それぞれの『日常』
お待たせしました。凍結機士編、開始です!
あと、連載一周年超えてたんですね。特に一周年記念イベントは考えておりませんが。
「……おはよう」
「ええ、おはようございます。朝食の準備は出来ていますよ……もう十時を回っていますが」
「……むぅ」
朝。ケリン家の食卓に、承服しかねる、といった唸り声が響く。
ここはトホ領に存在する名家、ケリン家の屋敷だ。広大な領地と誇るケリン家は当然のごとく屋敷も巨大で、そこで働く執事もメイドの数も多い。
その屋敷を統べる者こそ、ケリン・トホ・フィズリ・カイラ。偉大なるケリン家を代々引き継ぐ女性であり、数々の領地経営に関わる才女でもある。
そんな彼女の嫁いだ先こそ、
「……起こしてくれれば、良かったのに」
寝起きの呆けた顔をしたこの男、ケリン・トホ・ネア・ナレッシュであった。
そもそも平民だったナレッシュを領主であるドゥルーヴが引き取り、娘の婿に当てて早数年。当時は我儘でお転婆だったカイラは立派な淑女に成長――するはずもなく、そのお転婆ぶりを促成させていた。
何せ、メイドに粗相があれば自分で何とかするほどの人格である。完璧主義者なのが悪いのか、今では古参のメイド長と同格の料理の腕前を誇り、清掃の腕も達人級、庭木の選定も自分で行うという有様であった。
そんな妻を持ち、ナレッシュは幸せだった――かというと。
「あら。これは失礼を。戦場から帰ってきたばかりで、疲れているかと思いまして」
「……確かに、疲労はしていたが。それでも、君と過ごす日常の前では、些細なことだ」
「あら、私との日常を重要視してくれるの? 嬉しいわね、あなたが急用でこの場を立ち去らなければね」
「…………」
ナレッシュはカイラに気付かれぬよう、そっとため息を吐き出した。
このように、カイラは自分のことを嫌っているらしい。まぁ、仕方ないとも思う。
何せ、ナレッシュは貴族の暮らしなどまったく知らない平民だ。彼女とは価値観が違いすぎる。カイラが美しいと呼ぶ名画や壺をナレッシュは美しいと思えず、逆にナレッシュがお気に入りの玩具やお菓子を、彼女はけんもほろろに切り捨てる。
彼女は生まれたときより金剛石のように煌めく淑女で、ナレッシュは地べたを這いつくばって食べ物を漁る野良犬だ。しょうがない……とはいえ、こうも自分に反抗的だと多少目に余る。
「失礼します! ナレッシュ様……いいえ、義兄様が起床されたと報告を受けてまいりました!」
「…………エルザフィア」
規則正しい足音を響かせて、何者かが食堂に入室してくる。
キビキビとした姿勢に、肩で切りそろえられた髪。いかにも軍人然とした若い少女は、中にいたカイラに気付き、慌てて敬礼を取る。
「はっ!? これはカイラ様、失礼しました!」
「いいえ。貴女はナレッシュの義理の妹、つまり私にとっても義理の妹です。姉と呼んでくれて構いませんよ」
「は……その……義姉……う……し、失礼します。ま、まだちょっと早いかと……」
「まぁ、ふふ。そのうち慣れてくれればいいわ」
「…………」
女性陣(主にカイラだが)の華やかな笑いを聞いて、ナレッシュは居ても立っても居られずに気配を消したまま食堂の自分の席にぽつんと座る。
朝食はチーズを載せたこんがり食パンにコンソメスープ、野菜いっぱいのサラダに、ベーコンエッグ。飲み物はホットコーヒーだ。
手を合わせ、食パンを口に入れる。とろりとしたチーズの味が口いっぱいに広がり、かなり、いや、とても美味しい。
「……美味いな」
「ええ、美味しいですね。本日の食事当番であるメイドの子も喜ぶでしょう」
「……」
しまった、今日の朝食はカイラが作ってくれたものではなかったらしい。
