第四話「少年の旅立ち」
暗闇の中、少年はパチクリと目を開けた。
辺りを見渡しても無としか表現の仕様が無い黒色が続くばかりで、自身の身体が余り見えない。
先程までベッドで寝ていた筈なのに、少年は一瞬そう思うが、途端にある事を理解した。
ああ、これは夢だ。
普段夢を夢として見る事の無い彼だが、この時だけはどういう理由かこれが夢の中であると言う事を完璧に理解をしていた。
そしてまた同時に彼はこれが自分の大切な何かを示す物である事をすぐに理解をした。
そしてそれに応じる様に暗闇の中、奥の方に赤く光っている何かが見え始めた。
彼がそれに恐る恐る近寄ってみると、そこにはポツンと一つ紅色の扉があった。
それを見た瞬間。
なんなんだ、これは。
少年は胃からこみ上げてくる何かを嘔吐し、余りの気持ち悪さに突然その場に倒れこんでしまった。
これはダメだ、絶対に存在してはいけない。
早くこんな所から逃げなければ――途端にそう感じ、背後へと振り向く。
しかしその瞬間にとてつもない強い頭痛が彼を襲った。
余りの痛みに倒れてしまいそうになるが、何故か彼は納得をした顔をしていた。
ああ、そういう事か。
無理矢理にでもこの扉を開けろ、不明な何かが自分にそう言っているのだと、また彼はすぐに理解をする。
頭を抑える様にしながら扉の方へと向いてみると、今迄あった強い痛みが嘘だったかの様に消えていく。
少年は気持ち悪さを無理矢理抑えながらも、何とかドアノブに右手を掛けた。
多分これを開いてしまえば、間違いなく後悔するのだろう。
だが、この痛みから逃げるには開けるしかないのだ。
彼はその深紅の扉を引く様に開く。
「――っ、あ、あ……」
倒れているのだろうか、下を向く事さえ出来ない。
先程とは違い自身の身体の存在を認知し、それと同時に痛覚に
狭ばる視界に映るのは、焼けていく村、逃げ惑う知らない人達。
意味が分からない、これは何だ?
夢だとしたら余りにリアルすぎる。
もはや痛みで身体を動かす事も出来ず、ジリジリと焼け蝕んでいく様な凄く気色の悪い音がどんどん聴覚を刺激していく中、地面が揺れ響く様な音が聞こえてきた。
顔を上げ見てみると、そこには家よりも数倍はあるであろう巨大な魔物。
手には紅く塗り尽くされている鋭い爪が生えており、頭の角には人間の死体だった物が沢山突き刺さっていた。
彼は悟った。
ああ多分俺はここで死ぬんだろうと。
だからこそもう苦しみたくないと、自分を焼け蝕む炎とこれから来るであろう地獄から逃げ出す様に目を瞑る。
だが、その時だった。
白い髪が靡き、美しくもおどろおどろしい刀身が目に入る。
「――見た事も無い軍服の男が突然現れたんだ。その人は俺に襲い掛かろうとしていた魔物を刀で斬り伏せて、俺の名前を呟いて助けてくれた。夢はそこで覚めたんだ。……あんな男もあんな化物もあんな村も、何もかも知らねえし見た事もねえ。だからただの悪夢だったのかって思った。けど――」
ルーベルはダーゼットの前に見せる様に、腰に差していた紅の刀を引き抜いた。
「あの男が持っていた刀は、明らかにこの『紅焔』だった。色も長さも鞘も、これと丸っきり一緒だったんだ。それだけじゃない。俺の火傷痕もあの時燃えたのが理由なんじゃねえかなって」
ルーベルは顔の右半分にある痛々しい火傷痕を指してそう言う。
「……バカらしいと思うかもしれねえけどさ、どうしてもただの夢だったとは思えねえんだ。アンタに拾われる五年前よりももっと前に俺が何処で何をしていたのか、何で俺の髪色は不吉と言われる"赤"なのか。自分の事についてなのに、何も知らねえんだ……嫌になるよ」
