第八話「盗賊団団長ムルキ」
蝋燭の灯りだけが頼りの暗くジメジメとした空気の部屋。
二人位は入れる大きなベッドが真ん中に置いてあり、壁中には髑髏や死神等が描かれてある絵画が沢山貼られてある。
床には少し錆びたナイフが落ちており、えげつないタバコの匂いが部屋中に充満していた。
そんな部屋の隅で顔を俯けながら立っている黒髪の女が居る。
「……」
彼女は体調が優れていないのか、青ざめた顔をしていた。
それもその筈だ。
これからある男がこの部屋に入って来る。
それは顔に刺青がある汚らしい男。
『皆を解放して欲しかったら、まあやる事は分かってるよな?』
覚悟はしていたものの、これから行われる事は自身にとって大事な初めての事。
一瞬、この状況から逃げ出してしまいたいと考えてしまうが、捕まっている子供の顔を想像するとそれは出来ない。
深く考えすぎてしまい、彼女が過呼吸を起こしかけていたその瞬間。
突然ドアの開く音がした。
「っ――」
彼女はその音にびくっと身体を震わせる。
もうここから逃げ出す事は出来ない、嫌な男にこれから無理矢理身体をまさぐられるのだ。
そう思うと、彼女は絶望するしかなかった。
「よっ」
だが、声を掛けられふと前を見てみると自身の視界に入ったのは余りに予想外なものだった。
「……え?」
着物を着ていて背丈が小さく、顔の左半分に大きな火傷痕がある紅髪の少年。
顔も身体も心も汚れきっている男性ばかりが居るここの中で全く景観に合わない人物だった。
「えーと、背が高くて胸が大きくて釣り目で所謂美人系で……ああ、聞いた特徴と合ってるな。アンタが『ミリア・ラーベラ』か?」
ルーベルは記憶と照らし合わせる様にじーっと彼女を見ながら、指を指して問いかけた。
彼女は一瞬放心状態ではあったが急いで答える。
「そ、そうだけど……君は?」
「俺はルーベル。アンタの父親に頼まれて助けに来た傭兵だよ」
「……!ほ、他の子たちは!?」
「……ああ、勿論皆助けたぜ。今頃俺の仲間が村に連れ帰ってる所だろうな」
「よ、良かったあ!」
彼女は安心したのか、膝から崩れ落ちる様にその場に座った。
「まあそうなる気持ちは十二分に理解出来るんだけど、取り敢えず今は立ってくれよ」
「……あ、そうだよね。よしっ」
彼女は先程の青白い顔とは打って変わって、元気一杯の表情になっていた。
「さ、帰ろう!私も早くシャワー浴びてご飯も食べたいし」
「元気な奴だな」
彼女がドアを開けようとした瞬間、ルーベルは少し気まずそうな表情をしながら彼女の肩を掴んで止めた。
「な、何?」
「いや……」
ルーベルはゆっくり彼女の胸に指を指し、少し照れる様子を見せながら顔を横に背けた。
「……流石に服、着た方が良いぜ」
「えっ、あっ!」
彼女は自身が裸だった事を思い出して羞恥心から一瞬両手で身を隠し、すぐさま下に脱ぎ捨ててあった服を着ていく。
「み、見た!?」
「いや、そりゃ見たよ」
「が、ガーン……。は、初めて男の人に見られた……」
「……俺も初めて見たよ」
二人の間に気まずい雰囲気が漂う中、彼女はま、いいやとルーベルの手を掴んだ。
「うん、気にしないでおこう!君はまだ子供だしね」
「ま、まあそうだな」
「さて、行こうよ。こんな空気の悪い所に居たら変な病気に掛かっちゃいそうだよ」
ミリアは苦手な煙草の匂いや空気にごほごほと少し咳き込みながら扉を開け、廊下に出た。
「ちょ、待っ――」
「……え」
開いた扉の先にあったのは、男達が全員血だらけで倒れているのが目に入る。
その中には見るに堪えない姿をしている者も居た。
当然ながらそんなものを見慣れていないミリアは嘔吐を催していた。
「っ――」
「……ああ、悪い。目を瞑りながらでいいから俺の手を握ってでも付いてきてくれ」
