初・紅いてふてふ ②
「かしこまりました」と人形はごろん、と頭を動かした。どうやら会釈をしたつもりらしい。首も作ってやればよかった、と少し可哀想に思いながら、紅蝶は人形の頭にかつらをのせ、そのまま寝台の上の枕へと運んだ。
胴体はないので毛布を人形の顔ギリギリまで引き上げ、体の代わりに衣服でも詰め込んで膨らみを持たせてやる。こうすれば遠目からだと綺麗に整えられた黒髪を広げ、眠っている女の姿に見えるだろう。
「侍女が来たら一言こう告げなさい。今日はいつもの目眩がするから、もう少し休むと。彼女達もどうせ仮病だからと放っておいてくれるでしょうよ。」
人形は紅蝶の髪が巻きつけられているため、思考も行動も感情も紅蝶と同じに組み込まれている。
髪には魂の一部が宿っている。それはほんの微量であるため、凡人にはその魂を招霊することなど不可能だ。しかし、紅蝶は秘め持つ類稀な異能によって、髪一筋に宿る魂を引き出し、人形に宿らせることが出来た。完成した分身の絶対的な主人は紅蝶であり、彼女の意思に分身達は服従しなければならない。
「では、ご機嫌よう。」
紅蝶は窓や几帳を下ろし、再び部屋が闇の中に沈んだことを確認すると、窓から身を乗り出し、塔に絡み付いていた蔦を握り締めた。自室の窓は閉じてある。窓枠を足台にし、不安定な姿勢で立ち上がると、壁を蹴って宙に飛び出そうとした。
と、その時。音がした。
カツカツカツと靴底を床に叩きつける足音が響く。
紅蝶は一旦壁越しに身を縮め、辺りを伺った。
「お早うございます、妃殿下。朝の身支度をなさって下さい。」
「何通かお手紙が届いております。ご確認下さい。」
「淑妃が茶会を開くそうですわ。如何します?ご出席で?」
『目眩がするの...、今日はゆっくり休ませて....』
間違いようもなく紅蝶の声だ。いや、厳密に言うと人形の声だけれど。
「ではまた茶会はご欠席ですか。」
無機質な声で侍女が返答した。これ見よがしに大きな溜息を吐く。
「では、そのように。失礼致しました。」
体調はどうか、朝餉は部屋に運ぶか、医師を呼ぶか、そのような気遣いは全くみせず、愛想笑いすらしようとはしない。
侍女の過ぎ去った気配を確認し、紅蝶は肩の力を抜き、今度こそ壁を蹴った。蔦にしがみつき、鳥の様に空を飛ぶ。風が耳元を吹く音がし、襦裙が舞い上がった。遠目から見ると、その姿は天女が雲の上で踊っているかのように見えた。
蔦が地上すれすれまで近づいた時、紅蝶は蔦を放し、大きく跳躍した。とすん、という音と共に軽やかに地上に降り立つ。
また、草笛の音が風に運ばれてきた。
紅蝶はまだ晴れきっていない霧の中を走り抜け、鮮やかに咲き乱れる花々には目もくれず、ただ息を切らせて走った。
(見えて来たわ……っ!)
いつの間にか視界は檸檬色の光と共に切り開かれ、精緻な装飾品ではなく、生い茂る緑に囲まれていた。
どこまでも続くかと思われる草原で、紅蝶はやっと足を止めた。
朝の日差しを浴び、明るい亜麻色の巻き髪が青い空を背景に照り輝いる。
紅蝶はその眩しさに思わず目を細めた。
草原の真ん中で少女が笛を吹きながらくるり、と回る。
簡素な純白の衣服の裾が裾が咲き初めの朝顔のように草原一面に広がった。
名前を聞いてみたい。彼女のことを、もっと知ってみたい。
さくり、という音と共に紅蝶は一歩前に踏み出した。
同時に少女がふと目線を上げる。
「あのっ………!!」
さぁぁぁ、と強い風が二人の間を吹き抜け、葉をさわさわと揺らした。
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