話は個人の判断で ここではもう止めておきましょう」



偉人は失敗をしたり借金をしたりしたところから成功を収めている。そういう常識があれば正しい判断もできるだろう。

自分の気持ちを先読みしてくれて、それに適した提案をしてくれる人の借金はそんな無茶なものでもないはずだ。

そのあたりが悟れている者とそうでない者の差なのかと感じる。



「かつての文豪も、いい借金というものがあってそれは率先してしておくべきだという話がありましてね」



ひとつ、私の知識も授けておいてあげよう。いずれそういう日が来た時に役立つかもしれない。



「それらが本当に結果になる実を付けるのならば それだけ 本のタイトルだけ教えていただけたら 応援しますけどね」

「とりあえず買いはするかな」

「お小遣いがきびしいので 宣伝だけはさせてもらいます・・・」

「でも まだなにも決まっていないのなら 今すぐやめるべきですね」

「ええたしかに 根拠は”決まっていることはお金を出すことだけ”なところですね」

「お金が移動すること以外なにも決まっていないのならば お金を得る側はなにもしなくても別にいいはず ですね 現段階の全情報からすると」



有る物だけに目を奪われて予想や理想のその先を見据えることができていないのだろう。お金はあくまで形式上の問題にすぎない。

お金や利益で真価や真理を無駄にしてしまうのも、仕方がない境遇なのは理解ができる。実際私もお小遣いのアップをことあるごとに訴えてはいるが親はその意味や価値を知らない。

