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時空機士クロノウス  作者: 宰暁羅
烈風機士編
49/119

決闘外伝・追憶の秋桜




 それは、高校一年生の秋頃の話だったか。

 その頃の鮫介は既に響太郎の異常性――特に恋愛方向に関して気付いていて、灰色の学園生活を贈っていた。

 響太郎は毎日何かしらの話題を鮫介に振り、それはとても興味を惹かれる内容であったが、鮫介は真面目に返答する『フリ』をするのに、少々疲れていた。

 お前と一緒にいると、疲れるよ。

 それを口にすることが出来れば、どれだけ良いことか。だが言葉にした瞬間から、鮫介は『響太郎の一番の親友』から『ただのモブ』に格落ちするのだろう。そして、陽の当たらない暗い生活を送ることになる。

 いっそのこと、『かつて袂を分かった悪役』のポジションに収まるのも良いかもしれない。最後に響太郎に倒されるシーンでは、きっとスポットライトの光の端が当たっていることだろう。

 そんなことを考えながら、鮫介はいつものポジションから外れないよう努力していた。なんやかんや考えていても、やはり日頃の立ち位置を変えるのは勇気がいることだ。鮫介は、その勇気がなかった。

 そんなある日の放課後、響太郎と連れ立って帰宅しようと廊下に出たときのこと。

 

「ねえ、ちょっといい?」


 そうやって話しかけてきたのは、クラスのカースト上位グループ……いわゆるギャル集団であった。

 彼ら、彼女らが暮らすこの離島は都会の流行とは無縁なのだが、彼女たちは雑誌等で都会の流行を追いかけ、実践していた。髪の毛を染めている生徒も少ないというのに、茶髪に化粧も決めて、香水の匂いも漂わせている。


「なんだ、お前らは?」


 響太郎が一歩前へ出て、訝しげな顔で尋ねる。さり気なく鮫介を庇える立ち位置だ。鮫介が女ならば、きゅんと来ているのだろう。生憎鮫介は男なので、その動作に白けた顔をしていたが。


「いや、用があるのはアンタじゃない。隣りにいる男さ」

「僕に?」

「鮫介に、何の用だよ」


 呼ばれた鮫介がビックリして顔を上げ、響太郎が不機嫌な様子で顔をしかめる。って、なんでお前が不機嫌になるんだ。


「あー……響太郎、その、ちょっと……購買に行かない? ペンとか買ってあげるよ」

「不要だ。自前のものがある」

「えーと……響太郎は何か食べたいものとか無いの? あたしらが奢ってあげるよ」

「結構! 今日は鮫介とコンビニの肉まん食おうぜと約束してるんだ。それの邪魔をするなら容赦しないぞ」


 響太郎……空気読め……肉まんがどうとかじゃなくてさぁ……やっぱりホモなんじゃないのかこいつ。

 周囲のギャルたちも「やべー」「どうする?」と困り顔で話し合っている。ちなみに女子たちは全員が響太郎に惚れているわけではない。あくまでも深い関わりを持った女子たちだけに起きる怪現象だ。それなのに響太郎の周囲にいる人物に対する告白とか、そういうイベントが起きないのは何でだろうね。


「別にいいよ、見られても……私は」


 と、ギャルたちの後ろ側から進み出てくる影が一人。

 商店街の片隅にあるさびれた日焼けサロンで焼いたのであろう肌。金髪なのか茶髪なのか、よくわからない色をした髪の毛。制服のボタンは第二まで開け放たれ、スカートは非常に短く太ももが露出している。

