九夜小春
「ここが、ハトゥラ呉服店か」
春風の吹く夕暮れの街の中、目的の店舗を発見する。
看板の文字を相変わらずさっぱり読めないが、店前のウィンドウに飾られたスーツやら何やらはしっかりと見て取れる……本当に異世界に来た気がしないな。
ゴードンに教えてもらった通りに歩いたら到着したわけだし、間違いはないだろう。
その裏道が袋小路になってるらしいので、そちらのほうに向かう。すっかり乾いた砂利道を歩いていくと、確かに袋小路になっており、そして、
「お前が勇者か?」
少女が一人、ハトゥラ呉服店の屋根に居座っていた。
マフラーに顔を潜め、マントで身体を隠している。しかし、その声はどう聞いても年頃の少女のものだ。おそらくは同年代。
「相応しいかは不明だけど、一応、その称号を拝命してる者だよ」
「よし。約束通り、一人のようだな」
実は背後からゴードンらしき人物がつけている気配がするが、まぁ、言わなくてもいいだろう。
子供じゃないんだから大丈夫と言ったのに、もう。
「僕に何か用か?」
「いや、まだ信用出来ない。一つ、お前を試させてもらう」
「何をさせる気だ?」
「『鬼ごっこ』だ。鬼さんこちら、手の鳴るほうへ!」
そう言って、少女は身を翻し、屋根の向こう側へ行こうとする。
鮫介はきょろきょろ視線を動かし、乗っても崩れなさそうな足場を見つけ、飛び上がってそこに体重を預けた。
そのまま足場に足をかけると、呉服店二階の窓枠や打ち付けられた木の板などに指をかけ、全力で駆け上がっていく。
少女はがその様子を見て、ぎょっとして尋ねる。
「うえっ!? な、なんだその動きは!?」
「パルクール。むりやり学ばされていたものだけど、役に立つものだな!」
高校一年生の夏の日、パルクールの動画を見て感銘を受けたらしい響太郎に誘われ、夏休みの間延々と訓練を重ねてきた。
その後、響太郎は別のものに興味を惹かれてパルクールはそれで終わりになったけど、身につけた動作や力加減などはしっかりと残っている。
少女は怯えたように逃げ出した。鮫介はすぐその後を追う。
「じゃあな、ゴードン。早く帰れ!」
「ちょっと、コースケ様!?」
背後をつけていたゴードンに別れを告げておくことを忘れない。
そうして、鮫介と少女の鬼ごっこが始まった。
屋根から屋根へ飛び移り、地面から生えている細い木を伝って地上へ。瓦礫の山を飛び越え、フェンスの壁を登り、不自然に伸びてるパイプを飛び越え、巧妙に落とし穴が作られた道を突き進む。
パルクール……フリーランニングとも言うらしいが(違いがわからん)、必要なのは怯えないこと。それさえ守っていれば、大抵なんとかなるものだ。
鮫介は少女を脱出路のない袋小路に追い詰め、素早く取り押さえる。
「はい、タッチ」
「くそっ……」
疲労困憊の少女がごろりとその場を転がる。互いに全速力だからか、息が切れてしょうがない。最近運動不足だったからかな。
そして、少女を見下ろして、かなりの美少女だということに気付かないわけにはいかなかった。息が切れているのも色っぽくていい。
髪はボブとミディアムの中間。ロブっていうのだろうか。胸は平坦。マントを着ていたためわからなかったが、下半身はミニスカートを履いておりそこから白いふとももが伸びている。鮫介は顔を赤らめて視線をそらした。
釣り眼がちで髪と瞳の色は黒。体格は小柄だが、なかなかのスタミナの持ち主である。
「試験は合格かな?」
「割と動けるんだな、あんた。気に入ったよ」
額の汗を拭い、少女が微笑む。鮫介もつられて微笑を浮かべた。
良かった。これで『次はナイフの扱いで勝負だ!』とか言われてたら土下座して許しを乞うしかなかった。
自分の得意分野で調子に乗れるのはここまで。次からは未知の領域だ。気を付けないといけない。
「みんな、来てくれ」
少女が声を上げる。
すると、柱の陰から、雨樋の隙間から、無数の影が伸びてくる……と思ったら、その影は人の形を成した。
いかにも反社会的人間です、といった風貌の男女が総計で10人、袋小路の出口を塞いで凶悪な微笑みを浮かべている。
「むっ……」
「心配すんな。あんたを襲わせようってわけじゃない」
少女はアクロバティックな動作で立ち上がる。パンツが見える、と思った瞬間には反転した起立している。
