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銀河アンドロメダの猫の夢  作者: 久里山不識
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祭りの中の何でも屋

12 祭りの中の何でも屋

祭りが始まった。そこで、市民の驚きがあったようだ。毎年やっていることなので、ある決まったパターンが祭りの流れにあるが、それでも時々、突拍子もない出し物があって、市民の喝采や驚きがあったようだ。しかし、今度の場合は、その驚きは今までにないものだった。

それはまず、朝の十時から、花火が上がり、数台の山車が町の中央の大きな広場の周囲を回りだした時に始まった。真ん中の山車の一番上に、水耕栽培の果物がその長さ三メートル横二メートルの所に一面にその美しい深紅のものがあふれるようになり、真ん中にトミーが法被姿で太鼓をたたいているのだった。



吾輩が確かに、その素晴らしいあふれるような果物の美しさには驚いたが、トミーそのものにはそんな驚きはなかった。市民は果物以上に、トミーの姿に驚いたのだ。まだ革命をへて、三十五年。伯爵の威光は市民全体に行きわたっていた。その伯爵の息子がこんな姿で、祭りに参加したことに驚きと感動があったようだ。

そして、さらに驚いたことは異星人のサイ族数人が民族衣装を着て、山車の二階にすわり、太鼓にあわせて、楽器を弾いていることだった。

しばらく見なかった白熊族の大男スタンタが先頭の綱を引っ張りあとから、祭りの衣装を着た市民が大人も子供もつながるように引っ張っている。



その山車がゆっくり動き出すと、内側に山車と並んでもう五十名ほどの男女が向日葵踊りを始めていた。

我々は大広間のはじのベンチに座っていた。

「驚きね。でも、これではトミーさんの会社の宣伝をしているようなものだという批判がおきないか心配だわ」

「でも、会社の文字や宣伝めいたものは何もないわね」

「いつの間に、あんな水耕栽培をやっていたなんて、さすがトミーさんね。異星人がこういう形で祭りに参加するなんて全く意表をついているじゃありませんか」



そこに、ひょつこり顔を出したのは異星人の司令官だった。

「どうです。兵士も民族衣装をきせれば、立派な平和の使者。ビジネスマン。いや、われらの神、サラスキー神の使者となりますでしょ。トミーさんは我らの考えを理解して下さる。しかし、我らもあの水耕栽培には驚きました。我らの文明ははるかに進んでいるのに、こういう水による栽培があるとは気づかなかった」

「トミーさんはいつも生命は無限であると言っていましたわ。水と空気と栄養さえあれば、無限に果物がつくられていくなんて、目を輝かせて喋りますわ。そういう視点から言えば、銅の鉱山から流れ出る鉱毒は生命を破壊しますよね。」

とカルナが言った。


「ビジネスは良いことにも使われるし、悪いことにも使われるのですよ」

「あら、そこまで分かっているのなら、即刻、鉱毒をなんとかしてくださりますよね」

「金がかかりますよね。こちらの国の新政府が一銭も金を出さないというのでは、金がないというけれど、彼らは隠し金貨を地下に持っているなんて公然の秘密でしょ。そこから、出せば、いいのです。林文太郎はあの金貨で、我らに対抗するような武力をつくろうという魂胆があるのですよ。無理なんです。文明のレベルが違う。ま、ユーカリ国の武力に対抗するための大砲づくりには、我らも賛成しますけどね」

「死の商人のビジネスでしょ」

「困りましたね。そうかたくなに、我らの方を見てもらっては、むしろ、新政府と交渉すべきことですよ」



食事時になると、トミーは我らの方に来た。

「生命とは何と素晴らしいでしょう。細胞を生命という学者がいますけど、わたしはちょつと新しい考えを思いついたのですよ。細胞が生命なら、この果物をこんな風に無限にさせている力は「自然のいのち」とでもいうべきものです。「自然のいのち」は目に見えません。目に見えませんが、森羅万象にいきわたつているのです。」


「自然のいのちですか。面白い考えだ。魔法学校でもそれに近いことを言う先生がいた」とハルリラが言った。

「それは素晴らしい先生ですね」

「真理は一つなんだと思いますよ。ただ、表現は色々にあるのだと思います。そして、その表現には、真理への到達度の差で、深い浅いがあるのだと思います」と吟遊詩人が言った。「トミーさんの太鼓の音を聞いていて、そう感じましたよ」

背後が洒落たカフェーになっていて、そこから、ボーイが出てきて、昼食の注文を聞いた。


そこに勘太郎がグラスに酒を一杯入れて、「酒はいいね。ところで、詩人の川霧さんの仮装は変わっていますな。囚人服とは。」と言った。いつの間に川霧の服は囚人服になっていた。「いつに間に、魔ドリがやってきたのだな」とハルリラが言った。

そこへ知路が現れて、「笛を吹きましょうか」と言って、微笑した。

「ほほう、仮装ではない。悪の技に引っかかってしまったというわけですか」と勘太郎が言うと、飲み残しの酒を一気に飲み、「だから、わしは言うのです。人間には免疫が必要。人に酒が必要なように、ルールなき株式会社。株主本位の株式会社。これはいいではありませんか。我が国の発展には、競争が必要なんです。投資が必要なんです。ギャンブルが必要なんです」と言った。

「あなた、お酒に酔ってないかしら」

「いいでしょう。祭りなんですから。最近、僕はサイ族に友人をつくった。こいつがこの祭りに異星人を来るように運動してくれたのだと思う。おおい。来いよ」

「いつ、魔ドリがきたのかな。気がつかなった」と詩人がつぶやいた。

「皆、山車や踊りを見るのに夢中でしたからでしょ」と知路は言って笑った。

「知路さん。川霧さんは、あなたがいなくても元の服にできる方法を知っているのさ」とハルリラは笑った。

「ヴァイオリンね」と知路は寂しく言うと、さっと消えてしまった。

「やはり、魔界のやつだ。魔法でもあんな器用なことは出来ん」とハルリラは驚いたような顔をした。


勘太郎も驚いて、何か浮かれたような歌を歌ったが、その時、一人のサイ族の青年、異星人がこちらにやってきた。

「あいつはギャンブルが好きでね」と勘太郎が言った。「僕の酒みたいなものさ。やめられないという悪の権化。もつとも、酒は上手にのめば、薬。ギャンブルだって、上手にやれば、ヒトは楽しみを得る。なあ、サイ族君」


「そうですよ。なんでも、度をこしたら、いけません」

「それなら、株式会社にきちんとしたルールをつくるべきでしょ」

「それは新政府のお仕事ですよ。わたし達はこの制度が経済を発展させることを知っていますからね」

「わしはきらいだな。わしは神々の住む社会がいい」とハルリラが言った。

吾輩には、ハルリラが言う「神々の住む世界」という意味がいまだはっきりしていなかった。

「神々の住む社会と言うのはシュムペーターの言う、あの資本主義が栄え、栄えることによって、いきづまり、新しい社会主義が誕生するとでもいうことを考えているのかな」と吟遊詩人が言った。

「シュムペーター。そんな人は知りません。私の故郷は魔法次元ではあったけれど、故郷は美しかった。すべての魔法人は人に親切だった。厳しいのは魔法と剣の修行のみ。故郷には美しい清流が流れ、花は目もさめるようなのが様々な色で、あちこちに無数の宝石の塊のようにあるのだった。子供たちの楽園だった。食料は豊かで、人々は質素だが、小ざっぱりした服装で、それぞれの個性を発揮し、どこの家にも愛の灯があった。悪口を言ったり、嫌がらせをする者もいなかった。働く人の喜びがあり、ギャンブルも好きな人がいなかったので、当然カジノもない。それが私の言う神々の住む世界ですよ」


「そんな社会は退屈ですよ」とサイ族の青年が言った。

「パチンコがなくちゃあね。競争して会社を大きくして、金儲けして、こうやって文明が進めば、よその惑星にわれらの神、サラスキーの神を信仰すれば大金持ちになるという価値観を広める、この方が愉快じゃないですか」


また祭りが食事の休憩のあと、始まった。

サイ族の青年とハルリラの喧嘩が始まる。

「わしの神々の世界にけちをつける気か」とハルリラが言った。

「退屈だと言っているだけですよ」とサイ族の青年が言った。


「退屈だと。退屈な中に真珠は光るものだ」とハルリラが言った。

「退屈は退屈さ。俺なんか、あまり退屈になると、喧嘩でもして、退屈しのぎをしたくなるくらい、退屈は苦手よ」

「それじゃ、俺の剣と」とハルリラが言った。

「サイ族はそんな旧式の武器は使わん」



途中で、カルナが「止めなさいよ。あなたたち、向日葵踊りでもやってきなさいよ。そうすれば、退屈なんて吹き飛ぶわよ」

なるほど、向日葵踊りは三台の山車と一緒に、朝の三倍ほどに膨れ上がっている。

太鼓の音も笛もサイ族の楽器もまさに佳境のように、憂愁の音色を秘めた情熱の激しさで青空に響いていく。


「そうだな」とサイ族の青年は走っていき、司令官が踊っている仲間のサイ族の後ろにつき、踊り始めた。


トミーはいつの間に、山車の上に戻り、太鼓をたたいているのだった。

深紅の水耕栽培の果物が上からあふれるようになって、そよ風に揺れると、トミーの頭が隠れる。

そよ風は山車に飾り立てられている金や銀やあらゆる宝石の数珠の飾りを揺らし、かすかな独特の音を出す。

空は青空。

異星人のサイ族数人が民族衣装を着て、二階にすわり、太鼓にあわせて、楽器を弾いている。これも中々の見ものだ。


我々、つまり吟遊詩人とハルリラと吾輩とカルナはまだカフェーでお茶を啜っていた。

「アリサとリミコが仲良く向日葵踊りをしているわ」とカルナが言った。

「我々も踊りますか」とハルリラが言った。

「あたしは見ているのが好きなの」とカルナが言った。

「ああ、あなたはエッセイストだから、観察してあとで文章にするのでしょ。一度、見せて下さいよ。」とハルリラが言った。

「いいわよ。でも、がっかりするかも」

「あなたの書くものなら、きっと気に入りますよ」とハルリラが言った。


「異星人はやはり、この祭りに来ましたね」と吟遊詩人が言った。

「これで友好が深まり、こちら側の言うことに耳を傾けるように異星人がなってくれれば、銅山の鉱毒問題も案外、すんなり解決するという期待が持てますね。どうです。カルナさん」

「ええ、あたしもそういう期待を持ちます」とカルナが微笑した。


そこへ突然、勘太郎が踊りから戻ってきた。

多少、酒が回っているらしかった。

「俺には、踊りは合わない。カルナさん。酒を頼んでくれんか」

「自分でボーイに頼めば」

「ほお、トミーの親友にそんなことをいっていいのかい」

「どういう意味」

「俺とトミーは親友。トミーとカルナさんの中は知っている」

「変なことを言う人ね。ちょつとお酒が入ったくらいで、そんな風にからむ人はあたし、嫌いですよ」とカルナが言った。

勘太郎はカフェーの入口に入るのが面倒なのだろうか、それともカルナにこういう風に話しかけることに快感を感じているのだろうか。カルナは動かないで、静かに紅茶を啜っている。

「もうあなたは飲まない方がいいわよ」

「何で。祭りだぜ。祭りには色々な楽しみがある。ある者は踊りを踊ることに楽しみを見出し、ある者は太鼓をたたくことに。そして俺みたいに酒に喜びを見出すのもいる。人それぞれ自由が一番いいじゃないか」


その時、花火が上がった。広場の奥の指揮台に一人の男が立った。

伯爵だ。人々は熱狂的な拍手をした。急に太鼓の音が勇ましく、伯爵を歓迎する響きの深いものに変わった。

伯爵はそれに答えて、手を振った。


「伯爵は人気がありますね」とハルリラが言った。

「それはそうですよ。普通の貴族はみんな新政府に呼び戻され、中央の役人か、今までと違い地方長官になっているのに、伯爵だけは自分のかっての領地の知事におさまるというのも彼の人気のせい」とカルナが言った。


「伯爵は」と白熊族の大男スタンタは山車の綱を別の人に渡して、こちらに飛んできた。

「伯爵は素晴らしい。私の意見を取り入れて、町の川や小川のあちこちに沢山の水車をつくり、電気をおこし、各家庭に送るようにするという。祭りが終われば、その仕事で忙しくなる。わしはここで働くことに生きがいを感ずる。

それに、又。伯爵はカルナさんの期待に応えて、貴族制度を廃止するように新政府に働きかけているのですよ。内の伯爵みたいに人格高潔な人ばかりなら、貴族も悪くないけれど、わしは諸国を見てきて、民衆の声には、貴族の特権にあぐらをかいた忌まわしい貴族の方が多いという話ですからね。第一、ああいうものが格差社会の土台になっているというカルナさんの持論に、伯爵は賛成なさっている。何と心の広いひとだ」とスタンタは目を大きくして、多少興奮したように喋った。

スタンタの横に最近、彼とよく一緒にいるようになったキツネ族の小柄な中年の男がいた。


「ところで、君は何の仕事をしているんだい」

「わしですか。わしは伯爵のやれということを何でもやる、つまり何でも屋ですよ」とキツネ族の男は答えた。

その時、吾輩寅坊はオペラ「セビリアの理髪師」の中で、理髪師が歌う歌詞を思い出した。

「私は町の中の何でも屋だ。 

どいた。

夜が明けた。店へ急げ

ああ、何と素晴らしい人生~」

           

            


 


 13     愛

伯爵は異星人の長老に、カント九条の話をしていた。我らは吾輩と吟遊詩人、川霧とハルリラそれに伯爵。向こう側にはリミコが長老の秘書として同席していた。

「異星人は何を狙っているのですか」と伯爵は細い目を少し押し広げるようにして、その優しい目の光に幾分の鋭さを含ませながら、優雅な語り口で喋っていた。「異星人は銅山と車の会社だけでなく、あちこちに忍者をはりめぐらしているというではありませんか。名目はビジネス。

今回のカルナさんの家にリミコさんを送ったのも何かの陰謀ではないのでしょうか。

銅山の幹部の半分は異星人ですね。

国のあちこちの会社に、異星人がみな鹿族に変身して、散らばっている。それで良い仕事をしているというなら、まだしも、リミコさんのように、カルナ邸の忍者とは 鹿族の何を知ろうしているのでしょうか。カルナさんとアリサさんの二人の話に、権力に不都合なことがあれば、新政府に報告し、何か取引でもしようというのではありますまいか。カルナさんは政府を批判するエッセイスト。結果としてそれを弾圧することに手を貸すとは、この国の市民の基本的人権をこわすことになる。こういうやり方を卑怯と思われないのですか」

「何も悪いことを考えているわけではない。サイ族と鹿族は文明と文化があまりに違いすぎる。良いビジネスをするためには、相手を知らなくてはならないではないか。それにサイ族が会社に入るのが何故悪い。民族平等ですぞ。

理解が深まれば、お互いのためになるのではないかな」

「問題はサイ族が鹿族に変身しているということですよ」と背の高い伯爵は小柄な長老を上から眺めるように言った。

「何。あれはお化粧ですぞ。何が悪い」

「お化粧と変身とは明らかに違う。例えば、密告のような悪い目的のために、変身するのは詐欺のような気がする」

「それは失礼ですぞ。それに考えすぎ。そういうのを邪推という」



「スピノザ協会の調べたところによると」

「スピノザ協会。ああ、カルナさんの所属しているグルーブね。あそこは我らに最初から不信感を持っておるようじゃな」

「そりゃそうでしょ。リミコさんが忍者というのをカルナさんは感づいていたのですから」

「感づいて、親友扱いとは、中々のお嬢さんですな」と長老は笑った。

「そのスピノザ協会の調査では、お宅のサイ族が会社の幹部に入っている所では、過労死、パワーハラスメントによる自殺、税金のごまかし、こうした沢山の不正があるというではありませんか」

「そういうことは、サイ族のいない会社でも起きていますよ。この鹿族の国にもともとある構造的な問題ではないのかな。

だいたい法律で時間外労働の限度を月百時間認めるというような作り方を新政府はやっていることからして、過労死の問題は新政府の問題で、サイ族とは無関係だということをご理解していただけるでしょう。

たまたま、サイ族がいた所でも、あったということで。サイ族は わしの精神的指導が入っているから、そういうことをしないはずだ」

「本当ですか。だって、銅山と青銅器の車の会社をご覧になったことがあるのですか 」

「いや、ないが。長老は瞑想という修行があるので。そういう空気の汚い所は行かん。そういうことはみな司令官にまかせておる」

「瞑想とは迷走ではないのですか」

「何。そういういいがかりをつけるなら、わしにも言いたいことがある。環境税を我らの車の会社にかけようと運動しているのは、伯爵、お宅だそうだな」

「あの排気ガスはひどいでしょ。それで儲けようというのだから、環境税は必然的なものですよ」

「わしらの友好的なビジネスを邪魔するつもりなのかな」と長老は不機嫌な顔をして言った。

「友好的なビジネス」

「わしほど鹿族諸君に友好的な気持ちを持っているものは、そうはいない」

「何か、証拠でも」


「鹿族のアリサを妻にもらいうけたいと願っている。わしは長老と言っても、まだ。五十代半ば。科学の力によって、筋肉の総合力はまだ三十代だ。」

なるほど、リミコの忍者活動はアリサの様子をうかがうことかと、吾輩は思った。

リミコは長老の一番の秘書。長老がアリサをどこで見染めたのか分からないが、そういうことで。リミコを送り込むことはありうるかもしれん。

なにしろ、長老は司令官に対して、精神的な支柱となる人物だけに、男女のことでやたらに動き回ることはできないということは吾輩にも推察できた。


「サイ族の長老と鹿族の娘の結婚。冗談でしょう」とハルリラが言った。

 

「それに、それはアリサさんのお気持ちがあるではありませんか」と詩人、川霧が言った。

「それで、カルナ邸に秘書リミコを送りこんだというわけか」とハルリラは徐々に語調が強くなってきた。


「世の中をよくしょうとする話とそういう男女の話とは全く無関係では」と伯爵は微笑した。


「さよう。無関係。 しかし、わしはそちらのお手代いをするのだから、そのくらいのわがままも許されるのでは」と長老は言った。

「そんなことはアリサさんが考えることでは」

「それはリミコが説得する」と長老は笑った。



帰りの道々、ハルリラはアリサへの思いを喋った。夢遊病者のように、まるで熱に浮かされたように話すのだった。

「異星人の長老がアリサを妻にしたいだと。ふざけるのもいい加減にしろ。彼は自国に自分の妻が一人いるではないか」とハルリラは怒ったように言った。

「長老に妻がいるというのは、今、あの館を出た時、魔法次元の電波で入れた情報だ。アリサはわしの理想とする女性だ。あんな奴に持っていかれてたまるものか。」

「リミコが説得するかもしませんよ」

「わしはリミコの忍者行為も許せないが、そんな風に長老の手先になってアリサを説得することのないように、リミコにあの家から出て行ってもらおう」

「それはそうだ。私からもカルナに話しておく」と吟遊詩人が言った。


「ああ、しかし」とハルリラは言った。「たとえ、長老が引き下がったとしても、アリサにはボーイフレンドがいる。彼は紳士だ。彼がアリサに言い寄ったら、わしは負けだ」

「誰ですか。そのボーイフレンドというのは」と吾輩は聞いた。

「山岡友彦だ。彼は銅山の鉱毒垂れ流し反対の旗手でもある。この国では伯爵と同じキリン族だが、芸術家でもあり、鋭くすばしこい。」とハルリラは言った。

「アリサさんとはどういう関係で」と吟遊詩人、川霧が聞いた。

「姉さんのカルナが山岡友彦と一緒に仕事をすることが多いから、カルナが妹のアリサに彼を紹介したともいえる」

「山岡さんはカルナさんの恋人が伯爵の息子トミーさんであることを知っているのかもしれませんね」と詩人、川霧が何か寂しげな物言いだったことに吾輩は気づきはっとした。

「カルナさんはエッセイシストだ。アリサさんはユーカリ語を学習し、翻訳を仕事にしているから、出版社との交渉が多い。山岡友彦は絵描きだ。この国で、画家で飯が食えるのは三人ぐらいしかいないが、彼はその一人。ことに、出版社との関係は深いから、そこでアリサさんと山岡友彦の接点が出てきたのかもしれない」とハルリラは言った。

