五月、快晴の日に
投稿が遅れて申し訳ありませんでした。
五月になったが、快晴が続いていた。
連日雨は振らず、心地よい風が流れ、太陽の光は柔らかく降り注いでいる。
まさに五月晴れ――五月晴れは六月の梅雨時の晴れ間らしいけど!
「勇者様、頑張って! あと三キロほどですよ!」
「…………」
デイルハッドが爽やかな笑顔で、一周遅れの鮫介を追い抜いていく。
その背には背嚢が背負われていた。中には重火器や弾丸がわんさか詰まっており、要するに走る際の邪魔というか、重しになっている。
それを背負って鮫介に一周差をつけて、デイルハッドは走っているのだ。更に言えば、デイルハッドはオトナシ近衛部隊で一番遅い。
つまり、鮫介はオトナシ近衛部隊の面々全員に一周差をつけられたことになる。
地元で英雄だなんだと持て囃されていても、現実はこれ。涙ちょちょぎれますよ!
「ヒューイン、あと三キロだってさ」
「げほっ……三キロか……ぐっ、おぇ」
立ち止まり、ヒューインが脇の草むらに吐瀉物を吐き出すのをじっと待つ。
小春の護衛としてオトナシ近衛部隊と共に暮らしているヒューインだが、筋力的には鮫介とそう変わらない。スタミナも、似たようなものだ。
つまりこの早朝ランニングにて、ヒューインは恥も外聞もなくゲロを吐きまくった。最初は鮫介を馬鹿にしていたというのに、走り続けていたら徐々に後退し、そしてこのザマである。
「おい、しっかりしろよ。あと三キロが我慢出来ないのか?」
「うるせぇ……二キロ前にゲロ吐いてた奴に言われたくねぇ……」
ヒューインは鮫介の秘密を暴露しつつ、口元を腕で拭って立ち上がった。
既に胃の中のものは吐き出した後だったので、胃液しか出ていない状態である。心なしか彼の特徴のモヒカンも萎びている。
かくいう鮫介も、胃の中は胃液しか残っていない。昨夜の晩御飯は全て吐瀉物と化してあちこちの草むらに眠っている。
「……ゴールで待ってくれている女の子がいるんだ。その娘の前でゲロは吐けないだろう?」
「あのカルディアとかいう女か。本当にメイド服が好きだな、お前」
「人をメイド服ならなんでもいける男と思わないでほしいな!」
「コハルがメイド服着てたとき泣いてたじゃねーか!」
「あれは……ほら、小春のメイド服姿がすげー似合ってたからさ!」
「むっ……確かに、あれは可愛らしかったと言わざるを得ない」
「だろう? あれがタオル持って人の汗を拭ってくれるんだぜ! 最高かよ!?」
「でも付き合ってはいないんだな、お前たち」
「ば、馬鹿! 僕たちそんなんじゃないし!」
「……何故そこでヘタれるんだ。情けない……」
「お、お前は僕と小春が付き合うのは反対派じゃなかったのか!?」
「お前は嫌いだ。だけどコハルの立場を考えた時、最良の物件……というか人材は、お前だ」
「んぐぐ……」
「何が不満なんだ? コハルはお前のことを好きだと言っている。付き合ってしまって、何も問題は無いはずだが」
「ふーん。ルネッタさんと付き合ってる奴は言うこと違うな」
「ば、馬鹿! あ、あれは、ルネッタが勝手にだな……!」
ヒューインと二人、雑談をわいわい繰り広げながら残り三キロをゆったりと走る。
ゴール手前。向こうでタオルを持って待ち構えているのは、ゴードンとカルディアだ。
小春は何か用があるとかで、アルキウスさんの屋敷に向かっていたため今はいない。先日メイド服を着てくれたときは非常に似合っていたので、残念ではある。
「お疲れ様です、コースケ様!」
ゴールラインを通り過ぎた鮫介に、カルディアが満面の笑みでタオルを持ってきてくれる。
なんて言えばいいのか分からないが、鮫介は満足な気持ちだった。美少女にタオルを差し入れされるというのは、本当にいいものだ。
