トホ領・領主の館にて~スー、猛烈に歯磨きをする~
18KBぃ……
「あ、コースケ、お帰りなさい」
「おお、勇者殿……」
「ドゥルーヴ殿……お疲れですか?」
「いやいや、スー殿の神話知識には敵いませんな。私もずいぶんインドに詳しいと思っていたのですが、スー殿には先を行かれてしまいました」
「ははは。スーはインド神話だけではなく、世界の神話に詳しい神話学者ですよ。生半可な知識では、彼女に勝つことは難しいでしょう」
「でも、私よりコースケのほうがインド知識に詳しいわよ?」
「ほぅ?」
「お戯れを。私の知識はスー殿のように自分で調べたものではなく、人が書き記したものを読んだだけの素人知識ですので」
その日の夜。
領主の館へと帰宅した鮫介たちを待ち受けていたのは、満面の笑みを浮かべて鮫介と出迎えるスーと、微笑を作りながらも眉が垂れ下がっている憔悴したドゥルーヴだった。
……色々と、質問されたんだろうなぁ。と、鮫介はドゥルーヴに同情する。
スーの神話知識吸収欲は……言ってはなんだが、異常だ。それに神話に限らず、日本史や世界史にも興味ありげだった。
日本の平安時代や鎌倉時代の話にも、ずいぶん食いついていたっけな……と、隠れ戦国時代の武将マニアな鮫介は思わず生温い笑みを浮かべてしまう。
「それで、訓練は付けて貰えたのかしら?」
「ああ、それなんだけどね……」
鮫介はスーと共に用意してもらった部屋に入りながら、椅子の背もたれに顎を付けてわくわくしながらこちらを見ているスーに説明をする。
「…………というわけでさ。ナレッシュさんとシュロックさんの喧嘩……いや、闘いは終わったんだけど、ナレッシュさんが、シュロックの願い事を手伝ってやれって言って」
「願い事?」
「曰く、『ワイルドハントの最後の弾を探すのに協力してほしい』だとさ。どうしたものかな、困ったもんだよ」
「『ワイルドハント』……! 確か幽霊や妖怪たちとわんさか練り歩くお祭り騒ぎね! 素敵だわ!」
「うん、素敵だね……で。どういう植物を探せばいいのか迷ってるんだ。他のワイルドハントと被らないように考えると、狩人ハーンが弾丸で、女王ボウディッカが炎上。そして船長ドレークが拘束系の属性で……残る一つを、どうしようかと悩んでるんだけど」
「あら。残る一つなんて、もう決まってるじゃないの?」
「え?」
「ワイルドハントに登場する英雄は、限られているもの。ならば、答えは一つだけ――剣王アルスル。稀代の聖剣を持った英雄、聖王アーサーが相応しいと思うわね」
夕食は領主邸で取ることになった。
ちなみに、ナレッシュ殿は領主の家に住んでいるのではなく、領主の娘であるカイラ殿――現ナレッシュ殿の妻――と共に暮らしているらしい。
そっちにお邪魔すれば良かったか、と思う自分もいるが、まぁ夫婦の生活の邪魔をするわけにもいかないだろう。
「どうぞ。美味しいですか、コースケ様?」
「ああ、ありがとう。エルザフィアさんがお酌をしてくれるなんて、ぼ……私は当代一の幸せものですね」
「そ、そんなことは……えへへ……」
その代わり、今日はエルザフィアさんが領主の館に泊まるようだ。
現在、エルザフィアさんは僕にお酌 (ジュースだけど)をしながら、何故だか太平楽に笑っている。
今回のナレッシュさんとシュロックさんの戦闘が何かしらのショックを与えたのであろうか。知らんけども。
「いや、しかし。ナレッシュにも困ったものですな、あの武具店の店主を助けろなどと」
「はぁ。いえ、だけど言われたからには助けますとも。グレイサードに勝利……は難しくとも、せめて一太刀、ナレッシュ殿の度肝を抜く戦法でも思い付きたいものです」