「山岡友彦さんのアトリエに行ってみませんか」とハルリラが言った。「彼がどういう考えなのか知りたい」



山岡友彦のアトリエは湖のそばにあった。

煉瓦づくりの家の二階に広いアトリエがあり、そこから、庭園と向こうに広がる小さな湖とその向こうの森が見えた。

彼はもともとはユーカリ国の生まれだが、青年時代にこちらの国の絵の伝統にひかれてやってきた男だ。背が高く、細面で、首が太くハンサムで、耳が大きい。表情が豊かで、よく微笑した。目は細く、中の青い瞳は鋭かった。

「森の向こう側に、和田川が流れている。異星人の奴らが銅の鉱山を開発しているが、公害対策をしないものだから、鉱毒が流れっぱなし。全くひどい話だ。

森の向こうには車の工場もあるというが、何か得体のしれない正体不明の会社をつくっている。

『株式会社株田真珠』とか。

この国のマスコミを牛耳ろうとしている。給料はもの凄くよく、学生の憧れの的だが、この間、新入社員の若い男が過労で自殺した。

いったい新政府は何をやっているのだ。

カルナさんと伯爵の活動は尊敬しているが、わしは絵を描くのに忙しくてね。なにしろ、創作というのは魂をうばい、無我夢中になるからね。」

「その絵は」

アトリエの窓の横に大きなカンバスがあった。絵は風景画だ。森林に囲まれた銅山のような横穴があり、その上に車の会社があり、煙突からはもくもくと煙を吐いていた。

「鉱毒事件に反対ののろしをあげる絵画さ」と山岡友彦は言った。

「地球でも、水俣病、イタイイタイ病、四日市のぜん息など四大公害裁判があった」と吟遊詩人が言った。

「その被害者の心痛は大変なものだ。それに最近では、原発の事故があった。」

「何だ。その原発というのは」

「原子力で、電気をつくるのだが、地震と津波で甚大な被害を受けた。

放射能が人体にひどい害をもたらすことは以前から言われていたのだが、安全だと言う勢力が強かったのでね」

「ううむ。我らの文明段階はそこまで行ってないが、科学と文明が栄えると、文化も栄えるというのはうそのようだな。文明と文化は違う。文明だけだと、人間は傲慢になる。文化の中にある深い精神性を見失うからだと思う」



「コーヒーをのみませんか」と山岡友彦は絵筆を置いて、テーブルの上のサイフォンに電気を入れた。

そのテーブルから大きな窓が見えて、窓から湖が見える。

湖の真ん中あたりで、ざわざわと大きな波が見えた。

「お、恐竜のうさちゃんがお目見えかな。

この惑星には、恐竜の子孫が一部、残っているのです。象か小さなクジラ程度の大きさものですが、草食系のせいか、おとなしいので、みんなうさちゃんと言って、仲良くしているのですよ」

「なるほど、」

「顔を出すと、ひどく首が長いでしょ。顔もけっこう可愛い。そういうのだけが生き残ったのです。この惑星では人間に進化した哺乳類はけっこういますけど、やはり、隣のキリン族のユーカリ国、それにこの国テラヤサ国の鹿族とウサギ族、まだ 熊族  リス族の国がありますがね。僕はこの国が好きでユーカリ国から移住してきたんですよ。なにしろ、絵画には偉大な先輩がいましたからね。しかし、最近、騒がしいことに、異星人なるものが銅山のあたりを占拠して、新政府となにやら交渉しているようですけど、困ったものですな」

「サイ族の長老をご存知ですか」

「ええ、噂は聞いています」

「アリサさんはご存知でしょ」


「ああ、カルナさんの妹の。素敵な人ですな。私は鉱毒事件でカルナさんと話す機会がありましたから、二度だけ、アリサさんにはお会いしましたよ」

「たった二度だけ」

「うん、会う機会はたくさんあったけれどね。わしが遠慮したのよ」

「遠慮」

「なぜなのですか」

「そんなことはわしにも分からん。わしの昔の思い出がそうさせるのかもしれん」

「そのアリサさんを異星人の長老が妻にもらいうけたいと言っているのですよ」

「何」と山岡友彦はけわしい顔をした。彼はそんな顔をしながら、サイフォンで入れたコーヒーを花の模様の入った白い茶碗に入れて、我々に勧めた。

しばらくの沈黙があった。

我々はその沈黙の意味をかみしめながら、コーヒーを飲んだ。こくのある甘みと苦みの混じった舌にとろけるような味でうまかった。

「あんな異星人は追い出してしまえばいいんだ。それが出来ない新政府はだらしない」と山岡友彦は言った。

「追い出すと言っても、そうなると武力衝突ということになって、とてもかないませんよ。彼らはミサイルだの、特殊爆弾を持っていて、我々と文明レベルがちがいますからね」と伯爵は言った。



「それよりも、カント九条をこの国にも、それから、異星人のサイ族の長老にもその意味を教えるのです。そうすれば、争いのないアンドロメダが誕生するではありませんか」

と伯爵は言って、カント九条の説明をした。

「アンドロメダは広いのですよ。そのカント九条は我が国に適用して、まず、この向日葵惑星に広めることですな。異星人には無理でしょ」

「なぜ」

「白隠が言ったように」と山岡友彦は微笑した。吾輩、寅坊は彼が白隠を知っていることに驚いた。白隠の名はこのアンドロメダの惑星にまで響いているのかという思いがあったからだ。

「つまり、彼が言うには、人間は仏であると。確かにその通りだろう。しかし、それは悟った人が言える言葉だ。現実の人間には悪がある。魔界のメフィストは常に魔の誘惑の手を伸ばそうとしている。だから、争いが起きるのだろう。武器を持ちたがる。戦争をする。異星人サイ族にはわしは不信を持っている」

「カント九条は人類・ヒト族の理想です。理想を実現するには、ヒト族に親鸞の言うような悪の自覚とその克服への努力が必要でしょうね。

大慈悲心に基礎をおいた粘り強い話し合いによる解決こそ、希望の未来につながる。その時、ヒトは宇宙の大生命・大慈悲心に包まれていることを自覚するのかもしれませんね」と吟遊詩人が言った。


「ニュースの時間だな。ラジオを入れてみよう」

数分、漫才のような会話がとまったと思うと、太い男の声、アナウンサーが言った。

「新政府のV長官は 異星人の長老と懇談したそうである。あくまでも平和裏にビジネスを広げていくという大枠は決まった」

鉱毒事件の問題解決の話はまるでなかった。要するに、この会談では無視されたのだ。異星人のとの間には、まだ未解決の問題は多いと、吾輩は感じざるを得なかった。



「君はアリサが好きなんだろう」と山岡友彦はハルリナに言った。

「どうしてですか」

「これもわしの画家としての直観だ。君の剣を長老に突き付けて、アリサを守れば」と山岡友彦は言った。

    

            


14 黄金のサイのミニ彫刻


ハルリラがある秘密の行動を企てようとしていたことはあとで吾輩にも分かった。

ハルリラは長老がアリサを妻にしたいと言った申し出を侮辱と受け取っていた様子から、何かしらのことを深くは考えていたのだろう。しかし、それは想像を上回る大胆な計画だった。


ある日、吾輩と吟遊詩人の前に、ハルリラは不思議なものを見せた。

それは長老の一番大切な守護神だそうだ。純金で出来た小さなサイの彫刻だった。それはネズミか小鳥ほどの大きさであったが、まるで生きているサイのように見事なもので、純金で出来ていて、持つとどっしりとした重さを感じた。

「これは何」

「長老の一番大事なものさ。彼は黄金の魔法次元から来たというから、彼と会った時から、わしは彼のことと、黄金の魔法次元のことを調べていた。そうすると、長老はあの司令官たちを指図する指揮権を託されているが、その惑星の指揮権の象徴がそのサイの彫刻さ。金よりもその彫刻に価値がある。

それをなくしたら、長老は切腹ものさ。それを、わしは密かにあの銅山のビルに忍び込み、盗んできた。これで、長老と取引しようというわけさ。アリサを妻にしようなどというふざけたことを払い下げにし、もう一つ大事なことは鉱毒を流さないことと、彼らの軍が持つミサイルと特殊爆弾の廃棄による正常なビジネスだな。これを長老に約束させる」とハルリラが言った。

「凄いものを手にしましたね」と吟遊詩人、川霧が言った。

「具体的にどうやって、長老と取引するのですか」と吾輩は聞いた。

「ロス邸かカルナさんの家に呼び、そこで話をする」



アリサとの結婚を望んでいる長老の思惑をハルリラから聞いたアリサとカルナはアリサの家に呼べば、来るのではないかと言った。電話はロス邸のを使わしてもらう。アリサが直接、長老を電話で誘うという段取りになった。

一人で来て欲しいというアリサの願いを、異星人サイ族の傲慢な力の過信からだろうか、長老は、この前の祭りの参加でこちらの様子が分かったということで、ある日、一人で、アリサ〔カルナ〕邸に来ることになっていた。

その時、ハルリラ達がこの晩さん会に参加することは絶対の秘密だった。リミコからもれると厄介だと思ったからだ。



晩さん会の用意は出来た。長老はリミコと一緒に来た。

アリサが玄関で「今日は晩さん会で御友達も呼んでありますの。」と言った。

長老はちょつと笑った。リミコは何か厳しい顔になった。

「姉のカルナの企画なんですよ」とアリサが言った。


吟遊詩人とハルリラと吾輩はテーブルの席の所で立って、挨拶をした。

長老の誕生日だった。これはアリサがリミコから聞き、知っていたことなのだ。

「お誕生日、おめでとうございます」と我々はカルナと一緒にそう言った。

長老はさすがに、一瞬戸惑った様子だったが、「ハハハ。わしの誕生日か。誕生日を祝う習慣はわが惑星ではあまり一般的ではないが、ま、ありがたく受け取ろう。この国の文化を尊重するのも大切なことだからな」と言った。


「では長老。これをご覧ください」とハルリラが黄金のサイの彫刻を見せた。

ハルリラの腰には彼の自慢の剣がさしてあった。

「何だ。これはわしの」と長老はさすがにぎょっとした驚きの表情をした。

「これを長老に誕生日プレゼントとしてお渡ししたいのですが。条件があるのです」

「条件」

もうその頃は、みんな多少のワインが回って、いい気持になっているようだった。

「そうです。アリサさんはあなたの妻になることは御断りしたいと申しております。まず、それを承諾していただきたい。アリサさんには画家の恋人がいらっしゃるのです」

「画家だと」

「山岡友彦か」

「よく知っていらっしやいますね」

「知っているさ。銅山の鉱毒をなんとかしろとよく言ってきている画家だ」


「それからですね。軍のミサイルと特殊爆弾を廃棄して、我が国と平和なビジネスに入るように司令官を指導していただきたい」


「ハハハ。ハルリラ。いつから、こんな交渉術を学んだ。お前のところののどかな、魔法次元でもこんなことを教えるのか」

「いえ、自然に思いついただけで」

「よくこのサイの彫刻を盗みおったな」

「今の話、お受けできますでしょうか」

「アリサのことは分かった。しかし、ミサイルと特殊爆弾は司令官の管轄にあるのでな。わしはただの説教師でな」

「巧みな説教師と聞いております」と吟遊詩人、川霧が言った。

「サイ族の魂を動かす術を黄金の魔法次元で習得なさったとか」




長老は苦笑いをした。

「君は無茶な願いをしていると思わんか。武装解除しろと言っているようなものじゃないか。宇宙の旅は危険がたくさんあるのじゃ。惑星の文明段階も色々でな。わしらのより、強力な武器を持つ惑星がある。

そいつらと素手で交渉なんかしてみろ、皆、監獄行きさ。そして、いい見世物かさらし者にされてしまう。強いものの意見が通る、これが黄金の魔法次元の教科書に書かれていることじゃ」

吟遊詩人は微笑して言った。

「弱肉強食ですな。しかし、野獣の進化段階ならそれも分かりますけど、ヒト族に進化したからには、我々は文化を持ちます。文化は弱肉強食などという野獣の考えに支配されていては良いものは生まれません。

優れた文化、芸術は優れた宗教と同じように、優れた価値観を持ちます」

「良い価値観が相手を圧倒できるときはそれも分かる。しかし、やはり、相手に強い武器を見せつけられては、その良い価値観ですら、相手の良くない価値観で薄められ、

武力のないために悪い価値観を受け入れてしまうではないか」


「黄金の魔法次元の価値観というのはどういうものなんですか」と詩人が聞いた。

「なるべく武力は使わず、ビジネスで儲け、みんなが豊かになることじゃ。みんなが幸福になることじゃ」

「豊かになれば、幸福になる」

「そうではないかな」

「人はパンのみにて生きるにあらずと言う言葉もありますけど」

「それは分かる。しかし、おぬし。そこまでわしに言うなら、おぬしに聞こう。おぬしの言う優れた価値観とは何だ」

「言葉では具体的に言うことは難しいでしょう。私が感じているのはあえて言えば、生命です。いのちです。神と言っても良い。真如とも言う。愛とも大慈悲心と言っても良い。虚空ともダルマとも言う。

人は言葉を言うと、すぐにその言葉にとらわれます。言葉は絶対の真実を示すことはできません。言葉は真実を指す指先のようなものです。その優れた言葉や優れたポエムから、真実を体得しなければなりません。」

詩人はそこまで言うと、微笑した。一息つき、長老の目を優しく見詰めて、言った。「そうした絶対の真実が我々の生きているこの現実の世界に表現されているということです。それを見いだすことが、人生修行なのではありませんか」

「心身脱落か」

「よく禅の言葉を知っていらっしゃいますね」

「わしは仮にも長老だぞ。心身脱落すれば不生不滅のいのちを手に入れることができるというわけか。

君はそれでそれを体得したのか」

「いえ、言葉とイメージでは分かってきましたけれど、まだ心身脱落は体得できないから、こうやって、旅をしているのです」

「旅が修行か」

「ま、そういうわけです」

「わしもな。よその国とビジネスをする。これが修行だと思っているのじゃ。貴公は何かビジネスを悪いもののように考えているが、それは心得違いだと思うがな。ビジネスがなければ、色々な物や食料が全ての人に行きわたることができないじゃろ。その公正なビジネスを邪魔する強盗や盗人は追い払わねばならぬ。そのために、武器は必要なのじゃ。そして、皆が豊かになる。これが黄金の魔法の次元の価値観じゃ。どうだ。素晴らしいだろう」


「で、どうなんです。鉱毒の垂れ流しを中止することと、ミサイルと特殊爆弾の廃棄はだめなんですか」とハルリラが鋭く聞いた。

「それはな。わしもな。武器などなしに、素晴らしいビジネスが出来れば良いとは思っている。祭りで踊った時にな、そういう思いがふと湧いたものじゃ。しかし、無理だな。

ヒトは悪を抱えているから。魔界の誘惑にも弱い。そんな呑気なことでは面白いビジネスは出来んよ。夢物語を語りに、わしは宇宙を飛び回っているのではない」


「それじゃ、この黄金のサイの彫刻はかえしませんよ」


「かまわんよ。その代わり、ここと伯爵邸とロス邸、それに新政府の庁舎を砲撃するが、そんなことをしてよいのかね。わしも、長老といわれている身、そんなことはしたくはないのでね」



その時、吟遊詩人がヴァイオリンを取って、弓を弦にあて、不思議で美しい音色を奏でた。

「ほお、音楽か。やれやれ」と長老は独り言を言った。


詩人の声が響いた。


武器を捨てるなんて夢物語 ?

そうだろうか。

軍拡を進めればヒト族破滅もいつの日か

とため息がつくばかり。

魔界の王者メフィストの高笑いが聞こえてくるようだ。



勇気をもって、武器を捨てよう。

武器を持って、脅してビジネスしても、それは本物のビジネスか。

ヒトとヒトがこの世に誕生し、

言葉を交わし、愛を交換し、

真理の光がまばゆいほどに光るその道を歩く時、

ビジネスも心の通い合いとなる

物と物は多くの人に行きわたり、

食料は多くの人の胃に入る

飲み物は我らを酔わし、

果物は幸福のしるしとなり、

いのちは至る所に輝く

街角はカラフルな豊かな衣服であふれ、

人々の口元には美しい微笑がもどる


だからこそ、話し合い、武器は捨てよ。優しいビジネスは人に息を吹き返す。

平和は人にいのちの復活を約束する



      



15 憧れの惑星

貴族制度が廃止された。三十五年前に革命が起き、色々な制度は近代的なものになってはいたが、伯爵だのという貴族は廃止されず、生き残っていたが、ついに廃止された。

と同時に、異星人の鉱毒問題が良い方向に向かった。鉱毒をそのまま川に流さず、処理して土の中に埋めるということになった。

驚くことに、異星人は彼らの宇宙船に装備された特殊爆弾も処理し、分解し、使えないようにする、と約束した。

この劇的な変化を我々はカルナから聞いたのだが、原因はカルナの口から聞くことはできなかった。

しかし、ある時、ハルリラがこんなことを言った。

「長老はアリサをあきらめた。アリサさんは山岡友彦さんと婚約した。わしもアリサをあきらめる。わしは長老に敬意を表現し、サイの金の彫刻を返したのだ。

長老は感動していたね。その結果が鉱毒の解決。特殊爆弾の廃棄、ノーマルなビジネスに舵を切ったのだと思う。

本当に、特殊爆弾を廃棄したのか、ということは俺には確かめようがないが、その確認は新政府と異星人の話し合いで進められるだろう。


ともかく、吾輩の仕事は終えたわけだ。もうこの惑星を去って、よその惑星に仕官を探しに行く時が来たように思う」

そんなに、良い国にこのテラヤサ国がなったのなら、この伯爵領にハルリラは残って仕官しても良いのではないかと思ったが、よくよく考えてみれば、ハルリラは失恋したのだ。彼の見事な長老との話し合いと交渉術には敬服したが、彼の心は失恋の悲しみで、この惑星から離れたいのかもしれないと思った。

吟遊詩人にも同じことが言えるかもしれないと吾輩は思った。なぜなら、カルナを伯爵の息子トミーにゆずったということでは、詩人も傷心を持っていたに違いないことが想像されるからだ。しかし、詩人はそういうことはハルリラのようには喋らない。ただ、向日葵惑星を離れることに同意しただけだ。

吾輩と吟遊詩人は阿吽の呼吸で、意見が一致し、そろそろ、アンドロメダの次の旅に出る日が近づいたのだと思ったのだ。


カルナの主張した貴族制度の廃止、異星人との正常なビジネスの開始ということで、伯爵は祝賀会を開いた。たいていの貴族は特権がなくなることを心配し、内心は不安と反対の気持ちがあり、それを表明するものがあったにもかかわらず、廃止を喜びとしたのは この伯爵だけだった。


伯爵の言葉のあとに、素早い猫のように黄色のエレガントな服装をしたカルナは目を輝かせ、立って発言した。

「貴族社会は廃止されて、人と人の間を区別する境界線は見えなくなりますが、逆に目に見えない境界線を復活させようとする動きが高まることを我々は警戒しなければ、なりません。アリサのユーカリ国の研修の話を聞いても、ユーカリ国は大統領制になって、四民平等に我々より二十年早く、平等になったはずですが、金持ちと貧乏の差が激しく、学歴による差別が激しく、新しい身分制というようなものが感じられるということです」

「しかし、それは身分による差別ではないですよ。我々は前進したのです」と誰かが言った。

「その通りです。前進はしています。どうも、人は前進すればするほど、形を変え、複雑な形で、区別を作りたがる習性があるようです」とカルナはほほえみを唇にたたえて、そう言った。

「それは区別であって、差別ではないです」

「いや、見かけは区別で、中身は差別ということがあるのです」とカルナが答えた。

「学歴による差別、人種による差別はなくせんよな。わが国では、キリン族は優秀で、鹿族とウサギ族の間にも微妙な差別があると主張するものがある」とカルナとアリサの父親ロス氏が四角い顔を厳しく引き締めて、重々しく言った。