そして壁に背を預け、格好をつけたところで、鮫介に質問した。
「お前、先代の勇者について何か聞いてるか?」
「何?」
「先代の勇者だよ」
「いや……何も……知らない」
先代勇者。
僕の前に召喚されていた人ということだろうか。
そんな話は……今まで……聞いていない。
「ちっ、アルキウスめ……」
少女はアルキウスに対する侮蔑の感情を顕にしたあと、名乗った。
「あたしの名前は九夜小春」
「……!」
「クヤ・ガムルド・バラカン・コハル。先代勇者の子供だ」
先代勇者の子供を名乗る少女はそう言って、ニッ、と笑った。
「そもそも、勇者はこのムー大陸が危機に陥るたびに召喚されててな。あんたで四代目だ」
「四代目……」
知らなかった。
鮫介がショックを受けていることに満足したのか、小春と名乗った少女はクク、と笑って、
「あたしのパパは九夜勝利。芸名は十六夜冬萌っていうらしいんだけど……」
「十六夜冬萌……!」
聞いたことがある。
20年前、メンバーに何も告げずに失踪した若手アイドルだ。曲も売れてきて、本人も人気が出てきたところで行方不明に。
借金などもなく、おかしな様子もなかったとして、テレビの「あの人の今」という特別番組で特集をやっていた。
「ふうん。てれび、というのは分からないけど、パパは今でも話題になる有名人だったんだな」
「まさか、ムー大陸に召喚されていたなんて……」
「パパは、そりゃあもう酷い扱いを受けてたって話だ」
小春は渋い顔を見せる。
「住んでいた屋敷に軟禁されて、出撃のときだけ屋敷を出される日々。街の人々の笑顔を知らず、救った軍人の喜びを知らず、敗北は己の全てを責められる……あんたは恵まれてるよ」
「……」
「そんな戦いが4年に及んだ。イニミクスに占領されていた土地を奪い返し、戦線も安定したころ、パパに結婚の話が持ち上がった」
「結婚?」
「それはガムルド領主マホマニテの娘で、娘とは一度も会ったことがなかった。紛うことなき政略結婚ってやつだな」
「……」
鮫介は、十六夜冬萌のことを想う。
何が楽しくて、この世界が生き残っていたのか。守るべきものもない世界で、どうして生き続けてのいたのか。
確かに、自分は恵まれているのかもしれない。ゴードンやカルディアと話していると楽しいし、ジン隊長も(息子の話さえ長くなければ)親切だ。
もしも、彼らが冷たかったら。最小限のコミュニケーションしか取ろうとしなかったら。僕は、勇者としてやっていけたのだろうか。
「ところが、ここでマホマニテの知らなかった衝撃の事実が明らかになる!」
「衝撃の事実?」
「おう。実はパパには既に恋人がいたんだ。彼をずっと支えてきたメイドがな。しかも子供までいた。あたしのことだけど」
「メイド……」
カルディアの姿が思い浮かぶ。
あんな感じの美人のメイドが唯一優しくしてきたら、ほだされるかもしれない。
「マホマニテは激怒した。何故ならそのメイドは自分の旦那がこっそり作ってた隠し子だったからだ」
「ええ……」
「メイドとあたしを抹殺するため、マホマニテの息子兄弟が出撃した。パパはママに待ってるように言って、出撃した。その後……パパは戻ってこなかった。ママはあたしを連れて、脱出した」
「……」
「兄弟の兄貴のほうは死んだそうだが、パパはどうなったかは分からない。母さんはあたしを養うために名前を隠して仕事を始めた……馬鹿な人だよ。身体でも売れば良かったのに、パパに遠慮してさ」
小春がくすりと笑う。
母親のことを、真剣に尊敬している様子が見て取れた。
「そのうちパパが死んだって情報が入った。ママはあたしが十歳のときに亡くなったから、きっと天国で二人仲良くやってるさ」
「十歳で天涯孤独か……」
「悪いことばかりじゃなかったよ。こうして、みんなとも会えたしね」
小春が袋小路の出口を塞いでいる面子に笑いかけると、彼らも声援で答える。
案外、彼女は彼らの中で上のほうの身分なのかもしれない。
「パパのことはこれでおしまい。何が言いたいかっていうと、パパが殺されたってことだ。初代、二代目の勇者も、殺されたらしい」
「……!」
「分かるだろう? あんたもこのまま行けば、何処かのタイミングで殺されるってことがさ」
死ぬ?