言われた通りに彼女は瞼を閉じて彼の手を掴んだ。
その手はとても小さなものだったが、それでも人の温もりに安心したのか彼女は強く手を握り返した。
コンコンと足音が反響するだけが流れているその場で、ルーベルが話を切り出した。
「さっきは驚いた」
「?」
「アンタの事。自分の心配をするよりもまず子供の心配をするなんてな。俺はその場で泣かれて、駄々をこねられるまで想定してたんだけど」
「ええ、そんな事しないよ。そりゃ私も怖いけどさ……でも、あの子たちはもっと怖い思いをしてるだろうから」
彼女は目を瞑りながら、顔を俯かせる。
「――強いんだな。てっきり金持ちのぼんぼんだと思ってたから意外だ」
「むっ、それを言われるのが一番嫌いなの。父親は確かに凄いけど、私は私。それに、今は自分の売り上げだけで生活してるからね!」
「まあ親の事ばっか言われんのうぜえよなぁ。よく分かるぜ」
「そうそう!貴方の父親も有名な人なの?」
「まあ、それなりには。そのせいで俺がした事でも全部父親の方に注目が行っちまう。だから、俺は父親の名を出さずに『ルーベル』として活躍したいんだ」
「うんうん、ルーベル君の気持ち痛いほど分かるなあ」
「だろ?」
二人は最早ここが敵のアジトである事を忘れている程に雑談を交わしていた。
それから五分程が経ち、出口が近づいてくる。
「さ、もう着くかな」
「はぁ、もうこんな所やだ。早く帰りたいなあ」
二人が出口に踏み入れようとしたその時だった。
「っ……え」
ある瞬間。
肌で分かる程に嫌な空気がその場に漂う。
「――なあ、お二人さん。楽しそうだなあ、俺も会話に混ぜてくれよ」
そして次の瞬間、低い独特な声が聞こえ、二人は聴こえた声の方向へとすぐに振り返る。
するとすぐ近くの真後ろに、髪が長く、髭を生やした中年の男が居た。
(こいつ……いつの間に)
自分がこれほどまで接近されて全く気付かない事などあり得ない。
普通じゃないと警戒したルーベルは怯えているミリアを自身の背後に下げさせ、腰の刀に手を当てた。
「おいおい、落ち着けよ。そうやってすぐに斬りかかろうとすんな、少年」
「……お前がここのリーダーか?」
「ああ、そうだ」
ルーベルは返答を聞いた瞬間、迷いなく斬りかかった。
「っ――!?」
だが紅焔は空を切る。
それどころか一撃、打撃の様な攻撃を顔に喰らい、逆に口から血を流している自分に気付く。
「ルーベル君……!?大丈夫!?」
「……ああ」
「やれやれ、だから言っただろ。このムルキ様には誰も敵わねえんだって」
ムルキと名乗った男はまたいつの間にかルーベルの背後を取っていた。
そこで余裕綽々と座り、口から血を出しているルーベルに話しかける。
「ったく、今日と言う日は今世紀最大に最悪だぜ。ウチの戦力は殆どやられちまった上に在庫も全員逃がされちまった。……なあ、俺はこれからどうやって生きて行けばいいと思う?」
「……二択だ。大人しく捕まるか、俺に殺されるか。早く選べよ」
「はっはっは!おいおい、まだ俺に勝てる気なのか?辞めとけよ、お前には無理だって。だから、提案がある」
「……?」
「痛み分けっつー事でさ、俺と組まないか?お前の強さ、俺が活用してやるよ」
ムルキは歩みかける様に微笑みながら、ルーベルに手を差し伸べた。
しかしルーベルはその手を払いのける。
「意味が分からねえな。何でこの流れで俺がお前と組まなくちゃならないんだ?」
「まあ聞いてくれよ。俺の両親は重い病気に掛かっていてな。助かる為には手術が必要なんだが、俺んちは貧乏で金なんかありゃしねえ。だから、仕方なくこうやって悪い事をして稼いでたんだよ。本当は悪い事なんてしたくないんだ。だから、俺とお前で協力してさ、一杯金稼ごうぜ?それで俺も普通の生活に戻りたいんだよ」
