オトナシ近衛部隊
男が、館の入り口に仁王立ちしていた。
早朝五時である。
懐中時計で現在時刻を眺め、五時ぴったりになると屋敷の扉を開く。
「お待ちしておりました」
待ち構えていたゴードンが静かに頭を下げた。予定通りの行動だったのである。
男は頷き、きびきびとした動作で屋敷の主の部屋へと向かう。
そしてドアの前に立つと、一度息を吸い込み、そして――大声で放出した。
「起床ぅぅぅぅぅ!!! これより訓練を行うっ!!!」
部屋の中から、何物かが慌てる気配がする。
「こんな柔らかかいベッドじゃ眠れないよ」などとのたまいつつ、僅か五分で夢の中に突入した鮫介が跳ね起きたのだ。
ドアは開いていない。主人がいかな服装で、何者かを連れ込んでいても良いように配慮しているのだ。
「入ってくれ」
やがて物音が止まり、入室の許可を受ける。男は扉を開き、「失礼します!」と大きな声を上げ、中に入った。
ベッドの上では、寝巻きから外出着――学生服ではない、アルキウスが用意した外服――に着替えた鮫介が、半分眠っているような顔でこちらを見ている。
ふむ。既に着替えは完了しているか。
男は満足し、鮫介ににっこりと語りかけた。
「訓練の時間ですぞ、勇者様」
「……まだ、五時なんだけど」
「ええ、もう五時、です。本来は四時に起床したかったのですが、アルキウス様から初日は緩めるように、と命令を受けまして」
「……一時間、か……」
「さぁ、勇者様。準備は宜しいですね」
男はベッドに近づき、その笑みをより深めた。
「訓練の時間です」
8時になった。太陽が空に浮かび上がり、その陽光をフェグラー領の緑に照らしている。
そんな快晴の空の下を、駆け抜ける男が一人。年齢は三十路を超え、口ひげを生やしながらも、その生命力は衰えることを知らない。
上半身はタンクトップ一丁だが、その上腕二頭筋は太く、思わずため息が漏れるほど美しく、その三角筋は力強く盛り上がっている。
ハリウッドの主演になれそうな鍛え方をしているその男は、背後にいる少年に声援を送る。
「頑張れ、勇者殿! もうすぐゴールですぞ!」
そう言われた勇者殿こと鮫介は、もう息も絶え絶え、陸上に打ち上げられた魚類のような有様だった。
「ぜひ、ぐふっ、ごっ、おぇぇぇぇぇ……」
道の外に吐瀉物を撒き散らすその姿を見て、誰が勇者だと思うだろうか。
タオルを持ってゴール――屋敷の入り口――で待つゴードンは、自らが使える主の姿に涙が流れそうだった。
「ふぅ、ゴールですな」
先にゴールした男はゴードンが持っていたタオルを預かり、爽やかな笑顔さえ浮かべている。
この瞬間、ゴードンの表情に殺意が浮かんだとしても、執事として当然のことであろう。
鮫介は生まればかりの子鹿のように足をぷるぷる震えさせながら、ゆっくり、ひたらすにゆっくり、ゴールへと距離を詰めている。
「コースケ様……! もう少しです、頑張って!」
いつの間に隣にいたのか、カルディアが精一杯の激励を送っていた。
ゴードンは胸がいっぱいになり、主人を鼓舞する。
「コースケ様! ゴールまで残りわずかです! 三時間もご苦労さまでした!」
「朝っぱらかこれは辛……ぐおぉぉぉぉ。げふぅっ!!」
律儀に応答しながら、鮫介はついにゴールへと足を踏み入れた。
カルディアにタオルを渡し、その背を押す。カルディナは一直線に主の元へと向かい、その汗を拭った。
「お疲れ様です、コースケ様! どうにかリタイアせず、走り抜きましたね!」
「ひゅう、ひゅう…………」
「おお、それですな! 根本的な素人を想定していたら、意外な体力! コースケ殿、何か転移前にスポーツでも?」
「………別に」
響太郎と連れ立って様々なスポーツに挑戦していただけだ。
しかしそのことは口にせず、眼前の男を睨みつける。
クレーチェ・テルブ・テト・ジン。
決して悪い人間ではない。ないのだが……こちとら勇者なのだから、もう少し敬意を持って接してほしいというか、もうちょっと手加減を……