現実に束縛されている姿からぜひとも解き放ってあげたいが、実際私の何が問題なのか皆はなにを問題としているのかさっぱり理解ができない。



私が完璧にこの世界を把握して、今はまだ予定だけれどもこれから起こりえる真実と真理について理解が及ばないのは仕方がない。

なればこそ私の特異性であり能力で才能だから。それが運命なので仕方がないことだ。



「経験や知識で広がった世界からみて 小さな世界でその大きさや距離感を感じてもらうのってどうしたらいいんでしょうね」

「手をのばしても無限に広がる空間にまだ庇護対象として泳がせてもらってるうちはわからないですね」

「それが伸びやかな発想やいつまでも焦がれる思い出の原点なのかも」

「その伸ばした手が壁につかないと限界を感じることができませんからね」

「壁にぶち当たればいいのか」



この方々はおそらく壁にぶち当たることで限界を感じてしまったのだろう。壁などどこにあるというのか。望めば叶う。少なくとも私の世界はそうであったし、そうである。



「信じれば、いつかは叶いますよ」



ありきたりだが、そういう真実はそうとしか言葉にならない。



「信じるものは 小手先で目先のものじゃダメですよ」

「最後に到着するその場所から近いものから順番に 形にしていくべきですね たとえば契約書とか」



それが小手先だというのだけれども。そんな紙切れを見せられて信じてしまうのか、この人たちは。まったく危なっかしい。



「真実を見抜ける知識と才能が必要ですね」



それもまたありきたりではあるけれども、たとえなければ伝わらぬとは聖書にもある言葉だ。



「具体的に見ている世界が違う感じがしますね」



実際に違うのだからそういう率直な感想は、あるだろう。



「まず話題の主題が小説ではなくて個人の直近の出来事なんですよね」

「これは小説という物理的な単語が入っているにしても創作も出版も関係ない話ですね」

「出版をするとかどこになにをというのはもう個人の日常ですね」

「それに世界の真理がどうなっているかというのも 個人の日常ですね」

「ですね 世界がどうあるかはみんなの元に平等にありますから」

「それをどう選択するかは 500万円払うのも自由だし どこの政治家を信じるのも自由だし だれを推すのかも自由」

「そういうのって やっぱり近いナマの人間にあててみないと 感触が得られないんですよね」

「たとえばこのチャットとかね」



何をさえずっているのかわからないが、とりあえず自分たちの日常ローカル談義をしているようだ。全く脈絡がわからないのでとりあえずは様子をみよう。



「自分がなにをする予定だというのは 根拠がないからどうだったかという脈絡に頼りがちですね」

「偉人の著書とか名言とか歴史とか 大手の実名とか政治家そのものとか 具体的な宗教とかね」

「そういうの全部カラの状態から準備するのって 創作はけっこう大仕事ですね」

「たいへんなものです」



いまさらあらためて創作についての話にたどり着いたらしい。この私もその困難さゆえにまだ一文字目も書けていないのだからそんなことはとうの昔に充分知っている。

かわいい生徒たちの育っていく姿をみているようで、微笑ましい。



「とりあえず談義としての小説の このチャットの意義というか 話題はですね」

「そう 実際に文字を書き溜めた小説というモノのそれか それを作るための場ですね」

「その出来たか出来てないかわからない原稿の行く末とか その文字たち紙たちがどこにいったかというのは それ自体が小説ですね」

「それをログで流すのではなくて書き溜めたらそれを発表したり 書き方に悩んだら集う場ですね」



なにかしら自分たちを定義し肯定しあって高めているようだけれども、何が何かさっぱりわからない。

とりあえず近しい話題で質問でもしてみるとしようか。



「では、政界の退廃について議員と著名人と財界と宗教について真理を結ぶ本の書き出しは、どうあるべきだと思いますか」



無邪気な心がたまに真理を引き出すかもしれない。無邪気さゆえに勇敢な一文字を思いつくかもしれない。そういう可能性はあるだろう。決して無駄な質問ではないはずだ。



「現実にある事象ならそれはジャーナリズムでしょう」

「感想がはいってはね それに空想や予想も」

「推察も 自分の目で見えたものって2つの目でしか見えてないものですからね なんでも起こりえる」

「ほかの目のいくつで同じ形にみえるか それが現実と事実にあるべきですよね」

「自分が満足した買い物でも 宗教団体がだまして価値の判断を誤らせて買わせたものは そんなの真実とか真理とは呼べないですよね」

「そうそう 霊感商法とか ほかのだれがみても著名な画家の作品なら値段もつくけど ほかの人には見えない能力が宿った絵はただの紙と同じ価値ですね」



説明ができる、それ以上に真理や真実があるだろうか。腑に落ちる、納得する、これこそが真実の真髄だ。



「かつての偉人に、その目でみたものこそが真実で真の姿である、というのがありましてね」



私の知の一部をつかって、例えもつかって説明していこうか。私というものを体験すればきっとなにかしら得るものもあるだろう。



「その真実とやらがどこかに一つ物理的に存在しているみたいな考え 危ういとおもうんですよね」

「触れることができるものこそ真実 というのも雑な話ですけど 言葉を紡ぐだけなら異世界も転生も存在しますから」

「ここでは 物理的に存在するのはログ 書き溜めた小説データ それですね それを作るために交流をしてます」

「作りながら話して小説そのものになる なりきりチャットとはちょっと違いますね」



自分たちの在り方を話し合って認めあって、たしかに小説的ではある。次元が違うものからみれば観測するしかないのかもしれない。



「手にとどく範囲をなんでも融通してもらっている時期は世界の広さなんてわからんのですよ」

「中学2年生になるとその世界のすべてを手にした気になっちゃってますもん」

「三年で受験がきたとき 現実を受け入れるか社会に反抗するか あきらめるか絶対的な選択肢がきます」

「社会に反抗ってその歳ではなくないですか?」

「まあ無しとして出番を奪うより あるかも もしくはないかもとして登場はしていただいてよいパーソンではないですかね」

「たしかに登場人物は多いほうが楽しいですね」




夢と現実と妄想と空想、予定と未定と嘘の差などあるのだろうか。あるとしたらそれは一体何なのだろうか。




「中学二年生はたぶん万物を知りえた気持ちになっているとおもうけどそれは未成年で被扶養者のまもりの中ですごく自由にさせてもらって両手がどこにも届かないほどにのびのびとしてるという事だと思うんだ」

「たしかにありそう すごい恵まれてる」

「わからない事もたびたび出てきてるとおもうんだよね それがどうしてわからないのかっていうのは足りていないということにも 教える人がいないと気が付かない」

「逆に 自分が言っていることがなぜ伝わらないのか それが自分で理解できないのならば なにかしらの真実とか真理を知りえたとは言えない気がするよ」

「万物を知り尽くしてしまっていたら 何でも成せてしまうので それってどういうことだろう・・・」

「それが自然の摂理だったり 物質のすべて 人が土や芥へとかえりつくそこなのでは」

「なるほど一理ありそう」




たしかに、ここだけでも私のわかりえないことはいくつかあった。また私の話を理解してもらう術もなかったし機会もなかった。

だからといって何かが足りないわけではない。私はきっと予定を成就させるだろうし、私の想像は現実を超えていく。




それはいったい何なのだろうか。それ自体私にもわからない。いや全知はあるのだが、それはわかっていないような気がする。

自分の可能性にわくわくする、それだけで今はよいとおもう。皆にもこれを伝えたいけれどもどうやら伝える方法がないらしい。

これはいったいどうしたものか。

この気持ちをたとえて具象して、物語にして時系列にならべ相関関係を書き表していけばいいのだろうか。それは小説というものなのではないだろうか。



私はもうその書き留める内容をすべて心のうちに秘めているのだ。あとは最初の一文字を見つけ出すだけなのに。




そうなるためにも、まず500万円を借金すべきなのだろうとは、確信しているのだが。



私のこの自身と確信に、わが親は印鑑を押してくれるのだろうか。




まだ、わからないことがこの世に残されている気がしてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