「ははは、勇者殿は勇敢だな。しかし、それは難しいかもしれんぞ。あれは天才だ、度肝を抜かれたことなど、一度たりともないだろう」
「お生憎……天才と呼ばれる人間の度肝を抜くことは、慣れていますので」
「ほぅ? コースケ殿の前の世界で、何かあったのかな?」
「あはは……ご想像にお任せしますよ」
ドゥルーヴさんの指摘には答えず、ジュースを呷る。
天才――響太郎の度肝を抜くことは、常々行っていたことだ。というか、度肝を抜かなければ、奴には決して勝利することはなかった。
結局その後に負けるとしても、せめて一太刀。何かしらの勝利をもぎ取らなければ、話を進まないだろう。
「しかし、なんだね。コースケ殿は、うちのエルザフィアとずいぶんと仲良くなったみたいだね?」
「えっ!?」
「そう見えますかね? まぁ、エルザフィアさんは聡明な方ですので。今回の旅でも、ずいぶんと助けられました」
嘘である。
鮫介はエルザフィアのことなど、欠片も気にしてはいなかった。
むしろエルザフィアのほうこそ、自分のことなど気にしないでくれとばかりに空気になっていたので、それは承知のはずではあるのだが。
「どうだろう、勇者殿は婚約したばっかりだと聞くが、うちのエルザフィアとも懇意の仲になってみるのは……」
「えええっ!!?」
「ははっ。すみませんが、婚約したばかりで小春が嫉妬してしまうので。申し訳ありませんね」
ドゥルーヴさんのふと放った一撃を軽く回避。
ゴードンから、婚約関連の話をされるかも、とは聞いてある。こんな時の対応も考えてあるのだ。
小春が嫉妬するかどうかは……知らないけど、まぁ小春のことだから、自分が勝手に婚約者を増やしたら文句も言うかもしれない。
なので、エルザフィアさんとのお付き合いは遠慮させてもらう。まぁエルザフィアさんも、いきなり勇者と婚約しろなんて義父に言われるのは嫌だろうからね。
「はは、ははは……」
あれ、なんでショック受けた風なのん?
乾いた笑みを浮かべているエルザフィアさんに疑問の顔を向けつつ、鮫介は頂いたジュースを再度呷る。
鮫介は、こういうときの女性関係の詰め方や、察し方を一切知らない生活を続けてきたのである。主に響太郎のせいで。
「ううむ、残念無念。鮫介殿がこのトホ領を守ってくだされば、攻めのナレッシュ・守りのコースケ殿と攻守両方を備えた領になれそうだったのですが」
「はっははは。それは、ずいぶんと惜しい真似をした気もします。が、先程も申した通り、僕は婚約したばかりですので。あまり、そういう恋愛毎にはしばらく関わりたくないのですよ」
危ねえ。攻守両方を備えた~と言いかけたドゥルーヴさんの目が、真剣な色を帯びたことに気付かない鮫介ではない。
あれは、本気の瞳だ。隙があったのならば、真剣でフェグラー領から身柄を奪い取ってやろう、と考えている類の色だ。
幸い、鮫介が受け流したことで、その瞳の色は剣呑なものを解いている。危ない危ない、と表情には出さないまま、鮫介はほっと一息つく。
「まぁ、なんだ。何にせよ、この領にいる間はこの屋敷を自分の家のように思って過ごしてくれたまえ。必要なものがあれば、すぐに準備させよう」
「ありがとうございます、ドゥルーヴさん。その時はお世話になります」
自分の家だと思うのは無理だと思うけどね……と、あちこちからカレー臭のする刺激的な香りにひっそりと眉をひそめながら、鮫介は笑顔を形作る。
自分をこの世界に召喚したのは、アルキウスだ。
ならば、自分の身柄はアルキウスのものということになる。彼が望まぬ限り、自分が他領に移籍することはないだろう……おそらくは、だけど。