「成程な、それが旅に出たい理由か」
「……ああ、知りたいんだ。自分の過去を」
一生懸命喋っている彼の話を聞くも、ダーゼットは厳しい表情をしていた。
「……それが例え、自分にとって死ぬほどつれえ過去だったとしてもか?その悪夢が事実だったとしたら、知っても間違いなく楽しいモンじゃねえだろ。この世には知らない方が幸せな事もあるぜ」
「そうだとしても、知らないよりは知った方がいいだろ。それに今の俺はこうして元気で居るんだ。過去に何があろうと絶対に後悔はしねえ」
「はっ、若いな。軽々しくそんな事が言えんのは"本物"を知らねえからだな。……マジの後悔っつーのはな、とんでもなく気持ち悪いのが一生こびりついて残るんだ」
「っ……そうだな。俺は何も知らねえ。だから、旅に出て世界を知りたいってのもあるんだ……甘いかもしれねえけどさ」
ルーベルは自身の経験の浅さから出た発言に愚かさを感じたのか、下を向いてしまう。
数秒の間彼らの間には無言が続き、ずっと俯いているルーベルを見てダーゼットは溜息を付いた。
「まあいい、お前も男だ。そこまで覚悟を決めたんなら、旅でも何でも行ってこい」
「――!いいのか!?」
「好きにしろ。ただ、俺は一切お前を助けるつもりはねえ。こんなご時世だ、危ねえのは強い魔物だけじゃない。子供を攫ったり、人を平気で殺す様なクソみてえな人間も多くいる。そんな奴らと本気の命の取り合いをしなければならない時が幾度と無く来るのは、お前も傭兵の経験からよく分かっているだろう。だがな、今迄はお前の窮地は俺が何度も助けてきた。が、これからはお前独りなんだ。それを本当に理解しているのか?」
ダーゼットの強い言葉を聞いてルーベルは自分がしようとしている事の重大さを再確認し、一瞬固唾を呑んでしまうが覚悟を決める様に拳を握り締めた。
「……ああ、だからここぞと言う時に決める覚悟がいるんだ、だろ!」
ダーゼットは彼のその色々な感情が混ざった様な表情を見ると、頭を掻きながら溜息を付き後ろへと振り向いた。
「――あーもう面倒くせえ。早く家帰って支度しとけ」
「あ、ああ!やった!」
ルーベルは旅が認められ飛び上がる程に嬉しかったのか、満面の笑みでガッツポーズを決めていた。
当然だろう、ルーベルは二年間目標の為に一日たりとも修行をしない日は無かった。
他の街に遊びに行く事もせずに地道な努力をして、やっとの事ダーゼットに本気度が伝わったのだ。
十五歳の少年は格別な喜びを噛みしめていた。
「あ、おい。ちょっと待て」
だが、それも束の間。
「ん?何だよ」
「いや、お前これどうすんだ?」
ダーゼットは少し焦っている様子で背後にあった道場だったモノに指を指してそう言った。
「どうするって……ああ、これ?」
最早自分の行いを無理矢理忘れた事にしようとしていたルーベルだったが、現実を突きつけられる。
「やっぱり怒られる?」
「……まあ前に俺がドアを蹴破っただけで奴に一日中怒られた位だ。アイツは怖えぞ、怒られるで済めばいいがな」
「……あ、そう」
ルーベルは規律に対してとても厳しい副村長にこれからどういう言い訳をしようか、顎に手を当ててずっと考えていた。
×
時刻は19時32分。
これくらいの時刻になるとなのだが、普段静かなカーナ村から楽しげな声が沢山聞こえてくる。
と言うのもルーベルが旅に出る事を知ったカーナ村の皆が、村を挙げてパーティーを開いてくれる事になったのだ。
また折角パーティを開くと言う事なのでどうやら他の村にまで声を掛けたらしく、カーナ村の中心部には多くの人が集まって豪勢な食べ物や酒と一緒にどんちゃん騒ぎをしていた。