 容姿は、お姉さん系と言えばいいのか。若干年上っぽさを出している、怜悧で知的な印象の顔を薄い化粧で彩っている、紛うことなきギャルがいた。


「音無鮫介君、だよね」

「そうだけど」


 相対してみると、女性にしてはかなり背が高い。男子の平均身長より少しばかり高い鮫介と、同じくらいの身長の持ち主のようだった。

 ふと、何かしら嗅ぎ慣れぬ匂いがして、一瞬戸惑う。香水だ。柑橘系の香りが彼女からふわりと漂ってくる。


「入学式で自己紹介したけど、覚えてるかな? 私は(はるか)万理朱(まりす)。夏頃に、消しゴムを借りたんだけど」

「ああ、そんなこともあったかな……それで、消しゴムを借りた遥さんが、僕に何の用?」


 遥さんはじっと僕の瞳を覗き込むような視線を送っていて、それがちょっとばかり窮屈だった。

 遥万理朱。この離島では珍しい、キラキラネーム……というのだろうか。僕の『鮫介』も鮫の字が珍しいといえば珍しいが、『コースケ』という読み方は普通にあるものだ。『マリス』は外国人っぽくて、オシャレ……かどうかは、受け取る人次第なんだろうけど。

 まぁいい。とりあえず話を機聞こう。

 この時点で、鮫介はとても気楽だった。告白等は全て響太郎に対するものであって、自分に対して行われるものではないという確信があったからだ。

 だから、


「鮫介――ああ、呼び捨ててで構わないかしら?」

「別にいいけど」

「うん。じゃあ……ねぇ、鮫介」


 遥さんが目を細めて猫を思わせる笑顔を見せ、


「私達、付き合わない?」

「――――へ?」


 そんなことを口にしたとき、鮫介は大層驚いて、幽霊でも見たかのような愕然とした表情を見せたらしい。






 鮫介と遥さん――万理朱は、そのまま付き合うことになった。

 それは、鮫介が彼女の告白を疑っていたから――即ち、『あの告白は罰ゲームか何かで仕組まれたことなのでは』と疑ったこともあるが、それ以上に――


「おはよう、万理朱」

「ふふ、おはよう鮫介。今日も早いのね」

「た、たまたま早く目が覚めてね」

「そう。ふふ、それなら早く目が覚めてくれたことに感謝しなくちゃね?」


 万理朱が、非常に魅力的だったからだ。

 彼女は何故ギャルをやっているんだろう、と疑問に思うほどに賢く、優秀で、品があった。

 ギャルだからだらしない女なのかもしれない、という鮫介の第一印象を覆し、固定概念を崩壊させるほどに万理朱は知恵が巡った。何せ、学年五番以内の成績に収まる頭脳の持ち主である。礼儀正しく、それでいて茶目っ気があり、鮫介がよく読んでいる(ライトノベル)にも精通していた。

 響太郎は、付き合い始めた二人を当初は胡散臭く眺めていたが、やがて二人を認め――ることはなかったものの、放っておくようになった。たまにやっかみ混じりの視線を送ってくるのは何故だろう。響太郎なら付き合おうと思えばそれこそ腐るほど女がたくさんいるはずだし……まさか本当にホモなんじゃあるまいか。


「鮫介、たまには付き合えよ。男女の恋愛も良いもの……? なんだろうが、男同士の友情も大事だぞ」

「すまない、もうすぐ万理朱の誕生日でな。アルバイトをしてお金を稼がないと」

「あ……ああ、そうなのか。アルバイト……か。成程な」

「それじゃあな。お前もバイトとかして、日々を無為に過ごすなよ」

「う、うるさい、バーカバーカ! 何か事故でもあってバイト代足りなくても貸してやらないからなー!」

「借りないよ……」


 何故か涙目の響太郎を置いて、アルバイトに向かう。

 万理朱の実家が焼き鳥屋を経営していて、その手伝いをしているのだ。

 お店はいつだって大繁盛で、客足を途絶えることはない。だからこうして、夕方の四時からという中途半端な時間帯から仕事をすることが出来る。


「いらっしゃいませー! 二名様ですね、こちらのカウンター席にどうぞー!」

「はい三番テーブル、皮一に(かしら)三、アスパラニ、全て塩です!」

「ビールおかわりですね? 少々お待ち下さい」

「はいいらっしゃま……なんだ響太郎か」

「なんだとはなんだ。お前の仕事の様子を確認しに来てやったというのに」


 友人(女)と連れ立って店に遊びに来た響太郎は、店員の格好をした鮫介を見て、ぐぎぎと唸り声を上げ(何で?)、


「ちっ……似合ってるじゃないか」

「それはどーも。お客さん四名入りまーす!」

「はーい、こちらへどうぞー!」

「わ、万理朱ちゃん、制服似合ってるね!」

「あら、そう? ふふ、嬉しいわ」


 奥から出てきた万理朱に群がる女子たち。流石に同じクラスなだけあって(別クラス? そんなもん無いよ)、響太郎が連れてきた女の子たちは万理朱のことを知っているらしかった。

