勇者の帰還
30KBェ……
――薄暗い闇の中で、目を覚ます、
不思議と、まだ寝ていたいという後ろ髪を引かれる眠気に襲われることはなかった。
これも、きっとパスフィの治癒能力の成果なのだろう。
闇に目が慣れてくると、自分が横倒しになった椅子のある空間――推定、コクピットの内部で気絶していたことが分かった。
コクピットの壁から生え出た(?)硬いナニカがクッションの役割となり、鮫介の頭部を守ってくれたらしい。
そして、外部から何やら金属音。己の背後から、ギギギという擦過音や何かを取り外すような音が聞こえ、その間に気合を入れるような怒鳴り声が響いている。
――これは。ひょっとして、あれなのか……?
鮫介が思考の中にいる間にも音は途切れずどんどん大きなものと化し、背後の闇から、僅かに光が挿し込んだ。
ぎしぎしという鉄をこじ開ける音と共に、広がっていく光の線。やがて、ずごっ、ぬこっと何かが引き抜かれる音がして――
「よしっ! 見えたぞ、コクピットブロックだ!」
「おーい! その声は……整備兵の、ええと……お爺さん!」
「おお! コースケ様、目覚めていましたか!」
「コースケ様ぁ! 無事だったのなら良かったです!!」
整備兵のお爺さん(名称失念)と、その隣からいつも冷静なゴードンの泣きそうな声。
どうやら、気絶していたことで大層心配させたようだ。
鮫介は、努めて明るい声で、外のゴードンに呼びかける。
「すまない、眠っていたようだ。現況は?」
「現在、小型イミニクス……のようなものが出現。ナレッシュ殿がこれを撃破、現在はイシュマラにあるナレッシュ様の邸宅を目指して進軍中です」
「……のようなもの? なんだか不明瞭だな、普通に小型イミニクスじゃないのか?」
「は……いえ。それは……その。実際に、見て確かめていただけたらと……」
「?」
どうにも歯切れが悪い。
一体、現れた小型イミニクスがどんな形状をしていたというのか。
やがて作業が進み、鮫介の背後に人が通れる大きさの空洞が出来上がった。
そこで作業の手を一旦止めてもらい、鮫介は空洞を抜けて外に出る。
すぽん、とうなぎになった気分で外を出ると、そこには歓声を上げて自分を出迎える部下たちの姿があった。
「コースケ様ぁー! お待ちしてましたー!」
「スビビラビ、泣くほどか……いや、コースケ様! 無事で何よりです!」
「そう言うデイルハッドも、目が潤んでいるぞ……コースケ様、既に目覚めていたとは、我等部下一同、感服しました!」
「ほっほっ! 根性ある若者じゃ、ほれ、お前らも呆けてないで、さっさとコクピットを元に戻さんか!」
「痛ーっ!?」
「横暴ー!!!」
「あわわ……ぼ、暴力はいけません、よ? あ、コ、コースケ様、無事で何よりです」
「コースケ様。どうやら麻薬の影響はないようで安心です。我等、一人として欠けることなく、こうして推参出来ました。さぁ、指示があるならご命令を」
「ん……」
皆を総括するコアの慇懃なお辞儀を受け取りながら、鮫介はゴードンの指し示す方向に目を向ける。
そこには、小型イミニクス――と思しき、巨大な蟻と思しき姿があった。
あれは……一体、なんなのだろうか。
小型イミニクス……と断定するには、まだ材料が足りない。
その姿は、まさしく蟻に似ていた。
いつもの毛むくじゃらな姿と違う。いつかプレイしたゲームに出てきたような、巨大な黒い蟻。
思わず地球防衛軍に助けを呼びたくなるが、この世界にそんな組織は存在しない。鮫介は静かに、己の思考に没頭する。
(これは……まず、『何』、だ?)
