さよなら令嬢、こんにちは海賊
今回は16KBでした。まぁまぁだな……
「急げ! 黒い悪魔は、どこから攻め込んでくるのか分からんぞ!」
夕映えがいやに綺麗なトホ領、首都イシュマラ。
中心地にそびえる領主の館は、沈みかけた太陽の赤橙に照らされ、古びた石造りの外壁を燃えるように染めていた。風が揺らす幟は戦を告げ、空気そのものが鋼の味を帯びるような張り詰めた気配を孕んでいる。
その首都の中心地である領主の館にて、領主であるドゥルーヴが指揮を取っていた。
ドゥルーヴは未だに筋トレを欠かさない弛みとは無縁の筋肉質な肉体で、後退の姿勢を一切見せずに、領主の館を守る姿はまさに軍神。
インドラもかくや、というその姿は、まさに元軍人領主として、人々を指揮するある種理想の姿。
領主の館を守護する騎兵たちの心も、否応なく向上するというものだ。
「必ずナレッシュ、そして勇者殿が援軍に来る!各人、それまで防衛の姿勢を……むっ!?」
そうして。
全体に指揮を飛ばす領主の頭上で、異変があった。
空間から突如として、真っ白い装甲が降りてくる。
全身に走る紫のラインが夕焼けの光を乱反射させ、見る者すべてに畏怖を抱かせるその機体。通常の機体の倍はあろうかという巨体が、まるで神の雷撃のようにゆっくりと、そして確実に降臨した。
「クロノウス!?」
時空機士クロノウス。
重々しい脚部の着地音が大地を震わせる中、クロノウスの左手に乗る影が、手を大きく振って存在を主張した。
「お義父様!」
「む? その声は……エルザフィアか!?」
金髪をフルバングで纏めて、大きな眼鏡をかけた少女。
領主ドゥルーヴの義娘、エルザフィアだ。
エルザフィアは手を大きく降り、自分がそこにいることをアピールしている。
「コースケ殿の転移の念動術で、送っていただきました」
「そうか! コースケ殿、感謝するぞ!」
『いえ。それより、現況はどうなっています?』
「うむ……」
ナレッシュは頷き、こちらに来るよう指で手招きをして歩き出す。
鮫介は頷くとクロノウスを駐機姿勢にして降機する。
そしてドゥルーヴの背後に回ると、ドゥルーヴは疲労感の濃い嘆息を吐き出し、
「現在報告が上がっている限りで、怪我人は二千人。死傷者も五百人と報告が来ている。まだまだ、時間が経つたびに増えるだろう」
「……んん……」
「現在、この領主邸を最終防衛隊ラインと想定しているが、何せ敵は地下深くから来ている。この屋敷の地下はシェルターが設置してあるが、さて、どこまで保つやら」
「……やはり、大型イミニクスの早期発見。そして、迅速な討伐が必要ですね」
「うむ……その通り。コースケ殿、君は大型イミニクスを討伐したばかりで、休暇を利用してこの街に来た。そんな君に、こんなことを申し上げるのは心苦しいのだが……」
「いえ。いいえ、ドゥルーヴ殿。僕は勇者です。是非とも遠慮などせず、私にご依頼してくだされば、それで」
鮫介はわずかに背筋を伸ばし、片膝をつく。
「……そうか。ならばコースケ殿、勇者である君に、依頼しよう」
ドゥルーヴは鮫介のほうを振り向き、小さく吐息を吐露すると、周囲の兵士たちに見えるように大仰に腕を降りつつ、叫んだ。
「召喚されし勇者、オトナシ・コースケ! 汝に、大型イミニクス打倒を命じる!」
「然と! 承りました!」
「うむ! ここにいる兵士たちは、如何に使い捨てようが構わぬ! 大型イミニクスを討伐、それこそが我が悲願!」
「お任せください! 必ずや誰の犠牲も出さないまま、大型イミニクス、討ち滅ぼしてくれましょう!」
鮫介が片膝をつき、ドゥルーヴの依頼を受諾承認する。
すると、一斉に歓声が湧き上がった。
周囲に群がる兵士たち、逃げてきたのだろう町民たち、その町民の世話をしている侍従たち、その誰も彼もが、怒号のような歓喜の言葉を上げている。
――ちょっと、演技が過ぎたかなぁ?