 きゃいきゃい話し合いながら、お座席に女子たちを引き連れていく万理朱。それを眺めながら、響太郎がぽつんと口走る。


「……真面目に仕事してるみたいだな」

「当たり前だろ」

「だが、まだだ。まだ序章が終わっただけに過ぎない。見てろ、今に遥女史の本性を暴いて……」

「とっとと付いて行け!」

「痛ぇ!? きゃ、客を殴ったな!? お客様は神様なんだぞ!?」

「この店は無神論で行きますって表に張り紙貼ってあっただろ!」

「く、くそぉ! なんでそんなピンポイントな張り紙が!?」


 騒ぎ立てる響太郎に物理的なツッコミを加えながら、お座敷に連れて行く。

 響太郎とバレー部の裕子さんはよく肉を食べ、うちの店の売上に貢献してくれた。演劇部の神原と百人一首部の美澪(みれい)は相応にしか食べてないが、合わせて五人分は食べたことだろう。

 鮫介と万理朱はお座敷に呼ばれるたびにネチネチ嫌味を言う響太郎の頭を叩き、裕子さんの食欲に驚き、神原と美澪の二人の雑談相手を務める。

 すれ違いざま、万理朱が困ったような笑顔を見せ、鮫介が首と手を横に降る。すると万理朱が猫のように笑い、鮫介の頭を軽く撫でる。

 それだけで、鮫介は幸せだった。毎日がこう続けばいいのに、と思うほどに、幸福を甘受していた。

 これが、愛か。

 響太郎に奪われていた愛の存在に気付き、自分が今まさに手にしている。

 これが、愛か!

 鮫介は、愛を理解した。そして、その正体に気付いたころ――


 万理朱の様子が、おかしくなり始めた。






 万理朱の様子が、変だ。

 それなのに、鮫介はそれに気付けなかった、いや――気付こうとしなかったのか。今となっては、考えるだけ無駄だ。

 万理朱の誕生日、鮫介は周囲の相談のもと、プレゼントをネックレスに決めた。銀細工の秋桜をあしらった、高校生のプレゼントにしては洒落っ気の強い一品だった。

 その日の放課後、彼女の友人のギャルたちも交えて誕生会……と言うほど大袈裟ではないけれど、集まって誕生日のプレゼントを渡す場が儲けられた。

 渡す役が順番に巡り、続いて鮫介の番だ。周囲のギャルたちがニヤニヤ顔をしている中、顔を真っ赤にしながら口説き文句と共にプレゼントを手渡す鮫介。

 この口説き文句は響太郎の女友達たちから「行ける!」「これにときめかない女はいないよ!」と絶賛されたものだ。その真偽は非常に疑わしかったが、評判が悪くないのならば問題ない。

 果たして、その成果は。


「――あ、ありが、とう」


 万理朱は呆然とし、一瞬だけ眉をひそめ、そして――泣いていた。

 だが、嬉しさで泣いたわけじゃないことを見て取れた。一瞬だけ眉をひそめたのが、その証だろう。そのくらいの観察眼くらいは持ち合わせている。


「あ、そ、その……ごめんなさい!」

「ちょっと万理朱!?」


 友達のギャルが止める間もなく、万理朱はその場から駆け出して何処かへ去ってしまった。反射的に、鮫介がその背を追う。


「待ってくれ! どうしたんだ、万理朱!?」


 万理朱は教室を飛び出して、階段の方向へ向かったようだ。急いで後を追うと、階段を上のほうに登っていく姿がちらりと覗き見える。

 鮫介はひたすら追いかける。何故涙を零したのか、その理由が知りたかった。例えば、酷い悪党に『音無鮫介からプレゼントを貰うな』と脅されているとか……いや、それは無いだろうけど。