それは……嫌だ。
ちょっと前までの僕なら望んでたかもしれないけど、今の僕は……死にたくない。
「死にたくないだろ? だったら、あたしたちの側につきな」
「君たちは……」
「あたしたちは反政府組織『ディエル』。この腐った世の中を打破する人間さ!」
小春が袋小路の出口へ向かうのと、塞いでる面々が騒ぎ立てるのは同時だった。
反政府組織……ディエル。意味はあとでゴードンに教えてもらうとして……この国に不満を持つ組織らしい。
やはり百年も戦争が続いていると、こうした鬱屈とした感情が発生してしまうものなのか。
小春は再び曇天に戻ってきた夕空の雲の隙間から差し込んだ光を浴びつつ、
「あんたも参加しない?」
「僕が?」
「元勇者の娘と、現勇者が参加すれば、とんでもないことになりそうじゃないか」
ニヤリ、と小春が笑う。
とんでもないこと……まぁ参加者は増えるだろうけど。
「とはいえ、ここで参加の有無とかは問わない。時間は必要だろうしな!」
「……」
「この街を北に進むと、ベールキドの丘って場所がある。その中に猟師用の小屋があるんだが、そこがあたしたちのアジトだ」
「……不法占拠?」
「その猟師の息子があたしらの仲間なんだよ……そこに一人で来な。待ってるぜ!」
小春は笑いながら手を振り、影と共に消えていった。
……いや、違う。影の一つが居残り、鮫介の姿を凝視している。
大柄な男だ。髪型はモヒカンで、右手にはナイフを握り締めている。
襲ってこないだろうな。
鮫介と男が睨み合ってると、男の背後から小春の呼びかけが響く。
「ヒューイン! 何やってんだ、来い!」
「……わかった」
ヒューインと呼ばれた青年は、もう一度鮫介を睨めつけてから、姿を消した。
静寂が舞い戻る。
鮫介はその場に膝を付き、大きな息を吐いた。
「殺されるかと思った……」
ヒューインとかいう男がナイフ片手に居残った時はやばかった。
あの日本語だと変な発音だがムー大陸語で偉大な名前なのかもしれない男が襲いかかってきたら、僕では対処出来なかっただろう。
小春は僕のことを気に入ったようだが、戦闘術を見られなくて本当に良かったと思う。
「……反政府組織『ディエル』って言ってたっけ……」
入るかどうかは分からないが、また面倒そうなのが現れた。
本当に政府転覆とかやらなきゃいいけど。
「コースケ様! 何処に行ってたんですか!」
「あまり心配かけないでください!」
「ごめん」
街の入り口に辿り着いた頃には、すっかり日が落ちていた。
街のあちこちは松明が掲げられ……ることはなく、そこらで電灯が光を放出している。
うーん、異世界に来た気がしない。
「二人とも、尋ねるけど……僕の前の世代の勇者について、何か知ってる?」
「前の世代の勇者、ですか?」
カルディアが首をひねって悩みだす……考えるまでもなく白だな、これは。
じゃあゴードンはというと……最初にギョっとした表情を見せるがすぐに持ち直し、すぐに悩んでる表情を作ってみせる。
「ゴードン」
「はい、なんでしょう」
「お前の主人として命令する。知ってることを全て話せ」
「……私も、先代勇者の事情しか知りません。そして、そのことはアルキウス様に口止めされています」
「やっぱりアルキウスさんか……」
僕は顎に手を添えて悩む。
とりあえず、勇者降臨祭はしっかり努めを果たさないといけない。義務だからだ。
クロノウスは消えている。おそらくラヴァンのお付きを返したフィオーネさんが屋敷の倉庫まで連れ戻してくれたのだろう。
その後は……アルキウスさんとお話、かな。詳しく話してくれればいいんだけど。