「いてて……」
踊ったり歌ったり、皆楽しそうにパーティーを楽しんでいる中、当事者はと言うと、頭に大きなこぶを作りながら独り人気の少ない森の近くで手持ち肉にかぶりついていた。
彼自身話題になっているので色んな人間から誘われはしていたのだが、人付き合いが苦手な彼は逃げる様にここに来たのだ。
彼は学校には通った事が無く、外に出て修行に明け暮れる日々だったせいか仕事仲間の中年男性とはよく喋っていたのだが、殆ど同年代の子とは関わる事も無く育ってきたので喋り方が全く分からない。
このままじゃダメだよなと、ギルドの仲間に頼んで合コンに連れて行ってもらった事があるのだが、同年代の男とも喋れないのに女子となれば喋る内容が全く思いつかず結局独りでジュースを飲んでいたと言う苦い記憶もあってか、
ルーベルは同年代の子と喋る事に対して苦手意識を抱いていた。
(それに……皆、違うからなぁ)
自分と同じ位の子らは皆、学校を卒業すればそのまま村で働くか、王都にまで行って高等教育を受けに行くかの大体はどっちかの二択。
こんなご時世にわざわざ自分から旅に出たい等と言う人間はやはり異端扱いされるのだ。
話の合う人間が居ないつまらなさを知っている彼は、もうこの辺の同年代の子とは喋る気が全く無かった。
ルーベルは木にもたれかかりながら、肉を頬張っていると、突然肩をポンポンと叩かれる。
「ねえ」
「――えっ?」
急いで振り向いてみるとそこに居たのは全く見知らぬ女の子。
ふわふわっと肩まで掛かっている栗色の髪を風に揺らしながら、座っているルーベルに笑顔で覗き込む様にしてこちらを向いていた。
「まさか、君がルーベルって人?」
「え」
突然の事に対応が一瞬遅れてしまうルーベル。
「あ、ああ。そうだけど」
「ああ、やっぱり!赤色の髪の毛の子って聞いてたからすぐ分かったよ!合ってて良かったぁ」
「……まあ不吉な色だし、目立つからな。で、何?」
こいつ誰だよ、早くどっか行けと言うオーラをひしひしと出しながら、彼は女の子の方を向かずに会話をする。
それを見た彼女はルーベルを不快にしてしまったと思ったのか、焦って頭を少し下げた。
「あ、ええと……いきなり話しかけてごめんね。明日から旅に出ちゃうんだよね?折角だから君の話を詳しく聞きたいなって思って」
「何の?」
「B級の魔物を倒した時の事とか、どうやってそんなに強くなったのーとか」
「んなの聞いても別に面白くないから辞めた方がいいよ。冒険者目指してないなら聞く意味も無いし」
わざわざ強い口調で突っぱねる様にしたのは、普段ならこれでコイツは面倒臭い奴なのだと踏ん切りを付けてくれるからだ。
だが、彼女は強い目でルーベルの方を見つめて深呼吸した後、口を開き始めた。
「私、冒険者目指してるんだ」
「……!」
予想外の返答にルーベルは驚いた表情で彼女の方へと向く。
「事情があって、ね。だから色々と詳しい話を聞きたかったんだけど、周りにはそんな人達が余り居なくて」
「……地元の村ギルドとかあるだろ」
「うん。前に行ってみたんだけど」
彼女は質問に答えると、少し暗い表情をしていた。
「冒険者は女だから無理だ、って笑われながら言われちゃってさ。ちょっとショック受けちゃって……でも、独りで頑張っても全然強くならないしどうしようかなって。私……運動神経も悪いし無理なのかなぁって」
彼女は語気を弱めながら悲しげな表情を見せた。
そんな様子を見たルーベルは手に持っていた肉を食い切り、溜息を付いた。