ナレッシュの額を冷や汗が伝う。横のエルザフィアもおろおろしながらこっちを見ている。
一方、カイラだけが優雅にコーヒーを啜っている。ただし、その手に持った扇子を何度も開閉し、こちらのストレスを煽ってくる。
カイラはいつもこうだ。
夫の愛をいつも試して、間違うと途端に不機嫌になる。ナレッシュは胃がキリキリ痛むのを感じながら、脇に立つエルザフィアに問いかける。
「エルザフィア。お前がここにいるということは――」
「ええ、仕事です。朝食が終わり次第、格納庫に来てください。そこで有力者たちとのご子息様たちとの凍結機士をバックに写真撮影会。その後、地元の豪農との面会がございます」
「……やれ、やれ。仕事を全て休ませてくれるから『休日』と呼ぶのでは……?」
「申し訳ございません。義兄様の休暇はほとんどフェグラー領のラヴァン君の護衛をしていることが多く、休暇が終了するとすぐに戦場に向かっていますので、義父様がこういう仕事もしろとねじ込みまして……」
「……義父上が、か。ならば、文句を言ってもしょうがない……な」
大きくため息をつく。エルザフィアは大きな丸メガネを指で支えて、申し訳無さそうに佇んでいた。
義父・ドゥルーヴは元軍人という経歴で領主となった男だ。掲げている公約は『イニミクス絶対阻止』。その公約通り、トホ領のイニミクスは彼が領主に就任してよりかなりの数を減じており、人間の領土も徐々に取り戻しつつある。
そんなドゥルーヴは義理の息子であるナレッシュを多用し、戦果を多く挙げさせていた。ラヴァンのお守りをするようになったのも、ドゥルーヴの指示だ。ナレッシュはその辺りの 頭が良くないが、最近は特に自分を使い潰す気でいるのか、と億劫な気持ちになっている。
「ええ、文句は義父上にお願いしますね」
少女の小さな笑い声に、ナレッシュは胃を痛めたまま食事を続ける。
エルザフィアは最近ドゥルーヴがある没落貴族の家から引き取ってきた少女だ。凍結機士グレイサードに搭乗出来る才能を有しており、現在はナレッシュの側で操縦方法などを学んでいる最中である。
もしもナレッシュが戦場で死亡した歳の『予備』としての役割を負わされているわけだ。逆にナレッシュが死亡しなければ、彼女は何の役目もないまま年月を過ごすことになる。虹の七騎士が搭乗者として選ぶのは一人だけだし、虹の七騎士の搭乗者はたとえ候補であっても普通の機体に乗れはしない。爆焔機士ヴォルケニオンのように、搭乗者の肉体が弱ったときに限り新たな大神官を定めるというのは異例中の異例だ。
それでも文句を言わずにナレッシュの側に付いているのは、それがドゥルーヴの指示だからか、それとも……
「……カイラ。そういうわけだから、昼食は一緒に取れるか分からない」
「ええ、期待していませんわ。貴方はいつも仕事に夢中で、私のことを忘れてしまうのですから」
「忘れたことは……ない」
「まぁ、そう言えるだけの証拠を、提示出来るのですか? 私は昼食の約束をして来れなかった日にちは記録していますわよ」
「……ああ……うん……」
勝てる気がしない。
ナレッシュは本日何度目かになるため息を吐き出し、パンをもぐもぐと咀嚼する。
胃が痛いというのに、パンは美味しかった。
時間は少し経過して、フェグラー領ゼゥ・ガマル、ハトゥラ呉服店。
「なぁ、もういいだろ……決めてしまおうぜ」
「いや、待て、待ってくれ……もうちょっと……」
「はぁ……」
疲労の濃い吐息。
女というのは、どの世界でも買い物が長くなるものだな……という思いが強い。
今日は服を買いに来ていた。アルキウスさんが用意してくれた、たまの休日である。