 心臓の辺り、左胸をぎゅっと掴む。万理朱を取り巻く事情はどうでもいい。ただ、彼女の力になりたかった。彼女を泣かせた者にこの心の内に眠る情念、ひたすらの悪意をぶつけ、彼女の涙を止めたかった。

 やがて、屋上へと続くドアが見えた。鍵はかかっていない。田舎の高校に防災意識など不要、ということなのかもしれない。知らないけど。

 ドアを開くと、秋の強い風が吹いて思わず目を瞬かせる。万理朱は……いた。屋上の真ん中で、零れ出る涙を拭っている。


「万理朱」

「…………」


 呼びかけるが、反応はない。ただ秋風に煽られて、その髪が乱雑な軌道を描いているだけだ。


「どうしたんだ、一体。僕の贈ったプレゼントが気に入らなかったなら……」

「違う!」


 突如、万理朱が大きな声で叫んだ。驚く鮫介の前でイヤイヤするように首を振りながら、


「鮫介のプレゼントは、嬉しい……嬉しいはずなの……」

「……はず?」

「私、わけ分からない……もう、自分がわかんないよ……」


 再びぐずり始めた万理朱を前にして、鮫介は何をすることも出来ずに、目の前でおろおろしていた。

 格好の良い言葉でも並べて慰めてやれれば良かったのだが、生憎と鮫介の舌はそれを語る術を持たない。どちらかと言えば、それが可能なのは響太郎のほうだろう。


「私……」


 ややあって、万理朱が語り始める。


「うん」

「私……最初は、あんたのこと、どうでも良かった。ただ、友達に負けた罰ゲーム、で……あんたに告白した、だけ」

「……ああ、そう……うん、分かってたよ……うん」


 やはり最初に睨んだ通り、鮫介への告白は罰ゲームだったようだ。

 鮫介は理解したとばかりに、鷹揚に頷いた。実際は理解は出来ても納得出来るかどうかは別問題であり、真っ白になってふらふらしていたのだが。


「でも、鮫介、いい奴で……私のために尽くしてくれて、お店も手伝ってくれて……このまま、本当に付き合っても、別に良いかなって……」

「……うん」

「でも、いつからか……鮫介のこと、あんまり好きじゃなくなって……!」


 再び万理朱が目元を抑え、口を抑えて呻き出す。

 鮫介は、万理朱の言葉の続きを辛抱強く待った。どんな言葉が投げ掛けられるのか、既に予想はついていたけれど。


「……鮫介のこと、ずっと好きだったはずなのに! 別の男のことが、無性に気になり初めて……」

「っ……うん」

「さ、さっき、鮫介からプレゼント、貰った時も……! 凄く、凄く嬉しいはずなのに……! 全然嬉しい気持ちが沸かなくて、むしろ……っ!」

「もう……いいよ」

「よくない、よくないよ! わ、私、おかしくなったのかな。鮫介のプレゼントの首飾り、とっても嬉しい……! 嬉しい、けど……何故か、響太郎に貰ったぬいぐるみのほうが、凄く価値があって、大切なものだと感じてしまっているの……っ!」

「もういいよ! 分かったから……!」


 大声で叫び、万理朱の言葉を遮る。最後の方は悲鳴に近かったかもしれない。

 結局、響太郎だ。何かしらのタイミングで、あいつが登場して、人のヒロインを掻っ攫っていく。そういう風に、世界は作られているのだろう。それが『正しい』道のりなのだと。