普通のイミニクスということはありえない。
イミニクスは常に黒い体毛を羽織り、複数の手足をうこうこ動かして接近する災厄の獣のはずだ。
しかしながら、これはどう見ても、蟻。
とはいえ、これら全てが大型イミニクスが変化したもの、と考察するのは気が引ける。
大型、と呼ぶにはサイズが小柄だったからだ。いや、小柄といっても6、7メートルはあるのだが……
「……ふむ。ゴードン、スビビラビ、デイルハッド、フレミア、コア、シャープさん、スー、エルザフィアさん、その他整備兵の皆さん。このイミニクスを、どう予想していますか?」
「はい! 敵に大型イミニクスがいるとして、その眷属的な何かだと推察しております!」
「それ、僕の意見……あ、いえ。この蟻は複数存在するので、流石に大型イミニクスが化けた姿だとは思えず。何かしらの大型イミニクスが、小型イミニクスを取り込んで生まれた姿かな、と」
「領主邸の守護をしている間、地面を掘り進めた奴らの姿を目撃しましたが……そのときからこの状態でしたな。戦闘力も小型イミニクスと同等なので、まぁ小型イミニクスが何らかの要因で変化した存在、という認識でした」
「……同じく。皆さんと同意見です」
「……」
「レヴェッカ、名前を呼ばれなかったのは君が無口だと把握されているから……あ、そ、そうですね。記者の視点からしても、この小型イミニクス? は珍妙不可思議な代物でして……このような蟻型のイミニクスなど、初めて見ます」
「整備班としても同意見じゃな。こんな蟻型のイミニクスなど、見たことないわい」
「私としては、麻薬を浴びたはずのコースケがピンピンしていることに興味津々なのだけど……イミニクス? 知らないわよ、あんな蟻型イミニクス」
「蟻型イミニクスなど、見たことも聞いたこともありませんね……」
「そうか……みんなありがとう。とりあえずの結論としては、何も分かからない、か……」
居並ぶ皆に礼を言い、鮫介は小型イミニクスの死骸を見上げる。
この死体も、おそらくは他のイミニクスと同様に、いつかは植物と化すのだろう。
鮫介は一つ嘆息を吐き出す。
「理解の範囲外だ。悩んでも仕方ない、か」
「はい。それでコースケ様、ご気分はいかがですか? どこか、思考が冴えないだとか、感情が抑えきれないなどは……」
「無いよ。一眠りして、起き上がったような快適さだ」
「おお! 召喚されし勇者には、麻薬の効果など一切ありませんでしたか!? これは、是非記事にさせてもらいます!」
「……そういうわけじゃ、ないんだけどな?」
興奮して跪き、何やら記事にするらしき文面をガリガリ書いているシャープを尻目に、首筋を掻きながら目を逸らす鮫介。
鮫介が快晴な起床を受けられたのは、パスフィのヒーリング能力が原因だろう。
そのパスフィは現在、鮫介が心の底で呼びかけても、応答がない。
おそらく、疲れ果てて眠りの極地に至っているのだろう。鮫介はどこにいるのかも判明していない、パスフィに向かって心の頭を下げる。
さて。
皆に証言を求めたが、敵の正体を判明するには至らなかった。
ならば、自分で捜査して、この蟻型イミニクスがなんなのか探る必要があるだろう。
「……シュロックさんはまだ救出作業中で……ナレッシュは?」
「はっ! ナレッシュ様は、現在イシュマラを一直線に爆走中! 奥さんのいる、自分の屋敷へ向かうそうです!」
「奥さんと合流後の行動は不明です。恐らく、大型イミニクスを探して討伐するのではないかと」
「お、おそらく、そうだと思います。義兄様の行動は把握は出来ませんが、おおまかな傾向によると『リーダーを探して討伐』、それに尽きるかと」
「ふむ……じゃあ、僕のこれからの行動は……」
顎に手を添えて悩みだした鮫介は、周囲の人間全員が鮫介の発言を待っていることに気付き、顔を背けて眉を顰める。
これから先、鮫介は自分の部下に指示を出さなくてはいけない立場となる。
その行動の果てに、ひょっとしたらみんなが命を奪われてしまう展開もあるかもしれない。
勿論、そうならないように努力は惜しまないつもりではあるが……予想される責任の重さに、思わず吐き気を催してしまう。
幸いにも、そんな鮫介の背後を向いた態度に疑問を抱いたのは、己の執事であるゴードンただ一人だけだったようだ。
「……命令。僕はこれから大型イミニクスを探しに、イシュマラへと入る。お前たちは自分の安全を優先しつつ、領主邸まで来てくれ」
「? コースケ様だけ別行動するのですか?」
「僕は空間転移で時空を跳べる。領主邸は寝泊まりしている場所だ、イメージも掴んでいる」
「おおっ!」
「そうでした、コースケ様は時間と空間の支配者! 空間転移もお手の物でしたな!」
「お手の物、ってわけじゃないけど……」
シャープ氏の褒め殺しを笑顔で受け止めつつ、鮫介はスビビラビ、デイルハッド、そしてフレミアへと注意喚起を促す。
「僕は側にいないけど、俺が眠っている間も活動できたみんなのことだ、行動は信頼している。各自、奮起してほしい」
「うぐっ!!!」
「スビビラビが血を吐いて倒れたーっ!!?」
「コースケ様、酷いですよ! スビビラビは今、すっごく微妙なポジションなのに!」
「えええっ……なんでぇ……?」
突然吐血したスビビラビに不可思議なものを見る視線を向けつつ、こうして行動が開始され――
「コースケ、コースケ」
「ん? スー、君もみんなと行動を……」
「あの重力魔法、あれを使うときの詠唱を考えてみたの! 今度使う時、試してみて!」
「…………えぇー……」
唐突に無理難題を吹っ掛けられ、鮫介の笑顔がぴきりと固まった。
「そうか……分かった、ありがとう。救援は送るよ、諦めずに待っててくれ」
そう言って受話器を置き、領主であるアルキウスはふぅ、と嘆息をする。
トホ領首都イシュマラが大型イミニクスに襲撃を受けている、その情報は密かに送り込んでいた間諜から、すぐさま連絡が来ていた。
通話を終え、アルキウスは一人、頭を抱える。
――コースケ君、大型イミニクスに狙われすぎじゃない!?