「ごちそうさまでした」
そう言って立ち上がる。ちなみに、今夜の夕食は数々のスパイスを散りばめたナンだ。
インドでは牛や豚を食べることが禁止されているが、このトホ領ではそこまでの禁止事項はないようで、食事に牛肉が出てきて安心する。
もっとも、ドゥルーヴ氏が何かインドを勘違いしている気はするのだが……
ともかく、夕食はこれにて終了した。後は自由時間ということで、シャープ氏やゴードンに挨拶をしつつ、用意された部屋に戻る。
部屋の中はシーツが洗濯された、心地良さそうな空間であった。
ただ、一つ。問題点を上げるならば……
「何故……ここにいるんだ、スー?」
「え?」
そう。
部屋の中ではベッドにごろんと転がって、スーが自然な様子で寛いでいた。
彼女は友人とはいえ、夜も遅いこの時間に招いてもいない少女がいい年の男子の部屋にいるというのは、どうなのだろう。
そう思ったのだが――
「私、コースケと一緒の部屋よ?」
「え?」
「領主様に頼んで、コースケと同室にさせもらったの! コースケは私の神話知識の師匠なんだし、寝る時にも神様の話をしてくれると嬉しいわ」
「ええええっ!!?」
な、なに考えてんだあのインドかぶれっ!!!
と、怒りが頂点に達しかけた鮫介であったが……
眼の前のスーの全身をくまなく観察して、うぅむと唸る。
「…………まぁ……………いい、かな…………?」
「ホント!? 嬉しいわ、私はあなたの部下と同じように扱ってね! 間違ってもお嬢様扱いはしないでちょうだい!」
「ははは……了解、フロイラ……いいや、スー」
「ええ!」
スーは心底嬉しそうに答えた。
鮫介は苦笑する。
まったく……困ったものだ。まぁ僕はロリコンじゃないし、困った事態にはならないだろう、と鮫介は強く心に誓う。
困った事態になるとしたらスーのほうから襲ってくることだが、どうやら今までの言動から、それも無さそうだ。
結論、問題はない。無いったらない。
「それじゃあ早速質問! 日本神話において、武御雷が相撲の祖と言われているそうだけど、どうしてなのかしら?」
「んん? あー、それはだね……」
鮫介は武御雷と建御名方の日本初とされる相撲バトルについて力弁しつつ、考えていない脳みそを使ってシュロックのことを思考する。
スーは剣王アルスルがいい、と言った。鮫介も聖王アーサーの伝承についてはよく知っている。
剣王アルスル。または聖王アーサー。
聖剣エクスカリバーの使い手として、イギリスで蛮族、そしてローマ帝国と戦ったとされる伝説的な王の名前だ。
アーサー王を知らない人でも、エクスカリバーの名前を知らない人はいないだろう。
昨今のゲームやアニメなどで何度も登場している、有名な聖剣の名前だ。
元の名はキャリバーンといい、岩に刺されて「抜いたものが王となる」という選定の剣として高名なのがこの剣だ。
その後戦いの中でキャリバーンが折られ、アーサー王が丘を超えた先にある湖にキャリバーンを投げ込むと、湖の妖精がエクスカリバーとして復活した聖剣をくれた……だか、なんだか。
正直、この辺りは諸説あってどれを信じればいいのかさっぱり分からないのだが、とにかく、後のこの場面でキャリバーンはEXキャリバーン……エクスカリバーへと進化を果たす。
そして始まる、アーサー王の無双タイム。エクスカリバーを手にしたアーサー王は連戦連勝で、その最期の瞬間まで、エクスカリバーは輝き続けるのだった。
――ふむ。
この不敗の聖剣エクスカリバーを手にしたアーサー王を、なんとか再現しろと。
無理じゃね?
