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時空機士クロノウス  作者: 宰暁羅
時空転移編
20/117

VS熊 -煩悩開放-




 ようやくベールキドの丘に到着した。二時間経過して時刻は四時半、疲労で木の幹にもたれかかる。

 街を迂回するだけで、ずいぶんと無駄な時間を食ってしまった。

 屋敷からゼゥ・ガマルへ移動するときは、線路を目印にすれば良かった。主な交通手段として電車が使われているこの時代、線路の通りに歩けばゼゥ・ガマルへと辿り着けると確信していたからだ。

 ところが、今回はそういった目印のようなものがない。街は無秩序に広がり、壁というものはなく、おまけにベールキドの丘が何処か分からない。

 散々歩き回って、気がつけば夜明けが近い。

 しかし、なんとか到着することが出来た。山ではないので、後はこの森を抜けるのみ――

 ――というとこで、獣の声が響き渡った。

 口を閉じて、発生源を特定する。これは……近い!


(おいおい、夜明け前だぞ。こんな時間に活動している獣なんて……)


 武器になるかと、近くのものを手に持つ。一メートルほどの竹の棒だ。武器になるし、杖代わりにも使用出来る。

 獣は鮫介の背後で、低い唸り声を上げている。この声は、鹿や羊ではない。もっと肉食的な、獰猛な唸り声……


(狼……? いや、違う……)


 その時、背後の茂みががさりと動いた。蔓が手に絡まったのか、取り外そうと右手をぶんぶん振っている。

 その眼光を見た瞬間、鮫介の背に戦慄が走った。


(熊……!?」


 叫び声を上げそうになって、慌てて口元を抑える。

 熊……ヒグマかツキノワグマか、あるいはムー大陸固有の種類か。詳しいことは分からないが、黒い毛並みの熊で間違いなかった。


(なんで熊がこんな時間帯に出歩いてるんだ……! くそっ……)


 熊の嗅覚は犬に劣らない。こうして隠れていても、すぐに見つかってしまうだろう。

 決心すると、鮫介は隠れていた木から飛び出して、熊と相対した。

 睨み付けてくる熊を相手に、鮫介は自分の身体を大きく見えるよう、両腕を横に広げる。


(前にテレビで見た。熊を相手に死んだふりは意味がない。火を付けても向かってくる。叫び声を上げたり逃げ出したりするのは厳禁……)


 熊は怒り狂った憎しみの瞳で、こちらに低い唸り声を上げている。

 よくよく見れば、右の脇の下にナイフが突き刺さっている。人間に狩られかけ、逃げ出した熊か……


(威嚇的だな。熊は臆病な生き物だから、逃げ出すことを期待したのに……)


 僕は、何をしているんだろう。鮫介はそう自分に問いかける。

 勇者として召喚されて、こうして熊と対峙している。人助けとは一切関係ない、生き残るための生存競争。

 勇者としての職務とは一切関係ない。僕がここで倒れたら、誰か悲しんでくれるのだろうか。


「グゥルルルゥゥゥゥ……」


 熊が唸り声を上げながら姿勢を低くする。

 鮫介は雑念を捨て、右手の竹を構えた。

 常時の熊はタックルするフリをして威嚇行為をするらしいが、この熊は攻撃的だ。フリなどしないだろう。


「グワァッ!!!」


 熊が前進する。顔面を前方に向けて(・・・・・・・・・)

 それは、野生動物ならばどうしようもない行為。動物が歩く・走る際、必ず取る行動。

 故に、


「はっ!」

「! グワッ!?」


 その眉間を、右手の竹で突き込む。

 野生動物の弱点として、眉間を狙う行為が推奨されていた。テレビでは、眉間を狙う前に逃げ出せとあったが……

 とにかく、竹は相手の眉間を直撃した。だが、浅い。命中した瞬間、首をひねって回避したのだ。

 攻撃が命中、怯えた熊がひーこら逃亡……なんて挙動を考えていたけど、


「ガァウ! グオォァアアアッ!!!」


 どうやら、怒らせただけで終わってしまったようだ。

 熊は唸り声を上げながら、静かにこちらの急所を観察してる。そんなことしなくても、その分厚い腕を振り回せば僕なんて簡単に首を撥ねられるのに。

 鮫介は一見すると冷静だが、内実、非常に焦っていた。なにせ相手は熊だ。しかも人間への怒りと憎しみを滾らせている熊。

 三毛別羆事件をウィキペディアで読んだことがある。熊は恐ろしい生物だ。

 こうして、竹を構えていられる自分が不思議でならない。一体、僕は何をしているんだろう?


「グオオォォ!!」


 熊が無茶苦茶に両腕を振り回す。

 竹を引いて、一端距離を取る。熊の腕は鮫介が隠れていた木に当たり、爪楊枝のごとくへし折った。


(バッ! 勝てるか、あんなの……!)


 今すぐ背を向けてがむしゃらに逃走したい。

 それが出来ればどんなに良いことか。甘い誘惑を振り切って、竹を構え直して集中し直す。

 心臓が鳴っている。頸動脈を狙われたら一撃で即死だ。極限の緊張感が背筋を震わせる。

 誰だあのナイフを当てたのは畜生。あれが熊を怒らせた。そして、僕がめちゃくちゃ困っている!