などと考える鮫介は、自分が勇者で有情を働いたから、こうして美人のメイドに膝枕をされていることに気付いていない。辛うじて吐瀉物をメイド服につけないようするのが精一杯だ。いや、完全に胃の中のものは吐き出して、もはや胃液しか出ない状態だったのだが。
「まっ、よろしいでしょう。ではランニングは終了! 朝食を食べたら、続いては対『時空』教習を始めましょう!」
「え?」
「『時空』に乗れるように頑張る、ということです」
ジンは爽やかにそう述べると、屋敷に向かってすたすたと歩き出してしまった。
「……あの野郎……」
「歩けますか、コースケ殿」
「しばらく無理だ。少し膝を貸してくれ……お前たち、朝ごはんは?」
「まだ食べておりません」
「主が頂いていないのに、我らが先に頂くわけにはいかないでしょう」
「……まったく」
鮫介は静かに笑った。
涼やかな春風が吹いて、存在気持ちよかった。
「あれが、異界から召喚したっていう勇者?」
屋敷裏の倉庫では、高い位置に取り付けてあるキャットウォークから屋敷の表側の様子が見て取れる。
吐瀉物を巻き取らしながら、メイドに膝枕されているところも。
そのキャットウォークに、3人の少女が居並んでいた。
そのうちの一人、キャットウォークに足をかけていた背の低いショートカットの少女が、ぽつりと呟く。
「うーん。アタシの好みじゃないっスねー」
「そりゃ、あんたはね」
真ん中にいた眼鏡をかけていた知的な風貌の少女が笑う。
「シュリィはもっと筋肉質な男が好みなんでしょ?」
「まーねー。隊長や『凍結』の人は惜しいんスけどなぁ。もっと脳まで筋肉! みたいな人はいないもんスかな」
「いないでしょ、このご時世に」
彼女の名はナタツ・ダロン・テト・シュリィ。
元はダロン領で突撃隊長を努めていた、『オトナシ近衛部隊』副隊長である。
ちなみに、マッチョ専である。
「私もパス! 人間は知的さあってものものよ。あのメイドに抱きついて情けない顔をしている姿は何? 恥的だわ!」
「まあ、グラウリンデちゃんはそれでけではないでしょ?」
3人目、背の高い長髪の少女が問いかけると、眼鏡の少女はテンションを上げて、
「そりゃあ、知的さは年齢に準じるからね! 男なら歳を重ねても背筋をピンと伸ばして、どんな質問には微笑して答えられるようにならなくちゃ!」
「まあ、そんな人いるのかしら」
「いるわよ、『爆焔』の元乗り手のグンナル様とか!」
彼女の名はトロノア・マガシャタ・テト・グラウリンデ。
ドイツ人の父を持つ、『オトナシ近衛部隊』副隊長である。
ちなみに、ジジ専(知的な人限定)である。
「私はパートナーに筋肉も知的さも求めないわねぇ」
「そりゃ、ヒナナの好みから乖離してるっスからね!」
「あんたは太ってればいいんでしょ」
「えぇー? 男気とかも必要よー?」
背の高い少女が、恥じらうような笑みを見せる。
「男気があるなら、デブがいいとかありえないス」
「あの勇者様にお願いしてみたら? もっと食事をとれって」
「もう、人の好みにケチつけないっていう約束でしょ?」
彼女の名はサヤン・トホ・テト・ヒナナ。
元はトホ領で銃撃支援部隊の隊長を努めていた、『オトナシ近衛部隊』副隊長である、
ちなみに、デブ専(男気がある人限定)である。
「男ならマッチョ……」
「いや、知的な老人……」
「ふくよか……」
「うるせー! 自分の機体ぐらい自分で整備しろっつーんだい!」
一方、倉庫の下部では、機体のメンテナンスを行いながら老人が一人、上部の三人を怒鳴りつけていた。
近くにいた若い兵士や同じ作業をしていた人員が老人をなだめ、説得する。
曰く、あの副隊長三人は名のしれた女傑である、
曰く、あの三人に喧嘩を売ってはならない。
曰く、あの三人に交際を申し込んではならない。
曰く、あの三人に目を付けられてはならない。
老人は「そんな評判はどこにでもある」と言って、引き下がった。
隊長が一人。副隊長が三人。平兵士が九人。整備担当兵が十人。その他雑務を行う兵士が一人。
これがアルキウスが用意してくれた、『オトナシ近衛部隊」の総勢であった。