小春が選んでくれるというので、じゃあ今日はデートだな、と勢い込んで服屋に乗り込んだのだが……
「……長い」
「お客様、もうそろそろ閉店のお時間ですが……」
「……もうちょっと待ってください」
これである。
店員も迷惑そうな顔で「大神官様の言うことであれば……」と閉店を伸ばしてもらっているが、流石にこれ以上は待てないだろう。
権力を笠に着るのは性に合わない。
そもそも、服なんて身軽なもので良いのだ。そろそろ暑い時期が近づいているし、そういう軽い服装が欲しいな……と考えていただけで。
それが、こんなにも時間がかかるとは。
鮫介は手持ち無沙汰に近くにあった服を掴み、選んでいるフリをする。店外をちらりと見れば、コアが所在無さげに親指の爪を噛んでいた。すまぬ、と彼に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ジマンゲール・フェグラー・レキ・コアはオトナシ近衛部隊所属の、唯一騎兵ではない戦闘メンバーだ。部隊内では主に索敵や射弾観測、避難誘導などその任務は多岐にわたる。
今回、休日なので出かけるよ、とジン隊長に伝えたところ、護衛を連れて行ってほしいと頼まれ、コアが引っ張り出されてきたのだ。
コアは無口で命令に忠実な十六歳。その肉体面の強さと戦闘(生身の格闘戦)における分身をするような謎の技量、影に隠れて主のために密命をこなす姿から、鮫介はコアを見ていると少年忍者を想像してしまう。背も低いし。
「やれやれ、やはりあの女は時間をかけすぎているようね。まったく、コースケの貴重な時間を何だと思っているのかしら!」
「……スー」
「心配ないわ、コースケ。私が、ちゃんとコースケの服を見繕っておいたから!」
「お……おおぅ。格好良い……」
「ふふん! どうよ、これからコースケが流行の最先端を歩むファッションリーダーとなり、このムー大陸にその手の服装を流行らせるのよ!」
「うーん……流行を牽引するのは勘弁してほしいかなぁ」
横合いから出現したスーが渡してきたのは如何にも中学二年生が喜びそうな、漆黒に白い毛皮のファーが多く付いた二枚重ねの……ダメージトップス、でいいんだろうか。服の真ん中に白文字で十字架を象ったイラストが入っているのが特徴的だ。それにこちらも漆黒の闇と銀色の意思を感じるチェーンだらけのスーツスラックスに、ちゃんと指貫グローブにゴテゴテとしたブーツまで(色も全て黒一色である)!
ちなみにスーはこのゼゥ・ガマルに到着してすぐに出会った。
町外れでクロノウスとトールディオを降り、さぁ服を買おうか……と歩き出したところで、「ごきげんよう」と声をかけてきたのだ。
何故、ゼゥ・ガマルの街にいるのか。どうしてこの時間帯で、なんでこの場所で機体を降りると分かっていたのか。疑問に思うことはたくさんあるのだが、中学二年生の魂を分かち合った彼女である。
きっと僕の知らないところで情報が漏れたんだろうな、と結論付け、デートへの途中参加を認めたのだった。小春はブー垂れていたが。
「どっちにしろ、これは遠慮しておくよ。僕の注文はこれから夏だから、軽い服装でって話だったからね」
「そんなっ!? だって……この服、格好良いでしょう!?」
「格好良いのは認めるけど、流石に……根性じゃ夏の暑さは乗り越えられないだろうからね」
ひょっとしたら温帯の日本とは違い、ムー大陸は熱帯や乾燥帯のような『暑いけれど過ごしやすい』気候なのかもしれない。
だが、とりあえずは日本の風土に合わせて季節ものを取り揃えてもバチは当たらないだろう。日本の夏は、我慢が効かないくらいクソ暑いのである!