「ユーカリ国では、象族、虎族、キリン族は優秀で鹿族、ウサギ族は劣等と言葉で表現する者がかなりいますよ。実務面での差別がなくなっても、そういう嫌らしい心理的な差別があると言われます」とアリサが言った。

彼女はつぼみが朝、ぽっと咲いた青い薔薇の趣とでもいうような神秘な猫の目をしていた。


「異星人の長老がアリサを妻にしたいなどと言ったのも、昔の殿様が気に入った下女を側室にするようなものがあるのではないか。」とハルリラが声を上げるように言って、深呼吸してさらに話し続けた。

「彼らの視線から見れば、鹿族、ウサギ族の多い文明段階の低いと彼らが思っているテラヤサ国の市民なんて、異星人という高い身分からすれば、低い身分に感じたのかも。高度の文明を持つ彼らは、市民を低レベルの身分の者と口には出して言わないけれど、心の底でそういう風に感じている、だからこそ、長老は自国に妻がいるのに、アリサを嫁にもらいたいなどと言ったのだ」


吟遊詩人は微笑して、ハルリラを見詰めて言った。

「しかし、彼はテラヤサ国の高い文化を知り、文化こそヒト族の誇りであることを認識し文明を誇ったことを反省している。

許してやろう。利口な人間も時には愚かになることがある。それが人間なのかもしれない」

「その差別をなくす運動が今、始まり、少しずつ広がりつつあるというのだから、わがテラヤサ国も人は法の下の平等、そうしたことを徹底する必要がある。

カント九条を入れた基本的人権の確立をもった憲法が早期に締結されることを望むばかりだ。」

伯爵はそう言って、カント九条の設立を約束した。


吟遊詩人、川霧も応援演説をした。そして、さらに詩人は言いました。

「カント九条のメインは恐ろしい武力のない平和です。いのちを守る平和です。日常生活では、基本的人権が守られることにより、言論の自由が保障され、そしていのちが守られるのです。経済的にいのちを守る生存権と生活権も大切です。

環境権だの教育の無償化も大切ですが、これは法律でやれますし、憲法によっていのちが守られ、人間らしく生きていけるようになれば、防衛費は少なくてすみますし、そうすれば、そういう金銭は環境問題の解決、教育、福祉にまわせるのです。消費税も必要なくなります。その意味において、カント九条はこの憲法の大黒柱と言って良い程、大切なもので今後のアンドロメダの世界平和にも貢献していくのではないかと思っています 」

「ただ、問題は残っているぞ。特殊爆弾の廃棄が本当に行われたのかだな。あれがある限りは、我が国は背後で脅迫されているようなものだ」とロス氏が不安そうな表情で言いました。カルナとアリサは父親の顔を見て、うなずいているようでした。

「それはそうだ。わしが新政府の交渉団の中に入って厳しく監視しよう」と伯爵が言いました。


吟遊詩人、川霧はヴァイオリンをかきならした。そして、彼のテノールが響いたのです。


愛と慈悲の春がやってきた

花は澄んだ湖面に映り

さわやかな風は呼吸の喜びを誘い

永遠のいのちは光となって我らをおおう

歓喜は叫ぶ、友よ


詩人はヴァイオリンを終えて、吾輩の差し出した紅茶を数滴飲んだ。

そういうことで、この祝賀会が終わると、吾輩、寅坊と吟遊詩人川霧と、ハルリラはアンドロメダ銀河鉄道に乗って、次の惑星に向かって出発した。


吾輩がはっと気が付いた時は、アンドロメダ銀河鉄道は ゆるやかに美しい音をたてて、桔梗色の天空を走っていたのです。吾輩は目を見張りました。

不思議です、アンドロメダ銀河の先の方で花火のようなものが上がったのです。天空に花咲いた赤・青・黄色と様々な色の薔薇の花のようなひろがり、ランのような花の広がり、向日葵のような花の広がりとピアノの音のような美しい音を空全体に響かせて、それから散っていくのはちょうど、歌川広重の両国花火を思い出させるような不思議なものを持っていました。吾輩は、京都の銀行員の主人の蔵書の中で、その絵を確か何度も見ました。

彼はよく言ってました「江戸時代の隅田川も綺麗だし、花火も良かったと思う」


やがて、美しい宇宙の景色が見えてきました。

天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、森はあらゆる生き物の宝庫といういのちの光に輝いているのです。

細長い銀色の帯のようなアンドロメダ銀河の川の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、ピアノ・ソナタのような美しい響きをたてて、どんどんと流れているのです。


そして、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。

カワセミを見て、ふと、吾輩は銀閣寺の懐かしい「哲学の道」を思い出したのです。

そして、同時に、そこの川に垂れ下った桜の小枝にいたカワセミを思い出しました。全体にブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。

すると、不思議なことに、アンドロメダ銀河鉄道の窓から見える景色の向こうの方に、銀閣寺が見えたのです。


吾輩は最初、何かの錯覚かと思ったのですが、いえ、そうではありません。

向日葵の畑の向こうに銀閣寺がまるで幻のように光りながら、それも何と一つの銀閣寺だけでなく、いくつも銀閣寺がある間隔を置きながら、信州の盆地に広がる華麗な住宅のように、銀色にきらきら輝いているのです。


そしてカワセミが飛んでいます。中には吾輩の乗っている列車に並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。

「アンドロメダ銀河で、銀閣寺を見るとは。夢のような感じがする。不思議だ」と吾輩はぼんやり考えました。

やはり、吾輩としては、銀閣寺は故郷だったのかもしれない。故郷は懐かしい。懐かしい。しかし、吾輩は向日葵惑星の旅を終えて、アンドロメダの旅に出ているのだ。何か胸が苦しいような思いが湧くのだった。


薄い桔梗色の大空にこの世のものとは思えぬ美しい鐘が鳴り響いてきました。

「綺麗ですな」とハルリラが言いました。

「素晴らしいね」と言う吟遊詩人の声には感動がこもっていました。

「列車の中にまで響いてくるね。どこで鳴らしているのだろう」と吾輩は言いました。自分の心に響いてくる神秘な音色に、耳を傾けたのです。

「うん、人の住む惑星が近いということを銀河鉄道が知らせているのだと思うな。ところで、君、君は地球から来たそうだね」とハルリラは吾輩の顔を見て、微笑しました。

「そう、京都という文化の都市から来た猫だよ」

「猫?  君は猫なの」

「僕かい。うん。この列車に乗る前は猫だったけれど、今は猫族のヒトだ。君はチーター族なんだろう。」


「そうさ。君の名前は寅坊だったよね」

「そう、僕が京都で猫だった時に、主人の銀行員がつけてくれた名前さ」

「本当の君は誰なの」という奇妙な質問をハルリラはしたのでした。吾輩はぎょっとしました。それで仕方なく返事をしました。

「自分が誰かなんてことは考えたことがないから、分からない。外には、色々な風景が流れ、色々考えることはあるが、自分が誰かなんて考えたこともない。誰でもないと思う」


「誰でもない、もしかしたら、僕もそうかもしれない」と詩人、川霧は言って、何故か遠くを見るような不思議な目をしました。


「ふうん。誰でもない人か。猫の顔をしている変人ということか」とハルリラは言いました。詩人には遠慮したのか何も言いません。

「ま、俺も猫族の一種、チーター族だが、俺も自分のことがよく分からない。気がついた時は魔法学校で勉強していた。その前のことは記憶がない。先生がハルリラ、ハルリラっていうものだから、なんとなく、自分をハルリラだと思っている」


「しかし、誰でもない人って、仏さまということに通じるという話を聞いたことがある。名前を取り去り、どこの組織に入っているというわけでもなく、全てを人からはぎとられた裸の人になった人つまり無我になった人って、それは仏さまだとね」と詩人が言いました。

吾輩は向日葵惑星の画家、山岡友彦が白隠の言葉〔人は仏である〕を知っていたことを思い出した。

「俺も仏さまという意味が分からないが、ハルリラの前は記憶がない。もしかしたら、俺も誰でもない人なんだ。詩人、川霧さんも誰でもない人。

我々は兄弟以上の親友ということになるのかな」

「そうかな」と吾輩はなんとなくしっくりしない気持ちで答えた。

吾輩はそう言いながら、京都での沢山の記憶があるから、ハルリラの言う「誰でもない人」とは少し違うような気がする。

だからと言って、「自分が誰であるのか」が分かっているのか、大いに疑問がある。吾輩は学生でもない。勤めている会社もない。金もあまりない。ないないずくしの吾輩はつくづく不思議な生き物であると思った。天から与えられた「いのち」だけをたよりに、旅を続けているのだから。


アンドロメダ銀河鉄道の行く手の大空の中に、不思議な惑星が見えて来ました。満月のように丸く美しい光を四方に放っているのですけれど、半分は金色で、半分は緑色なのです。


背の高いほっそりした吟遊詩人、川霧がヴァイオリンを持って、すくと立ちました。我々に声をかけ、ここで「一曲、ひいて皆に挨拶する。アンドロメダの雄大な旅を一緒にするのだから、山に登る時に皆が声をかけるように、わたしもこの列車の人にヴァイオリンで挨拶する」と言って微笑しました。それから、列車の中で、彼のテノールの美しい声が響き渡るのです。

  「私は知りたい、憧れの惑星が

アンドロメダ銀河にあることを

そこには美しい花と果物が道を飾り

カント九条と人権は全ての国で確立され

歩くことが楽しい街並みが至る所にあり

緑の柳がおおう清流は美しい響きをたてて流れ

人々の美しい微笑は澄んだ空気のように至る所に見られ

緑の葉の光にほほえむようにあちらこちらで歓喜の歌が聞こえる

このアンドロメダの旅で

そういう町を発見することこそ

我らの夢

我らは期待に胸を震わせて

我らは次の惑星に

足を踏み入れる


それから、詩人はヴァイオリンが歌をなぞるようにひかれる。

乗客から拍手がわきおこる。


詩人は席に座りました。

「次の惑星が今の詩に歌われたような憧れの国だといいですね」とハルリラが川霧に声をかけました。

「(アンドロメダ銀河案内)にはどう書いてある? 」と吾輩は聞きました。

ハルリラは 細長い銀色のタブレットのようなものに現われた星の地図を指を使って、少しずつ動かし、見とれるように見ていました。

まったくその中に、青白く表現されたアンドロメダ銀河の川の岸に沿って、一本の鉄道線路が南の方に伸びているのでした。

そして宝石のように美しい水晶のような板の上に、絵画のような地図が広がっていました。見ると、いくつもの駅や寺院、教会、それから、地下水から湧き出る泉や森が散在しているのです。そうした場所からは宝石のような青や緑や黄色や素晴らしい金色の光が輝いています。地図には、いりくんだ網のようにあちこちの道がつながっているのですが、街角にかかる多くの小さな鏡には、そうした建物が映り反射して、不思議な美の世界をつくり、吾輩を驚かしたのです。

吾輩はなんだかその魅力ある地図をアンドロメダのどこかの駅で見たように思いました。

アンドロメダ銀河鉄道は金色の方に入って行きました。上空から見ると、美しい金色の家が並び、大地も金色なのです。吾輩は京都に住む猫ですから、当然、あの金閣寺の金色の美しさを思い出しました。


吾輩と吟遊詩人とハルリラが金色の立派な駅を出ると、さわやかな空気があふれていました。柔らかい日差しにあふれ、まるで小春日和の夕暮れのようです。駅前広場には、大きなテレビがあって、戦争の様子が実況放送されています。金色の国ゴールド国と草原の国グリーン国では、今、戦争が起きて、若者はみな戦いに出ているというのです。そのせいか、広場には人がまばらです。


吾輩とハルリラと吟遊詩人は駅の前の、金の彫刻のように見えるプラタナスの木に囲まれた、長い金色の道に出ました。周囲は色々なお店が並んでいました。金色の街灯には、ハンギングバスケットにりんどうの花が紫色に輝いて咲き、それがずうっと続くのです。空には、いつの間にかアンドロメダ銀河の星がいくつか輝いていました。



奈良駅から春日大社に至る長い散策ストリートのような美しい金色の通りでした。真ん中の道に、時たま自転車のようなものが静かに、ゆっくり通るばかり、両側にある広い歩道にはさきに降りた人たちが、町の人たちとまじって、ゆったりと歩き、どこかの店に消えていきました。

そのようにして、我々はその金色の道を、肩をならべて行きますと、とあるカフェーが目につきました。

吾輩とハルリラがそのカフェーに入ると、あるテーブルで金色の服を着た女達と年寄りの男が大きな声で話していました。

「なんていったって、水は大切だ。あそこの岩場の近くの水は先祖伝来、我々が使っていた。それをグリーン国の連中が急に俺たちにも使わせろだって。本当の目的はあの近くに最近発見された金鉱が目的なのさ。グリーン国はこちらから見ると、うらやましいくらい緑に恵まれた自然豊かな国なのに、やはり、金鉱が欲しいと見える」

「話し合えば、どうなんですか」とハルリラが言いました。

彼らはぎょっとしたようにこちらを向いて、「お前たちは誰だ? 」というような顔をしたのです。

「最初はな、ちょつとした小競り合いだったのよ。最初は警察官が出て、それから、ついに軍隊の衝突になった、それも直ぐに終わると思っていたら、あの小さな場面の衝突から全部の川の奪い合いに広がってしまった。」

「若者はみんな軍隊にとられ、陣をかまえ、にらみ合いになっている」

「陣じやない。塹壕だよ」

「塹壕って、」

「穴だよ。両国とも、細長い穴を川に沿って、えんえんと五十キロもつくっているという話だ。まだ伸ばすみたいだぞ。」

「ところで、お前さん達はここの者ではないな。旅の者かい」

我々が銀河鉄道の客だと知ると、彼らは目を輝かし、言葉づかいも丁寧に、態度も凄く親切になった。

「今夜の泊まる所を探しているのです。なるべく安い所がいいのです」

「そこの『憩いの森林館』がよかろう。あそこは金色の建物ではないけれども安いし、そこへ行けば、この国の様子が手にとるように分かる」

              


16 金の花びら


 我々はカフェーを出て、金色の道も過ぎ、しばらく歩いたが、吾輩には金色の国ゴールド国というのが不可解だった。金が余程ありふれているようで、長い道が金色の所と石畳が交互にはなっていたが、道の両側にちらほら見える家々にも金色の家が多い。やがて、小さな森林公園があり、その向こう側に教えられた下宿屋はあった。

ハルリラはそれを見て「築五十年は過ぎている」と言った。

確かに、その下宿屋は古びた銅が腐食して青みかがった壁で、その壁をぬうように、緑のつたがおおっている五階建ての堅固な建築物で、銅の変色具合が、建てられてからの長い歳月を物語っているようでした。

吾輩と吟遊詩人とハルリラが中に入ると、一階の食堂でちょうど皆が食事をしている所でした。

大きなテーブルに六人ほどの人がめしを食べている。

給仕している中年のおばさんがいる。

「そこの空いている所にお座り」

初老の男が貧相なみなりで、座ってパンを食べている。

吾輩と吟遊詩人とハルリラがその隣に座った。我々のことなど無視したかのように、皆、隣の「マサールさん」と呼んでいる人のことを話題にして、話に熱中している。

「マサールさん。なにしろ、あんたんところの娘さんは二人、金閣の宮殿にいる王様をささえる公爵と伯爵の家にとついでいる。その有力な二人が指揮権や作戦をめぐって争っているようでは、この戦争は勝てませんぞ」

「戦争とは困ったものだね」とハルリラが話にくわわった。

「そうさ。金の国ゴールド国と草原の国グリーン国の国境を流れる川の使用権をめぐって、我々は争っている。しかし、この前の百年、平和が続いていたのだ、それがふとした拍子に小さな衝突が起こり、戦火は急拡大しているので、困っている。その原因の一つが上層部の権力争いにあるらしい。」

「戦争は広がっているのですか」

「うん。戦端が開かれたのはちょつとしたきっかけで、直ぐに治まると思っていたのだがね。しかし、わが国の実権を握っている伯爵と公爵の指揮権をめぐる争いがもとで、現場の軍のコントロールが出来ず、誰もが直ぐに

終わる軽いもめごととおもっていたのだが、徐々に戦線は広がっている。」

「なるほど」

「グリーン国は憲法の制約があって、攻めてくることはないが、長い塹壕を掘って、大砲と膨大な量の機関銃をすえ、防衛ラインをひいている。わが国は憲法の制約などないから、攻めの一本やりで、突撃しているのだが。

双方、死体の山が築かれているのさ」

「王様は戦争をやめないのですか」とハルリラが言った。

「王様はなにしろ十才だ。何も分からない。公爵と伯爵が実権を握っているのだが、この二人の仲があまりよくない。そこへこのマサールさんの二人の娘がとついでいるわけさ」

「マサールさんはな、革命の動乱の最中で、大儲けした。そして、長い政権のあとに、王政が復古され、今の国王が位につき、貴族も元のさやに戻ることができた。そしたら、戦争よ。

今までの共和派の長い政権は少なくとも、戦争はやらなかった。それを再び権力を握った王党派がひっくりかえし、戦争を始めたというわけだ」

「だから、わしはマサールさんに言っているんだ。娘を通して、公爵と伯爵に意見を申し上げろと言っているんだ。マサールさんは少なくとも平和主義者だからな」

「わしにはそんな力はないよ」とマサールさんはぼそりと言った。

マサール氏は五十代半ばの精悍な顔つきをした男だった。継ぎはぎだらけの茶色のブレザーの下には、豹の絵が描かれた黄色いシャツを着ている。赤みがかったこげ茶色の顔色。鋭い目だった。左足が悪いらしく足をひきずり、出歩く時は、ステッキを使うらしい。


「お前さん、肩にいくつも花がついておるよ」とマサール氏が言った。吾輩は吟遊詩人の肩に金の花びらがくっついているのを見て、駅からここまで来るところに、金の樹木の並木道があったことを思い出した。


顔は少し青ざめ、憂い顔の詩人、川霧はヴァイオリンを手に持っている。

吟遊詩人は一杯の酒を飲むと、言った。

「戦争をしてはいけません。戦争は人の心がつくりだすものです。つまらぬことで、争う人の心のエゴは愚かで、悲しい。

ひとひらの金の花びらが散れば、その分だけ喜びは遠ざかる。それなのに、一陣の風は散りゆく金の花びらの群となり、私の心の悲しみはさらに深くなる。それと同じように、一人の人が死ぬのもつらいのに、もう何人死んだのですか」

「五十万人は死んでいるな」

「五十万の死者ですか。それを聞いて、私の心は深い闇に包まれてしまった。機関銃の中に突っこんでいくのだから、そんな膨大な死者が出るのでしょ。そんな命令を誰が出すのか。私は銀河アンドロメダを旅する詩人。夢のような旅ではあるが、こんな恐ろしい悲劇を見るのは初めてだ。

今、ここへ来る途中、若者の軍が行進して、前線に行く所を見た。あの若者たちが運よく帰ってくる時でも、足がとられたり、腕がなくなったり、もう老人のようによろよろ歩いて酔っ払っている人のようになる。美しい顔には血がぬりたくられ、地獄を通ってきたことが直ぐ分かる。何故、そんなに若者を無残な前線に向かわせるのだ。話し合えば戦争はしないですむ」

「このマサールさんは、戦争をとめる力があるのに、使おうとしない。」

「わしは力などない」とマサールさんは言った。

「なにしろ、下宿代はきちんと入れるけれど、こんな古い下宿部屋を借りている人にね、そんな力を期待する方が無理さ」

「それはさ。マサールさんの底力を知らないのじゃないの。今だに、銀行に莫大な財産を預けているという噂があるぜ」

「それは根も葉もない噂ですよ」

「だって、ひっそりと娘さんと会うというじゃないか。金を渡すためだろ。今どきの貴族は金がない。あるのは金満家よ。マサールさんは金満家が身を隠しているのよ」

「ただの噂ですよ」

「どちらにしろ、娘を公爵と伯爵にとつがせているんだぜ」と逞しい感じのターナ氏という男が言った。

「動乱の時に、金儲けをして、大きな財産をつくり、巨大な財産を彼女たちの持参金としてやり、娘はたまたま美貌だった。貴族は以前の革命で財産をめべりさせていたから、のどから手が出るほど、金が欲しい。大邸宅と権力を維持するためには金が必要だからな」