小春が屋敷に来た当初は微妙に物憂げな表情だったカルディアだが、日々を過ごすうちに元の明るさを取り戻していた。生活面において、小春が何の役にも立たないことが発覚したからだろうか。
何せ小春は掃除は出来ない、洗濯も出来ない、作れる料理は男らしい豪快な鍋のみ、と家事がまったく出来ない人間だったからな。カルディアに懐いて、家事をせめて人並みにこなそうと猛勉強している。
そんな小春を、カルディアは姉のように優しく、時に厳しく指導しているのだが……小春の来襲直後に物憂げだったのは、小春が鮫介に対して好意を隠していないことが原因であることに間違いないだろう。
クロノウスの薫陶を受けて己の行動や言動に遠慮はいらないということを学んだ鮫介であるが、これからは特に気を付けなければならない。
まったく、モテるのも大変だな! ……はぁ。モテたことがないから対処法がわからん。
「ああ、タオルありがとう、カルディア」
「いいえ。三十キロの走破、大変でしたね。でも以前のように倒れ込むことはなくなりました!」
「そうだね、ちょっとは体力ついてきているのかな……」
タオルを受け取り、汗を拭う。確かに初回のような無様な真似を――生まれたばかりの子鹿のごとく足がぷるぷるとしか動かない――晒さずに済んでいるのは、己の肉体に体力がついた証拠だろう。
何せ、このランニングは今日で五回目なのである。
召喚されたのが四月の上旬であり、ネームドがベールキドの丘を占拠したのが四月中旬。以来、ジン隊長は鮫介やヒューインを早朝から無理矢理誘って、こうしてランニングを度々実施している。
そしてそれと同時に筋トレまで追加されて、鮫介の肉体はムキムキのマッチョメンに! ――は一朝一夕では当然ならないが、三十キロの道のりを走破するレベルの体力は身に付けたわけだ。毎回吐いてるけど。
ジン隊長曰く、虹の七騎士を動かす以上、体力は必要ないと言えば必要ない。しかし機体を降りているところを刺客に狙われたら? 怪我をした状態で虹の七騎士に乗らざるを得なくなったら? 結局、最後に頼りになるのは己の肉体だけだ……ということらしい。
鮫介も、その理屈は様々な本を読書して知っていた。なので朝・昼食で(吐きそうになりながら)肉を食べ、ジン隊長の繰り出す上腕二頭筋だの下腿三頭筋だのを鍛えるメニューを黙々と(死にそうになりながら)こなし、晩飯でまた肉を(見るだけで辛い)食べる生活を送っている。
「いいですね、健康的です。ご主人様にはどんどんマッソゥになっていただかなくては」
ヒューインにタオルを渡しながら、ゴードンがニコニコした顔で言う。
見た感じ細く見えるゴードンだが、意外にも(意外でもなんでもないかもしれないが)鮫介より体力と筋力があり、疲労も見せないまま重い物をすたすた運んで鮫介を吃驚させたこともある。
あれはそう、小春に充てがった部屋に本棚を飾るときだったか。中身がみっしり詰まった本棚を両手で持ち上げたときのゴードンの涼やかな笑顔を、鮫介は忘れることはないだろう。
ちなみに小春の本棚はみっしり詰まっているといっても、その中身は料理や裁縫等の本を中古で貰ってきたものばかりだ。一応読まれた形跡は残っているが、身に付かなければ意味はない。
「じゃあお前も三十キロ走ってみるか。健康になれるぞ」
「御冗談を。その後の執事業務に差し障りますので」
「遠慮すんなって。お前が仕事の途中でゲロ吐いても気にしないからな」
「そこは気にしていただきたいところ……ちょっと、腕を引っ張るのはお止めくださ……いい笑顔でそちら側に引きずり込まないで!?」
「遠慮すんなって!」
「遠慮させていただきます!」
「……何やってんだ、お前ら」
