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虹色の季節に[

 連山の奥から蜂蜜色の太陽が昇る。


「せいっ!」


虹花は威勢の良い掛け声と共に金づちを振り投げた。金づちは空中で回転を繰り返して速度を上げ、寝台の残骸に衝突する。黒い粉が爆発したかのように散り、炭の小片が地に落ちた。


幾度金づちを投げたことか。虹花は腰を曲げて金づちを拾い上げた。


「斧、斧を使え。」


傍で岩の上に座り、膝を胸の前で持ちながら、茉野が戒めた。


「斧は肩こりに悪いんです。」


頑なに首を振る虹花に茉野が顔をしかめた。


「貴女はまだ十六歳でしょう?それに道具は大切に使いなさい。」


虹花は小言を聞き流して茉野に背を向けた。投げるのに飽きたので、今度は金づちとのみを構える。清潔な布の上に鎮座するのは岩塩だった。のみを岩塩に当て、微振動させる様に金づちで叩く。のみの刃の先から雪の結晶と見紛うほど純白できめ細やかな塩がこぼれ落ちた。


こうして交互に炭と塩を非常に効率よく作り終え、虹花は両手一杯の炭とすりたての塩と共に大人しく厨房へと戻った。


おもむろに岩から腰を上げて茉野も続く。



 今日も朝が来た。


「本当に美味しかったわ、焼き魚。ありがとう、虹花さん。」


石鹸で食器を洗い、朝ご飯の後片付けをしていた虹花の肩に手がのせられた。明るい声に振り返れば、満足そうに微笑み、空になった皿を差し出す侍女の姿があった。


皿を受け取りながら、虹花は片目を瞑った。


「本当ですか?朝食当番としてやり切りました!!」


厨房にたまたま釣りたての魚が届けられたので、新鮮なうちにと思い、虹花は早速炭火焼きの魚をこしらえたのだった。カリカリに焼けた皮と口の中でとろける身。昨日のせめてものお詫びにと、手間暇かけて作ったかいがあった。喜んでもらえて良かった、と虹花は笑みを濃くした。


魚を褒めてくれた侍女は手を胸の前で叩き合わせると虹花の手から皿と布巾を抜き取った。


「朝からよく働いたんじゃない?食器洗いくらい代わるわよ。ゆっくり休憩でもしてきなさいな。」


虹花は反射的に茉野の方に視線を彷徨わせた。仕事をほったらかすんじゃない、ときっと叱られると思ったからだ。しかし、食卓で茶を啜る茉野は、ただ追い払う様にしっしと手を外に振っただけだった。


「あら、先生の許可も下りたみたいよ。ささ、外へでも遊んでいらっしゃい。」


彼女は虹花を急かすように腕をつつくと、袖を捲り上げ、皿を洗い始めた。


「あ、ありがとうがざいます!」


優しい心遣いに胸が温められた。侍女が手をひらひらと振るのを見届け、虹花は扉の方へと踵を返した。初めは歩いていたが、外に出て清い風を顔に感じるなり、自然と足の運びが速まる。気がつけば全速力で走っていた。足元で深緑の草が揺れている。坂を駆け上がり、途中で(くつ)を投げ出した。素足に草が触れる瞬間、心が浮き立つ気持ちがした。


果てしない草原の中央に踊り出ると虹花は両手を広げて空を振り仰いだ。草と緑と。緑と青と。


虹花は裾をたくし上げるとその場にしゃがみ込んだ。目に映る一本の草を指でなぞる。やがて葉の縁から一粒の露が転がり落ちた。天がこぼした涙のように、露は光を透し七色に輝く。


太陽の眩い光に目を細め、虹花は顔を上げた。彼方遠くに目を瞬かせる。地平線は見えぬまま。果てはいつだって白い霧でぼやけている。




『霧の奥には行ってはいけないとあれ程言ったでしょう?』


記憶の中の声と共に風に攫われる黒髪を手で抑える茉野の姿が重なった。いつしかまだ虹花が見習いとして来たばかりだった頃、茉野と並んでこの場所に立ったことがある。なだらかな起伏の頂上に立ち、手を伸ばせば届きそうな星々を一緒に眺めた。静かに迫りゆく闇が覆い被さろうとしていた。


『…….ごめんなさい。』


茉野の手に下げられた燭台の炎に視線を落とし、虹花は小さな声で謝った。泥が跳ねた沓に乱れた髪。霧の中をずっと探し回ってくれていたのだと知り、胸が痛んだ。


『ごめんなさい。』


皆が寝静まった後、虹花は密かに宿舎から抜け出した。霧の向こう側に目掛けて一目散に走った。走って走って走り続けてさえいれば、答えが見つかると思った。


私は何を探しているのだろう。


何かを探している。でもそれが何かは分からなかった。記憶の断片は欠けたまま戻ってこない。


やがて白い霧の奥は幾重にも几帳が掛けられたように視界が遮られ、物音一つさえしない。大声で助けを呼んでも声は虚しく霧へと吸い込まれてしまう。


煙たい空の下、かろうじて見える爪先を凝視していた。くたびれた姿の茉野が、虹花の視界に光を灯してくれるまでずっとそのままだった。







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