こういう風に言うターナ氏は、立派な顎髭と口ひげをはやした中年の男だった。彼は重々しい口調でさらに話を続けた。

「貴族なんか信じるなんて、マサールさんももうろくしたもんだ。いずれ、共和派が再び天下を握る。庶民の天下が来るのに、娘をあんな男と結婚させるものだから、財産は持って行かれるし、こんな貧しい下宿屋に住むことになる。

彼らの価値観に礼節が欠けてしまった。この国の伝統には、礼節があった。それが今はない。それがこのマサールさんを見れば分かる。父親のマサールさんが下宿部屋で、娘達は宮殿。この下宿部屋には、場所をわきまえない下品な会話。意味のない悪口。そういうものがはびこり、これが現状であり、昔の貴族は「星の王子さま」も「銀河鉄道の夜」も熟読したものだが、今どきの貴族は読まない。精神の貴族性を失った貴族なんていうのはもう狸みたいなものよ。それが礼節を欠くようになった原因の一つだろう」

吾輩は星の王子さまの一件は興味深くあったが、あとのことはこの国の問題という風に聞いていた。


ターナ氏の話をせせら笑うかのように、「ふふん」と言って、傲慢な表情を浮かべたリス族のすらりとした若者が立ち上がった。

「マサールさんはね。この国を銅の国から金の国に変えた人物なのに、自分は銅の家に住んでいる。彼のおかげで、我が国は金色の国ゴールド国と呼ばれるようになったのに」

若者はそう言って、笑った。

それから、彼は食堂から廊下に出て、階段を上って行った。

社交界に出て、出世を狙っているという元貴族らしい。彼の祖父は革命で財産を失い、貴族の称号も捨てたのだが、彼は多少の才気を武器に、再び昔の栄光に憧れ、大出世を夢見ているという。


しばらくして、ギターの音が聞こえてきた。吟遊詩人のヴァイオリンを聞きなれている吾輩にはお世辞にも上手とはいえない。それでも、何か哀愁のこもったリス族のハスキーな声が開いた窓から聞こえてくる。

 「 おらはさ、夢見るのさ

昔の古き童話の時代を

父とボートで川下りした遠い昔を

清流には金色と銀色の魚が泳いでいた

悲しいかな、今は兵士の血で汚れ

赤く染まった川の流れとなった

今は魚も遠い所を旅している

きっとそうだ。俺みたいに」


紅茶を飲んでいたターナ氏はその歌を聞いてか、にやりとせせら笑った。

この男は王党派の警察に追跡されているらしい。

マサール氏がこの国を銅の国から金の国に変えたらしい。膨大な金が発掘され、金と銅の価値は差がなくなってしまったが、そのように、金が大暴落する前に、彼はこの惑星では希少価値のある「ある宝石」に変えて、財産として持っているという噂が今もたえない。


どちらにしても、マサール氏は娘に莫大な資産を渡し、自分はこの貧しい下宿部屋でつつましく生きていることは確かなことなのだろう。

しかし、彼も革命派の残党によって、にらまれているというから、この下宿部屋は彼の逃げ場所ともうけとれないこともないが、そこの所は謎である。


マサール氏は吾輩と五郎と吟遊詩人を五階の自分の下宿部屋に案内してくれた。窓のない方の壁に、二枚の大きな絵が飾られていた。

絵は素晴らしい宮殿の情景で、それぞれ黄色みを帯びた宮殿と、青みを帯びた宮殿の違いはあるが、黄色みを帯びた宮殿には、白銀色の衣服を着た貴婦人が立ち、青みを帯びた宮殿には、金色の衣服を着た細身の貴婦人が椅子に腰かけていた。


マサール氏は、立っている夫人を「スラー伯爵夫人」で、座っている夫人が「ササール公爵夫人」で、二人とも自分の娘だと紹介した。


しかし、娘たちの衣装と宮殿の豪勢さと反比例するかのように、この立派な二枚の絵以外は、マサール氏の部屋は汚らしく乱雑さに満ちていた。

壁の薄茶色の壁紙はあちこちに雨水のたれたような入り乱れた黒いしみが何かの貧弱なデッサンのように見えた。ベッドは質素で、薄ぺらな薄汚れた毛布が二枚ほどしかなかった。床もかなり傷んでいて歩くと、時々ぎしぎしと嫌な音がする。火の焚いた気配のない暖炉のそばには、傷だらけの古い椅子。

その上に、マサール氏のよれよれの帽子が置いてある

窓に向かい合った壁には、古びた本箱。そこにぎっしりと本が並べられている。

吾輩は何の本か興味があったが、背文字から推察するに、経済と哲学の本があるように思われた。部屋の真ん中には、古びたテーブル。


テーブルの横に置かれた茶箪笥のみが金満家らしい唯一の品物のように部屋の中に豪華な茶色の輝きを放っていた。中には高級な茶碗がいくつもある。

我々の接待に、その中の上質の高貴な白い茶碗を出し、紅茶を入れてくれた。

「これは特別のお客さんにしか出さないのです」とマサール氏は言った。


大変上質のもので、我々はそのあまりのうまさに陶然となって、彼の角ばった顔の奥底に燃えるような黒い瞳を見たものだ。黒ひょうの目だと、吾輩はやっと気がつき、どきりとした。


出窓の下の茶色の板には、、わずかの花が水耕栽培のキットにいけられ、窓の下にひっかけられ、カーテンのない窓からの光線が花にそそぐようになっていた。

マサール氏はその深紅の花を一輪、切ると、我々のために出した美しい花瓶にいけた。その一輪の花は小汚い部屋に黄金をふりまく勢いの美しさで、我々の目を楽しませてくれた。

貧しい、貧しいというけれど、意外な所に金満家の顔をのぞかせていると、吾輩は思った。こんな男の娘が貴族に嫁いでいるというのは何かのおとぎ話のように聞いていた吾輩はこの男こそ、精神の貴族ではないかと思ったくらいだ。


天井には、小さな窓があり、透明なガラスが入っていたから、夜になると、アンドロメダ銀河の無数の星空が見えた。

そこの窓をじっと見つめていると、良寛の「盗人に取り残されし窓の月」の俳句から連想されるあばら家をつい我々旅人に思い出せてしまうのだ。

昼間は、がらんとした美しい桔梗色の空から、まるで雪の降るように白い鷺が、あるいは他の鳥が幾組もせわしなく鳴いて飛んでいくのだった。

夜になると、アンドロメダ銀河の天の川が白くぼんやりかかり、南にはけむったような場所があり、そのそばに美しい大きな赤い星がきらめいているのだった。


吟遊詩人は素晴らしい宮殿が描かれている絵を指さしながら、言った。「でも、マサールさん、あなたはあんな貴族のところへ娘たちを片付けておきながら、どうしてこんな部屋に住んでおられるのですか」

「なあに」とマサールさんは、一見無頓着そうな様子て゛言った。

「昔はね、わしはエゴイストだった。財産を得るためには何でもした。革命の動乱の中では、たいていのことが許された。この国は金が豊富であるが、それまでは小さな金鉱しか知られていなかった。それをわしはわしの独特の方法で、巨大ないくつかの金鉱を発見した。そのために、わしの財産は昔の貧乏商人から、金満家になったのじゃ。しかし、いくら財産が増えても、結局、何になる。一度は豪邸に住んで、娘二人を女房と一緒に育てた。あの頃は幸せで、成長する娘を見るために、多くの貴族が押し寄せてきた。わしもあの頃は名誉が欲しかったので、それを歓迎した。

しかし、舞踏会を取り仕切っていた、わが女房が結核で死んでしまったのだ。もう生き返らすことが出来ない。名誉も財産もたいして魅力のないものになってしまった。ふと気がつくと、素晴らしい美貌の娘たちがわしに親切にしてくれ、わしの涙をぬぐってくれた。

そうだ、わしは娘たちのために、生きようと決心したのだ。」と胸を叩きながら、マサール氏は付け加えた。

「全ての人が幸せにならなければ、私の幸せはないと言った日本の詩人がいたが、わしはそんなに偉くはなれない。それでも、昔のエゴイストの自分が恥ずかしくなった。今持っている莫大な財産を二人の娘たちのために使おう。それに多くの人が幸せになるようになるには、二人の娘が有力な政治家と結婚するのが望ましいと思った。それで、公爵や伯爵や男爵がわが家に来ることを歓迎して、おおいに舞踏会を開いた。

しかしな。世の中はそううまくいかん。娘と結婚した貴族は、昔のわしのようなエゴイストだった。伯爵も公爵も娘をもらうと、わしを嫌うようになった。なにしろ、わしの出自が革命の動乱の中で、貴族の首を切ることに一生懸命だったあの恐怖政治の政治家と結びついて、財をつくったものですからね。今は王政復古となり、革命派は庶民の中にもぐり、急進派は地下にもぐってしまった。」


吾輩は夢見るようにマサール氏の話に耳を傾けた。マサールさんは話し続けた。「今はただ、娘たち二人の幸せを祈るばかりとなっているのじゃ。分かるかね。今はあの子たちが幸せな思いをし、楽しそうで、美しい服装をして、金色の絨毯の上を歩くことができれば、わしがどんなみすぼらしい服装をしていようと、どんな貧しい所で寝ていようと、どうだっていいじゃありませんか。あの子たちが幸せにしていれば、わしには不幸という言葉はない、あの子たちが楽しそうにしていれば、わしもうきうき喜びが湧いてくるのです。わしが嫌な気持ちになるのは、あの子たちが悲しみの涙を落とす時ですよ。

ここまで言えばお分かりと思いますが、わしは娘達を愛しているのです」


翌日、吟遊詩人と吾輩とハルリラはマサール氏に導かれて、公爵邸と伯爵邸に行くことになった。

金閣寺以上の金の建物である宮殿で、伯爵は厳しい顔をして言った。「あの五十万の死者は公爵の責任だ。わしは休戦を申し入れるように主張してきた。

突撃は、長いにらみあいに兵士がたえられなくなって、現場の指揮官がやっていることで、わしはそんな命令など出しておらん。休戦を受け入れない、断固、戦うべしなどと主張してきたのは公爵ではないか」

「現場を見せていただけませんか」と吟遊詩人が言った。

「いいですよ」


伯爵夫人の部下、キンカ中佐に案内されて、我々は前線に向かった。

中佐は言った。「突撃は、長いにらみあいに兵士がたえられなくなって、現場の指揮官がやっているのです」

その耐えられない神経戦と突撃の話を中佐から聞きながら、吾輩とハルリラと吟遊詩人は前線の塹壕にやってきた。人が三人か四人が通れる細長い通りがつくられ、それを防護するのが丸太を横に並べ、二メートル半ほどの壁がえんえんと続く。

長い塹壕である。途中に、地下に掘られた穴があり、そこが指揮官の入る部屋になっている。

兵士はみんな丸太の壁にぴったり身体を寄せ、時々やってくる砲弾の音に、銃を持って耐えている。砲弾はたいていの場合、塹壕の十メートル手前まできて、爆発するが、時たまその爆発の破片が塹壕の中まで飛んでくることがある。

兵士のやつれ、疲れた顔。しかし、多くの兵士は疲れていても、緊張と真剣さを帯びた表情をしている。


泥んこの凹凸のある平地が敵の陣地まで続くが、途中に鉄条網があり、敵の鉄条網を突破するのが立派な軍人とされる。まず味方の鉄条網を通り、そして川を渡り、それから長く広い土地があるが、凹凸はすさまじく、どろんこで歩きにくい。やがて敵の鉄条網にたどり着く。

その長い道程を兵士は銃とピストルを持って、はうように身をかがめ、前進する。しかし、たいてい敵の鉄条網に行くまでに、砲弾の破片か、機関銃の弾に当たって死んでしまう。

敵の方から飛んでくる砲弾は、命中率はあまり高くないが、落ちた所から爆発と土煙があがり、近くにいる兵士は死ぬか大けがをする。機関銃の音もする。

キンカ中佐は言う。  「馬鹿げた戦争だ。それを、いのちを惜しがって、退くのは臆病者という。そして、無鉄砲に前進していく者を英雄的な兵士と呼ぶ。

これほど、いのちの尊厳をないがしろにした愚かな考えがあるか。そうした滅茶苦茶な突撃の命令を出すのは司令部にいる将軍たちだ。

あいつらこそ、愚か者だ。彼等こそ、銃殺に値するのに、退却した兵士をくじびきで何人か選び、みせしめに銃殺にする。」

我々は彼の話を熱心に聞いた。

現場の指揮官の大佐がキンカ中佐に言う。「戦争はひどい。我々がこんなに衰弱しているのに、突撃命令が出ている。

しばらく、この命令を無視しよう。兵士の疲労が回復するのを待つ。それから、後方の食糧部隊が到着したら、たらふく食ってから、突撃するのがいいのかどうか、判断をするべきだ。今のままでは、これでは判断も狂う。

既に五十万も死んだ。死体が累々としているのに、葬ってあげることすら出来ない。

塹壕の奥深く入れば、安全だが、敵の情勢をうかがうために、太陽のあたる所に出て来ると、時々、大砲の弾がさく裂する。わしも何度もやられそうになったが、今の所、大丈夫だ。

意味のない戦争だ。わしらはかれらが憎いと思って、始めた戦争ではない。川の水はお互いの協定によって、この百年間、平和に自分達の飲み水や農業用水のために使ってきた。

片方の国が川を全部、よこどりするという発想法は戦争を引き起こす。川の水は両方の国にとって、必要なのだ。

我らには後方に、湖がある。グリーン国も同じ。それでも、この川が必要なのは両方の国にとって、水は飲み水であり、水運にも使われる、つまり水は金鉱や宝石以上の宝なのだ。我々のいのちに必要なのだから。

しかし、五十万も友軍がやられると、わしはグリーン国が憎くなる。」


吟遊詩人が申し出た。前線で反戦の音楽をかなでたい、と。

いのちがいくつあってもたりないと言われた。川を渡れる拡声器つきの軍用車があれば、大丈夫と吟遊詩人は申し出る。


吾輩とハルリラは伯爵の陣営で、吟遊詩人の行動を見ていることになった。軍人が運転し、吟遊詩人は車の屋根に立ち、ヴァイオリンをかなでながら、前にゆっくり進んでいく。不思議な音楽だった。人のどんな怒りも静める、人の心に穏やかな海の広がりを感じさせる美しい神秘な音色だった。

ある所まで来ると、ヴァイオリンの音は消え、吟遊詩人の声が響いた。

「皆さん、わたしはアンドロメダ銀河鉄道の乗客です。平和を訴える吟遊詩人です。これから、美しい音楽をかなでます。皆さん。しばらく休憩しませんか」

両陣営に聞こえる音量だった。

  反戦の歌がうたわれた。


ああ、いのちを持つ人々よ 

いのちこそ 愛と慈悲の源泉

愛が金銭より尊いことは母上から教わった筈

それなればこそ、いのちを傷つけるのは悪

人は平和な町で

飲食をし、雑談をし、

美しい日差しを楽しむ

これこそ、いのちの喜びではないか

そこに炸裂するミサイルなど許される筈のない悪のわざ


いのちは不生不滅の川の流れのよう

柳の緑と花が川に映る

人々は美しい水に身体をまかせ、

周囲の森や花を楽しむ

これこそ、いのちの楽しみではないか

そこに爆弾が破裂すれば

魚は血を流し、死ぬ

人も同じ

いのちの水は枯れ果てていくのだ


いのちを守れ、人と自然の宝物なのだから



吟遊詩人は歌い終わると、又ヴァイオリンを弾き、そしてそれが終わると、マイクを口にあてた。

不思議なことに、敵方からは銃弾は一発も発せられなかった。歌が届いたのだろう。

吟遊詩人は大きな声で言った。

「皆さん。戦争はやめましょう。意味のない殺し合いです。人間どおし、みな兄弟ではありませんか。


平和が大切なのです。人のいのちは神仏のたまものです。それをいいかげんにする戦争は許さるものではありません。皆さん、武器を捨てましょう。そして、故郷に帰りましょう」


                   

           

17 神秘の生命

吾輩とハルリラと吟遊詩人は戦場をあとにして、ササール公爵邸に向かった。

戦争をしているのに、公爵邸では華やかな舞踏会が開かれていた。音楽、宮殿の中の装飾から、舞踏会と吾輩は直感したが、沢山の若者が死んでいるのにという思いから、この無神経さには、あきれる気持ちで一杯になった。

何もかも金でつくられているのかと錯覚するほど、金色でおおわれた宮殿には、明るいガスの光に照らされた、幅の広い金色の階段の両側の手すりには、花をいっぱい飾り、白が基調をなしている赤や紫の花が飾られ、手すりは金色に塗り、赤い絨毯を敷きつめてあった。金色の壁のアーチ型のくぼみには、大輪の百合の花と薔薇の花が宝石のような花瓶にいけられ、交互に飾られていた。百合は一番奥のがうす紅、中ほどのが濃い黄色、一番前のが真っ白な花びらという風に。

薔薇は百合と百合の間に、真紅から黄色、白、青色と大きく咲いているのだった。


金の階段の上の大広間からは 極楽浄土に鳴り響くというこの世のものとは思えない美しい音楽が不思議な形のない永遠のいのちの流れのように、階下の金色の空間にまであふれて来るのであった。

開いたドアの入り口から、垣間見られる華麗な衣装に身を包みダンスに夢中になる彼らはヒョウ族が多いと、吾輩は直感した。

何故なら、彼らは自分たちの祖先を誇るかのように、衣装の一部に黄色い豹の顔を縫い付けていたからだ。


マサールさんに別室に案内されて、吾輩とハルリラと吟遊詩人はマサールさんの娘であるササール公爵夫人に紹介された。彼女の周囲には金色に輝く身のまわりの驚くべき優雅な調度品があふれんばかりだった。

夫人の合図と共に、マサールさんは去り、交代にササール公爵が入ってきた。

公爵は典型的な豹族だった。黄色い顔。長いはしのような黒いひげが口の両側から突き出ている。目は鋭い野性味がある。

公爵が言う。「五十万も死んだ。あれはみんな伯爵の責任だ。作戦が悪い。塹壕が川に沿って長々とつくられた所で、突撃を繰り返すなど、わしなら絶対にやらん。わしなら、今、

偵察に時々使っている飛行船を、さらに開発して戦闘機にして、それを大量生産して、空から攻める。」

公爵はそう言いながら、壁の上にかかっている巨大な金色の時計に目をやり、

「もうそろそろ、帰ってくる頃だな」と言った。

公爵が手で合図すると、モーツアルトのような軽やかな音楽が流れた、我々がしばらく聞きほれていると、開けられた窓の外の方からブーンというかすかな音が聞こえた。

「来た。見てみろ、偵察から帰ってきた飛行船だ」と公爵は興奮したように言った。


窓の外の青空の中に、一転、鳥のようなものが飛んでいるかと思うと、やがて我々の前に姿を現した。銀色のクジラのような巨体を青空に浮かべ、少しずつ移動している。飛行船の下のゴンドラの中の三人の兵士が公爵に敬礼をした。

「どうですかな。ヘリウムで、あれは空に浮かぶことができるのです」と公爵は言った。

「私は、今、あのアルミニウムの飛行船から鉄の戦闘機へと発想をかえている。工場の研究所で試作品をつくっている。

確かに、原料の鉄鉱石が中立を保っている海と山の国に集中しているので、そこから大量に輸入するという難しい交渉があり、

さらに、我が国のその方面の技術はまだ未成熟なのは認めるが、それでも、飛行船よりはましな飛ぶ技術をつくり、数十台の戦闘機をつくることは出来ると考えている」

吾輩、寅坊は地球の戦闘機を思い浮かべ、公爵の言うのはまだやっと飛べる程度のものと理解した。それでも、この戦争には威力を発揮するというのが公爵の持論のようだった。


「あんた達は銀河鉄道の客なんだそうだね。こんな愚かしい戦争をやっている所は他にないだろう。どうだい。あるかね」と公爵は言った。

「あります。地球の第一次大戦とよく似ています。大戦の場合は沢山の国が衝突して、もっと複雑でした。死傷者も物凄いものです。ただ、日本では、戦争成金が沢山出たという記憶があるくらいで、印象が薄いようです」