呆れた顔のヒューインが助け舟を出すことで、ゴードンをランニングに付き合わせる作戦は失敗する。まあ、本気じゃなかったけど。
「コースケ様。今日は鶏肉を大量に仕入れたので、ササミ料理を御馳走しますよ!」
「ははは。カルディア、それ一つ一つのメニューにササミ入ってるやつだろ」
「……では、温め直していますので、早めに食堂に来てくださいね!」
「ま、待てカルディア! 否定の言葉は!? ササミ地獄は嫌だぞ!?」
手を伸ばすが、カルディアは笑顔でさささっと屋敷に戻っていった。
ササミは美味しいが、ササミ尽くしはどうだろう。鮫介が固まっていると、ヒューインが肩を竦めて声を掛ける。
「じゃあ、俺も行くか」
「ヒューインはヒナナ副隊長の手料理か」
「肉料理だよ、肉料理。俺は肉が大好きだったけど、最近は野菜が恋しいぜ……」
片手を上げてヒューインはその場を立ち去った。
オトナシ近衛部隊の料理はいつの間にか雑用係のコアが材料を入手し、それを主にヒナナが調理する流れになっている。
ヒナナの料理は美味しいと評判で、鮫介も一度は食べに行きたいのだが……カルディアの料理を断るのも、なんだか悪い気がする。
「では、カルディアの料理が待つ食堂へ向かいますか」
「いや、僕はシャワーだけ浴びたい。こんなに汗だくだとな」
「……えっ」
「なんだ、その反応」
「何でもありません」
屋敷のほうにちらちら視線を送るゴードン。何だ?
「誰か来客か? その人がシャワー使ってるとか」
「いえいえ、誰も来ていませんよ? どうぞ、シャワーを浴びてきてください」
「……本当か?」
「ええ! それと一言申しますと、謝罪の用意は済ませておきますように」
「おい、誰か来てんだろ!? それも女の人が!」
「さあ? では、私は仕事がありますのでこれで!」
「こら、待て!」
捕まえようとするが、ゴードンはその前にすり抜けて屋敷の中へ逃げ出してしまった。
まったく、うちの家臣たちはネズミか何かなんだろうか?
というわけで、風呂場の扉の前に立っているわけだが。
耳を澄ませば、中から衣擦れの音がする。やっぱり誰かいるじゃねーか!
漫画の世界じゃ覗きはビンタ一発で許されているかもしれないが、現実はそうはいかない。覗いてかつバレた者は一生変態の烙印を押し付けられて生きていかねばならない。
ゴードンはわかっていて鮫介の風呂場行きに反対しなかったのであろうか?
鮫介はため息をつく。
本来なら、ここで大声を出して「誰かいるのか」とでも誰何するのが正しいのだろう。こちらは覗かずに済むし、相手方も恥をかかずに済むからだ。
しかし、鮫介はドアの隙間に指を突っ込み、片目でギリギリ覗けるくらいの隙間を作った。
何故か?
理由は簡単。
覗けると聞いて覗かないのは……男としてどうかと思うからだ!
(思えば、響太郎に連れられて女湯を覗いたこともあったなぁ。あの時は周囲の野郎どもを生贄に脱出に成功したんだっけ……)
そんな懐かしき日を思い出しつつ、鮫介は跳ねるような足取りでちらりと中を覗く。
さて、誰がいるのかな~と内心めっちゃわくわくしながら陽気に覗いたその先には、
(……フィオーネ様!?)
艶めかしい下着姿のフィオーネ様がいた。両腕を後ろに回し、ブラジャーを付けているようだ。
鮫介は驚いて周囲を見渡すと、廊下の隅でゴードンが右腕でサムズアップしている。
(ゴードーーーン! お前……ナイスだ!!!)
鮫介も真顔でサムズアップを返し、意気揚々と鼻息荒く覗きに戻る。
フィオーネはその巨大な胸をセクシーなブラジャーで包んでいる。割れてはいないものの鍛え上げらた腹筋に、すらりと伸びた手足。パンツはもう履いていた。じゃあ先程とっとと送り出していたら乳丸出しのフィオーネさん見れてたんじゃねぇの!? おのれゴードン、許せねえ!