「待たせたな、鮫介! お前に似合う服装がようやく決まったぜ!」
「待っていたぞ、小春! 早速見せてもらおうか!」
「お、おう。なんだ、ずいぶん積極的な……」
そんな折、ニコニコと機嫌よくひょっこり顔を出した小春を捕まえ、鮫介もまたニコニコ顔で催促する。
小春が若干引いているが、そんなことは関係ない。今はとにかく時間が惜しいのである。
「時間がないんだ、早く早く。カモン!」
「な、なんなんだそのノリは……!? ま、まぁいいや、見ろ! これが鮫介に似合うと私が思う服装だーッ!!」
と、謎のノリで小春が差し出した服装を見れば、クリーム色のノースリーブシャツに迷彩スボン、若草色のサマージャケットも薄く、所々にメッシュが入った一品だ。
正直、かなりセンスが良いのでは……と感じる代物である。小春は思慮の浅い言動や行動が多いが、こういったところのセンスは馬鹿にしたものではないのだ。
現役アイドルだった父親の遺伝なのかもしれない。知らないけど。
「ふむ、ふむふむふむ。いいじゃないか、小春」
「だろ? ふふふ、まぁ任せておけって」
「……チッ。さりげなくガムルドの緑色をジャケットに使って、あざといわ」
「あざとくなんて無いですー! たまたま、本当にたまたまこのジャケットが視界に入っただけですー!」
「ふんッ! そんなもの口でなんとでも言えるじゃない、だったらこっちのオレンジ色のジャケットでも文句言わないわよねっ!?」
「そんな厚手のライダースジャケット、これからの季節に着れるかよ!? あたしはあくまで、鮫介の希望に沿った服装選びをしたんだ! お前の趣味はどうでもいいっ!」
「あ、すみません、これください。値段は……結構するな。まぁ、アルキウスさんから給料貰ってるから……勇者の給料って相場どれくらいなんだろ」
「くっ……! 大体、そんな……そんな……割といいセンスじゃない……なじる場所が見つからないわ……っ!」
「お前、なんでそんなにあたしへの当たりがキツいんだ? 大体、そんな長い前髪じゃおしゃれも何もないだろうに。ほらっ」
「きゃあ!? ひ、人の前髪を上げるなんて、なんて無礼な……ッ!?」
「…………成程。太い眉毛に、デコッパチか。それは大変だよな……隠すために前髪を伸ばすほどに……」
「ッ!!? わ、わた、私の秘密を……!? な、何が目的なの、お金!? それとも地位!?」
「いらないよ、そんなもの。今の私は、鮫介の婚! 約! 者! だからな、それ以上の地位は求めないよ」
「はい、じゃあこれで……ムー大陸でも西洋数字を使っているのは助かったな。しかし、レジが存在するのか……異世界に来た気がしないなぁ」
「ぐぬぬぬぬ……そもそも、あなたが婚約者だというのが信じられませんっ!」
「信じられなくても、あたしは鮫介の婚約者だ。ちゃんと指輪も交換したし、誓いのキスも…………えーと、したぞ」
「間が空いている。怪しいわ」
「よっしゃ、買い物終わりだ。さっさとこの店……というかこの街を出ようぜ……って、何か話し込んでいるな……? 仕方ない、コア、ちょいちょい」
「……ん」
「間、間なんて空いてないし! 私達はガムルド領お墨付きの婚約者だし!」
「ナロニ領はその婚約を認めないわ! 貴女が勝手に名乗っているだけではなくて!?」
「ぐぅっ! お前、イリカ家ってだけでナロニ領を勝手に私物化して……それは駄目だと思うぞ!?」
「ええい、いいんですよ、将来的にはナロニ領を牛耳る予定なんですからっ! その予定が大分早まっただけのことよっ!」
「何言ってるんだお前っ!? 鮫介、こいつなんかやべーこと言い出したぞ!」
「あっ、こら、鮫介に告げ口するのは卑怯でしょ……きゃっ!?」
互いにこちらを向いた二人の耳に、パーン、と紙風船が割れる音。
きょとんとした顔で固まった二人に、鮫介はニコニコ顔で威圧するように、問いかける。
「二人とも。そろそろ帰ろうか?」
「………………う、うん」