と、弱い心が悲鳴を上げる。
だって、アーサーを再現する『植物』なんて。そんなもの、思い付かない。
「ふわーぁ。話していたら眠くなってきちゃったわ。眠るわね、お休みなさい」
「待て。寝る前にちゃんと歯磨きをしなさい」
「もう。あなたまで、うちの使用人と同じことを言うのね」
「言うさ。大切なことだよ、歯はきちんと毎日磨くべきだ。でないと、歯医者さんがドリルをキュィィィンって……」
「きゃあ! 分かったわよ、ちゃんと磨くわ!」
と、スーが寝落ちしそうになっていたので、歯をきちんと磨くように勧める。
歯は大切にしないといけないからね。この世界にも歯医者の怖さはきちんと伝わっているようです、スーも歯磨きに賛同してくれる。
そういえば、この世界の医療関係の進行具合はどんなもんなのだろうか。
流石に戦争を100年も続けている世界だし、医療の発展具合はこちらの世界と同等か、それよりも高いとは思われるけれど……調べたことはない。
分からないことは、他にもたくさんある。
医療のレベルの他に、建築レベルや食料のレベル、衣類に教育、低年齢層向け遊具のレベル等々……
世界が違えば、常識も変化する。そして、元々居た世界の常識は、この世界では通用しない。
鮫介は、まだこの世界に来たばかりなのだ。そして最近は訓練の日々が続いており、その辺りの確認は禄に出来ていない。
(後で、ちゃんと調べないとなぁ。勇者は戦うだけが脳で基礎知識は零だ、なんて言われたくないし)
そんなことを自分の前で言う人間がいるかは分からないが……
とにかく、この世界の常識を知ることは必須だ。
幸い、この並行世界でも鮫介の学んだ基本的なことは許されている。例えば、そう、歯磨きの仕方もそうだ。
別段歯磨き粉以外の何か(砂だとか)ではなく、しっかりと鮫介の世界と同じ真っ白い歯磨剤を使い、しっかりと全ての歯を磨くことがこの世界でも美徳とされている。
こんな感じで、元の世界と共通するものがあることには助かっている。例えば人間が口から呼吸をするのは恥ずかしいこと、というような世界であったら、鮫介は生きてはいけなかっただろう。
だから、しっかりと磨き上げる。元の世界代表として笑われないように、きちんと奥まで、入念に。
「ほら。磨けたぞ、スー」
「んー! んんーっ!!!」
鮫介は鷲掴みにしていたスーの頭部を離し、備え付けのコップを使ってスーの口元をゆすぐ。
スーは歯磨きの仕方が超速というか『ゴシゴシ、ペッ』というだけだったので、怒った鮫介が歯磨きの仕方をしっかりとスーに叩き込んでいたのだ。
哀れ、スーは顔を真っ赤にして、歯磨きを享受している。
まぁ、これも大人になってから、歯医者にかからないための第一歩だ。甘んじて余得に与ってもらおう。
「これで歯磨きの大切さが分かっただろ? こんなこと二度とされたくなかったら、もう簡易的な歯磨きは辞めることだな」
「……ふ、ふん! そんなのは、私の勝手だわ!」
あくまでも悪態をつくスー。まぁ、子供に大人になってからの話をしてもしょうがないか。
しかしながら、スーは赤面した状態でこちらをちらちら見つめている。なんだ? 歯磨きで歯肉を痛めてしまったのか?
「ま……まぁ、コースケの言うことだし、これからは……その、もうちょっと真面目に歯磨きをすることも……吝かではないわ」
「そりゃ、良かった」
歯磨きが終わり、部屋に戻る。
パジャマに着替えて(流石に子供相手に照れてもしょうがないので、普通に着替えたぞ、普通に)、スーの着替えを手伝ってやりながら、鮫介は思った。
……明日シュロックさんに会ったら、どう言おうなぁ。
シュロックさんが偶然たまたま、聖剣になりそうな植物でも育ててれば良いんだけど。
歯磨きのシーンは「偽物語」の例の歯磨きシーンを想像してくれれば(笑)