なんて一人でヒートアップしていると、フィオーネさんが顔を上げ、
「……そこに誰か、いるのですか?」
指摘される。不味い、バレた!
鮫介は直ぐ様その場に膝を付き、頭を垂れた。
「す、すみません。シャワーを浴びたかったのですが、誰か入っているとは思わず……」
嘘 で あ る !
鮫介はスケベ心満載で覗いていた。何故なら、そこに女湯があったから……!
カルディアにバレたら、確実に軽蔑されるだろう。小春にバレたら……「なんであたしを覗かないんだよ!? 覗けよ! 好きなだけ!!」とか変な怒られ方をしそうだ。
視線を横に向ければ、そこには誰も居ない廊下が静かに佇んでいる。ゴードン、逃げやがったなあの野郎!
「いえ……この屋敷の主人たるコースケさんに利用をお伝えしていなかった私が悪いのです」
お? これは……怒られない流れ!?
助かった。話の転びようによっては変態の烙印が押されるところだったからな。このまま、穏便に事を済ますせるよう頼み込むしかない。
「どうぞ、中へ。シャワーを使用するのであれば、どうぞ」
「……え?」
何、言ってんだ、この人。
「い、いえいえ! まず、服を着てくださいよ! そうすれば僕も入れますので!」
「……やっぱり、そういう反応になりますか」
はぁ、とため息を漏らす音。
……え? なんでため息を漏らしてるの?
脳内が疑問符で埋め尽くされる中、フィオーネさんは静かに声を発する。
「私は……羞恥、の感情が昔から薄いようで……下着姿だろうが裸だろうが、別に見られても特別何の感情も抱かないのです」
「は、はぁ……」
「普通の人ならば覗かれたことで悲鳴を上げたりするのでしょうが、私は……別に……」
マジかよ! じゃあ覗き放題じゃん!
とはならないのが世の辛さ。フィオーネさんはこのフェグラー領の領主であるアルキウスさんの奥方なのだ。
フィオーネさんの裸を見るのは、即ちフィオーネさん個人ではなく、領主の奥方を覗いたということになる。まあ、鮫介が覗いたのは裸ではなく下着姿ではあるが。
「本来なら領主の妻の風呂を覗いた罪により、あなたに刑罰が与えられますが……」
「ど、どうか恩赦を!」
「……あなたには三度、命を救われています。その貸し一回分で許すとしましょう」
マジかよ! じゃあもう一回分支払えば覗き放題なんか!
なんてことは当然言わず、額を地面に擦り付けて感謝の言葉を述べる。事態が穏便に済んで本当に良かった。そしてフィオーネさんが大分変わった人で助かった。
しかし三度生命を救ったとはどういうことだろう? 覚えている限り、鮫介がフィオーネを助けたのはカオカーン潰しの一件のときのみなのだが……
まぁいいや、と鮫介は思考を戻す。
羞恥心が薄いという話だったが、普段の服装はしっかりしている。きっと、アルキウスさんが何か言ってるんだろうな……
ひょんなことから領主の苦労を知った鮫介は、疑問に思ったことを問いかける。
「まさか、普段おっぱいの谷間がえぐい服装を着ているのは……!」
「私は暑がりなので……少しでも涼しさを、と」
「やっぱりか!」
「野生の獣は何も着ていないのに、何故人間は服を着るのか……全ての人類が服を着ていない世界とか、素敵だと思いませんか?」
「ど、どうでしょうね……」
ヤバい。
ヤバい思考の持ち主だ、この人!
まさか裸体主義者だったとは思わなかった。友達の母親がそうだったと知った時のような衝撃だ。
冷や汗が額に滲む。こんなところで、この人がこんな思想の持ち主だと知りとうなかった!
まぁ、先程見たエロティックな光景は既に脳内の個人フォルダにしっかり退避させている。人格と絵面は別だ。……別だよ? 本当だよ?
