虹色の季節に
いつもはちり一つ見当たらず、清潔に保たれている厨房は至る所に黒い羽が散乱し、混乱を極めていた。床にはゴソリと抜けた羽の塊が、ピカピカに磨き上げられた皿には黒い羽がへばりついており、恐怖に顔を歪め侍女の様子には流石の虹花も罪悪感でいっぱいになった。
しかも最悪なことに、侍女の手から滑り落ちたのは釜の蓋だった。中を覗いた直後、彼女の首がガクンと揺れ揺れ、そして後ろにひっくり返る。
「ありゃ!」
虹花は手のひらで目を覆った。指と指の隙間から様子を伺う。
侍女は壁にもたれ、力なくへたり込んでいた。前には、ふっくらとした白い米がたんぽぽの綿毛のような湯気を立てて炊きあがっている。見間違いようもなく、米の中央にはデカデカと鳥の足跡が刻み込まれていた。
そう、不幸にも黒姫は小窓からお粥に足を突っ込んでしまったのだ。隠蔽するために、足跡をへらで平らにしたとしても鳥が踏んだ料理を出すわけにはいかない。今更新しい米を炊く暇もない。どうしようかと考えあぐねていた折に、茉野に奇襲攻撃されたのである。結局とっさに蓋を落とすことしか出来なかった。
「飼っている動物の仕業は全て飼い主の責任である。」
寝台の残骸や潰れた刺繍布と向き合っていた虹花は腕を組んで茉野の方に振り返った。
「とおっしゃったのは、先生ですよ。」
茉野は苛立ちが隠せない様子で壁に体重を預け、小刻みに指で壁を叩き続けていた。
「えぇ、当たり前じゃない?」
彼女はぐいと眉を跳ね上げ、虹花と同様に腕を組む。
「一体誰のせい?寝台焦がして朝ご飯を家畜行きにして。おまけに後宮に献上する刺繍布まで台無しにした。これは全部一体誰のせい?誰の責任?私はアンタのせいで冷たい床で寝なくちゃならないのよ!!」
語尾を発音する声は一音高くなり、茉野の顔は怒りで歪んだ。
「先生、失礼な!私はちゃんと責任をとってますとも。厨房の鏡のように自分の顔を反射するほどまで磨き上げましたし、皿は井戸の水をかっぱらう程洗って洗いまくりましたよ?これ以上の責任は取れません。」
罰に関しては虹花も口うるさく豹変する。何せ自由が削られるのだ。今進行中のガラクタ改造計画だって全て中止になる。そんなことは絶対させない!
「だ、か、ら、私の私物を返しなさい!」
虹花はコホン、と小さく咳払いすると、急に言葉を改め、落ち着いた様子でゆっくり足を一歩踏み出した。
「先生こそ、もう少し御自分のお言葉に『責任』というものをお持ちになるべきですよ。」
「は?何で私が責任を取るのよ。」
虹花は真剣な顔で茉野の質問に答えた。
「もちろん、飼い主とは、えぇ、持ち主のことです。それは動物に限らず、物一般に当てはまることでは?」
虹花また一歩踏み出した。その反動で茉野は二歩後ずさる。
「先生の論理に従えば、私の物も、そう、あなたの物も。物に対する全ての責任は、その持ち主に課せられるはずですよ。」
最後にもう一歩踏み出せば、茉野は壁際に追いつめられ、彼女は体を硬くして虹花を睨みつけた。
虹花は壁に手をつき、茉野の顔の近くで人差し指を上げた。軽く片目をつぶって笑みを投げかける。
「あっ、やっとお分かりになりました?良かった。つまり、先生の寝台も全責任は先生にあります!
だって、実際に火をつけたのも、踏んだのも、紛れもなく先生に非がありますからね。ちゃんと反省して下さい。私がしたみたいに。」
虹花は両手の人差し指で茉野の口角を持ち上げた。おそらく自分の言葉を巧みに捻じ曲げられた論理に反論できず、睨み続けることしかできない茉野を心配そうに見守る。
「先生、顔、怖いですよ。駄目、駄目。せっかくの美人が台無しです!ほら私みたいに笑わないと、ね?」
虹花は楽しそうにコロコロと笑い出した。
「私優しいから寝台の残骸も引き取ってあげますね!あらま、弁償してくれるんだって。
えぇ!!虹花さんって方はとってもお優しい方なんですね!」
後はよろしくーと、虹花は大きく手を振り逃げ出した、部屋から弾丸の如く逃げだした。またもや虹花に丸め込まれた茉野は額に手を置き、「誰のせいで、こんな顔になったと思っているんだよ.....。と怒気を露わにしたのは知るまでもない。
****
筋肉痛で全身の節々が軋む身体で、虹花はヨロヨロと廊下をさまよい歩いていた。自室を目指してまっすぐ歩こうとするも、どうにも瞼が重く、足がもつれて前に進めない。侍女の部屋の扉に片っ端からごんっと頭をぶつけていく虹花を見かねた黒姫が、襟をくちばしで掴み、廊下を引きずってくれた。