「一言。まずその弱い精神力じゃ、魔物とは戦えねえ。一瞬の迷いが命に関わるんだ。今のアンタに本気の命の取り合いが出来るとは思えない」
「……だよね。やっぱり――」
「――それと」
ルーベルは更に落ち込みに磨きをかけた彼女の言葉を遮る様に喋る。
「女とか男とか関係無え。確かに運動能力は男の方が高いかもしんないけど、女でも訓練と立ち回り次第じゃ全然男にだって勝てる。強い奴はつええし、弱い奴はよええ、それだけ」
「――!」
「……だから、よく分かんねえけど、努力の仕方が間違ってるんじゃねえの?苦手分野ばっかりやってるとかさ。得意な武器は?」
ルーベルは食い終わった肉を皿の上に置き、彼女の顔をじっと見ながら本気で分析をしようとしていた。
彼女もそれが意外だったのか驚いた表情をしつつも、それに応えようとする。
「え、ええと言い辛いんだけど、どれも苦手で……」
「じゃあ、魔力テストの値は?学校でやったろ」
「ええと、確か……Bプラスの721だったよ」
「いや、滅茶苦茶高いじゃん」
「でも、運動が本当に苦手で……その魔力を全然活かし切れなくて。実技もいつもドベで……」
「ん、魔法はやってないのか?そんだけの魔力があるなら、明らかに適してると思うんだけど」
「あ、えっとね、この辺の学校じゃ魔法の勉強はやらないんだよ。どうせ必要無いって、カリキュラムには組まれてないの」
「……マジかよ」
「学校の終わりに村の図書館で勉強はしてるんだけど、本の勉強じゃ知識は付いてもやっぱり限界があって……。あ、でもでも一応初級魔法は使える様になったよ」
「ああ、それならもう魔物を倒しに行った方が良い。クエストを実際に受けてみて、な」
「――え!?」
彼女はルーベルの発言にとても驚きを見せていた。
当然だろう、魔物と戦ったことも無い少女がいきなり実戦と言うのは中々に酷な事だ。
「何も不思議じゃねえよ。だって、本気で旅に出るつもりなんだろ?なら、さっさと実戦に慣れた方が良いのは当たり前だ。初級魔法でも上手く立ち回ればノンランクの魔物になら十二分に勝てる」
「な、なるほど!分かったよ!あ、でも、村のギルドには……入れないし」
「ああ……それならこの辺に『ヒーロー』ってギルドが近くにある。えーとアンタの名前は?」
「バニラ。バニラ・フォーベルだよ」
「じゃあバニラ、明日辺りに訪ねてみろ。俺の紹介だって言えば、受け入れてくれるから。ギルドには魔法の使い手もいるし、中々に面白いと思うぜ。……どうした?」
バニラは何故か喋っていたルーベルの顔をじーっと見ていた。
彼は女子に顔を見られる事に慣れていないのか、少し顔を背けてしまう。
「――あ、ええと、ごめんね!何だか凄いなあって。私と同い歳なのに凄く強いし、何でも知ってるし、もう大人の世界に入ってるんだって思って。……私もまだまだ頑張らないとな」
ルーベルは彼女の手をふと見た。
それは綺麗でおしゃれ好きな女の子の物では無く、手の平の様々な所に豆が沢山あり、言っては悪いが所謂女の子の手では無い。
毎日剣を握っていないとああはならない――ルーベルはバニラが言葉だけの人間では無い事をそこで察していた。
「……まあ、頑張れ。もし旅先で会う様な事があればヨロシク」
「う、うんっ!」
普通の会話が出来たかなとルーベルは一安心しつつ、自分にしては珍しく多弁だったなと振り返っていた。
だが、バニラはまだじーっとそこに居た。
無言の変な間が続き、気まずく感じたルーベルが立ち去ろうとしたその時だった。
「ええと……ルーベル君は、何処か行ってみたい所とかあるの?」
「――!」