「では、服を着ましたのでシャワーを使いたいならばどうぞ」
「はっ。ありがとうございます!」
顔をちょっとだけ上に上げると、既に服を着た後だった。
デニムのショートパンツに、ノースリーブのレディースカットソー。鏡に映る後ろ姿を眺めれば、背中が大きく開いているタイプだ。ブラジャーが見えないギリギリの位置まで広がっている。本当に暑がりなんだな。
「アルキウスが言うのですよ。君はちゃんと服を着たほうがいい……と」
「そりゃ、そうでしょうね……」
「私は家で服を脱いで生活をしたいのですけれどね……」
なんてこった。ラヴァン君の性教育に問題がっ!
いや、前にアルキウス邸に突撃したときは普通の私服を着ていたな。家で常に全裸というわけじゃないらしい。良かった。いや良くはないけど。
混乱して頭が回らない。この経産婦はエロすぎてあかん。僕はただ、風呂を覗ければそれで良かったのに……!
フィオーネさんの第一印象は、今までは「綺麗な人」だった。その後、「頼りになる人」や「エロい人」なんかが出てきたけど、最初の印象はそうだった。
でも、今の第一印象は一気に「怖い人」が躍り出た。人は自身の頭脳で理解出来ないモノに恐怖するという。突然裸体主義を語りだしたフィオーネさんがまさにそうだった。
はっきり言って、鮫介の脳内はただひたすらに混乱している。風呂場を覗いたのを後悔……はしてないけど、そこで知りたくない秘密を知ってしまって気分は最悪だ。
ここは話題を変えて、さっさと乗り切るのが正しいだろう。
「ところで、フィオーネさんは何故僕の屋敷に?」
「あなたの様子を見に来た、というのが一点。もう一点は、アルキウスからの指示です」
「アルキウスさんの?」
「もしかしたら人が一人、こちらに来ることになるかもしれないから、その時は対応しろ……とのことです」
「はぁ」
意味がわからない。
わからないが、話題はズレて助かった。今は頼りになるフィオーネさんだ。理解の及ばない怖いフィオーネさんではない。
大きな吐息を吐き出しつつ、屈めていた身を起こす。ようやくシャワーが浴びれそうだ。
「ごゆっくり。私が……その、秘密を暴露したことは、アルキウスには内緒にお願いしますよ」
危ねえ、まだ話が続いてた!
「はい。その代わり、僕が覗いてしまったことも内密に頼みます」
「構いません。二人だけの秘密……ということで」
フィオーネさんはくすりと静かに微笑み、唇に人差し指を当てるジェスチャーをすると風呂場を去っていった。
鮫介は風呂場に入ってドアの鍵を閉め、完全に脱力してその場にしゃがみ込む。
畜生、なんで最後にそんなエロいジェスチャーをするんだ、あの人は!
フィオーネさんに弄ばれているような気がして、鮫介は暫くの間立ち直れなかった。
急いでシャワーを浴び、着替えを羽織って(シャワーを浴びている間に用意してあった。ゴードンの仕業だろう)食堂に辿り着くと、既に朝食が用意されていた。
少々遅れてしまったことをカルディアに訝しまれながら、用意されたササミ料理を平らげる。
フィオーネさんは朝食を自分の家で済ましてきたらしく、ここにはいない。いたらまともに対応出来なかったので、大いに助かるところだった。
「本日の予定は、八時よりムー語の勉強。九時よりジン隊長による筋力トレーニング。十二時に昼食休憩、十三時から座学。十六時から筋力トレーニングの続き。十八時以降は自由行動となります」
「いつもの一日ってところだな」
ゴードンから今日の予定を聞きつつ、ハンカチで口を拭う。
ムー語の勉強はゴードンから幼児用の教科書を用いて教わっている。大分恥ずかしいが、ゼロから言葉を学ぶならそれが一番らしい。
言葉は翻訳されるのに、文字は翻訳されないこの現状を何とかしようと思って頼み込んだのだ。
筋力トレーニングは読んで字のごとく、筋トレだ。ジン隊長の地獄の筋トレ(地味)をヒューインや団員の皆と延々と続けるだけ。ひたすらにキツいが、効果は感じている。
座学はジン隊長が機体について細かく教えてくれる……という話だったが、いつの間にか他の団員のオトナシ近衛兵部隊所属前の武勇伝を聞く会と化している。前回はデイルハッドが戦場で一人孤立してしまい、そこから生き延びる……という話を熱く聞かせてもらった。
……うん。やはりこちらのシリアスな空気のほうが僕に合っている。僕は巨大ロボットで巨大生物と戦う異世界に飛ばされたのであって、ちょっとエッチなラブコメ空間に飛ばされたわけじゃないからな!