ルーベルは感情的に話す彼の言葉を聞き、それに返答する様に紅焔を彼の首に向けた。
「……嘘の自分語りは楽しいか?べらべらと喋りやがって、そろそろ飽きたぜ」
「ははは、そうだな。俺も丁度そう思ってた所だ」
「――っ!?」
次の瞬間だった。
ルーベルは突然後ろから後頭部に強い打撃を加えられ、その場で倒れてしまう。
彼はそのまま上を見上げてみると、そこにはムルキが二人、視界に入った。
「「――俺ァ、腹わた煮え繰り返ってんだよ。テメエの命だけじゃあ釣り合わねえぞ。四肢をもぎ取って、街中に飾ってやる」」
「お、おい……っ――ガハッ」
ルーベルが喋ろうとする前に男は、彼を強く踏みつけた。
ムルキは楽しそうな表情で綺麗な着物が黒く汚れ切ってしまう程に何度も踏みつけ、終いにはポケットから鋭利なナイフを取り出し、左手で持つ。
見かねたミリアは身体を震えさせながらも、意を決して彼の前に立ちふさがる。
「も、もう辞めて!」
「……あ?うるせえな。お前も同じ様にされてえか?」
「ひぃっ……」
「……おい、ガキ。冥途の土産に教えてやる。俺はこの指輪のお陰で『分身』出来るんだ。さっきお前が話していたオレは偽物ってこった」
倒れているルーベルを踏みつけながら、右手に髑髏の指輪を付けている彼は大きな声で笑う。
「ははは!つっても、もうどうしようもねえけどなあ!……さて」
倒れているルーベルは男に首根っこを掴まれる様に持ちあげられる。
「っ……辞めろ」
「辞める訳ねえだろボケが。生まれてきた事を後悔する位に酷い目に合わせてやる」
そしてムルキはナイフをルーベルの顔に当てた。
当然彼の頬から血がつーっと滴る。
「っ……」
「俺を楽しませてくれよ?俺は人を分解する瞬間が何よりも快感を覚えるんだ」
片方の口角を上げた悪い笑みを浮かべている彼がルーベルの首にナイフを当てたその瞬間だった。
ナイフを持っていたムルキの右腕が赤い血しぶきと共に飛んだ。
「……は?」
痛み、よりは驚き。
色々と蠢いている感情は、次第に痛覚の方に重きを置いていく。
「っっっってえええええええ!」
「これで分身出来ねえだろ、残念だったな」
「こ、このクソガキがあああああああああ!」
アジト中に響き渡る様な一生懸命な叫び声と共に彼はルーベルの首を狙ってナイフを突き刺そうする。
がしかし、当然ながらルーベルに足を掛けられ、バランスを崩した彼はこかされてしまっていた。
「く、くそ……!」
そして床に這って倒れている彼に向かって、ルーベルは両手で紅焔を構えた。
「ひ、ひぃ!!!」
当然ながら怯え、彼は頭を床に付けて降参のポーズをした。
「い、命だけは助けてくれ!オレだって悪い事がしたい訳じゃなかったんだ!」
「……お前は今迄に人を何人殺した?その返答によっては許してやる」
「ひ、独りも殺してない!嘘じゃない、ホントだ!俺は不殺主義で優しい――」
「そうか」
ルーベルはムルキが喋っている途中に床を這ってる彼の身体に紅焔を突き刺した。
痙攣しそして動かなくなった彼の耳元に声を震わせながら囁く。
「……牢屋の惨状は全部テメェがやったんだろうが。命に謝る価値も無えよ」
×
「……私は、なんて愚かだったのでしょうか」
リラは顔を青ざめさせ、誰も居ない傭兵ギルド『ザーグ』の端っこで体育座りをしていた。
ルーベルはその隣で腕を組みながら厳しい表情で壁にもたれかかっている。
「まあ……アンタ等がもっと早く対処していたらああはならなかったかもしれない。盗賊を甘く見すぎた結果だ」
「っ――」
ミリオルは唇を噛めしめ、下を向きながら涙を流していた。
「でもな――」
ルーベルはギルドの扉をゆっくりと開ける。
するとそこに居たのは一人の金髪の少女。
「……え」