これで、3回目の襲撃である。
一度目は、カオカーン潰しとの戦闘。これは、偶発的だったと説明がつく。
二度目、二角獣との死闘。大型イミニクスが現れる場所を選んだのはコースケ君だ、しかし……
三度目は、今度の謎の大型イミニクス。ここまでくると、作為的な何かを想像せざるを得ない。
果たして、『何者か』は意図してコースケ君を襲っているのか。分からない、分からないが、コースケ君が危機的状況に陥っていることは間違い無かった。
「フィオーネは……妻はどうしてる?」
「はっ。先程、コースケ様の屋敷に向かうと連絡がありました」
「よし。なら、ゴードンに連絡すれば二人を救援に行かせられるな」
早速ゴードンに連絡しつつ、心の底で吐息を吐き出す。
アルキウスは、鮫介に平穏無事な生活をしてもらいたいのだ。
それが、彼をこの戦いの世界に召喚した、自分の責務だと思っている。
だからこそ、大型イミニクス討伐の報酬としてトホ領へ向かうと聞いて、喜び勇んで送り出したというのに……
(あーっ、もう……なんでこうなるかなぁ!?)
電話のコールが鳴り響く中、アルキウスは己が召喚した人物の不運を想い、そっと涙を拭うのだった……
「……だからさぁ、もういいだろ? 訓練は毎日しっかりやるから、そろそろ鮫介と合流して……」
「なりません! 大型イミニクスを討伐したとはいえ、コハル様はまだまだ力不足! さぁ、素振り100本の続きをしましょう!」
「あの槍、正直必要ないと思うんだけどなぁ……あたしにはデカすぎるよ……」
小春、そして近衛隊長のドランガが素振りの稽古に関して言い合っていた。
雨の降る様子もない、気持ちの良い天気が続いた夕暮れ時である。
グラウンドの周囲では、天空騎士団が銘々活動していた。腕立て伏せをする者、鉄棒を使って腹筋をする者、隣の者に念動力の教えを乞う者、格好良いポーズを一人模索する者、瞑想しているフリをして休憩する者、様々である。
その中で小春は、ドランガに命令されていた素振りの繰り返しに飽き飽きしていた。
自分が槍の扱いが上手くなって、どうなるというのだ?
自分の得意は投擲武器だ。
槍よりも、ナイフ投げの訓練をすべきなのではないだろうか?
しかし、ドランガは槍の訓練をするべきだと主張する。
曰く。中距離を支える武装は大切だ。それが鮫介の力にもなるからと……
鮫介の力になると言われれば、小春は力を惜しまない。
しかし、彼の言われるがまま、槍を振るっているのは何か違う気がした。
「槍は、あたしの得意とする射程じゃないんだよ、だからさ……」
「いいえ、なりませぬ! 確かにあなたの得意とするのは投擲武器、それは認めます。しかし、それにかまけて、近接戦闘がおろそかになるのは愚の骨頂! 私はそれを見越して、進言しているのでございます」
「ぐぐぐ……」
小春はうめき声を上げて、ドランガの放つ正論に立ち向かう。
正直、ドランガの正論は小春の胸に大きく響いていた。
投擲武器が使える状況は限られる。
例えば、入り組んだ洞窟の内部。小春は投擲武器の射程を伸ばしたり、曲げたりすることが出来るが、曲げた先の状況を「見る」ことはまだ出来ない。
もしも、部屋の隅から触手だけが伸ばされて攻撃された場合。果たして、投擲武器だけで鮫介を救えるのだろうか?