「どこがひどかったのかね」

「ヨーロッパです」

吟遊詩人は一呼吸おいてから、「人の心が戦争を生むのです」と言った。

「わしは戦争などしたくなかった。水の取り合いで、小競り合いが起きたので、我が国の面子があるからな。最初は小部隊で、威圧しておく程度にしか、考えていなかったのだが」


吟遊詩人はヴァイオリンを奏でた。

「お、君は音楽をやるのか」

「詩もやります。歌ってみましょうか」

「そうだな」


理性は野に咲く薔薇の花

薔薇はいのちをいかしてこそ、胸にしみる美しい色となる

欲に支配された薔薇は煩悩の火

争う薔薇は知恵の絶壁より真っ逆さま

下は地獄の海

白いカモメは海を飛ぶ

戦闘機がカモメより優れているというのか

チーターは大地を疾走する

車はそれよりも優れているというのか

科学は薔薇の果実

武器は薔薇の迷える幽霊

それ故にこそ、軍縮にこそ理性を使うべき

ヒトの船頭は道を間違えるな

我らは船頭に行くべき道を指し示せ


「ゴールド国もグリーン国も同時に軍備を縮小することです。そういうことに、理性を使うべきなのです。戦闘機をつくる前に、話し合いが必要です。」と詩人は言った。

「軍縮ね」

「地球人もそういうことで悩まされました。

例えば、ゲーテやバッハ・ベートーベンを生んだドイツと優れた文化を持つフランスがたえず戦争をしていたという悲しい事実があります。そうなるのは、煩悩に支配された人が理性を道具に使い、軍拡に走った結果なんです」

「煩悩ねえ」と公爵はつぶやいた。

「地球のヨーロッパでは、戦争の歴史でしたよ。ことに第一次世界大戦はひどかった。滅茶苦茶な戦争だった。この惑星で、ゴールド国とグリーン国がやっていることは、地球での第一次世界大戦のミニチュア版とも思える。何十万という逞しい若者が機関銃や大砲の弾にあたり、死んでいく。愚かな戦争の見本みたいな戦争でした」


その時、秘書官が封書を持ってきた。公爵は我々の目の前で、開いてさっと目を通した。

「グリーン国から休戦の申し入れがあった」

「当然、休戦を受け入れるわけでしょうね」と吟遊詩人は公爵に聞いた。

「これは伯爵と相談しないとな。何事も国政の重要事項は二人で相談して決め、国王にお知らせし、それで裁可が出るという仕組みになっている」

「スラー伯爵は休戦に賛成していると聞いていますが」

「そんなことは初めて聞いた。」

吾輩は猫族の直感で、初めてというのは嘘だと思った。

「死者数が多いのは無理な突撃が多いというのは伯爵も認めている通りです。もうゴールド国だけで、五十万の死者。グリーン国の被害も大きい。彼らは憲法の制約があるから、戦争はしたくない筈。戦争は始まってしまうと、とめるのが難しいのは歴史の教えるところです。休戦の申し入れはチャンスです。話し合いに応じるべきですな」と吟遊詩人は言った。


吾輩、寅坊は豪華な宮殿の内部の装飾や絵画に目をやっていたが、視線を吟遊詩人に移した。詩人の目には、一種の緊張感があった。彼はさらに話し続けた。

「休戦を受け入れないで、断固、戦うべしということになると、兵士は疲れ切っているので、長いにらみあいに兵士がたえられなくなって、上の将軍もあせり、現場の指揮官も突撃に傾き、結局、収拾のつかない大戦争に発展して、地球の第一次大戦の西部戦線のように、死者二百万なんていうことになってしまいますよ」

「そんなになったら、若者がいなくなって、我が国は崩壊だ」

「休戦は、話し合いのチャンスです。優れた文化・長い歴史を持つ両国は、文化の交流をすべきです。芸術の交流です。そうすれば、人の心はなごみ、両国民に争うことの愚かさを自覚する余裕が生まれ、両国が同時に軍縮する土壌が生まれ、軍縮の話し合いも効果的に進みます。軍縮すれば、そのお金は福祉にまわせ、国民の生活は豊かになるのです。

それが出来ないのは、人の心には、天使も住んでいるけれど、時々、愚かな悪が顔を出すからですよ。親鸞の教えを聞けば、それが分かる」と詩人は言った。

「そんな教えはなんとなく分かります。面子やプライドが人の心に壁をつくるのです。それから、欲望。今回の場合は水、それに金鉱が欲しいという欲望。これはどうしようもないものだ。若者には、勇敢さを発揮する場面も必要だ。しかし、無謀は困る。それに、グリーン国とは、価値観がことなる。」と公爵は言い、影のある複雑な表情をして、にやりと笑った。


吟遊詩人は気品のある表情を浮かべ、自分の理解した世界を話したいと言った。

「ほう、どんな内容ですか」

「偉大な考えは同じ真理に到達したとしても、異なった別の表現をとることがある。それで、表現や言葉が違うことで簡単に異端と思うのではなく、よく内容を吟味する必要がある。世界の聖者と科学が到達した真理は似通っているのです」

「例えば、どんな風な例があるのですかな」

その時、吟遊詩人は宮殿のバルコニーに出た。公爵も吾輩もハルリラもあとに続いた。ハルリラは剣を持っていた。


そよ風が気持ち良かった。広い庭園には様々な美しい花が咲いていた。詩人はヴァイオリンを鳴らした。不思議な音楽だった。あらゆる野獣をも猫のようにおとなしくさせる力を持つ音楽であると同時に、この世にある薔薇や百合の美しい花園や緑の丘から見る澄んだ川や町並みを眼前に思い浮かべさせるような音楽でもあった。


すると突然、地震がきた。庭園に巨大な裂け目が出来た。大地は揺れていたが、不思議に心地よい揺れだった。

「地震」と吾輩とハルリラは同時に、声を出した。吟遊詩人は微笑した。


大地の割れ目から、巨大なロケットのようなものが飛び出してきて、ふとそこの何もなかった庭園の真ん中に巨大なスカイツリーのような建物が生まれたのだ。ただ、建物は鉄筋のような硬さを感じるようでなく、そうかと言って木造とも違う、何か絹のような柔らかさと美しさを持つ不思議な感じだった。

その建物の美しさは全体に広がる金色一つとっても、金閣寺を圧倒するものである。他の赤や黄色や白の美しさも同じ、白は白鳥を思わせ、赤は夕日を思わせ、黄色は夏の向日葵を思わす、そうした美しい色でおおわれた建物は様々な飾りを身につけ、その飾りにはダイヤ、サファイア、を始めとする巨大な宝石が輝いている。


「何だ。君は魔法を使うのか。吟遊詩人よ」と公爵は驚いたような顔をして言った。

「これは魔法ではない」とハルリラは興奮したように叫んだ。

「そうです。魔法ではないです。もともとあるものを視覚化したものです。永遠の美の幻ですよ。永遠の生命の幻と言ってもよい。幻というと、幻覚と思う人がいるが、そうではない。何故なら、我々人間も、幻のようなものですから。幻のようであるけれども、生き生きとしっかりリアルに生きておる。これを神秘の生命という。色即是空、空即是色ともいう」

「おや、あの神秘な建物の扉が厳かな音を立てて、光り輝き開いた」と公爵が言った。



「展望台には、巨大な百合一輪が咲き、その横に大きなヒノキが立っています。ヒノキは樹齢おそらく何千年ともいわれ、百合は今の今を謳歌しています。百合の周囲には蜜蜂が歌を歌い、歌詞の中でいのちの素晴らしさを言っておりますが、これは蜜蜂の言葉が分からないものには分かりません。ヒノキには小鳥がとまり、この建物が永遠の生命の象徴であることを言い、そのいのちのさえずりを楽しんでいます」

「詩人の川霧さん。美しい百合とヒノキ。なんだか、別の映像詩に置き換えても良い気がするな。例えば、薔薇と樹齢数千年の大きなケヤキの木という風に」とハルリラが言った。

「うん、僕だったら、ランの花一輪とくすの木 」と吾輩、寅坊が言った。

吟遊詩人はうなった。「今の今という生き物と、永遠の過去から引き続いているDNA、こんなイメージはどうかね」

「君達は何を遊んでいるのかね」と公爵は不機嫌そうに、ぼやいた。


その時、展望台の方から、たえなる音楽が聞こえてきました。

そして、その音楽にのって、歌声が聞こえてくるのです。

「二仏並座。二仏並座。この世で一番美しいイメージ。永遠の過去に死んだ筈の多宝如来と釈迦牟尼仏が塔の中に並ぶこの世で一番美しい場面」

「吟遊詩人さん。そんなものをわしに見せて、どうしようというのかい」と公爵は言った。

「ここに宇宙の真理が表現されているからですよ。あなたはそのことを知りたがっていたのでしょ」と吟遊詩人は言った。

「わしにはさっぱり分からん」

「地球の東洋では、真理を表現するのに、こうした視覚的な方法をとることがよくあるのですよ。法華経という経典は日本の平安貴族に好まれ、平氏が厳島神社に奉納したことでも知られ、宮沢賢治が童話を書く際の基本のテーマとされたことでも知られているのです。

親鸞は阿弥陀仏を信仰していたようですが、同じことです。親鸞の教えによれば、人は阿弥陀仏という一個の生命体に包まれている。これを禅の道元は全世界は一個の明珠であると言ったのです。つまり、宇宙生命とも大生命ともいわれる方が一つ宇宙にいらっしゃる。ポエムならば、この生命が太陽になり、地球になり、動物になり、人間になると言うでしょう。」と詩人は言って、微笑した。

「そんな話は初めて、聞いた」と公爵はうなった。


「こういう風な話はどうですかな。我々人間は兄弟【全世界は一個の明珠】なのに、何故に争うのか。我々は同じ映画・物語・歌に感動し、涙する同じ存在ではないか。

それなのに、何故争うのか。

ここに、人間の秘密があるのではないか。つまり、カントが言ったように、人間の認識能力には限界があるということです。つまり、人は正しく、世界を見ていない、顛倒して見る。これは人間の誤った見方であると、仏教では指摘しています。

人は物や人をばらばらに見る。切って見る。区別してみる。しかし、これでは自然を正しく見たことにならい。本当は、全て連なる不生不滅の生命なのではないか。【縁起の法】お釈迦さまはそういうことをおっしゃつたのではないか。そこからは、大慈悲心が生まれる。慈悲【アガペーとしての愛】を失えば、宗教は真理を見失い、堕落するということは歴史の教えるところです」

「ますます、分からなくなったような気もするが、一方でその教えに気持ちが魅かれるのはどうしたことか」と公爵は再び、うなった。

「アインシュタインが尊敬していたというスピノザという哲学者は大自然の中に神を見て、それを数学的手法を使って、そういう神の存在を証明した。この神とは、今風に言えば、不生不滅の生命のことであるという解釈も成り立つ。

この考えはゲーテやベートーベンにまで影響を与えている。」

「なるほど。」

「このように、考えると、スピノザの神とは、現代風に言えば、「大生命」のことである。「宇宙生命」のことである。この大生命が我々一人一人の中に流れているのである。これは仏教の考えとも合う。

これが分かれば、全ての人は兄弟であることが分かる。争う必要はないのだ。」

「大生命ねえ」


吟遊詩人が独特の価値観を公爵に吹き込んだせいか、その効果はあったようだ。休戦が成立した。我々はマサール氏に挨拶し、吾輩とハルリラと吟遊詩人は、アンドロメダ銀河鉄道に戻った。


我々は長いこと眠った。そして、目を覚ますと、吟遊詩人はにこりと笑った。


吟遊詩人はとたんにヴァイオリンを引き出した。

甘く美しくとろけるような音色、かくも不思議な音色がこの世にあるのかと思われるように、吟遊詩人の顔も音楽の世界に溶け込んでいるようである。

終わると、ハルリラが「それ。聞いたことがあるような気がする」と言った。

吾輩もある。

「チゴイネルワイゼンさ」

「そうだ。魔法の国で聞いた。若い女の人が百合のようにたたずんでいる路地で聞いたおぼえがある。それに、川のそばでもその人はぼおっとした感じでいた。でも、全てが薄ぼんやりとした記憶で、忘れてしまった。それが僕のチゴイネルワイゼンの記憶の全てです」

吟遊詩人は大きな声で笑った。詩人がこんなに大きな声をたてて、笑うのを見たのは初めてなので、吾輩は驚いた。

続けて、詩人はほほえみを浮かべながら、歌った。


「懐かしい故郷のこと忘れてしまったって

それは大変だ、剣の使い手よ

それは魔法の中毒だよ

でも肝心の所はおぼえている

川と路地

おそらくそこには魔法の花が咲いていたと思うよ

魂を吸い込むような深紅の薔薇に似た魔法の花がね

今は僕の友となった君よ、

しばしの惑星の旅を楽しもう」


ふと、気がつくと、窓の外に白っぽいブルーの惑星が見えてきました。星があちこちに輝く中に、ひときわブルーの色を輝かせて、バレーボールの三倍ほどの大きさに見えてきたのです。

「地球に似た惑星ですね」

「うん、初めて、地球を見たガガーリンが『地球は青かった』と言ったけれど、あの感じですね。綺麗なものだ。」

「だが、外側は綺麗でも、中に住んでいる人間が綺麗とは限らない。ここが難しいところだ」

「人間が住んでいるの」

「銀河鉄道がとまる駅があるから、当然人間がいる。ただ、地球とは違って、虎に似た生き物から人に進化したようだ。」

ここの人間には、虎族、ライオン族、ヒョウ族、猫族という民族がいる。つまり、猫科の人類が住む惑星と、宇宙のインターネットの辞書には、分類されているようである。




          

18 黄昏の幻

目的の惑星がブルーの満月のように見える頃、急にアンドロメダ銀河鉄道の内部に放送が入った。ここの空間でしばらく停車しますという内容だった。キラキラ輝く銀色の無数の星を見詰めていると、吾輩はそこに、地球にあるような水車のような輪を描いているいくつかの星に気がついた。ほう、まるで地球人が見たら何かの物語をつくって、星座の名前を付けるかもしれないと我輩は思った。そう思うと、不思議なもので、無数の星が小川の流れのようになり、周囲は一面の花園のような思いがするのだった。

「ここに三十分は停車するようだよ。銀河鉄道の停まる駅を監督する鉄道省の検査が厳しいのだそうだ」とハルリラが突然そう言った。

吟遊詩人の川霧は微笑して、「それなら、僕が鉄道の中で、昔を思い出して作った物語詩を聞いてくれる時間はあるな。いいかい」と我輩の目を見た。アーモンド型の目の奥のブルーの瞳は水晶のように澄んでいた。

吾輩もハルリラも喜んだ。吟遊詩人は次のような物語詩を歌うように話してくれた。「黄昏の幻」という詩の題名だった。



「五月の黄昏にさわやかな風が吹く。向こうにチューリップの大群が見える

俺は道若と一緒に夕闇のそこにせまる道を散歩していた。

さらさらゆらゆらからころと

小川のせせらぎの心地よい音がする

まるでピアノソナタの月光みたいに俺の心に染み入る

あの赤い花も心に染み入る

まるでここは虚空のようですねと言っているよう

真空は物だけど、虚空にはいのちがあると絹のような声がする

はっとすると、道若は顔に夕日を受けて微笑している。

柳の下を流れる曲線美の川のたわむれが、天国におけるピアノの鍵のように聖者の聞くという静かなせせらぎのささやきの声を流しているのだろうか。


ここはいのちの世界ですね。西の空には何ともいいようのないやさしさと宗教的な深さをいちめんにたたえた美しい色が原始的であるが故に、いっそう人間の魂おくせまっている、このいっぷくの風景画の中でいっそうの完全さを与えていた。

夕日が川の上の空を落ちていく。その雲と空の色が溶け合う茜色の神秘な色は まるで永遠そのもののようで、大地には、かぐわしいそよ風が吹き、樹木の梢の葉をかきならして不思議な優しい音をたてていく。


おお、永遠の心。あたりは静寂、聖なる夕暮れよ、おまえは七色の虹の上を憂愁に浸った青白い妖精が漂うという風だ。

やがては七色の虹は薄れ妖精はこの神秘的な風景画の中でおもいきり舞踏を始めるにちがいない。

「思い出すね。君の父さんと母さんを」

「ええ、そうね。でも、もう宇宙に溶けてしまったの」

夕日は妖精のような君と愛をいつもこんな風に運んでくる。そして、そこは霊性の世界となるのだ。


地球という大地の上の自然と人が いのちの世界に変身するようだ

しかし、俺の敬愛する道若は楽し気に言う

「あの赤い花が心に染み入るのは虚空だからです」

「虚空。意味が分からない」

俺が驚いてその意味をたずねると「それはあなたが分別をする二元の世界の人間だからです。あなたは執着しています」と道若は言う

「執着」

俺は缶コーヒーをごくりと飲んだ。

だが俺には分かるような分からないような不思議な気持ちだった。


俺は必死な気持ちで「だって、あなただってチューリップに執着しているではありませんか」と言いかけて、ある不可解な感情におそわれました。


それはあの嵐の晩の以前に、俺が存在していた世界は、今こうして道若と一緒に夕焼けの空を眺めながら語り合っているこの世界とちがっているというような謎めいた感情でした。

道若の瞳を見ながら俺は ためいきをつくのでした。

あの瞳の深さはおとぎの国があるという深い森の深さです

なによりもその優しい瞳は菩薩の瞳です

なによりも 菩薩の瞳は春風の吹く美しい夜 輝く満月のように

あるいは又春の到来と共に輝く太陽のもとに咲く美しい花のように

あるいは又森に囲まれた青色の湖のように


道若の言うことは理解しにくい。

でも、こんな夕焼けの美しい時にはそんな気持ちになるのかもしれない

永遠の前には我らの肉体のいのちははかなくちりのようではないか


それでも我らは水辺からしずかな散歩道を長く歩き、やがて森の中の小道に入った。

夕日は落ち、森の上のいくつもの小さな空間に星が輝いている

まるで銀色の宝石が空の広間にしきつめられたようではないか

確かに、道若の言うように、ここは霊性の世界なのかもしれない。

「あなたは人間、分別する人間ですもの」と道若は私に言う。


それを言われて、俺は以前の嵐の晩のことを思いだした。

あの恐ろしい稲光

あの天地をゆるがす雷の大音響

俺はずぶぬれだった。

一瞬、俺は一つの激しい稲光と共に火柱が 耳をもつんざくような音とともに俺の背後の大木の上にたち

俺はそのおそろしい地獄の火炎の中で目覚めたのだ。


その時 突然

山の方角から静かな町に向かって、一人の男が走ってくる足音にびくりとして 俺はじっとその足跡の徐々に高まってくるのをせせらぎ音の中に聞き分けていた

そうして その男がやっと俺の目にも人間の姿として見えるようになる頃

この男は 急に足の歩調をゆっくりし、そして俺に近づきながら言った

「お前は何ものだ」

俺は黙ってしらじらとあけかかってきた薄い光にこの男の姿を見た。彼は小柄で、その服装の奇妙なこと、その顔つきの恐ろしさは俺のどぎもをぬいてしまった。

「俺は画家だ」と答えた。

「画家。俺は職業を聞いているのではない」

「俺は人間だ」

「そんな答えしか出来ないのか、画家なら大自然の神秘から流れ出てくるような答えが出来るはずだ。」

その時、俺は以前、一度だけ禅寺に行き、座禅したことを思い出した。

「俺はそのつまり仏性だ」

「うん。なるほど。お前は天界から降ってきた男だな。実を言うと、俺もその天界から、今舞い降りてきたのだ」

俺は嘘だろうと言いたかったが、沈黙した。

「天界のどこの番地にいた?」

「無という番地にいた。光に満ちた愛の場所だ」

「ふうん」


その時 東の空に赤みがさし

しらじらとあけてくる空には 嵐のことなどうそのように雲一つない青空が

やがて 躍り出る太陽を待ちこがれるかのように徐々にあかるさを増してきたこともあって、

その小男の姿がいっそう俺の目に印象深く焼き付いたのだが

髪はまるで草原のようにはえほうだい その長い髪は腰までかかり、それでいて綺麗だ。

服装は原色のすべてをめちやくちやにぬりたくったような貧乏画家

のようなブレザーを着ていた。

そしてその服は彼の身体にあわず、だぶだぶという感じで それに奇妙な

ことに腰に立派な黄金の剣をさげていた。

その小男は

「まあ、しばらくここで町を見物することですな」と言う。


ああ、ひばりの声が聞こえる 春なんだ

それは美しい春の午後だった

それはまるで天界が地上に舞い降りて来たかのように感じさせるほどの美しい光景だった。

広場の真ん中に大きな柳の木が緑の枝もたわわに大地をおおう。

手をつなぎあった 十人ほどの子供達が柳の周りを

ゆっくりとまわりながら 何か楽しそうに歌をうたっていた


かごめ かごめ

かごの中の鳥は

いついつ出やる

夜明けの晩に

鶴と亀がすべった

うしろの正面だーれ


俺はまぶしいものを見るようにその子供等の遊びをしばらくの間ながめていた

平凡な風景であるはずなのに俺には何故か この光景が神秘的な感じとして心に焼き付いたのだった。


意識は真空を包みこむ虚空を子宮のようにして、無限にからみあった場に立ち上る布のようで、そこに光が 突如として照らした時に世界は現象するようで、

それはともかくとしてキリスト教徒でもない俺が俺という意識が死んだ後に

何億年か先に再び復活するという啓示をうけたというのは錯覚か、それとも何千回と輪廻したある日の光景か


だが、俺にそういう錯覚か幻覚か本物か分からないけれど、そうした神秘を感じさせるものを、その子供たちの歌声と柳の木は持っていた。

そして、多くの八才から十才ぐらいの子供たちにまじって、一番年長の娘が俺の目に入った

年の頃は十五・六才ぐらいの年頃の美しい娘が皆をリードしていた。

ちょうど、この時も夕暮れの美しい時だった。

何とその娘は、先程まで俺の横にいた道若でなかったか

あの霊性の世界を言っていた道若ではないか

俺は人間、分別する人間

だが、人間の世界から、しばしの間、霊性の世界へ旅をしていたわけか。


その娘が古びた広い武家屋敷のような家屋に住む落ちぶれ貴族の娘だと知ったのはちようど永遠の夕日の美しい光がすべてを「空」に溶かし込んで

子供たちのざわめきが生命の喜び賛歌に聞こえるそんな夕暮れだった。」



吟遊詩人の話す「黄昏の幻」という物語詩を聞いていると、アンドロメダ銀河鉄道はいつの間に動いていて、大きな駅についた。

我々【吾輩とハルリラと吟遊詩人】が列車から降りた。駅は巨大な建物で、天井が高く、大理石でつくられたような白い美しい壁に囲まれた構内をゆったりと、人が歩いていた。

駅を出ると、ちょっと小さな広場になっていて、トラ族の武人の彫刻が目についた。三メートル近い長身で、らんらんと凝視する大きな目と、黄色いトゲのような毛がふさふさと顔中にはえ、厚い唇。ブルー色の軍帽にも軍服にも金色の階級章がデザインしてある。腰にさした軍刀に右手がかけられている。