「生き残りだよ、死体の中で怯えながら隠れていたらしい」
「……」
少女はまだ体調悪いのか少し顔を青白くさせていたがしかし、震えながらもしっかりと二本の脚でこの場に立っていた。
「――っ」
「アンタが頑張ったお陰でこの子が助かった。それは誇るべき事なんじゃないか?さ、あのお姉ちゃんに言いたい事があるんだろ。行って来いよ」
「……うん」
ルーベルに背中をポンと叩かれた女の子は、驚いて少し放心状態になっているミリオルの近くに行った。
そして頭を下げ、小声ではあるものの感謝の気持ちを伝える。
「ありが……とう、おねえちゃん」
「……!」
ミリオルは後悔していた。
それは自身が傭兵と言う職業を選んでしまった事では無く、沢山の人を助けられなかった事を。
彼女は勢いよく涙を拭き取り、下げていた顔を前に向けてみせた。
「私、頑張ります。……もう犠牲者は出したくありませんから」
「その返事を聞けて良かったよ。……それと、俺も一時の感情でだいぶ無理しちまったし、させちまった。……ごめん」
ルーベルが反省した表情をしながら頭をぺこりと下げたその瞬間、木の扉が音を立てて開く。
そこに居たのは初老の男性。
「ザドさん。娘さんは大丈夫だったのか?」
ルーベルがこちらへと帰ってきた時、ザドの娘――ミリア・ラーベラは突然倒れ、村の病院へと運ばれた。
「それがどうやら疲れ果てて眠りこけただけらしい。……全く、本当に心配をかける子だ」
「まあ、無事ならよかったよ」
「ああ、特に怪我も無く軽傷で済んだ。それもこれもルーベル君、君のお陰だ。感謝する」
ザドはルーベルに対して頭を深く下げた。
ルーベルは手を前に出す様に困惑しながら、待て待てと彼に声を掛ける。
「アンタは偉い人なんだろ……頭を上げてくれ。それに俺は傭兵だ。頼まれた依頼を遂行するのは当り前だよ」
「……!君は凄いな。いずれ国中で活躍する傭兵になりそうだ。もし王都に来る事があったら、真っ先に連絡してくれ」
ルーベルはザドから彼の顔写真が入った名刺を受けとった。
「ザド・カンパニー……?」
「ああ、私の会社でね。ザドグループの店なら是非贔屓させてもらうよ」
「お、おう。ありがたいな!」
実際、有難みを全く分かっていなかったルーベルだったが、一応感謝をしておく彼だった。
『ぽっぽーぽっぽー』
現在の時間は昼の十三時。
ルーベルは壁掛け時計から『ハトト』と言う鳥の魔物が元気に鳴きながら顔を出したのを見て、時間を確認するとルーベルは壁にもたれかからせていた刀を手に取る。
「さて……じゃあ、俺はもう行くよ。今日の夜はちょっと休みたいから、さっさと次の村まで行かないといけないからさ」
「待て待て!報酬がまだだろう?」
「ん、俺は受け取らねえよ」
「「え?」」
ルーベルが木の扉を開けそう発言すると、二人は驚きの表情を見せていた。
「な、何故だ?」
「だって前にリーラが言ったろ?全責任はギルド『ザーグ』のものだってな。なら、報酬を俺が受け取るのはおかしいよな」
ルーベルはリーラの方をニヤリと笑みを含みながらじっと見た。
「い、いえ、流石にそれは……」
「でも"ルール上"はそうなんだろ?なら、仕方ねえや。折角だからその金をギルドの為にでも使ってくれよ」
「――!」
「じゃあな!また会おうぜっ――」
ルーベルは二人との会話を途切れさせるようにルット大橋の方へと走っていった。
「もう――」
村を救った紅髪の少年、ルーベルの事については当分の間、話題で持ち切りになったようだ。
不吉で怖い紅髪だけど、優しくて、強くて、凄くて。
彼らの学校では色んな褒め言葉が飛びに飛び交って、終いには尾ひれが付いて背の高いイケメンで金持ちと言う情報にまで発展し、彼が村へと戻り辛くなった話はまたいつか――。