無理だ。
近接武器で攻撃を弾かなければ、そこでお終いだ。
分かってる。
分かってる、のだが……
「……鮫介と合流してからでいいじゃないかよぉ。まったく、執事のくせに気の利かない奴だな」
「聞こえてますよ。恨んでくれて結構、この訓練が、後々コースケ殿を救う一手となるでしょう。さぁ、その輝かしい未来のために、今は訓練するべきなのです!」
「はぁ……分かったよ」
ドランガに、口で勝てる気がしない。
それに、訓連しなくてはならないのは事実なのだ。小春は仕方なく、素振りを再開する。と――
「精が出ますね、コハル」
「ん? あー、フィオーネさん」
「こ、これはフィオーネ様!!!」
ふと小春が空を見上げれば、空を横切った流星が、地上へ落下してくる――そんな光景を幻視する、万雷機士ガルヴァニアスの落下シーンだった。
『万雷』の大神官、フィオーネは着地後、気楽な様子でハッチを開き、その黄金に染まった髪の毛で外に出やる。その場にいた天空騎士団の面々は、フィオーネを見かけると慌てて姿勢を正し、礼の格好を取った。
戦場の覇者、『正拳霹靂』のフィオーネを知らない者はこの中にはいない。彼女こそ戦いの申し子、18歳でガルヴァニアスに選ばれてから、各戦場で無双を誇る戦い方を誇りこそすれ、嫌う者などいやしない。
「皆、フィオーネ様に敬礼! お疲れ様です、フィオーネ様!」
「皆、楽に。コハル、訓連の様子は如何ですか?」
「うっ……じゅ、順調、です。ほら、こうして今も素振りを!」
「まぁ。立派ですね、コハル……で。実際のところは、ドランガ?」
「はっ……まぁ、その……訓連を真面目に行っていたのは事実です。が……どうにも覇気がなく、効率としては通常の兵士と同等程度でしかありません。コハル様は、もっとやれると考えているのですが……」
「そうですね……コースケさんに会えないことでストレスを抱えているのでしょう。わた、いえ、会えない気持ちというものは、理解出来ます」
「はぁ。フィオーネ様も、アルキウス様に会えないことが寂しかったりするのでしょうか?」
「アルキ……ええ、そうですね。そういうこともあり……ます」
目を逸らし、フィオーネが嘯く。
しかしそんなフィオーネの様子に気が付かないまま、ドランガたちはフィオーネ様でもそういうこともあるのですね、と褒めそやした。
そんなフィオーネの態度に首を傾げたのは、小春ただ一人。しかし小春が疑問の口を開くよりも早く、事態は推移する。
「コハル様ッ!!!」
屋敷から飛び出したのは、カルディアだ。小春へと一直線に駆け寄ったカルディアは、フィオーネの姿を認めて、慌てて膝をつく。
「こ、これはフィオーネ様。気付かず、失礼を」
「いいえ。それより、コハルへの報告を優先してください」
「は、はい。とはいえ、これはフィオーネ様にも関係することで……アルキウス様より報告があったのですが、コースケ様が現在、大型イミニクスに襲われているとのこと!」
「え!?」
「コースケが!?」
フィオーネと小春が驚愕の表情を浮かべる中、カルディアはそんな彼女たちの表情を確かめてぶるぶると震えつつ、
「コ、コースケ様は麻薬を浴びて、意識が途絶えたのこと。これは、トホ領の首都イシュマラの大ピンチを表します!」
「麻薬を!?」
「意識を……コースケは、大丈夫なのか!?」
「そ、それはなんとも。とりあえずアルキウス様からの連絡は以上となります」
「コハル!」
「分かってる、ドランガ!」
フィオーネの指示に、小春は即座に反応。
普段の抜けた様子が嘘だったかのように、己の近衛騎士にテキパキと命令を与える。
「はっ」
「お前は部下を纏め、後から付いてこい! 私とフィオーネさんは、先に向かっているぞ!」
「承知しました」
「行きますよ、コハル。私の加速力なら、あなたのトールディオを掴んで移動したほうが早い……!」
「なら、あたしは翼で無茶苦茶に飛び回るガルヴァニアスをサポートする! 鮫介、待ってろよ。あたしたちが、すぐ行くぞ!」
そうして――
二体の虹の七機士、そしてその後を追いかけて、天空騎士団が舞い上がった。
一路、全員はトホ領、首都イシュマラへと向かう。
果たして、戦いに間に合うのだろうか――
作者の判断により、彼女たちは確実に間に合いません(笑)そういう運命なのです……