ハルリラはそれを見て、「生きていれば、強いかもしれないが、わが魔法の剣にはかてんな」と笑った。

                       




19  迷宮の黄色いカフェ


駅前に大きな案内図がある。

駅を中心に三方に大きな道路が郊外の方に延びていたが、我々はどこの道を行くか迷った。

確かに、道行く人々は地球の人間よりも小柄な感じがするが、顔は宇宙辞書にあったように、猫科の顔と地球人類の顔をミックスしたような人が多いような気がする。

案内図からは、どちらのコースを行っても、奇妙な道に出る。案内図にも迷宮と書いてあるのを不思議に思って、吾輩、寅坊は見たのだが、確かに、碁盤の目のような整然とした道ではなく、逆である。たいそう、入り組んで、道がくねくねと曲っている。時に、道が途中で途切れている所もある。そして、突然のように、別の迷宮街がある。Z迷宮街、W迷宮街、X迷宮街、N迷宮街という文字がやけに目についた。

「号外。号外」という大きな声が背後からした。ふと、振り返ると、若く逞しい男が「号外だよ。地球のピケテイがついに『二十一世紀の資本論』を著した。わが国では、虎族と猫族の経済格差は開く一方、これもピケテイの理論によって、説明できるという内容だよ」

我々は号外を受け取った。

中身は虎族が国の富の半分を独占している。これは以前から、ヒョウ族などからも不満が出ている話だった。

「ふうん。ここでも大きな経済格差が問題になっているのか」と吾輩は驚きで、ため息をついた。

 

  白い花が咲いている樹木の横の案内図の近くで、吟遊詩人は歌うように、言った。

「大きな経済格差はいけませんよ。」

そう言うと、彼はヴァイオリンをかきならした。ふと、帽子をかぶったビジネスマン風の男が立ち止った。黄色い髭をはやした大きな黄色い顔で、まるで虎と人をミックスしたような奇妙な顔立ちであるが、優しい目に知的な光が輝いていた。

詩人は手を休めると、又歌うように言った。「人間、生きていることは生かされているのです」

吾輩、寅坊は自分の呼吸を思った。息を吸う、吐く。これだけのことがなかったら、吾輩は確実に死ぬ。空気に生かされているのだ。この惑星は空気が綺麗。おいしい。素晴らしいことだ。吟遊詩人は違ったイメージで言っているのに、吾輩の頭には、奇妙なことばかり、浮かぶ。

そばに立っていたひょろりと背の高いリス族の若者が小さな顔を赤らめて、「それで、続きは? 」と言った。

詩人は微笑して、その青年に語るように、さらに続けた。「多くの人の手によって、自分は生かされているのです。どんな金持ちも自分一人で、生きていくことは出来ないのです。

トリクルダウン効果【高所得者が豊かになれば低所得者にも富がしたたり落ちる】なんていう経済感覚は庶民をなめているエセエリートの発想ですよ。謙虚に考えれば、多くの庶民の助けによって、大金持ちになったのではないでしょうか」

ビジネスマン風の男とリス族の若者は大きな拍手をして、急ぐように立ち去った。その少し前から、立ち止って、買い物かごを手に持った猫のような顔をした小母さんがやはり拍手しながら、詩人の言うことに耳を傾けていた。横に十七才ぐらいの女の子が目をキラキラさせながら、詩人を見ていた。

猫族の女の子で、深紅と青と黄色のまざった民族衣装を着て、妖精のような感じだった。

詩人は「君の瞳の奥に何がある ? 」と歌うように言った。

「え」と少女は丸い目をさらに丸くして好奇心を輝かして、詩人を見た。

「あなたは音楽をやるの」

「うん、詩作もね」

「何か、良い詩が出来ましたか」

「 小麦粉が降りかかるよ町の家の窓に

並木道の緑に小麦粉の白いふっくらとしたあったかさがつもるよ

春の衣装を着た町のいのちの流れ

嬉しさと憂鬱な思いで ジャムのぬられたパンを食べ、コーヒーを飲む

美しい空の青さに酔いしれて春の風を心に感ずるよ


さわさわと吹く風の音楽と共に

春は小麦粉をまきちらして 町の中を歩いていくよ

夕闇の中に映る町の影よ

どこからともなく永遠の町から町へ

幸福の吐息が聞こえてくるよ

ああ 永久に墓石の上にとどまる風のため息

緑の梢にさざめく青い羽根の小鳥の夢のような声

庭に咲くコスモスの花それによりかかる白い腕

人の歩く道は軽やかで歌のようだ ああ町の真紅のばら    」


しばらく沈黙があった。そのドミーという女の子は寂しそうに言った。

「あたしの家は貧乏よ。森の中に住んで、父はきこりをしているわ。

お金持ちになるには物凄い努力がいるって、父はよく言っているわ」


詩人はにっこり笑い、「努力だけではね。例えば、地球では、三菱をつくった岩崎弥太郎。土佐藩の貧乏武士でした。明治維新という社会の転換があり、彼は土佐藩出身という有利な立場を利用して、大財閥になったのです。もし明治維新という多くの人の動きがなかったら、彼がいくら才覚があっても、もとの貧乏から脱せなかったでしよう。

ピケティの言うように、大きな経済格差をなくさなくては、国民の幸せは得られないのです」

そんな風な少し長い話も、詩人の言葉は、吾輩の耳には、歌っているように聞こえた。

吾輩は猫であるから、虎族が多くの富を得ているという号外には強い関心を持った。この惑星で起きていることは、ピケテイの指摘するように、あの青い懐かしい地球でも起きている。


やがて、我々は買い物があるらしいドミーとも別れて、Z迷宮街への道を選んで、歩いていた。いつの間に、空に魔ドリが飛んでいた。「久しぶりだな。この惑星にも魔ドリがいるらしい。」とハルリラが言った。吾輩もハルリラと一緒に、素早く走るように飛ぶ数羽の魔ドリを見て、ドキリとした。ふと、気が付くと、吟遊詩人は囚人服になっていた。そして、我々の歩く前方に、緑の目をした美人の知路がいた。魔界の娘とは思えないほど、魅力的だった。

「あら、川霧さん、お久しぶりね。この惑星でも、お会いできるとはうれしいわ」と知路は微笑して、吟遊詩人に挨拶した。「囚人服を脱ぐために、あたしの笛は吹きましょうか。あなたのヴァイオリンも今度は、うまくいかないと思うわ。免疫がつくられたと思う。あたしの笛は大丈夫よ。どう。吹きましょうか。あなたを助けたいの」

横から、ハルリラが「知路の世話にはなりたくないな。」と大きな声で言った。

知路は顔を真っ青にした。そして、一瞬にして、消えた。

さらに我々は歩いた。ゴッホの「黄色い家」のような黄色い壁のカフェに出会った。そばの小さな庭には百合の花が咲き、さわやかな日差しが当たって、そこら中が宝石のように輝いていた。店の入口の横にある高い樹木の上から、何の花だろうか、赤い美しい花が空を浮かぶ小舟のように、舞い降りてきた。中に入ると、マリアのような女性を表現した透けたステンドグラスからも先程の日差しが入り、テーブルの上に光の小さな海をつくっていた。


我々はそこに座り、そこで、コーヒーを飲んでいると、一人の小柄な中年の男がやってきた。口ひげをはやし、穏やかな表情をしている。

「ここに座ってもいいですか」

「どうぞ」と吾輩は言う。吾輩は彼を見た時、何か懐かしいような感じがしたのだ。そう、猫の匂いがする。丸い小さめの顔は人の顔だが、どこかに猫の顔立ちが混じっている。

「お宅は銀河鉄道の客人ですか」と彼は聞いた。

「はい」

「私は特にお宅に興味を持つのですが、猫族ではありませんか」

「ええ、確かにその通りです」と吾輩は何か嬉しいような気持ちでそう言った。

しかし、ネコールというこの男は厳しい顔をしながら、「気をつけた方がいいですぞ。この通りはまあ、安全ではあるが、迷宮によっては、ヒットリーラの一味が猫族を狙っている」

「何、どうしてですか」

「ヒットリーラ大統領はこの国の独裁者です。彼らは虎族以外は人間でないという思想を持っている。それでも、ティラノサウルス教を信じていると、まあ、準虎族扱いされる。お宅はティラノサウルス教を信じているのかね」

「何、そんな変なものは、始めて聞く」

「そんなことをヒットリーラの直属の兵に聞かれたら、即、逮捕です。囚人服を着ている人は監獄から逃げてきた者とみなされる。人も差別の目で見る場合がある。そして、悪くすると、収容所に連れて行かれる」

吾輩は京都の出身であるから、あそこは仏像の都。本当に信じているかと言われると、戸惑うが、「仏教を信じているのだが、それでは駄目なのかな」と質問してみた。

ふと、吾輩の目に弥勒菩薩や三十三間堂の観世音菩薩の高貴な上半身が目に浮かんだり、消えていった。

「仏教。何ですか。それは聞いたことがないですな。どんな教えなんですか」

「お釈迦さまの教えです。宗派によって、多少、説明の仕方が違うのですが、人には不生不滅の仏性がある。つまり、その人には宇宙生命があるということです。ティラノサウルス教はどういう教えなんですか。」

「ティラノサウルスという神がいるという信仰である。昔、この惑星にティラノサウルスという恐竜がいた。肉食で最強とされている。強さこそ、この宇宙の意志というわけで、このティラノサウルスは神として尊崇された。

宇宙には、生きる意志がある。その意志は強さに現われている。だからこそ、ティラノサウルスは恐竜の神さまになり、この恐竜が絶滅して、さらに偉大な神様になり、ティラノサウルス教という教えにまでなった。そういう信仰をヒットリーラは持っている。虎族はこのティラノサウルスという恐竜の子孫ということになっている。」

「おかしいな。トラ族は虎という哺乳類から進化したと聞いている。それに、恐竜は絶滅したのに、子孫というのはおかしい」

「確かにね。科学的には、虎という哺乳類から進化したのである。しかし、ヒットリーラは強いのが好きなのさ。虎よりもティラノサウルスの方がはるかに強い。それで、彼はそういう信仰にのめりこんだ。国民もそれを強制されている。その点、猫族としての人間は弱さの象徴ということで、ヒットリーラからすると、面白くないというわけさ。無知というのは恐ろしいものだ。それから、魔界から、入ってきた恐ろしい価値観という説もある」と、その猫の匂いのするネコールという男は言って、沈黙しそれからコーヒーを飲んだ。吾輩もコーヒーを飲んだが、ふとキリマンジェロの味がすると思った。コーヒーを持ってきた男を思い浮かべた。ライオンと人のミックスしたような顔だったが、悲しげなものが漂っているのが不思議だった。

「ライオン族は少数民族のようで、失業率が高い」とハルリラが言った。

ハルリラによると、ライオン族は少数で誇りが高くのんびりしていて、怠惰であるので、トラ族にとって扱いにくい人種なんだそうだ。


「地球では、我々猫族が鼠を獲物にしてきた歴史があるが、今や、猫族は卑しい鼠の子孫であるという人類とも仲良くやるように魂を磨いてきた。その高貴な猫族をヒットリーラは敵視して、ただ、強さだけを価値とするとは愚かなことだ」と吾輩は言った。

「その通りさ」と、ネコールはうなずいた。

「ヒットリーラが何でそんな考えに陥ったのか、教えてくれませんか」

「ニーチェの思想を誤解したのさ。誤解というよりは、捻じ曲げて解釈したのだから、ニーチェもいい迷惑さ。

ニーチェの考えでは、宇宙には、力への意志という「いのち」のようなものがあるということなのだろうが。それをねじまげて、宇宙には強さこそ最上という意志があり、その延長線上の金銭至上主義こそ重要というのがヒットリーラの信念となったのだろう。そうだ。そういうことに詳しいのがいる。トラーカム一家がそうだ。あそこがいい。この街角から、少し離れているが、農場を持つトラーカム一家がある。あそこの元の奥さんでトラーカムの二人の息子の母親が、あの家を出て、奇妙なことに今の大統領の奥さんにおさまっている」

「何で」

「話せば長くなる。ここはな。猫族のレジスタンスが強い所で、ゲシュタポも手出しは出来ない。

虎族の中にもいい人は沢山いる。ともかく、トラーカムもいい奴だ。それに、あそこへ行けばこの国のことがなんでも分かる。そこへ行ってみることだ」とネコールという男はそう言って、銀色の十字架のペンダントを見せて、「これを持って行け。これが仲間の印になる」と最初に、吟遊詩人に渡した。それから、男は同じペンダントをもう二つポケットから出して、我々に見せ、ハルリラに渡し、それから吾輩にもくれた。

「途中、気を付けるんだ。W迷宮街は、ヒットリーラ族のゲシュタポが出没する所だ。」


ネコールはしばらく沈黙した。吾輩とハルリラと吟遊詩人はコーヒーを飲んだ。それから、彼はポケットから黒いピストルを出して、吟遊詩人に渡そうとした。

その時、吟遊詩人は断った。「武器はいらない」

ネコールは困惑した顔をして言った。

「しかし、向こうのW迷宮街を通らないと、あの邸宅には辿りつけない。あのW迷宮街に入れば、ゲシュタポがいる。君らの仲間に、猫族がいるのだし、君は囚人服を着ている、それは簡単には脱げない、魔界の落とし物だということを俺は知っている。ゲシュタポに逮捕されると、厄介なことになるぞ。ピストルは相手の足を狙うのさ。足と手だな。別にいのちを狙うわけじゃない。俺たちレジスタンスもむやみなことはしない」

「ありがとう。好意はありがたい。それでも、吟遊詩人の武器はヴァイオリンと歌なのだ。

これで、人の心をなごませ、争いをなくす。芸術と文化こそ、争いをなくす最大の武器と、私は考える」

「そうだ。京都と奈良が第二次大戦で、爆撃されなかったのは、あそこには文化の宝庫が沢山あったからだ」と吾輩は思わずつぶやいた。

「優れた音楽を聴くということは神仏にふれることなのだ。不生不滅の生命そのものに触れる。全てのものは移ろっていくが、それをささえている不生不滅の生命そのものに触れて、人は感動する。何故なら、人も不生不滅の生命そのものが現われた生き物だからだ。」と吟遊詩人は言う。


そして、我々はネコールと別れて、カフェを出て、先を急いだ。

我々の最初歩いていた所は、Z迷宮街である。ここは綺麗な店が並び、

花壇には、大きな百合の花が咲いている。色も色々、豊富である。黄色、赤、白と。

出会う人はみんな親切である。我々が銀河鉄道の客だということを知っているからである。

  

季節は春なのであろうか。さんさんと降り注ぐ気持ちの良い日差し。

吟遊詩人はうれしそうに、至る所に「いのち」を感じると言い、歌い始めた。

  空に鳥が叫び、花が舞う

  平凡な空間の中に、神秘な宝が光る

  いのちは鳥となり、花となり、昆虫となる。

  風もいのち、永遠の昔から、いのちは海のように時に無のように遊び戯れていた。


  おお、悲しみも苦しみも花となる時がある。

  その時を待て、忍耐して待て

  嵐の海もやさしさに満ちた水面になることがある

  雪の街角も恋の季節になる時がある


  どこからともなく響いてくるヴィオロンの響き

  ああ、それは街角の人生の様々な色

  熱帯の極彩色の小鳥の声、獅子の遠吠え

  我は独りワインを飲む

  永遠の過去は映画のように、どこかの街角であるかのように

  幾たびも繰り返しいのちの花を開かせる、ああ、カラスの声



しかし、別のW迷宮街に入った途端に、奇妙な雰囲気がでてきた。同じような三階建ての茶色のビルが整然と並び、虎の彫刻が至る所にある。真ん中の道路は大理石でできていて、細い水路が道に沿って流れている。柳の大木が街路樹になって、その柳の枝が大きく下にたれ、緑の葉がゆるやかな流れの青色の水路に映っている。

町の通りを歩く人に中肉中背で、顔はどちらかというと猫に似ている顔つきの人がなんとなく、貧相な服装をしているのだが、彼らの胸に銀色のバッジがある。

バッジには、黒色で「猫族」と書いてある。

吾輩は何故かどきりとした。そして、驚いた。


猫族のビジネスマンは黄色い背広とネクタイをして、優しい目をしている。彼らはエリートである。彼らにはバッジはついていない。

宗教者は立派な服装をしてきらびやかである。彼らも、エリートである。それから、

一見して、富裕層と分かる猫族がいる。虎のように逞しく、背が高く鼻が高い。男も女も奇妙な金の帽子をかぶり、金のイアリングをし、ダイヤのネックレスをしている。

「やあい。囚人服を着ている悪い奴がいる。」と十才ぐらいの男の子が詩人に水鉄砲を使って、水をひっかけた。

詩人、川霧は微笑して、服にかかった水を手で払った。ハルリラが怒って、剣をぬこうとした。

「よしなさい。相手は子供ですよ」と詩人はハルリラの手を抑えた。

「親がそういう気持ちを持っているから、子供がああいうことをするのさ」

「どちらにしても、怒りをおさめる。それも剣の修行ではないのかな」と詩人が言うと、ハルリラは笑った。

ふと、気がつくと、洋品店の初老の豹族の主人が二人の様子を眺めていて、急に吾輩の顔を見て言った。

「ねえ。君」と言って、吾輩の手を引っ張るのだ。

「君達は銀河鉄道の客でしょ」

「そうです。寅坊です」

「寅坊さん。ここでは、服装を銀河鉄道の客であることを示す金色のを着ていた方がいい。

理由は君のような猫のような顔をしている人は『猫の悪人』と間違えられるからね。金持ちかブランドのついた職業についていると外見ではっきり分かる人は大丈夫なのだけれど。」