 ふざけているな。

 鮫介は長い息を吐いた。それから生命力の抜け落ちた幽鬼のような顔で、万理朱へと静かに問いかける。


「……それで。万理朱は、どうしたい?」

「わ、私……」

「僕と……別れて、響太郎を追うかい? あれは……女性の気持ちには疎いし、何より倍率も高い。彼を狙っている女子は多いからね」

「……」

「それとも……好きじゃなくなった僕と、まだ付き合い続けるかい? あまり……オススメは、しないな。いや、僕は別に、どちらでも構わないんだけどね? 問題は、君が耐えられるかどうかって話であって」


 別れたくない。

 離れ離れになりたくない。

 そんな女々しい本音を滲ませながら、鮫介は淡々と、選択肢を万理朱へ突きつける。


「僕のことが好きじゃないのに……いや、尋ねておこう……か。僕のことは、今でも……好きか?」

「す、好きだよ! 鮫介のこと、好き……だ、よ……」

「本音……か? まだ、僕のこと……好き……なのか?」

「…………わ……分からない。本当に……あんなに好きだったのに……今じゃ、自信持って『好き』って……言えない……」

「……そうか……」


 長い、長い嘆息が漏れた。

 響太郎を恨むべきだろうか。いや。

 響太郎は悪くない。彼が望んでしているわけではないのだ、これは。ただ運命が、世界を支配している車輪のようなものが、これが正しいのだと、旭響太郎こそが全ての女をその手に抱く男なのだと、そう囁いているだけだ。

 所詮、音無鮫介は脇役で、脇役に相応しい脚本を渡されただけなのだ。彼の隣で、スポットライトの端の端で輝くようなその身に、女に入れ揚げた哀れな男として、そう脚本に記されていただけなのである。

 クソが。

 鮫介は吐き捨てたい気持ちでいっぱいだった。叶うならばこの場で呪詛を吐くがごとく響太郎に己の憎悪の全てをぶつけ、縊り殺してしまいたかった。泣いて泣いて、泣き叫びながらその首を捩じ切ってしまいたかった。

 だけど、それは無理なのだ。心の奥底で煮立つ憎悪の全てを叩き付けたとしても、響太郎はケロっとしているだろうし、そもそも無関係なのだ。本人が感知していないだけで、彼もまた、運命にストーカーのごとく愛されてしまった不幸な少年……と呼べるかもしれない。

 

「分かった」


 長い空白の後、鮫介は呟いた。その言葉を口にするには、長い時間が必要だったから。


「………………別れようか。僕たち」

「………………………………………………………うん」


 長時間熟慮した末、万理朱は静かに頷いた。

 頷いた。

 自分から、了承した。

 自ら口にした誘いだというのに、鮫介は世界崩壊レベルの衝撃を受ける。


「そう、か」


 まだだ。

 まだ、崩れるわけにはいかない。

 万理朱の前では、最後の瞬間まで格好良い鮫介のままでいなくては。

 これは矜持の問題だ。ひたすら情けなくて、その場で「やっぱり別れないでくれ」と叫び出したい気持ちを抑え付けながら、鮫介は真面目な表情を形作る。

 何故、別れてしまったんだろう、と。少しでも、そう思ってくれるように。


「分かった……別れよう」

「ごめん……」

「謝るなよ……惨めになる」

「ご、…………」

「アルバイトは……どうしようか。少しは続けたほうがいいか?」

「いいよ、父さんに言っておくから……」

「そうか」

「うん」

「悪いな」

「うん」

「じゃあ……そろそろ、行こうかな」

「……うん」

「あー、っと……教室に残ったみんなには……どうする? 僕から話しておこうか、自分から話すか?」

「私が……話すよ」

「そうか」

「うん」

「悪いな」

「うん」

「…………」

「…………」

「じゃあ……行くよ」

「……ん」

「さようなら、遥万理朱。本当に……好きだったよ」

「さようなら、音無鮫介。私も……あなたのこと、好きだった」


 万理朱の言葉を背後に、屋上を去る。彼女の近くにいると漂っていた柑橘系の香水の匂いは、もうしない。

 帰りの下り階段をトボトボ歩きながら、ぐちゃぐちゃした脳内を必死に整理整頓する。

 結局、これは夢だったのだ。

 彼女は悪くないし、鮫介も下手を打ったわけではない。響太郎も……まぁ、何かしたわけではない。

 勿論、望んだ結末かと問われれば勿論ノーなのだが。ならばこのまま幸せになって、高校を卒業して、結婚なんかして――と幸福な未来が訪れると、予想していただろうか。

 それも、答えはノーだろう。

 鮫介は予期していた。このような幸福な時間が、延々と続くわけがない。だって、響太郎に何の(・・・・・・)メリットもないから(・・・・・・・・・)

