研究の成果その二3
なので改めてイグナーツ先生の方を向いて、
「これも全てはルルベ草とラングリー公爵家の魔術師たちのおかげですわ。魔力が無くては私は何もできませんでしたもの」
そう言って感謝を伝えることにしたマルガレーテだった。
「いえいえ、姫のためならば、これから先も私はどんな協力も惜しみません」
恭しくそう言うイグナーツ先生のことを、最近マルガレーテはこう理解するようになった。
イグナーツ先生は、たとえルトリアに生まれた人だとしても、心はレイテの人間なのだ、と。
迫害されて逃れてきたレイテの魔術師たち。彼らはそんな辛い経験をしたというのに、それでも望郷の念を抱えて生きる人たちなのだ。
レイテから逃れてきた人たちは、今でもひっそりとルトリアの片隅で、レイテを思いながら暮らしている。
イグナーツ先生が語る先生の故郷であるレイテの里。そこはレイテの文化が色濃く残る、穏やかなところなのだという。そしてレイテの魔術師である王女の存在とルトリアへの輿入れを心から喜び、マルガレーテを慕っているのだと先生はいう。
魔術師としてのマルガレーテを仲間と慕うレイテの人たちがいる。母国レイテにいるときには想像も出来ないことだった。
気がついたら今はもう、マルガレーテは一人ではなかった。
家族がいて、師がいて、そしてマルガレーテを喜んで受け入れてくれるまだ見ぬ人たちまでがいる。
マルガレーテにとって大切な人たちが、ここにたくさん出来たのだ。
王妃様とクラウス様の呪いは解けた。
しかしさあ反撃と、すぐにはいかないところがもどかしい。
なにしろ呪いを作った犯人がわからないのだから。
今も、ラングリー公爵家総力を挙げて調査をしている。
しかしその魔術が取引されたのは、おそらくは王宮だということを踏まえると、なかなかラングリー公爵家の権力をもってしても難しいようだった。
「しかし呪いの元がわからぬままでは、あとどれだけ持っているかもわからんしな。わかったら締め上げて、全部取り上げてやるのに」
王妃様が両手をワキワキさせながら、心から悔しそうに言う。
「十年ものの魔術があと何個もあるようだと、マルガレーテの体が持ちません。マルガレーテへの危険は出来るだけ避けなければ」
クラウス様が、マルガレーテに相変わらずぴったりと寄り添ってマルガレーテの腰を抱きながら言った。
そろそろマルガレーテも、この過剰なスキンシップに慣れてきた気がする今日この頃。
どうも下心もないようで、ただただくっついていたい、そんな気持ちの表れのようなのだ。
そんな態度は、懐いてからのクロと全く変わらなかった。
クラウス様は、姿が犬から人間に変わっただけで、中身は全くといっていいほど変わらなかった。
驚いたというか拍子抜けというか。
でも変わっていないといえば、その屈託のない明るい笑顔も初めて馬車の中から見た時の笑顔と変わらなくて。
だからうっかり間近にお顔を見てしまうとなんだか恥ずかしいやら嬉しいやらで、どんな顔をしていいのかもわからなくなるのでついつい明後日を向いてしまうのだけれど。
でも、まさかあの人がクラウス様だったなんて。
あの時黒髪だったのは、見かけを変える魔術で変えていたらしい。さすがに濃紺の髪は珍しいので、そのままだと正体がバレる可能性があったとのことで。
魔術って、いろいろあるのね。そしてなんて便利なんでしょう。
その上獣人という人たちもいるなんて。
クラウス様はその獣人の血が影響しているのか元々の性格なのか、人間の姿になってもマルガレーテが最初に出会った時のクロとあまり言動がかわらないような気がしていた。
彼は今でもマルガレーテへの懐き方が半端ではなく、常にマルガレーテの周りをウロチョロしては満足げにしているのだ。
そしてそんな彼が、マルガレーテはやっぱり大好きで。
私、政略結婚なのに幸せになってもいいのかしら……。
そうは思いつつも、内心ちょっと浮かれているマルガレーテである。
でもさすがにマルガレーテの方からベタベタとくっついていったりはなかなか恥ずかしくてできない。
まあその前に、クラウス様が来てはベタベタするということもあるのだけれど。
つまりはもう、この状況で、十分幸せじゃない?
もう何もかも忘れて、クラウス様と一緒にこの離宮でこうして一生のんびり暮らせたら、どんなに幸せだろう。
つい、そんな叶わぬ夢を見てしまうくらいには、マルガレーテは幸せだった。
残念ながら、そんな願いはもちろん叶わないのだけれど。
ランベルト王太子からの一方的な婚約破棄からは、もう随分な月日が経っていた。
マルガレーテはこの療養のために建てられた、多くの人に「もう生きて出ることはかなわない」と言われている離宮に送られてから、ずっと放置されていた。
もちろん誰も訪ねては来なかったし、何の便りもなかったのだ。
きっと私のことなどもう忘れてしまっているに違いない。
マルガレーテはそう思っていた。
というのに。
今さら、何の用事があるというのだろう?
それは突然の、ランベルト王太子からの呼び出しだった。