鮫介は小さく冷や汗を流すも、態度だけは変わらずにドゥルーヴに対して紳士に接する。
この勝利に向かう流れを、わざわざ変化させる必要も無いだろう。
鮫介はそう思い、頭部を下げたまま、続くドゥルーヴの激励の言葉を耳にしていた。
「あー……ところで。君の部下たちは……」
「我が部下たちは、シュロックさん……シュロック殿の工房から、こちらに向かっております。到着次第、反撃に出ようかと」
「おお、そうか。では、それまで領民たちの守護、よろしく頼む」
「はっ。心得ました」
ドゥルーヴが去り、周囲を兵士たちが埋め尽くす中、鮫介は減少する酸素量に唸りながら誓う。
――必ずや。この兵士たちを、無事家族のもとに送り届け給えと。
『邪魔……だ!』
一方、こちらはナレッシュ。
街の東側、かつては花と水に彩られた住宅地――今やその姿は見る影もなく、瓦礫と焼け焦げた匂いに包まれている。
そこを、鋼鉄の巨躯が駆けていた。
氷の鎧をまとい、重厚な脚部で地面を鳴らすその機体――《凍結機士グレイサード》。
夕方の町並みを人々を救いながら爆走していたナレッシュは、ついに自分の暮らす屋敷を認め、大きく吐息を吐き出す。
そしてすぐに、いや、と気持ちを改めた。
まだだ。
周囲の安全が確認されるまでは、安心するわけにはいかない。
警戒を続けたままナレッシュは、一歩、また一歩と自分の屋敷に近づく。
屋敷は、以前までの閑静な空気は消え失せ、緊急の避難所として指定されているせいか、避難民たちがすし詰め状態であちこちに配置され、剣呑な空気が立ち込めているようだった。
ギリッ、とナレッシュは奥歯を噛み締める。
逃げた兵士たちの不安の感情が、ナレッシュの胃の底を撫で上げた。
『…………くそっ!!!』
思わず漏れる、憎悪の声。
こんな蛮行を企てたイミニクスに、本気の殺意が滲み出る。
……絶対に許さない! 殺してやる、殺してやるぞイミニクス!!!
「おお! あれは、我がトホ領の誇る大型イミニクス!」
「グレイサード! ナレッシュ様のご帰還だ!」
「ナレッシュ様ー! 民たちは、こうして無事ですぞー!」
屋敷に接近する鋼鉄の巨人の存在に気付いたのか、避難した住人たちが疲弊した顔ながらも、夜闇の薄暗い森の中で太陽を見つけたときのように、歓声を上げ始めた。
ナレッシュは殺意をひとまず抑え、笑顔を浮かべて片手を上げ、それらに応える。
虹の七騎士、ひいては機体に表情を浮かべるような機能というものは存在しないが、それでも激情の表情を浮かべているのと、微笑を浮かべているのでは受け取る印象はやはり違うのでは、とナレッシュは常々考えていた。
冷静、冷酷と、人はナレッシュを評価する。
普段の低血圧っぽい喋り方から、そう感じるところもあるのかもしれない。
しかしながら、自分はかなりに激情化なのだと、ナレッシュ自身はそう感じている。
イミニクスが、無辜の民を襲ったとき。
そして、その無辜の民たちを救出したとき。
そんなとき、ナレッシュの感情はいつだって爆発していた。
イミニクスの暴虐に対する怒り。
救われた民たちの感謝を受け取ったときの、言いようのない喜び。
そんな民たちを失ったときの、大いなる悲しみ。
そして……
「ナレッシュ」
『おお、カイラ』
玄関口でナレッシュを迎えるのは、自分の妻たる領主の娘、カイラ。
いつもの西洋風のドレスを身に纏い、多少疲労感のありそうな虚脱した態度だが、いつものように腕を組み、こちらを出迎えようとしている。
ふと、ナレッシュは過去を思い出す。
カイラと結婚し立てのころ。
夫の帰還に対し、苛々した様子のカイラはこう口にした。
『――腐っても、あなたは私の夫という立場なのですから。あなたの帰還は、私が一番に迎えます――』
その言葉通り。
カイラは今日も、ナレッシュの帰還を迎え入れている。
ナレッシュはそれが、どうしようもなく嬉しかった。
「……!?」
そして。
ナレッシュは目撃する。
カイラの後方。
屋敷に面する庭が、こんもりと上昇している。
これは、まさか……イミニクス!?
『カイラッ!!!』
背面バーニアの出力を全力にし、ナレッシュは迫りくる妻への襲撃に臨む。
ああ。だが、ナレッシュの乗る機体は凍結騎士。
凍結の超能力は、加速する手段を持たぬ。哀れカイラは、イミニクスの魔の手に――
『カイラ!!! 後ろ!!!』
「っ!!?」
ナレッシュが必死に叫ぶと、カイラも後方から湧き出るイミニクスの存在に気付いた。
周囲の騎兵たちは離れた場所にいる。自らを取り巻く状況に気付くまで、あと何秒必要なのか。
そしてその何秒かの間に、己はイミニクスに食べられている可能性は大きい。
――そう、カイラが想像付くまで、1秒。
間に合わない。
ナレッシュが唇を噛み締める。
と――
「――ふっ……」
カイラが。
右腕を振って、
袖から飛び出したのは――金属製の、あれは……レイピア、だろうか。
右手に細剣を握りしめ、カイラは右腕を突き出す。
イミニクスの、迫りくる顔面へと。
「――キァァァァァ!!?」
イミニクスが、甲高い悲鳴を上げる。
当然だろう。無防備だと思われた獲物に、まんまと反撃されてしまったのだ。
奇声を生じたイミニクスは2、3歩後退し、奇声はやがて苛々とした咆哮に代わる。
周囲の人間たちがじりじりと後退する中、彼女は一歩たりとて引きはせず、力の限り叫んだ。
「――ナレッシュ!!!」
『承知!!!』
そして。そのタイミングになるまで、ナレッシュは出来る限りの力で彼女への接近を試みていた。
故に。この地点ならば……ギリギリ、イミニクスへの射程内!