「………………そう、ね」
「おう。すまなかったなコア、お前の紙風船割っちゃって」
「いえ……命令ですし。紙風船なら、まだたくさんありますから」
そう言って、コアは懐から紙風船をぽんぽんと取り出す。
かつて日本から伝来した技術らしく、島のあちこちで見かけることが可能らしい。
マガシャタ領では、頭に紙風船をセットしてそれを割り合う祭りが伝統化しているとか……それはバラエティ番組の企画かなんかだろうか。
「そうか。そんなに懐にしまって、邪魔じゃないのか?」
「便利なんですよ。敵から攻撃を受けたときに、大きな音で相手を驚かせることが――」
「へぇー。成程、つまりこういう応用方法もあるわけだ――」
「……コアと一番楽しそうに話してるな」
「ええ……私達は置いてけぼりだわ……」
背後からジト目で見つめられる感触を味わいつつ、コアと並んでクロノウスまでの道を帰還する。
太陽はまだ、夕暮れとはならない。
青空の下を、鮫介はゆったりとした足取りで、歩を進めるのだった。
時間は少し経過して、テルブ領ザナン区。
「リーン、逃げて……! お姉ちゃん……!」
「『お姉ちゃん』、か……ふふ、ははは。懐かしい呼び方を、するじゃないか……レン」
「リーン! 笑い事じゃないよ、こっちの機体はもう動かないの。急いで!」
「ああ、レン、そっちの機体は動かない。ナヴェも下半身が千切れて、他の機体もバラバラだ。だから、あたしが……なんとかしなくちゃならないわけだ。はっはっは……ああ、愉快だな、これは」
豪快な笑い声。この世の全て、ありとあらゆるものを笑い飛ばし、冗談として流すような、盛大な呵々大笑。
レン、と呼ばれた少女は唇を噛んで、脱出作業に戻る。
その笑い方は、強がりだと知っている。笑っていなくちゃ、正気でいられないことも知っている。
だって。
リーンの機体は、装甲がぶち抜かれてコクピットが丸出しだった。その装甲をぶち抜いた相手は、角が二本伸びた馬型の――『大型』イニミクス。
大型イニミクスはネームドと呼ばれる化け物で、見かけたら何を置いても撤退、虹の七騎士に戦闘は任せろというのが学校で習った戦闘の基本だった。でも、ここに虹の七騎士はいない。だから、自分たちでどうにかしないといけなかった。
ああ、どうして自分の機体は持久型なのか。腕力特化型だったら、こんな瓦礫腕力で吹き飛ばせるのに。脚力強化型だったなら、脚に力を入れて腕を抜けたかもしれないのに。
レンの搭乗したライヴェリオの左腕は、瓦礫の崩壊に巻き込まれて押し潰されていた。前後左右、どのように機体を動かしても左腕は抜けようとしない。引き千切って抜こうにも、これまでの戦闘でそれ程の動力が出せないのが現状だった。
「今行く、リーン……! 待っていろよ……!」
我らが『朱狼騎士団』隊長……ナヴェのガレアレースは、無情にも自慢の脚を引き裂かれて上半身のみの無体を姿と化しており、両腕だけでリーンの元まで向かおうと胴体を引きずっている。
突然の大型イニミクスの出現に慌てふためき、突然腕部――いや、脚部というのだろうか? 前足から刃を出現させたイニミクスの攻撃で下半身を切断されたのだ。
ざまあみろ、と思う気持ちが半分。しっかりしてくれ、と思う気持ちがもう半分。
既に朱狼騎士団は半分が壊滅しており、もう半分は指示や命令の届かぬ範囲外。つまり、この場にいる朱狼騎士で動けるのは、大型イニミクスの脚部を奇跡的に掴むことに成功したリーンのみということになる。
これも、リーンの搭乗するエスケルムの腕力が引き起こした奇跡か。しかし、それももう保たない。脚部を掴まれた大型イニミクスは不快そうに鼻を鳴らし、姉の乗ったエスケルムごと持ち上げようとチャレンジしている。他の脚がリーンを押し潰さないのは、まだイニミクスが『馬』というカタチを理解していないからか。
「でも、まぁ……ここが限界、か。しょうがないな、うん……」
「ッ!? リーン、まさか……!?」