「ガウァァァァ!!!」


 もう一度、熊が突進してくる。

 竹を眉間に突き出すが、かわされる。読まれていたらしい。

 首筋を狙う右手の一撃。左腕で頸動脈を庇いながら、地面を転がって回避。

 右手の竹が爪にぶつかる。咄嗟に手放すのと、竹が見事に破砕されるのは同時だった。


「うげっ」


 思わず声を発してしまう。

 素手は駄目だ。熊と対決するときは相手の攻撃をかわしてチョークスリーパーを決めろ……なんてネットで見かけたが、出来るわけがない。

 すぐにその場を離れ、右手で次の武器を探す。十五センチの木の枝。ポイ捨てる。二メートルはある竹。重いがしょうがない。採用。

 竹を持ち上げ、構える。雑草が絡みついてとても重い。

 西の山際から太陽が昇ってくる。日の出だ。くそっ。とても眠い。身体がふらつきそうになるのをなんとか堪える。


「くそっ、眠いのにこんな面倒に巻き込みやがって……」


 悪態を吐き出す。

 眠いのは自己責任なのだが、こんな戦いに巻き込まれるなんて思っても見なかった。

 勇者がこんなところで命を落としたら、世間は大騒ぎだろう。ゴードンやカルディアは悲しんでくれるだろうか。カルディアは勇者の子を妊娠出来なくて残念がるだろうか。ゴードンは……どうでもいいや。

 アルキウスさんは……読めない。でも己の生命力と引き換えに召喚した勇者が何もせず死んだら、呆然とするかもしれない。

 フィオーネさんは……どうだろう。俺がこの世界で初めて出会った人。結婚してたとは思わなかった。それが更に浮気を許可? 意味がわからない。

 あの人を娶ることが出来るという。許されていいのか。あのおっぱいを、違う、眠くて思考が纏まらない。

 しかし実際問題、あの人の……ンン、肢体はまぁ美しいものがある。それを自分のものに出来るというのなら、頑張る人も出てくることだろう。僕は未成年だからあのおっぱい、ンンン、肢体にむしゃぶりつくことも……

 ええい、まともな思考が出来ない。いつまでおっぱいのことを考えているのか。集中しないと死ぞ。ああもういいよ認めるよ、あのおっぱい大好きだよ! 死ぬときはあのおっぱいに包まれたい! おっぱい最高!


「来いやぁぁぁっ!!!」


 睡眠不足と歩き詰めからの疲労感、命をかけた緊張感から生まれた邪念に満ちた思考を追い払うべく、叫ぶ。

 熊は一層目を細めて、こちらの様子を伺っている。

 死ねない。響太郎の代わりに僕が死んだほうが良かった? 馬鹿抜かせ、それじゃフィオーネさんともっかい会えないじゃないか!

 決めた。この戦いを生き残ってフィオーネさんにもう一度会う。そのためにもこの戦い、必ず生き残って――


「ガウッ!?」

「!?」


 熊の頭部にナイフが突き刺さる。熊は振り返ってそちらに向かって唸り声を上げる。

 少女が立っていた。

 黒いボロ布……いや、マントか? を被って、ニヤリと笑顔を形作っているあの顔は――


「小春!?」

「よぅ、鮫介! 熊と喧嘩とか、根性あるな!」


 先代勇者の娘、小春だ。

 身体に巻き付けたマントからナイフを引っ張り出し、サイドスローで熊に投げつける。

 二撃目は足に刺さり、熊は悲痛な声を上げた。

 おそらく、あのマントの中にいくつものナイフを隠してあるんだろう。


「つぇい!」

「グオォ!?」


 小春が熊の気を引いているうちに、熊に接近する影が一つ。

 ヒューインが小ぶりの斧を手に、熊に全力で打ち掛かる。熊は両腕を持ち上げてガードするも、左腕が吹き飛ばされて鮮血が舞った。

 熊は唸り声を上げて右腕を振り上げるも、小春のナイフが右腕に刺さる。

 怯んで後ずさりする熊に、追撃の一撃。右腕が吹き飛び、間を鮮血の道が通る。


「グワァァァァ……!」


 両腕を失った熊。

 ヒューインは斧を構え直し、熊に向かってゆっくりと歩を進める。

 その姿は、自らに迫る死神のように見えたはずだ。そして、窮鼠猫を噛む。


「ガウッ!!」

「危ない!」

「っ!?」


 熊は熊だ。人間ではない。

 その牙は人間を噛み殺せる。

 熊は弱りきっていたが、それは弱ったフリをしていただけだった。最後の力で、自分への殺害者を噛み殺そうと牙を剥く。

 ヒューインが目を見開いて動きを止めるのと、鮫介が握っていた竹を熊の口元に投げつけるのは同時だった。

 竹は歯に当たったか。熊がわめくのと、ヒューインが斧を振るうのは同時だった。

 斧は熊の喉元に食い込み、激しく血を撒き散らす。唸り声を上げようとして、もう声も出ないことに気付いた。

 そして、熊はその場に倒れた。鮮血に塗れたその姿は、まさに鬼神のごとしと言えよう。


「はぁ、はあ……」

「ふぅ……ふぅ……」


 ヒューインと二人、荒い息を吐く鮫介。

 もう限界だ。ふらりと意識が飛んで、その場に膝が崩れ落ちかける。

 それを留めたのは、駆け寄ってきた小春だった。鮫介の身体を受け止め、問いかける。


「お、おい、どうした!? 怪我をしたのか!?」

「眠い……夜通し歩いてきたんだ。眠らせてくれ……」

「え、ちょっ、待って……!」


 慌てた悲鳴が聞こえるが、知ったこっちゃない。

 鮫介はフィオーネよりも胸がないその身体に寄りかかり、睡眠状態に移行するのだった。





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