第十二話「師範を継ぐ者」
「ん……」
「あ、起きた」
「貴方は……」
押せば押すほど反発する様なふわふわのベッドの感触を背中で感じながら、リンはゆっくりと目を開ける。
するとそこには椅子に座っている紅髪の少年が居た。
「ルーベル君……?ど、どうして此処に?」
「ん、言ったろ。ラーメン食べに来たんだって」
「……あの、こっちの棟は練習生以外入っちゃダメな場所なんだけど」
「え、そうなのか!?こっちって言われたぜ」
「多分、入門希望者と勘違いしたんだね……」
「そうだろうな」
「……」
リンとルーベルの間には気まずい空気が流れていた。
無言が漂う空気の中、先に声を出したのはリンの方だった。
「……情けない、でしょ?」
リンは顔を俯かせたまま、そう少し呟く。
「……」
それに対して、ルーベルは何の返答もしなかった。
「私ね、師範『ルウ・ヴァール』の一人娘なの。だから物心つく前からずっと修行させられて来たし、街にだって遊びに行った事も無いんだ。……でも私はね、人を傷つける事が怖くて、嫌い」
「……言ってたな、戦うのが嫌いって」
「あはは、武道家に向いてないんだ、私」
「……辞めさせてくれって言えばいいんじゃないのか」
「無理だよ……だって私は――」
リンが思い詰めた顔で何かを言おうとした瞬間だった。
その話を遮る様に木のドアを開け、現れたのは黒髪の少女。
「――相変わらずね、リン」
「ら、ラン……帰って来てたんだね。半年ぶり……?」
「ええ」
「お、王都はどうだった?楽しい所だったの?……お、オシャレな街って聞いたから」
「……」
背丈の高い黒髪の少女――ランは話を無視したかと思うと、リンの方へと真っすぐ向かいなんといきなり彼女に詰め寄っていた。
「――っ!?」
「私はそんな話をしにここに来た訳じゃない。貴方とどうでもいい事を駄弁るつもりは無いわ」
「……」
「貴方、ああやって一方的にやられて悔しくないの?どうしてやり返さなかったの?」
「っ……それは」
その場に数秒程、沈黙が続いた。
そしてリンは少し震えながら、ランの方へと向く。
「ら、ランは……強いから私の気持ちなんて分からないよ」
「……っ」
リンがそう言った途端、突然ランは彼女の胸倉を掴んだ。
「お、おい怪我人だぜ――」
「関係の無い人間は黙っていなさい!リン、貴方はいつまで逃げる気なの。これからずっと、そうやって情けなく師範様に甘えて生きるの!?昔はあんなに……っ」
「……ごめんなさい」
ランは彼女の表情を見て何処か悔しがる様な表情をしながら、掴んでいた手を雑に放した。
「……私が帰って来た理由は、師範様が大怪我を負ってしまった事を皆に伝える為よ」
「っ……!?な、何で!?」
「私も王都に行ってからは師範様と離れていたの。だから、詳しい事は何も分からない。ただ、命に別条は無いらしいわ。けれど……脚に重傷を負ってしまった。それも――もう武道に身を置く事が出来ない程に」
「……え」
「今、師範様は王都の病院で治療中よ。そして、ここからが本題。手術後の彼に会いに行った時にこんなモノを渡されたの」
リンはそう言って、服の中に入れていたある和紙の様な物を取り出した。
そこに書かれてあるのは、墨で書かれたトーナメント表の様なもの。
「この選出で『師範継承会』を即座に開いてくれと書いてあるわ。そして、そこには貴方の名前もある」
「……え、そのトーナメントに私が参加するって事……?」
「そうよ」
リンはそれを聞くと、必死に首を横に振っていた。
「む、無理だよ!そんなの絶対無理!」
「一週間後、強制参加よ。そしてもし貴方が優勝しなければ――ここから出て行って貰う」
「え……」
「当然でしょう、どうせ師範は私になる。私は、貴方みたいに弱い人間は切り捨てていく方針でやっていくつもりよ。……逃げたければ逃げなさい、いつもの様にね」
ランはそう言うと、トーナメント表を服に仕舞い、扉の方へと向かう。
「……"今の"貴方に師範様と会う資格は無い。私が絶対に許さない」
ランはそう言い残し、部屋から出ていった。
「そ、そんな……」
リンは整理出来ていないのか、俯きながら絶望した表情をしていた。
「……話があんまり分からなくて付いていけてないんだけど、取り敢えずその大会に出て優勝しなきゃダメって事なのか」
「む、無理だよ!これは単なる大会じゃない……生徒だけじゃなく、先生達も皆出るんだよ!強い人達が本気で師範の座を狙いに行くんだ……それに、ランが出る時点で……」
「まあ……見た所あれは強いな。素手の勝負なら俺も敵わないよ」
「……どうすれば、いいんだろう」
「……」
二人の間に沈黙が続く。
「――なら、仕方ねえよな」
ルーベルはそう言って椅子から立ち上がった。
今、他人の事を考えている余裕が無い彼女にとっては口は悪いが、知り合ったばかりの彼が邪魔としか思えていなかった。
「……」
しかし。
「よし、鍛えるか」
ルーベルは口角を上げながらリンに向かってそう言った。
「……え?」
「だってもうそれしか残ってないだろ?後は全力であがくしかねえって」
「い、いやムリムリムリ!絶対ムリ!」
「でも、今のままじゃあリンは破門にされるんだぜ?逃げる訳にも行かないだろ」
「た、確かにそうだけど……」
「よし、そういう事なら――」
ルーベルは咄嗟に立ち上がったと思うと、突然リンをお姫様抱っこする様に抱き抱えた。
「え、えええええ!?」
「任せろ、修行に付き合うよ」
そして驚愕しているリンを置いてけぼりにする様に、開いていた窓から飛び出す。
破砕館はとても高い山。
飛び出した先は、地が見えない程の崖だった。
「きゃ、きゃああああああああああ!」
「ははは!気持ち良いだろ、風!」
「な、何してるの!?」
「修行と言ったら自然だろ!一週間サバイバルだ!」
「い、いやああああああ!」
甲高い叫び声と共に彼らはとんでもない速度で山を下って行った。