彼女の声にルーベルが振り向くと、バニラは少し緊張気味で身体を強張らせていた。
やはり自分の素っ気なくしている態度が少し怖く感じているのだろうか――普段なら同年代のしかも女子に話しかけられるなんて面倒臭いと感じる彼だったが、この時だけはいつもと違う感情を抱いていた。
「あ、止めちゃってごめんね。でも、もっとルーベル君と話してみたくって……やっぱりこんな話が出来る人なんて同年代で余り居ないから」
「……よし――」
ルーベルはその場で足を止め、バニラの横に座り込み、少し照れ臭そうにしながら喋り始めた。
「折角だから色々と話すか。俺も学校行ってないから知識は偏ってるし、知らない事とか教えてくれよ」
「……!全然いいよ!何でも聞いて!」
彼女はそう聞くと、満面の笑みでルーベルの方へと向いた。
「旅って辛い事が殆どだと思うんだけど、でもやっぱり楽しい事もあるよね。観光とか楽しそう!ルーベル君は何処か行ってみたい所とかある?」
「んー俺はそんなの気にした事が無かったからな。まあ挙げるとするなら、ゼンガーロ山かなあ。強い魔物が出るって聞いたし、修行の場に良さそうだ」
「あはは!そこでもやっぱり修行思考なんだね」
「当然。もっともっと強くならねえと!」
バニラはルーベルのそのらしさに思わず笑ってしまう。
「そういうバニラは?」
「そうだね、私は――」
ルーベルとバニラは先程までの硬い表情では無く、何処か照れ臭そうに色々と話し合っている。
綺麗な星空が見える良き場所で座りながら、二人は慣れない会話を楽しんでいた。
×
「んー、いい天気だ」
ルーベルの言葉から出た様に、空は彼の出立を祝っている様に青く澄み渡っている。
雲が少し浮かびを見せているが妥協で晴天と言った様な所であろう天気の下で、ルーベルは腰に刀を差しカーナ村の入り口で身体の至る所を伸ばす様にストレッチをしていた。
「にしても……」
そんな彼の背後には、今迄共に過ごしてきた沢山のカーナ村の人達が集まっていた。
「こんな朝早くから集まらなくていいのに。皆、仕事もあるだろ」
「そりゃあ集まるさ!あんなに小さかったルーベルが旅に出るって言うんだからねえ」
ルーベルがダーゼットに拾われ、ここに来てから丁度五年。
初めは皆、火傷痕に不吉な色の髪をした暗い顔の少年を本心では受け入れてはくれなかった。
しかし今ではもう自身の事を仲間だと思ってくれているんだな、とルーベルは少し嬉しく思っていた。
「にしても、もうちょっとゆっくりしていってもいいんじゃないか?クエストからも帰ってきたばかりだろうし」
「まあそうしたい所ではあるんだけど、俺も早くやりたい事があるからさ。ちょっとでも急がないと」
「そうかい……にしても、アンタの父親はホントろくでもない奴だね!息子の華々しい旅立ちに見送りに来ないなんてさ」
「はは、まあ分かってた事だしな」
多くの村人に囲まれているルーベルだったが、その中にダーゼットの姿は無かった。
何とも彼らしい、とルーベルは少し苦笑いをしながらも、何か彼に認められている様な気がしていた。
「あれ、そういやロコは?」
「ああ……あの子はルーベルが居なくなっちゃう事が相当ショックだったみたいだからね。ずうっと家から出てこないんだ」
「……そうか。アイツには悪い事をしたな」
ルーベルは彼女の顔が見れない事に少し寂しく思いながらも、もうそろそろ行くつもりなのか村人たちに向けて手を大きく振った。
「じゃあ、皆。行ってくるよ。ばいばい」
「行ってらっしゃいー!気を付けろよー!」
「ああ、また帰ってくるよ」
ルーベルは前へと向き、旅立とうとしたその時だった。