「ご馳走様。美味しかったよ、カルディア」
「お粗末様です」
「ただ、御飯のあちこちにササミが隠れているのは勘弁願いたいな!」
「ぜ、善処しますので……」
御飯を食べ終わったので、お皿をそのままテーブルに残して食堂を退室する。本当は全て並べて水に漬けておきたいのだけど、そうするとカルディアもゴードンも怒るのだ。メイドの仕事を取り上げるな、と。
無理をして二人の機嫌を損ねるのもどうかと思ったので、言う通りにしている。
さて、これから部屋でムー語の勉強だ。教科書は僕の部屋の本棚に置かれている、の、で……
「うっ……!?」
どくん、と心臓が鼓動する。
だが、悪い気分ではない。例えるなら、久しぶりに友達と出会って歓喜したときのような……?
「ここにいましたか」
廊下の向こうから、フィオーネさんが顔を出す。その右腕は左側のおっぱいを鷲掴み……いや違う、あれは心臓を押さえているのか。
「フィオーネ……さん」
「コースケ様! 顔が凄い苦虫を噛み潰したようなものになっていますよ!?」
「……何でもない。フィオーネさん、今のは一体……?」
つい顔に表れた「この人に関わりたくない」という本音を押し隠し、尋ねる。
今の心臓の鼓動は……胸の高鳴りは、なんなのか。
フィオーネさんは静かにこちらの瞳を見つめ、静かな口調で告げた。
「……新たな『同士』の出現です。外へどうぞ」
フィオーネさんに連れられて、屋敷の外に出る。
天気は先程と変わらず、心地よい風が吹く快晴。この空に、何が起きるのか――
「……何か、近づいてくる……?」
空を見上げながら、ぽつりと呟く鮫介。
遠くの空に、人影のようなものが見える。
だが、この世界で「人」影はありえない。パラシュート技術が鮫介の世界ほど進んでいないからだ。
では、アレは? 影はぐんぐん近寄ってきて、その姿を視認出来るようになる。アレは……
「虹の……七騎士……!?」
その姿は、クロノウスやガルヴァニアスによく似ていた。
全長は32メートル前後。緑色をアクセントに全身純白に染め上がり、大柄だが少々細身の体型。背部に大きな翼状のパーツを持っているのが特徴的だ。
それが、空を飛空してこちらに接近している。空の飛び方もガルヴァニアスにようにカクカクとしたものではなく、滑らかに飛行しているように見える。
「フィオーネさん、アレは……!?」
「烈風機士、トールディオ……過去数十年、大神官が存在しなかったとされている機士です」
「それが……こちらに向かってきている?」
新たな大神官が見つかった、ということなのだろうか。
しかし、それなら先程の心臓の鼓動にも納得が行く。あれは、新たな仲間が出来たことを歓迎するものだったのだ。
「僕が召喚されたとき……いや、クロノウスの搭乗に成功したときも、こんな感じで心臓が鳴ったんですか?」
「ええ。ただ、その時は戦闘中でしたので、構っている余裕はありませんでしたが」
高鳴ったのか。なんだが仲間の一人と認められたようで、気分が良い。
鮫介は元の世界で響太郎の隣にいた。それは自分からその立ち位置を取得したわけではなく、幼少期に「偶々」響太郎の隣にいたことが原因だ。