「間違えられると、どうなるんですか」

「ゲシュタポに見つかると、胸に変なバッヂをつけさせられる羽目になるかもしれない。最初は『猫族』とね。さらに進むと、『猫族の悪人』と書かれたバッジを胸につけさせられる」

「悪人というのが納得いかないけれど」

「さあ、それはこの国のトップが決めたことなんでね」

「差別ではありませんか」

「差別よりもっと進む気配があるから、恐ろしい。虎族の中で気をつけたい連中の見分け方を教えるよ。言葉だな。今、地球では、ブラック企業とかパワーハラスメントというのが流行っているそうじゃないか。彼らは虎の威を借る狐でね。中身は狐よ。人の心を傷つけることを平気で言う。そういう連中というのは、虎族の中でも、一番危険な奴らだ。せいぜい気をつけることですな」

確かに、禅では言葉を重視する。道元は「愛語」を重視した。ヨハネ伝にも「ことばは神なりき」という箇所がある。

吾輩はふと思い出した。

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあつた。言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった。すべてのものはこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言葉にいのちがあった。そしてこの命は人の光であった。」


ぞんざいに言葉を使う連中は彼の言うように、危険な連中なのかもしれない。

「とすると、美しい言葉を使う虎もいるということですかね」

「それはいる。いい心を持った虎も沢山いる。虎の威を借る狐の言葉には刃がある」

「なるほど。もう一つ聞きたいことがあるのですけど、猫の収容所があるという噂を聞いたんですけど」

「それはおいおい、分かる。それよりもさつき言った虎の顔をした狐の連中には気をつけることだよ。そういうキツネ族もけっこういて、トラ族に尾っぽを振って、猫には不親切というやからもけっこういるからね」

我々はそう言うわけで、その洋品店で、服装を銀河鉄道の客と一目で分かる金色の服に着替えた。それも一番、上質の服に。

不愉快な思いを避けるためには仕方ないことと、我々は納得した。 しかし、しばらく歩いていると、わしのような大きな魔ドリが飛び、吟遊詩人の金色の服の上にさらに又、奇妙な薄手の囚人服を着せた。これは魔法というしかない。魔法を使うハルリラが魔ドリに怒るより、驚き感心して唸ってしまっているのだから、吾輩の驚きはそれを上回るものだった。

  


              




  20 猫族の行列


夕日の射す大空が燃えるような薔薇色とこの惑星特有の山吹色の地表に遠くの緑の丘陵が輝き、どこへ行くのか白い鳥の彷徨うそうした道を我々は歩き、緑の大木の下で寝て、今度は朝日の荘厳な光に目を覚まし、美しい鳥の声を聞きながら迷宮街を見る。そして歩く。

ハルリラは人のいない広い道では、時々空中回転という特技を我々の前で披露する。空中で剣をぬいてから、地上におりる所など、まるでサーカスだ。こうやって、武術を絶えず磨かないと、腕がにぶると、彼は笑う。

そして、我々は時にはベンチに座り、駅前で買った弁当を食べる。このようにして、猫族にとって悪名高いゲシュタポが出るというW迷宮街をしばらくうろうろ歩いたが、結局、そのようなものは現れなかった。

やはり、銀河鉄道の乗客である証拠の金色の服を着ているせいか、我々を遠くから見て、近づかなかったのかもしれない。囚人服を着ている詩人を吾輩とハルリラが両側にいて、詩人が目立たないように歩く工夫もした。それでも、どこからか、水鉄砲からくると思われる水が詩人の身体に吹きかかることがあった。そのたびに、ハルリラが周囲に鋭い目をひからせることはあった。


W迷宮街をやっとの思いで、抜けると、次に出たのは道そのものが奇妙なV迷宮街だった。真実、奇妙な街だった。       

家屋がみんな何らかの動物が大地にうずくまって遠方を見ているような雰囲気が感じられるのだ。窓が右と左の両目のようになって見える場合が多いので、なんとなく家に見つめられている感じがするから奇妙だ。

ある家は猫の姿。ある家は虎。ある家はライオン。ここの町の条例で、建築物はその所有者の民族を表現するようなデザインが好ましいとされているということが、吾輩、猫の耳にも届いているのである。

色はまちまちであるが必ずしも猫科ばかりでないところがまた面白い。中には、あざらしとか、イルカとか、もある。


こうした無数の奇妙な建築の家屋の背後には、大きな敷地を持つ黒い五重の塔や赤い色の高楼がそれだけがまともな建築とでもいうように、青空に顔を出すような具合で、軟らかな日差しに輝いていた。町の横丁から、静かな少し広い通りに出た。

建物の屋根には幾羽ものカラスがとまり、下の道には、本物の猫が野性のように素早く動いている。カラスと猫の多い町という印象を持った。吾輩は本物の猫と猫族の人とは違うと当たり前のことを考え、それから、奇妙な建築の群が何とも不思議なことのように思われた。


そこに流れる澄んだ糸のような小川を見た時、吾輩の耳に幻聴のように響いた詩がある。

「青色の川の渦を見て、昼間の踊りの歌を夢見る

祭りの日にうたう歌だ

綺麗な衣装を身につけて、老若男女が入り乱れて

若草の燃える土を踏みしめて

息ずく呼吸の音もやわらかく

喜びの鐘の音も青空にひびく

その春の日に町をあげて歌う祭りの喜びを歌うのだ

僕らがどんな悪夢を見ていても

それが夢であるのなら次の夜には希望の夢がほのぼのと頭に浮かび、

僕らは美しい酒を飲み干すのだ。」



そんな風な動物の群のような家にもきちんと窓がいくつもついていて、おしゃれなカーテンが垂れ下り、どの家も個性的で美しく、庭にはみかん色の果物が枝もたわわになるほど、沢山なっているかと思えば、薔薇や百合の花が咲いている所もあった。しかも町全体としても、奇妙で不思議ではあるが、静けさと美といのちの魅力があった。

条例によって、にわかにつくられたのかなという吾輩の思いを掻き消すかのように、その街角、街角のどことなく古めかしいベンチ、それに小さな公園、街路樹、神社にあるような多くの古い灯篭がやはりこの町はごく自然に長い歴史の中で、偶然に出来上がった美しさという古めかしい優雅な歴史を物語っているように思えた。

さらに大きな通りに入ると、ゆったりとした感じがして、くねくねと曲っていて、途中には小規模のさびれた墓地がある。それが道をある程度、行くと、同じような墓地があるという風である。墓地の入り口らしき所の門の上に猫の彫刻が乗っかっている。



これも奇妙な感じがするのだ。これだけの美しい道に、人以外の車めいたものが一台も通っていないとは。

吾輩の前を歩く二人は、カジュアルな服装をした若い男女だった。虎族であろう。二人とも背が高い。女は薄い茶色のパンツに濃い太いベルトをしめ、シャツの上に赤いニットガウンを羽織っている。虎族の美人というのは、鼻が高いし、唇が大きい。その上、ブルーの瞳にきらりと鋭い光を放つ。

女は吾輩を見て、言った。

「ねえ、猫族が歩いているわよ」

吾輩はその言い方に何か嫌なものを感じて、猫だって足があるんだから、そりゃ歩きますよ。そんな当たり前のことがあなたには分からないのですかと内心思ったりしたものだ。

男は「でも、金色の服を着ているから、銀河鉄道の乗客なんだろ」と答えた。

男は花柄のあるパンツに上は白のTシャツにブルージャケットを着ている。男は肩幅が広く、腕がおそろしく太い。黄色い髭が顔じゅうにはえ、その髭の森から二つのつぶらな瞳がのぞいている。

「本来なら、胸にバッジをつけるのにね」

「そうさ」

「猫族って、何かいやーね」

嫌な話をしているのはそちらではないですかと、礼儀の知らない奴だと吾輩は言ってやりたかったが、二人はいつの間に、向こうの方に行ったしまった。


通りの横には、樹木の枝のように、沢山の小道が伸び、そしてそれはまた狭い路地になる。

狭い路地は華奢で優雅な動物にデザインされた家にはさまれてはいたが、そこも亦、迷路のように、入りくんでいた。そして、その路地には、たいてい本物の猫がうろうろしていたり、時には瞑想しているように、座っている。

それは迷路そのもののようで、時にはレンガ色の石畳の坂があったり、西洋風の教会があるかと思えば、古色蒼然たる神社や広い境内のある寺があった。


そよとした南風が吹き、やわらかい空気が好もしく、隅の花壇にある花は宝石のようにまばゆい色と光を周囲に放っていた。



神社の鳥居のそばには、井戸があり、あちこちに清らかな水がこんこんと湧きだし、道の土をぬらしていた。どこからか、ショパンかと思われるピアノの音が聞え、歩くのも心楽しい町だった。

 

さっきとは違う真っ直ぐな大きな土の通りに出た。硝子窓のある洋風の家が多かった。コンビニの透明なガラスの向こうに、週刊誌を立ち読みする背の高い青年がいた。スーパーもあり、歯科医院もあった。交差点には、レンガ色の壁のドラグストアがあり、その横にそば屋があった。

やはり車も通らず、人も少なく、静かな街だった。

街灯には、まだ明りはともっていなかったが、一番てっぺんに、丸い黄色い石がトパーズのような高貴な光を放っていた。

下の方には、ブルーの花がかごに入っていた。

歩く人々は虎のような顔立ちをしていた。猫族の人と虎族の人は微妙に違う。猫のような顔立ちの人達は胸にバッジのようなものをつけていた。例の「猫族」という奇妙な文字の書かれたバッジである。



虎族のような人達は、猫族よりももっと威厳と品性を持ち、本物の野獣の虎と違って、おっとりと優雅な雰囲気を持っていた。

ところが、山吹色のポストのある郵便局を過ぎたあたりから、険しい表情をするトラ族の人達が急に増えた。どうも制服を着ているので、兵士や役人めいた連中が目につくようになったせいかもしれない。

吾輩、寅坊は虎族の人の表情に急に不安になり、なんとなく、周囲が緊張した感じになっていることに不安になり、よくよく周囲を見回した。町の特殊な美しさも、静かな夢のような静寂な街路も安どの気持ちにならなかった。


ぞろぞろと行列を組んで歩かされている猫族の人達の胸に、茶色のバッジをつけている集団を見た。茶色のバッジには、「猫族の悪人」と黒で書かれていた。周りには銃を持った虎族の兵隊が黄色い軍服を着て、厳重に監視している。吾輩はどこかで、見たような光景だと思った。

そうだ、ナチスに連行されるユダヤ人の姿によく似ている。

「迫害されたユダヤ人を連想させる」と吾輩は言った。

「そうさ。おそらく、この猫族の人達も収容所に連れて行かれるに違いない」と吟遊詩人は悲しそうに言った。

「ドミーがいる」とハルリラが叫んだ。

「え、本当」

「ほら、母親と一緒に」

背の高いでっぷりした猫族の男の影になるところに、ドミーと母親が歩いているではないか。ああ、すっかりやつれた姿と青白い顔をしている。

森から出てきたばかりの妖精のような彼女の何という変わりよう。

吾輩は思わず、彼女の方に走っていた。

が、吾輩はトラ族の軍人によって、行く手をはばまれ、銃をつきつけられた。

ハルリラが剣をぬいて、吾輩の隣にきたが、ハルリラには別の兵士が銃剣を突き付けた。

ハルリラは剣で、その銃剣を払いのけた。

すると、十人近い兵士がかけつけてきて、「何者だ」と一人の兵士が言った。

「知人がこの沢山の人達の中にいたから、驚いただけですよ」と吟遊詩人が言った。

「そうか。ところで、貴様は囚人服を着ているな。ヒト族のようではあるが、この猫族の行列の後ろに並ぶのが良いのではないか」と兵士の上官が言った。

その時、緑の目をした知路が現われ、笛をふいた。周囲の者があっけにとられていると、詩人の服はいつの間に金色の服に変わっていた。

兵士の上官は知路を見ると、なぜか、尻込みをして、慇懃な言葉で、「ご苦労様です」と言って、敬礼をした。

兵士達は行ってしまったが、そのあとも、我々が猫族の行列を見守っていることに変わりなかった。


我々は茫然と立ち尽くしていたのだ。それほど、凄まじい猫族の行列である。ドミーは既に列の先の方に歩いている。

顔だけが、吾輩と同じ猫族の顔をしている人達で一杯だ。吾輩は悲しみにひしがれた。同輩が何故に引き立てられていくのか、分からない。自分も銀河鉄道の乗客を示す金色の服と胸のポケットに持っている銀河鉄道の乗客のカードがなければ、同じ運命にあうかもしれないのだ。

こんなに神秘で美しい町に見る残酷な光景に、吾輩は驚いていた。


町の街路には、猫族の人達が充満していて、彼らはカバンを持ち、子供の手を引き、黄色い顔に憂鬱の表情を浮かべ、うなだれるようにしている。そうした猫族の人達の悲しい集団がうようよと歩いていくのを、吾輩は見て、胸が痛んだ。

ああ、わが愛する猫族の人達よ。何も悪いことをしていないのに、ただ、猫の顔をしているというだけなのに。猫の先祖がネズミにだまされて、神様の元旦召集に遅刻したということで十二支に入れなかったというだけで、こんな目にあうとは。十二支に入っていないのはライオン族やチーター族など他にもいるのに、猫族だけが明日のいのちすら、分からぬ列車に連れられていくのだ。大人も子供も老人も。美しい男も女も。ただ、猫に似た顔をしているということのために。

我々はたちつくし、ぼおっと見守るしかなかった。ハルリラの剣も二百人はいると思われる銃剣の前に、引き下がらざるを得なかった。

「こういう緊急時の魔法の習得をサボっていたことが今になって悔やまれる」とハルリラは悔し涙を出した。

「これは忘れてはいけない宇宙歴史の事実だ。差別の理由などないに等しい。

無理につくっているのだ。祖先の違いだとか、肌の色だとか、民族の歴史の違いだとか。悲しいことだ。こういうことをなくすためには」と吟遊詩人がつぶやいた。

吾輩の耳にも最後の所がよく聞き取れないほど、小さな声だった。

「川霧さんは、ヒトは皆、兄弟という考えを広めることが大切と言うのでしょう。」と知路が言った。

「冗談言うなよ。魔界の女のくせに」とハルリラが言った。

「川霧さんの詩とヴァイオリンはいつも遠くから聞いているの。こういう詩を書く人の気持ちとあたしのは波長が合うのよ」


「ハルリラ。この女の人は私を助けてくれたのだよ。お礼を言うのが礼儀だ。もしかしたら、知路さんは何かの事情で魔界と縁を持ってしまったので、魂は綺麗なものを持っているのだよ」と吟遊詩人は言った。

「ありがとう」と知路は涙を流して、一瞬のうちに消えた。







21 夢からさめる

 窓の外に、しとしとと降る雨音が聞こえてくる。梅雨なのだろうか。部屋の壁のカレンダーが六月になっている。

それにしても、ここはどこなんだ。机の上に見慣れた仏像が飾ってある。うん。とするとここは地球の京都のようだ。吾輩は本物の猫に戻っている。目をさましたようだな。何かとてつも長い変な長い夢を見た。

銀河アンドロメダの夢というやつだ。

でも、地球と少し似ていて、また違っているようでいて、奇妙な所だった。

変人の主人はどうしているかな。

何。朝から新聞を見て「共謀罪成立」と騒いでいる。

今日は日曜日のようなのかな。

どれどれ、のぞいてみるか。

奥さんと何か話している。

「おい。共謀罪が成立したぞ」

「あら、そう」

「随分と呑気だな。日本は少しおかしいぞ。」

「もともと、おかしかったのよ。だから、福島原発事故になったのでしょ。きちんとした世論というのがつくりにくいのよ。井戸端会議がチャットなんてものに変わってしまったでしょ。本当はそこで、民主的な話し合いがされて、素晴らしいポエム・文化あるいは政治的な意見が形成される筈なのに、不思議なことにそうはならない。あれはピンキリよ」

「どんな風に」


「あたしのようにね。優雅な文化を持つ奥さまがたや、お嬢さま方の本当の優雅な文化のお話しをするチャットから、地獄のチャットまであるのよ」

「うん。なんだ。その地獄のチャットっていうのは」

「自分のことは棚に上げて、人を中傷するうわさ話をするのを専門とする所よ」

「ふうん。そうだろうな。そんなの見当がついているよ」

「でも、天界のチャットでは、私のように優れた文化の話をしている人達も沢山いるのよ。勿論、天界のチャットから、地獄のチャットまでの間に百ぐらいの色々な段階のチャットがあるのじゃない。魂のレベルによっては、三千あるという人もいるわよ。」

吾輩はここまで聞いて、吾輩の夢を仲間の黒助に話そうと思ったが、話せば、どういう風になるか見当がつく。それでも、懐かしい懐かしい友だ。夢も壮大なアンドロメダ銀河の夢だから、これをあいつに話さずにはいられない気持ちにかられる。黒助はいつも吾輩を見ると、ふんとえばった顔をする。彼にこの夢の話をすれば、少しは感心するだろう。


ところが会って、いさんで話したら、例のふんというやつを二度もやって、それから言った。やはりこいつの頭のレベルに話したら、こうなることは見えていたではないか。それでも、彼の顔を見ていると懐かしいから不思議だ。

「何、トラ族。ライオン族のヒト。そんなものいるわけないだろ。

お前、ついに頭をやられたな。

第一、話の内容を聞いているとよ。フランス革命から第一次大戦、ヒットラーと何か歴史をごちゃまぜにしているだけじゃないか。」

「でも、夢だから」

「俺はそんな夢は許さん」

「許さんと言ってもね。僕が見る夢なんで、夢って、多少脈絡に変な所があるよね。それが夢ですよ。それに、核兵器のない世界をつくろうとか、憲法九条を守って、世界を平和の方向に向けようとか、何か一つのテーマが夢の中に流れているような気がする」

黒助君はどうも吾輩の言っている意味が分からないのか、すっとぼけた顔をして、突然大きなあくびをした。

樹木の上ではカラスが大きな声でないて、飛び立った。雨はしとしと降っている。


「もしかしたら、黒助の君とこうやって久しぶりに地球の京都で話しているのも夢かもしれん」

「何。夢ではない。俺は現実だ。夢だなんていう奴は許さん」

「信長は人生、五十年、夢まぼろしのごとしって言ってたよ。仏教のお坊さんもよく言っているじゃないか。

この現世は幻のようなものじゃ。真如を発見しなければ、ならんとね」

「真如。何だ。それは食べ物か」

「やだな。もう忘れたの。黒助君も少し物忘れの兆候が出てきているのじゃないかな。あそこの禅のお坊さんよ。よく掃除をしている年配のお坊さんよ。

掃除をしていたら、ほうきではいた石が飛び、コーンと音がした。その音で真如の世界を発見した。真如の世界では人も猫も同じ仲間だ。何しろ、仏性どおしだからなって、会うたびに言うじゃないか」

黒助はやはり、仏性と聞いてもまんじゅうのように丸い何かうまそうな食べ物を想像しているらしい。顔つきで分かる。そう言えば、道元の言葉に「全世界は一個の明珠である」というのを思い出した。


黒助と話していてもしょうがないから、自分の家に戻って、主人の書斎に行ったら、部屋の中がいやに乱雑になっている。

本も増えているせいか、そこら中の畳の上に、本が積んである。

吾輩は久しぶりにこの部屋に寝ころんだら、本の上のコーヒー茶碗を転がしてしまった。中に半分ほどコーヒーが入っているのだから、薄い表紙がすっかり汚れてしまった。雑誌のような薄い本だから、彼もそう目くじらたてまいと吾輩は勝手に思った。