何か鋭い音が彼の耳に入る。
「――」
ルーベルはその音に瞬時に反応し、振り返った。
凄い速度で目前に近付いてきたのは少し汚れたサッカーボール、彼はそれを右脚で綺麗に止めて見せる。
飛んできた方向を見ると、そこにはロコが居た。
「……ロコ」
「ずりぃよ……いつもオレより先に行っちゃうんだから」
ずっと泣いていたのが分かる程に腫れぼったい目をしている彼女を見て、ルーベルはとても申し訳なさそうな表情をしていた。
「なあ何で、旅に出ちゃうんだよ。オレには相談すらしてくれないしさ……!」
「……それは悪かった。だけどな、ロコ。俺にはやらなくちゃいけない事があるんだ」
「それは、危険な事をしてまでしないといけない事なの……?」
「ああ、そうだな。命を懸けてまでやる価値がある物だと思ってる」
「……ホント、バカだよルーベルは!」
「いてっ」
ロコは語気を強めながらルーベルの脚を蹴り、ルーベルに向かってべーっと舌を出した。
「もういい!バカルーベルなんか、村に帰ってくんな!」
「こら、なんてこと言うんだい!」
「うるさい!……ひぐっ」
嗚咽を漏らしながら彼女はそれを見せたくない気持ちがあるのか、隠す様にその場でうずくまってしまった。
そんな彼女にルーベルはゆっくりと近付いていく。
「……なんだよぉ。放っておいてくれればいいのに!」
こんな彼女を初めてみたルーベルは少し戸惑いつつも、彼女の目線に合わせる様にしゃがんだ。
「ロコの目標は何だった?」
「……サッカーでプロになって、王都でスターになる」
「そうだな。じゃあこんな所で泣きじゃくってる場合じゃねえのは、強いお前なら分かってるよな」
「……そ、そんな事思っても無いだろ!どうせこうやって泣きじゃくってるオレの事を弱いって思ってるんだろ……!」
「はぁ――」
ルーベルはそんな拗ねている彼女を見て溜息を近付いたと思うと、ロコの両頬をつまんだ。
「い、いてててて!は、はにふんだ……!」
「いいか、聞け!お前は凄えし、強い!あんなに夢中でずっと努力する人間だぞ!俺はお前の事を尊敬してるし、生き方の参考にもしてる!」
「――!」
ロコは驚いた表情をしていた。
ルーベルの口から今迄自身の事について聞いたことが無かったからだ。
「だから、取り敢えず顔を上げろ。お前はこれからとんでもなく険しい道を目指すんだ。なら、俺が居なくなった程度で泣いてちゃ絶対ダメだ!」
「……うん」
ロコは消え入りそうな声ではあるが、顔を上げて返事をした。
「ごめん、ルーベル……さっきあんな事言っちゃって」
「んなの別に構わねえよ。それより、早くプロになって俺にサインくれよ。すっげえカッコいい奴な」
「……うん、絶対に渡すよ!……こんな所で泣いてる場合じゃなかった!練習、行ってくる!」
彼女はすぐに立ち上がってボールを取り、ルーベルに顔を見せない様に走っていった。
「あの子、大丈夫かしら……」
「ん、まあ大丈夫だと思うぜ。さっきも言ったけど、ロコはマジで強いから」
ルーベルは少し安心したのか、先ほどよりも晴れやかな表情をしていた。
(さて……と)
ルーベルは五年間過ごしてきた村を感慨深く感じながら辺りを見渡していた。
周りにも良くしてもらい何不自由の無い生活をさせてもらっていたが、それと同時に狭さも強く感じていた事を思い出していた。
(心残りは……もう無えな)
「じゃあ、行ってくる!」
「「行ってらっしゃい!」」
腰に紅の刀を差し、赤と黒が入り混じった着物を着ている少年――ルーベル・レルバリアは前を向き、南の方角へと強く一歩を踏みしめた。