 だから、いつか途切れると予測はしていた。していたが……これほどまでに辛いとは、想像もしていなかった。

 だから、これは夢だったのだ。

 いつか覚めるとわかっていた、幸福に満ちた夢だったのだ。


「よぅ、鮫介。一人か?」


 下駄箱の前では、響太郎が待っていた。一瞬、ぶん殴ってやろうかと思ったが、それは止めておいた。何度も言うが、響太郎本人の意思で行った行為ではないからだ。

 ならば誰を恨めばいいのかというと、神様ということになるのだろうか。鮫介は血の気の引いた顔色を更に青白く染め上げ、響太郎に手を振り返す。


「ああ、響太郎。一人だよ」

「お、おぉ……? 顔色悪いぞ、保健室に寄らなくて大丈夫か……?」

「平気だよ……それより、帰るところなんだろう? 付き合うよ」

「お、おお、そうか! いや、でも……今日は遥万理朱の誕生日なはず。一緒に帰らなくて平気なのか?」

「………」


 はるか、まりす。その単語が出てくると、辛い。

 でも大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫……


「……別れた」

「へ?」

「別れたよ、万理朱とは」

「わ、別れたって……どういうことだよ!? お前ら、あんなに仲睦まじげにしてたじゃ……!?」

「まぁ……色々あったんだよ。聞かないでくれると、助かるな」

「そ、そん、でも、くっ、んんん…………分かった、聞かない」

「すまないな」

「今日こそコンビニに肉まん食べに行こうぜ。その……俺が奢るからよ!」

「ああ……ありがとう」


 そうして、響太郎と二人、帰路につく。

 響太郎は話題を振り、鮫介が返す。いつも通りの光景だ。


 果たして、この道が正解だったのだろうか。

 分からない。確かめる術もない。

 ただ、失恋の辛さは鮫介の胸を痛いほど掻き毟った。泣いて、叫んで、感情を爆発させずに制御したのは、褒めてほしいところだ。

 遥万理朱。夢の中で、恋に落ちた相手。

 あれは現実じゃない。現実だとしたら……あまりにも、自分自身が哀れな存在になってしまう。

 翌日から、遥万理朱は他人になった。もう恋人でもなんでもない。あれは、夢だったのだから。

 友人たちが何かと気を回してくれたり、周辺のギャルたちが何か言いたげな視線を送っていたとしても、関係ない。

 万理朱が、贈ったプレゼントを首につけていたとしても――もう、無関係だ。


 音無鮫介は恋を知らぬ。

 音無康介は愛を知らぬ。


 だから――不安なのだ。

 小春が日頃から言ってくる、好きという感情が――ある日突然、失われるのではないか、と。

 いつか突然、何処からか響太郎が出現し、彼女を攫ってしまうのではないかと、不安になるのだ。

 カルディアは良い。二人の間にあるのは、紛うことなき『打算』だ。金の切れ目が縁の切れ目。お金が無くなれば、カルディアは鮫介の側を離れて行くだろう。

 でも、小春は?

 小春は……どうやったら、離れるのだろう?

 本音を申すのであれば、離れてほしくない。小春は太陽だ。鮫介を照らし続ける、暖かな日差しだ。ずっと、側にいてほしいと思う。

 しかし、それが鮫介には信用ならない。信頼出来ない。

 だって、そんなものは嘘だ。冗談だ。まやかしに決まっている。



 永遠の愛など……この世に、存在しないのだから。




最後のほうでちらっと地上部隊の様子を書こうと思ってたけど、長くなったので後に回しました。

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