「ここで、こいつにダメージを与えておかないと……困るのはみんなでしょう? そんなことは……天が許したとしても、この私が許さないわ……」
リーンは、不屈の闘志で笑っていた。笑っていたものの、その声には普段の彼女から想定し得ない『苦しさ』が滲み出ている。
――我々の搭乗する機体には、最終手段としてある兵器が内蔵されている。
それが、念動力で発動する念動気化爆弾――通称『ヴェルゼ・ラ・ムー』である。
これが開発されるに至った経緯は、イニミクスの生態が関与している。イニミクスは男を人質を取らなければ、女を陵辱したりもしない。
ただ、殺す。見つけ次第、殺す。
そんな殺意の塊を相手に、両手両足をもがれた機体で何が出来ようか。
何もできない。ただ、死を待つだけだ。
念動気化爆弾は、そんな兵士たちの『最期まで戦いたい』という願いに答えて作成された、今では機体標準装備の一つ――自爆用武装だ。
発動すれば、必ず相手を撃滅せしめられる――自らの生命と引き換えに。
「駄目よ、リーン! 必ず……助けが来るわ、それまで待って……!」
「そうだ、駄目だリーン! 隊長として、その武装の使用は許可出来ない!」
「ふふ……ありがとう、レン、ナヴェ。でも私は……最後の最後まで、このムー大陸を守る……戦士でありたい……!」
「リーンッ!!!」
「よせーっ! リーン!!!」
身動きの取れない私と隊長の叫び声も虚しく――
――リーンの乗るガレアレースは、その身を獄炎へと変じた。
リーン。
ヴェイニー・テルブ・テト・グラヴリーン。強き者という単語が可愛くないと延べ、リーンとだけ呼ぶように、と 親しい者に声をかけていた女。
朱狼騎士団の一員で、隊長であるナヴェの恋人の一人。豪快で女らしさの欠片もなく、女性から告白されて困ったように笑っていた。
父親が飲んだくれのダメ人間で、母親も浮気性で家に居着かず。残された妹を、いつも大切にしていた姉。
その、姉が――
「お姉ちゃぁぁぁぁぁんッ!!!」
耐えられず、レンは絶叫する。
眼前で、ガレアレースがその貌を失い、灼熱の炎を上げていた。
気化爆弾の爆発は一瞬で、もう姉の姿は何処にも無いだろう。
姉は、死んだのだ。
爆発に飲まれて、戦士として生涯を終えられたのだ。
そして。姉が相対していた敵は。
大型イニミクスは信じられないことに、生存していた。その片足は気化爆弾の衝撃に耐えられず、諸共に消滅していたものの、それ以外の部分――爆発を『浴びた』箇所は黒い毛が散っていたものの、火傷をした程度で済んだようだ。
大型イニミクスは咆哮し、仲間たちに何らからの指示を送る。そして、足元に僅かに残ったガレアレースの欠片も不快気に一瞥した後、その場を脱していった。
同時に、部下である中型・小型イニミクスもその場を去っていく。どうやらあの咆哮は、撤退の呼び声だったようだ。
大勢のイニミクスたちが逃げ去って、周囲には荒涼とした風が吹く。全ては、終わってしまった。
リーンの命も、また。
ライヴェリオの左腕はまだ抜けない。この左腕さえ無事なら。姉を、助けられたかもしれないのに。
「お姉、ちゃん……」
「………リーン」
戦いは、まだ続く。
今回はイニミクスたちが撤退した。結果だけを見れば、我々の勝利といって良い。
ザナン区はテルブ領で久しぶりに取り戻した領地だ。だから、我々の領土とするためにこうして警備隊が派遣され、またイニミクス支配側の領土を奪い返すまで、その土地を守ることになる。
敵は、また来るだろう。脚の怪我が回復するころに、小型イニミクスの大群を引き連れて。
その時――我らは、また勝利を迎えることが出来るのであろうか。
左腕を瓦礫で押し潰され、コクピット側の本物の左腕も酷い損傷を受けている泣き腫らした顔のレンも。
地べたに倒れ伏したまま、恋人の死にざめざめと涙するナヴェも。
輝かしい未来を想像することが、もう出来ない。
朱狼騎士団の明日は、暗かった。