ナレッシュは左腕をイミニクスへ向け、念動力を迸らせる。
『氷凍針|フローズン・ニードル》!!!』
そして、放たれた鋭利な氷弾の嵐は……
敵を違えることはなく、黒き魔獣の顔面に突き刺さる。
痛みからか絶叫を上げるイミニクスを追い掛け、ナレッシュはかなり遠間から地面を蹴って跳躍した。
人間ならば確実に届くはずのない距離。
だが――
ナレッシュならば――
氷結機士の性能ならば――
『――届く!!!』
一閃。
薙刀を振るった一撃は、そのままイミニクスの胴体を真っ二つに切断していた。
突然の凶行に理解が追いつかない小型イミニクスたちを、そのまま一撃、二撃。
周囲にいたイミニクスたちを物理的に黙らし、静寂とした空気が、突如爆発した。
――ナレッシュ! ナレッシュ!! ナレッシュ!!!
繰り返される、『氷結』の大神官に送られるコール。
……どうにか無事、助けられた。
己が救助した人々の歓声に答えながら、ナレッシュは視線を下へと向ける。
カイラは――イミニクスたちの返り血を浴び、口元を歪めて笑みを浮かべていた。
途端、さぁっと、ナレッシュの血の気が引く。
何か、自分が間違った行為をしてしまったのではないかという後悔。
しかし次の瞬間、それは錯覚だったとナレッシュは知る。
カイラの笑み。
それは、ナレッシュをどうこうしようというサディスティックな笑みではない。
それは、歓喜。
内なる自分を曝け出すチャンスだと知った、彼女の心の底からの微笑。
「――さぁ、いざや、いざや! 我らがトホ領の英雄、ナレッシュが帰還した今こそ好機! 皆の者、反撃の時間――ですよ!」
そう叫んで。
カアラは恥ずかし気もなく、己の着ている返り血の付いたドレスを勢いよく脱ぎ捨てた。
周囲が止める暇もない。
そうして、その下から現れたのは――
糊の効いたYシャツに、それを覆う紅いチョッキ。
ズボンは膝丈までのこげ茶色をしたワイドパンツ。
ヒョウ柄の腰巻きを身に着け、肩から下げるはガンホルダー。そしてどこから取り出したのか、ドクロのマークが眩しい黒い三角帽子を頭部に付ければ、その姿はもう貴族の令嬢などではなく――『海賊』。
「恐れることはありません! 我らが領には、凍結機士の加護があるのですから――!!!」
そう言って、周囲の皆を鼓舞するカイラを見て――
ナレッシュは一人、小さく肩をすくめた。
幼い頃。
出会ったカイラに、散々に『海賊ごっこ』を強要されていたから、知っていたのだ。
まさか、二人の仲を危ぶむ週刊誌の連中も、不仲の原因が『海賊ごっこにナレッシュが流石に飽きて、それにカイラが拗ねたから』だとは想像も付くまい。
先ほどまで『インドのご令嬢が西洋の貴族の服装を着ている』だったのが、『首領をぶっ殺して船長の座を強奪した黒人奴隷』に早変わりだ。
ドレスの下に隠していたとはいえ、海賊服は着慣れているかのように彼女に似合っていた。いや、いつもごっこ遊びの際に使っていたから、着慣れた様子なのは当たり前なのだが……
「ナレッシュ! 何を呆けているの?」
『……はっ』
「貴方には、ここにいる騎兵たちの半分を与えます。だから……ナレッシュ! すぐにこの屋敷を出発し、大型イミニクスの捜索、速攻で撃破なさい! これは領主の娘である、私の責任においての命令です!」
『委細、承知。必ずや、カイラの期待に応えてみせよう』
ナレッシュが頭を下げてそう宣言すると、周囲は沸き立ち、怒号のような歓声が上がる。
若き氷結の大神官はそれらの歓声に応えつつ、己の下方を見やる。
カイラ。
我が妻にして、出会ったころと全く変わることのない、無類の海賊好き。
ああ。
これでこそ――
これでこそ、俺が愛した、あのころのカイラのままなのだ!!!
「行くわよ、ナレッシュ!」
『承知!』
――この日。
後に『氷海の海賊団』と呼ばれる、トホ領出身の海賊団が出現したのだが、それはまた、別のお話――