ただ、よく見ると、タイトルに「脳幹と解脱」と書かれている。

また奇妙な本を読んている。科学の本なのか、禅の本なのか分からない。それに本というにはかなり古ぼけた本だ。


しばらくして、入つてきた主人は大騒ぎになった。

「玉城康四郎先生の大切な本にコーヒーをひっくり返したな。何やっているんだ。お前は」と主人は怒り心頭である。

そんな大事な本の上にコーヒー茶碗を載せておく方が悪いと、吾輩はにやあにやあと猫の言葉で言った。やはり、ここは銀河アンドロメダの夢と違って、まるで通じていないようだ。


「でも、この本。大分、古くなったし、安い本だから、新品のに、取り換えよう」と一人ぶつぶつ言っている。

書斎のテーブルに向かい、既にあったパソコンにしがみつき、何かインターネットやらを始めた。

「驚いた。千六百円の本が五千五百円になっている。」と主人ははしゃいでいた。


吾輩はそんな高価な本なら、コーヒー茶碗を載せておく方が失礼だ、と言ってやりたかったが、なにしろ、本棚をよくよく見ると、玉城康四郎先生の「正法眼蔵」の厚手の本は全巻仕入れ、本棚に飾ってある。それで、この薄い一冊ぐらいは親しみの思いで畳の上に置いていたのかなと、吾輩は想像した。


主人はパソコンの前で、ファウストのようにうなっている。

「パソコンは便利で楽しい。しかし、故障すると、それを直すのに、この間のことでよく分かった。まるで非人間的だ。

のっけるものは素晴らしい文化、しかし、ハードは人間の精神を抹殺するようなものがある。しかし、人間のつくった機械の多くがそういうものがある。何百億円もする戦闘機も戦いもしないで、故障で墜落することがあるのだからな。

だからこそ、先生の本を読まないと、人間の心を取り戻せなくなる」と主人は急に厳粛な顔になって、机の上の仏像に手を合わせた。



それから、吾輩は黒助に会いに行く。

外は雨だ。隣の垣根にビヨウヤナギが一面に咲いている。

その黄色い五枚の花弁があんまり美しいのでみとれて、多少雨にぬれてしまうかも、それでも仕方あるまい。それでも、にやーと猫語で黒助がいるかどうか声をかけてみた。

隣の家は声楽専門の高校の音楽教師のようだ。おまけに オペラが好きときている。

戸口があいているので、雨の音にまじって、聞こえてくる。

どうもセビリアの理髪師であるらしい。前にも聞いたことがあるから、直ぐ分かった。伯爵は身分を隠し、貧しい男になって富や身分でなく、恋する女が真実の自分を愛するかためす、そういう伯爵、それを応援する何でも屋の理髪師の話だった。その歌っている場面は恋敵の男が伯爵をおとしめる策略を練っている場面だ。それには中傷がいいと助言する者がいる。

あの頃、権威であった善良な伯爵でさえ、うまく中傷すれば悪者になるという内容の歌だ。こうなると、名誉棄損では弱い。名誉棄損は悪質なものは痴漢と同じくらいの重い不正という認識が必要だ。猫でもここの場面の歌を聞いていると、そう思う。

「中傷はそよ風のように」心地よく人の耳に入り、人の心と脳をまひさせ、そしてうろたえさせてしまい、やがて雷や嵐となって変貌していく有様を歌詞にしているのだと、吾輩は思った。               

吾輩は「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して」という経典の言葉を思い出した。同時に、「大慈悲心」が大切なのだと思った。こんなことで争うのは愚かなことだ。



黒助が吾輩のにおいをかぎつけて、

「お、来たな。先生のまたへたなオペラの練習だよ。オペラが好きなんだから仕方ないか。俺もオペラを聞くのがきらいでなくなった。お前、最近、どこへ行っていたんだ」


また、黒助の物忘れが始まった。それでも、オペラの感じ方が前と違う。どうやら、雨にうたれて黒助も詩人になったのかもしれない。

部屋に戻ると、隣りから聞こえてくる。

「おい、千六百円の雑誌が五千五百円になっているぞ。さすが、玉城康四郎先生の本は値打ちがある」と主人は奥さんに大きな声で言っている。

「あら、キリストと仏教の道元の考えが同じだと主張する先生ね」

「キリストだけでない。孔子もソクラテスも道元の仏教とも比較して、宇宙の形なきいのちととらえている。純粋生命ともいう。

それをキリストは神のプネウマ。孔子は天命あるいは道。釈迦はダンマと言われているが。これはみんな生命のみなもとなんだよ」


吾輩はあとで、一人になって、書棚に戻された例の本を読んでみた。

こう書いてある。

「ブッダの教えを長いあいだ学んでくると ダンマの形なきいのちが私の体に通徹してくる。そうすると、これはもはや仏教の枠組を超えて、ブッダ以外の人類の教師たち、キリスト、ソクラテス、孔子などにも、おのずから通じてくるのです。

互いに形はちがいますけれども、本質的には同じことを教えていることが知られてきます。ブッダを学んだだけでもそうなるのですが、先に述べましたように、科学との対応関係を考えてくると、いつそう深刻にうなづかれてくるように思います。」                




                     


22 恐竜テイラノサウルス

 気がつくと、V迷宮街を過ぎて、林を通り抜けると、丘陵のような郊外の高台が見える。なだらかな緑の絨毯を敷き詰めたような高台に出ると美しい川が見える。その高台にある高級住宅地を訪ねる。

紹介状を持って、トラカーム一家を訪ねる。トラカームは豪邸に住んでいる。牧場とチーズ工場を持っている。大男のトラカームは彼の娘と二人の息子と住んでいる。

三人の子供の母レイトは死んだということになっているのだが、実は時の大統領の妻になっているのだ。


ヒットリーラ大統領はティラノサウルス教の信者である。山吹色の旗の真ん中に虎と恐竜の顔が左右対称に並んでデザインされている。これがここの事実上の国旗になっている。

夜の森の中で輝き燃える美しい目と筋骨隆々という美しい姿を誇りとする虎よりさらに強い恐竜ティラノサウルスは宇宙には強い意志があるという予言者スータ・ブレイの好みの動物であった。そして、この予言者はティラノサウルスこそ、トラ族の祖先であるというひどい妄想を抱き、それを華麗な詩文として書き残した。トラ族のヒトにこの詩文を愛する人が多くなり、恐竜は虎と関係がないという人を異端者として魔女扱いにした歴史がある。やがてこの妄想と偏見に満ちた詩文は後継者が出て、ティラノサウルス教として影響力を持つようになり、ヒットリーラがこれを信奉したというわけである。

もっとも、これを吹き込んだのは妻レイトで、これは魔界のメフィストがレイトにささやき、そういう指示を与え、政府の権力の実権はレイトが握っているという噂もある。彼女は凄腕である。

そういうわけで、ヒットリーラは、黄金色が好きである。黄金色は善であって、小判のような山吹色の顔つきの虎族の人達は善であるという考えを持つ。


レイトがトラカ―ムと一緒に暮らしていた頃から、二人の間にひどい亀裂が走り、レイトが飛び出し、後に大統領夫人になるまでのいきさつには、一巻の長い物語になるようなことがあったらしい。我らはただの旅人であるから、それを色々の人の言葉のハシハシをつなぎ合わせて、想像するしかない。ともかく、レイトは若い頃、トラカームと出会い、その中で、長男トカと弟のカチと娘ラーラが生まれた。三人目の誕生のあとに、トラカームは前から考えていた結婚式をあげることで話し合っていた時に、レイトはその気がなく、そればかりかティラノサウルス教に入ったことで、トラブルになった。そしてレイトは家出した。


トラカームはその頃、親鸞の生まれ変わりである親念がこの惑星に舞い降りてきて布教しているという噂があり、その伝え響いてくる教えに共感していたので、ティラノサウルス教の考えに不信を持っていたのだ。


レイトは小柄であるが、外見は天使のような美しさを持っている。ブロンドの髪にブルーの瞳。花の咲くような微笑に、たいていの男はまいってしまうという。しかし、中身は相当違う。善など信じていない。それに対して、トラカームは立派な体格をしているが、性格はナイーブで優しく、善良である。


伝え聞く親念の教えによると、真理【ダルマ、一如、法蔵菩薩、如来、真如】は阿弥陀仏である。現象は無常で移ろっていく、しかし、生まれ消えていくその中に、悩める人々を救おうとする永遠の宇宙生命とも大慈悲心ともいわれる仏がいらっしゃるというのである。親念の教えの特徴は魔界のささやきに気をつけろということだろうか。


トラカームが出てきた。大柄で、にこやかな表情をしている。

「レイトはね。外見は凄い美人でね。あれだけの美人はこの国にも滅多にいないというほどだ。わしは若い時には、一目ぼれでしたよ。しかし、中身に悪がある。一年ぐらい付き合っても、彼女の悪には気がつかない。

頭もいいからね。


あの悪はどこから来るのか、わしにもいまだ分からん所がある。あの奇妙な考え、ティラノサウルス教の教義の本質にある強者礼讃からくるのか、それとも生まれつきのものなのか。

二人の息子トカとカチそれに娘のラーラをいとも簡単に捨て、わしにピストルを突き付けて脅かし、ここを、飛び出して、今の大統領夫人におさまるまでは、長い物語ができるほど、波瀾万丈だった。それに、大統領の一目ぼれとそして、大統領がレイトが持っているティラノサウルス教の奇妙な考えにどうして毒されていくか、実に不思議なくらいだよ。

わしが思うには、こういう女の悪を知るには、まず言葉をよく観察することだ。

まず、人の悪口を巧みにやる。レイトの場合、大統領の前の恋人の悪口を巧みにやり、ヒットリーラはそれを信じ込んでしまった。彼は恋人と結婚する予定だったが、急速に心変わりして、別れ、美人のレイトと一緒になったというわけさ。


それに比べ、わが家の猫族のマカ夫人はここの広い家を切り盛りするために呼んだ家政婦さんだけれども、まるで観音菩薩のようだな。娘と息子達は彼女に育てられたようなものだ。

長男息子のトカは大学を出て、市役所に勤め、エリートへの道を歩んでいるが、ティラノサウルス教には、つかず離れずという所か。

それにしても、次の息子がね、同じレイトの息子カチなんだが、どうもこれがレイトに似ているようで、わしは怖いと思うことがよくあった。

なにしろ、勉強はやらない。高校を中退すると、町をうろうろするでね。仕事もしないで、奇妙な会合には、出席するらしい。最近はそうでもないのだが、一時は、ヒットリーラの信条にも染まりかけてね。ゲシュタポなんかに憧れているようだった。怖いね。

一人娘のラーラはまあ心配は全くない。将来の結婚ぐらいかな」とトラカームは笑った。


ラーラは十八才だった。肩まで届くなめらかな金髪がよく似合う明るい娘だった。目鼻立ちが整い、トラ族特有の黄色い肌に赤みがかった頬をして、意志の強そうな青い目と厚い唇を持っていた。

マカ夫人を助けてよく働く娘だった。自分の家の牧場に出たかと思うと、チーズ工場の手伝いに出る。トラカームもそういう娘を愛した。


レイトの夫ヒットリーラの親族に、V大佐がいた。彼の父親は銃を生産している工場を持っていた。V大佐は夫人を病気でなくし、次を探していた所、戦争の現場の食料の調達係の司令官として、チーズということを考えていた。それでチーズ工場を視察に来た時、ラーラが案内役になったのだ。

それで、大佐はラーラを気にいってしまった。

それ以来、大佐はトラカーム一家を訪ねてくる。

「わしらは、同族トラ族だ。わしの女房にラーラをくれんかの。わしはヒットリーラの親族だ。悪いようにはならんと思うがな」と大佐はトラカームに言った。この地方では結婚に親が口出す風習があったようだ。

「ちょつと待ってくれ。わしは純粋なトラ族ではない。ジャガー族の血も流れている。それでもいいのかね」

「わしは気にしない」

「猫族は」

「ま、冗談は言わないでくれ。猫族はヒットリーラ閣下があれほど嫌っているのだ。」


ここに猫族の青年コリラがいる。

中肉中背の青年だった。しかし中々魅力がある。吾輩もどこに魅力があるかと言われると困るが猫族の青年を沢山 見てきたが、この青年ほど調和のとれた人物は珍しいと思った。

全てが整っている。目鼻立ちに至るまで。

コリラがやってきた。

食卓を囲んで、みんなでわきあいあいのの雑談をしていると、コリラがラーラに寄り添って、キスのしぐさをしょうとした瞬間、大佐がストップをかけた。コリラは激しく反発した。そして喧嘩となった。


大佐はコリラに切りつけた。しかしすらりと身をかわした身のこなしはすごかった。

それでも、相手はプロの軍人。

ハルリラが間に入った。

「待て。剣を持たないものに切りつけるとは卑怯ではないか。わしが相手をする。」

「今のは遊びよ。貴公はわしと勝負をしようというのか。陸軍きっての剣の使い手のわしとやるとはいい度胸だ。」

七分くらいしばらくバシバシ部屋の中でやりあっていたが、大佐の剣は宙に飛び、天井に突き刺さった。

「やめ。」とトラカームが言った。

「やるな。おぬし。しかし、後悔するなよ」


夜は星空に浮かび上がる庭園の美しさを皆で話しながらも、心の中はみな大佐の復讐を心配しているようだった。その場にハルリラだけがいなかった。何か対策を考えているのだろうということが話題になった。


翌朝、百名の銃と剣を持った軍人を大佐が引き連れて門の前に現れた。

ハルリラは、このことを予期して前の晩に用意したことを始めた。

幻覚を利用した魔法のようだ。なんと門の前に進み出たのは恐竜ティラノサウルスだった。その巨体。グロテスクで逞しく強そうな恐竜だ。しかも、ヒットリーラが崇拝している宗教の神でもある。

ガオーという吠え声は獅子をも震え上がらせるに違いない。そして、前へ進むずしんずしんと響く足音と地響き。そして、口から煙幕を吐き出す、

軍人は驚き、大佐はあっけにとられ、門がハルリラによってあけられると、

「や、おはようございます。皆様、朝から、大勢の兵士が武装して人さまの邸宅に来るとは穏やかではありませんな。

ティラノサウルスに歯向かうと、そちらの方ではどうなるか皆様の方が、わし等よりよく知っている筈」

「いや、わしは話に来ただけだ」と大佐が言った。

軍人もヒットリーラの尊崇する恐竜とあって、足がすくんでしまったようだし、銃を向ける気持ちも薄れてしまったようだ。

「トラカームさんは今日はお忙しいのでお会いできないようですよ」

「そうか。分かった。今日は引き上げる」

大佐の指示で軍人達は引き上げた。


邸宅の部屋の中。鯨油でともるシャンデリアの下の真ん中に、低い大きなケヤキのテーブルがあり、それを取り囲むように、ゆったりしたソファーがあった。トラカームと吟遊詩人とハルリラと吾輩はコーヒーを飲んでいた。

コーヒーはコクのあるうまい味だった。

テーブルの上にはランに似た赤と黄色の花が大きな花瓶にいけてあった。

「あの恐竜は魔法ですか」と吾輩は聞いた。

「ハハハ」とハルリラが笑った。

「幻の術よ。魔法の次元の故郷には、広大な緑地があって、そこにまだ恐竜が住んでいる。しかし、この恐竜は今では我らのペットみたいなものよ。

長い魔法の陶冶の歴史の中で、恐竜をどうやって手なずけるのか、研究が進み、今では異次元の世界から、今回のように、呼び出し、吾輩の意のままにする術まで編み出したわけだ。」

「なるほど、今はあの恐竜は異次元の魔法の故郷に帰ったわけだ」と吾輩はぼやいた。

「ティラノサウルスという恐竜を持ち出すとはハルリラさんも面白いことをやる。あれでは、軍人たちは表面上ティラノサウルス教に信奉しているわけだから、手向かうことはできん」とトラカームは言った。

「ティラノサウルス教の組織は少しおかしいな。優れた宗教は、親鸞さまは弟子一人もたず候と言ったことで有名であるように人間の間に上下関係を置かない。神仏の前に、人は平等だからだ。

ところが、とかく大きくなると、官僚組織のような上下関係をつくるようになるのはある程度は許容されるにしても、ティラノサウルス教はこの度合いが常軌を逸している。

まるで、軍隊みたいに上の人の考えを下に強要する。

下の人の自由な考えが許されない。

それから、全ての人に対する大慈悲心あるいはアガペーとしての愛がないのは致命的である。特に猫族に対する偏見は常軌を逸している。


わしは息子のカチがティラノサウルス教に感化されることを心配していた。

ところが、幸いなことに、カチはわしの言うことに耳を傾ける。それで、最近、丘の一番の高台に出来た寺の住職を訪ねてみてはどうかとカチに勧めてみたのだ。

わしもこの住職については友人から話をちらちら聞いていて、非常に深い関心を持っていた。カチが持ってきた話はわしの希望に沿うものだった。この惑星のわが国も良い方向に行くチャンスをつかむかもしれないと思ったのだ。

今の希望はその住職さまだ。名前は親念さまとかいったな」

「親念」

「そう」

「親念と言えば、地球で浄土真宗を開いた親鸞の生まれ変わりとか聞きますが」

「そうです。もう地球では、千年前の人なんです。ところで、その方の思想に、『往相』回向

と「還相」回向があることをご存じかな」

「ええ、ちらとなら、聞いています」

「『往相』というのは、こちらから浄土に行く。阿弥陀仏の慈悲によって浄土に招かれるということだと思う。『還相』というのは浄土からこの娑婆世界におりてくる。これは不思議な思想だな。地球の日本人がつくった偉大な思想でもある」

「それでその親鸞さまが浄土から、この惑星に舞い降りてきて、親念さまとなっておられるというわけですか」

「そうです。その通りなんです。気がついた時には、親念さまが布教を始めていたのです。息子のカチがこの間、訪ねて、その教えに驚いたと言っていました。彼のように、母親のレイトに似て、何か心に強さと悪を持っているような子供には、むしろティラノサウルス教に心服しても良さそうなものなのに、何度もあの変な集会に参加しながらも、結局はティラノサウルス教にはなじめない。それが親念さまの教えに感動し驚いたというのですから、わしも大変興味を持ちました。」


「どうだね。マカ夫人。カチはいないかね。この地球から来られた方たちに親念さまの印象を話して欲しいと思っているのだが」とトラーカムは微笑して、聞いた。

マカ夫人は「あのう。カチさんはレイト大統領夫人の所に行ったそうですよ」と答えた。

「何のために」とトラカームは驚いたような表情をした。

「さあ」

「まさか。ティラノサウルス教の話を聞くためではなかろうかな」

「レイトさまがカチさんの母親であることを、どこかで知ったようですよ」

「なるほど。町の誰かが喋ることはありうるからな」


しばらくして、カチが帰ってきた。十七才ぐらいか。中肉中背で、お父さんほど大柄ではない。カチは勉強よりも剣道というところで、二段の腕前を持っている。

いつも棒切れを持ち歩いているので、 注意されたこともあるそうだ。


「どこへ行ってきたのだい。カチ」とトラーカム。

「好い所さ。」

「どこへ」

「親念さまの所へ」

「あら、レイト大統領夫人の所に行ってきたのではないですか」とマカ夫人。

「うん、彼女を親念さまの所に連れて行った」

「本当か。よくそんなことが出来たな」とトラカームは驚いたように言った。

「だって、彼女はぼくの母親だぜ」

「そりゃそうだ。確かにその通り。それで彼女の反応は」

「ひどく感動していたよ」

「そんなことがありうるのだろうか。ティラノサウルス教の熱心な信奉者が親念さまの教えに感激する」とトラカームは驚いたような目をした。

「殺し合い、邪見に支配され、煩悩に犯されるといった五濁に満ちた悪世に住む人々は

お釈迦さまの真実のお言葉を信じなければならない。その言葉を聞き、喜びに満ちて

阿弥陀さまを信じることができた瞬間から もはや煩悩をほろぼさなくてもそのまま悟りの境地に導いていただけるというお話に彼女は感動したみたいですよ」とカチは言った。

「なるほど」

「つまり、煩悩があるまま、浄土に導いて下さるという教えが心に沁みたのではありませんか」

「そりゃそうだ。お前たち、二人の息子と娘ラーラを捨てて、あんなヒットリーラの元に走ったレイトのことだ。ちょうど、山吹の花が一杯咲いていた頃だった。彼女の頭は煩悩で一杯だったのだろう」                     



【つづく】




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