クラウス様と黒魔女3
でもイグナーツ先生は中身は齢七十の大魔術師様なので、そんなクラウス様の威嚇にも動じずにちょっとだけ悲しげに言うのだった。
「しかしお前はいつもマルガレーテにベタベタするじゃあないか。その偽の綺麗な顔にマルガレーテが惹かれたらどうするんだ」
クラウス様が心底気に食わないという感じで言うのに対し、王妃様が心からやれやれといった顔になって説明した。
「クラウス、落ち着け。このイグナーツ先生はレイテの魔術師なんだよ。少なくともレイテの魔術師の血筋なんだ。だからレイテの魔術師で王女でもあるマルガレーテのことを姫と呼んで今ではすっかり忠実なる僕になっているだけで、もうそんな色恋に夢中になる気持ちなんて枯れ果てているさ」
「……レイテの? それは初耳なんですが」
「これも極秘事項だったんだよ。今は父上と兄上と私くらいしか知らないだろう。なにしろもし世間に知られたら、珍しい上にこの顔だからとにかく目立つだろう? なのにその存在をレイテに知られたらレイテが何を言い出すかわからない。だからイグナーツ先生がその出身を隠すことを希望しているんだ」
「そんな理由がありますので、王宮への出仕はお断りさせていただいております。ラングリー公爵閣下には『レイテの里』に手出しをしないことも、反対に里を守ってくださることもお約束いただけたのでお仕えしているのですよ」
「……なるほど。だからこの顔なんですね」
そんな言葉を受けて、いかにもという言うようにイグナーツ先生がいつもの天上の美しさを誇る微笑みを繰り出した。
改めて貴重なレイテの男性魔術師の顔面はすごい威力なのだなと再認識したマルガレーテである。なにしろその微笑みの威力に、見慣れているはずのクラウス様でさえもちょっと面食らったみたいだから。
「だからな、クラウス。もうマルガレーテを離してやれ」
「…………はい」
渋々マルガレーテの腰から手を離したクラウス様だった。
クラウス様は、いつの間にかさりげなくマルガレーテの腰を抱いていた。
そして今は手を離しても、マルガレーテの横から移動する気はないようだった。
ぴったりと寄り添っている。
その様子はまるでクロの時のままで。
「……まあ、良かったな。お気に入りの嫁がきてくれて。マルガレーテもまんざらではないようだし」
王妃様がちょっとだけ呆れたように半笑いで言った。
すぐ隣でクラウス様は、今までのクロと変わらないご機嫌な空気をまき散らしていた。
マルガレーテだけが今までと違って、またぽっと頬が染まったのを自覚していた。
しかしこれでハッピーエンドとならないのは、曲がりなりにもここが王宮の一角だからということだろう。
なにしろここでクラウス様が「ただいまー」などと言って王宮に帰ったとしても、ランベルト第二王子と王妃の宮に陣取るゼルマ第二王妃が「あらおかえりなさい。ご無事で良かった良かった」とはならないことは明らかである。
そして、また次なる呪いが襲ってくる可能性も高い。
なにしろもう今までに二つ、十年もの級のやっかいな呪いが使われているのだ。
二つあるならそこに三つ目あったとしてもおかしくはない。
「一番の疑問は、誰が誰からその呪いを手に入れたのかということだな」
王妃様は言った。
この場合、もちろん手に入れるには多額のお金が必要ということもあるが、お金よりも問題なのはその呪いを誰が作ったかであった。
マルガレーテが知ったのは、十年ものの呪いなんて、そう簡単には作れないということだった。
十年もの間魔術をかけ続ける根性と能力のある魔術師なんて、さすがのルトリアでもそうそういるわけではないのだ。
だからそういうものを専門に商売している、しかも相当腕の良い「黒魔術師」が関わっているのは確実だった。そして誰かがその黒魔術師から買って使ったのだろう。
なにしろ王宮内でそんな魔術を十年もの間、誰にもバレずにかけ続けることはまず不可能なのだから。
それでもイリーネ第一王妃様に使われたのは、十年ものあいだ「死ね」と呪い続けた魔術。まだこれはわかる。汎用性があるから。
いつか誰かが必要とすると見込んで前もって作っておく。そして必要な人が現れたら高額で売る。商売成立。十分ありえる。
でも、「犬になれ」という魔術を十年もかけ続ける必要はあるのか?
その呪いを作る必要は、需要の見込みはあるのか?
そう考えると、クラウス様にかけられた呪いはクラウス様専用で、そして十年も前から準備されてきたというのが一番可能性が高いだろうと思われた。
つまりは……。
「まあ、ゼルマだろうな。今のところ証拠はないが」
王妃様が言った。十年前といえば、ゼルマ第二王妃が愛妾から第二王妃に格上げになるずいぶん前だそうだが。