そして、響太郎は成長するに連れて、各所に色々なチームやグループを作った。鮫介もそこに所属していたわけだが、そのチームやグループから鮫介個人を受け入れられていたわけではない。
鮫介は、あくまで響太郎のついで……「おまけ」として見られていただけだ。仲間たちは皆、響太郎を見て笑い、怒り、結束を高めていった。
だからこの異世界は、鮫介にとって居心地が良かった。旭響太郎がここにはいない。「自分の意思」というもので敵や味方を作ることが出来る。
虹の七騎士になったことは最初から決められていたことでも、最終的になることを決めたのは鮫介の勇者としての自覚と意思だ。だから仲間と認められることは、鮫介の意思を尊重されたようで、清々した気持ちになれるのだ。
「烈風機士……ガムルド領の機士、か……」
ガムルド領といえば、小春暗殺を企んだマホマニテの領地だ。
各領はイニミクス対策として同盟を結んでいるらしいが、印象として鮫介には敵にしか思えない。
果たして、搭乗者は何者なのか。こちらと仲良く出来るのだろうか。
鮫介の心配をよそにトールディオは着地の準備をするために、頭部をこちら側に向けた姿勢から反転して足をこちら側に向けていた。
そのまま、地面に垂直に落下。鮫介たちの目の前に着地する。大きな衝撃音が鳴ったので、遠くにいるジン隊長たちにも伝わっただろう。オトナシ近衛部隊を連れてこちらへ来てくれるはずだ。
さて。トールディオのコクピットハッチが開く。中から出づる人物が、どのような人格の持ち主か。鮫介はごくり、と唾を飲み込む。
果たして、陽の下の姿を現したのは――
「よお、鮫介! あたしも虹の七騎士に乗ってみたぞ! 空を飛ぶのって、意外と簡単なんだな!」
「…………へ?」
思わず、気の抜けた声を出してしまう。
ハッチから姿を見せたのは――よく知る顔だった。小柄な体格で、髪の毛は黒色……いや、今は緑色に染まっているか。猫に似た笑顔で、手を振っている。彼女は――
「小春……」
「おう! クヤ・ガムルド・バカラン・コハル、クヤ・ガムルド・ネア・コハルになって只今参上だぜ!」
「…………」
小春は上機嫌にそう言い、何かを求めるようにじっとこちらを眺めている。
多分……褒めて欲しいのだろう。もしも小春に犬の尻尾があったら、ブンブン振っているに違いない。
しかし、鮫介は状況が掴めなかった。何故、小春がトールディオの大神官になっているのか……
「コハルは今日、マホマニテ殿に会いに行ったのです」
余程顔面にクエスチョンマークを張り付いていたのか、フィオーネさんが補足してくれる。
「アルキウスの部下を連れて、ガムルド領へ向かいました。ある可能性が、彼女にはあったからです」
「ある可能性?」
「彼女のご両親については、アルキウスより聞き及んでいますね? では、彼女の母のスレディ……メイドの父親が、ガムルド領主マホマニテ殿の夫だということも?」
「ええ、聞いていますが……」
「では、そういうことです。マホマニテ殿の夫は彼女の従兄弟で、トールディオに乗れたかもしれない人物だった。彼女は、その孫です」
「…………」
小春は……トールディオの搭乗者になる資格を有していた?
「この世界に召喚された勇者は、貴方も含めて優れた念動力の資質を持ちます。先代勇者の勝利さんも念動力が漲っていました。その娘であるコハルも、念動力に満ち溢れている、と推測はしていました」
「……」
「推測が確信に変わったのは、コハルが機体に乗れないと聞いたからです。コハルの念動力で機体に乗れないのはおかしな話ですので、もしや……と思い、ガムルド領へ向かわせました」
機体についての話は、武勇伝へと姿を変える前の座学でジン隊長に聞いたことがある。
曰く――この大陸で暮らす人々は十五歳になった日、機体に乗って自身の資質を試すという。
機体に乗れれば念動力が一定以上備わっており、乗れなければ備わっていないという。だが、一定以上の念動力がその身に宿っているのに、機体に搭乗を拒否されるケースもあるという。
それは、虹の七騎士に選ばれた証拠。彼らは虹の七騎士のいずれかに搭乗する運命となっているのだ。そのため、虹の七騎士の大神官は機体に乗ることが出来ないという。
「あたしがトールディオを動かしたときのマホマニテの顔は壮観だったなー! 驚愕、呆然、怒り……色々な感情が込められててよー!」
「トールディオはガムルド領、マホマニテ殿の所属です。そのためマホマニテ殿にコンタクトを取り、トールディオに乗せてもらう約束をしていました。暗殺されないよう、アルキウスの部下たちを連れて」
「成、程……?」
「そしてコハルは見事トールディオの大神官となり、ここに到着……と、そういうわけです」
「パパの子供だから、あたしのクロノウスに選ばれてんじゃないかって思ったんだけどな。でも、これでお前と一緒に戦えるぞ!」
小春はテンションを上げて喜んでいる。鮫介が彼女の隣にいたら抱き着かれていたことは間違いないだろう。
鮫介はふらりと、足を屋敷側に向ける。
小春が烈風機士に選ばれたのは、純粋に嬉しい。嬉しい、が……先程から色々なことが起きすぎて、脳に収まらない。キャパオーバーだ。
「ゴードン」
鮫介は背後に控えている己の執事に言う。
「勉強会は中止。僕は……寝る」
「かしこまりました」
一礼するゴードン。鮫介は屋敷に帰ろうとして、
「お、おい、鮫介! 何か反応しろよ! 凄いとか、やったーとか!」
小春に引き止められ、うんざりした表情で振り返る。
「そうだな……お前が虹の七騎士に乗れたのは、嬉しい……うん、素直におめでとうって言っておこうか」
「そうだろ!?」
「でも、これでマホマニテさんとの仲は決定的に分裂した。彼女の息子を殺した男の娘が、自分のところの宝……虹の七騎士を奪っていたって、そんな……そんな……」
限界だった。頭を抱えてその場に蹲り、鮫介は大声で悲鳴を上げる。
「うわー! これでガムルド領と戦争になったらどうするんだ、馬鹿ー!」
「バ、馬鹿ってなんだよ!? そんなの、この領の領主……アルキウスがなんとかするだろ!?」
「なんとかならんこともあるわ、アホー! 戦争の火種になるなんて……そんなもん僕の望んだことじゃねー!!」
「コ、コースケさん。アルキウスも戦争にならないよう不断の努力をしていますので……ど、どうか頭を上げてください」
「うぅぅ……戦争はいかん……いかんですよ……」
「な、なんか口調変わってないか……?」
「反省しろよ、お前はー! しばらくお前と口は聞かん!」
「えぇ!? これから一緒に訓練でもって思ったのに……」
「それだけか? 本当にそれだけなのか!?」
「ええぇ……そりゃ勿論、その後汗を拭いて、いい雰囲気になって……えへへ……」
「この、恋愛脳がぁぁぁっ!!!」
その場で頭を抱えて半泣きの鮫介と、それをわたわたしながらあやそうとしている裸体主義者。
恋愛脳が気色悪くぐねぐねしている脇で、騒ぎを聞きつけた全身筋肉が部下を引き連れてやってくる。
変人だらけだ。もっと他にまとめな性格の人間はいないものか。
勇者は最初に勇気を発揮するもの。ならば僕はこう言おう。
「まともに話せる人材を、くれ!」
季節は五月。
異世界に転移した勇者たるべき人間の、切実な想いが風となって空に舞った。
ダロン領で、カオカーン潰しを討滅したことを祝うパーティが開かれていた。
僕は初めてそこに出席し、数々の貴族たちの好奇の目と、娘の婚約者に……という常套句に晒されるてしまった。
テラスに逃げ、幼女とイチャイチャしていると、トールディオに乗った小春が現れる。
しかし、小春に喧嘩をうる貴族もいるもので……僕が戸惑っているうちに、二人が決闘!?
次回、「烈風機士編」絶対見てくれよな!




