8-2
「首よりも価値のあるものを持ち帰ったな」
一部始終を見ていたのだろう、
レッフェルが魔界へ戻るとその手に握られていた
鍵を指さして、マスカレドが頷いた。
何故フォルケッタを助けに来てくれなかったのかと
悪態を吐きそうになったが、ぐっと堪えた。
彼らがレッフェル達を助けるメリットは無い。
自分が力量不足だっただけ……それだけだ。
マスカレドが視線で鍵を渡すよう促してきたので、
黙って鍵を投げ付けた。
「天界へ……行くんですか」
「無論だ。罠だとしても構わん、我々程の力があれば返り討ちに出来る」
「僕も連れて行ってください。彼は……フォルケッタは、僕のミスで攫われました。僕が奪い返します」
「好きにしろ、止めはしないが助けもしないぞ」
「そのつもりです、ありがとうございます」
乱暴に投げたつもりの鍵は、
吸い寄せられるように彼の手のひらに収まると、
マスカレドはそのまま
他のオリジナルの元へ消えてしまった。
魔界、ヴァリオンは暗い。
灯りを消したベッドの中よりも、新月の夜よりも。
嘗ては僅かな恐怖すら覚えた暗闇も、
闇属性を手にした肉体には何処か安心感を覚える。
何処までも闇に包まれた静寂な世界。
最果てにすら行き届く闇に意識を研ぎ済ませれば、
誰が何処にいるか把握することは造作もなかった。
揺蕩う闇達の意識が向かう先、暗がり纏わるところ、
其処には愛し君の姿を感じる。
今すぐ会いたい、けれど。
フォルケッタの事を何と伝えるべきだろうか。
君はきっと責めはせずに、ただ悲しむだろう。
悲しませたくはないが、全ては自分の責任だ。
彼女に己の口から伝えるべきだし、
それは、自分に対する罰なのだと言い聞かせる。
レッフェルは、闇の中を泳ぐ様に歩む。
導かれるように螺旋階段を登り、
宮殿の中でも高い場所に位置する個室に辿り着いた。
大きなベッドにちょこんと座る、彼女の姿。
彼女はまだこちらに気付いていないようだが、
此方からは彼女の姿がよく見える。
彼女は、自分の体を強く抱き締めていた。
「……めありさん」
レッフェルが名前を呼べば、
弾かれたように驚いて顔を上げ、微笑む彼女。
貴女が今、何を考えていたのかが僕には分かる。
その身体の中に、
闇の種が植え付けられているのが見える。
複数の、オリジナルの種だ。
しかし、種はどれも死んでいる。
孕む心配は無いだろう。
伝えてやれば、彼女の不安を取り除けるだろうか。
「隣、よろしいですか」
めありと肩を並べるようにして、腰を下ろした。
余程不安だったのだろう、
強く握りしめた腕には爪痕が残っていて、
ほんのり赤く色付いていた。
それすら美しいと思ってしまうのは、
最早手遅れまでに毒されているのかもしれない。
するりと爪痕に指を這わせ、そっと撫でる。
「……魔族に心臓はありません。心核と呼ばれる、闇属性の魔力を凝縮した塊が肉体を動かしています。人間からすれば、彼等は動く屍です。死んだ彼等と身体を重ねた所で、新たな生命が生まれることはありませんよ」
「……!」
「安心しましたか?」
「その……知っていたのね」
「フォルケッタは気付いてないでしょうがね、彼はそういった事に疎いので。そう、フォルケッタの事ですが……」
包み隠さずに、コハク国であった事をめありに伝えた。
彼女は最初、驚いたように目を見開いて、
ただ何も言わずに、頷きながら話を聞いていた。
レッフェルが全てを話し終えると、
一つ、深呼吸をして彼女はレッフェルの両手を握った。
「彼はきっと大丈夫、とても強い人だから」
「……そう、ですね」
「どうか気負わないでね。貴方は悪くないわ」
彼女の言葉が、
泥沼に沈んだレッフェルの心を引っ張りあげる。
触れた指先から、彼女の温もりが、
優しさが身体中に流れ込んでくる。
嗚呼、どうしようもなく好きだ。
今すぐ抱き締めて、貴女を奪ってしまいたい。
そう思った時には既に、
彼女の柔い薄紅色の唇に口付けていた。
触れるだけのキスをして、
彼女のボルドーの美しい瞳を見詰める。
ゆっくりと唇を離し、彼女の唇を拭ってやった。
「すみません、貴女の事が……どうしようもなく愛おしくて、堪らず」
「……ううん、良いの。私も、嬉しいから……」
真っ直ぐな瞳に射貫かれて、
心の中をまるで見透かされているような、
不思議な感覚に陥る。
ギシ、とベッドが刻む音に我に変えれば、
彼女の身体を押し倒していた。
己の長い黒髪が垂れて、彼女の頬を撫でる。
ぼんやりとした微笑みを浮かべ、
彼女は此方へと手を伸ばしてきた。
……ただ、温かい。
彼女に抱き締められ、その華奢な腕の中で、
レッフェルは涙を流した。
どんなに想っても、思い通りにはならない。
胸が張り裂けそうに切ない。
それでも、やはり傍に居たいと願ってしまう。
「好きです……めありさん、貴女を愛しています」
「うん……レッフェル、私も貴方“達”を愛してる」
***
ガトレ宮殿の会議部屋、
円卓に並ぶオリジナル達とオベリスク。
マスカレドはその手に握った鍵を、
全員の視界に入るように円卓の中心に浮かせた。
光の気配を纏う鍵は、微かに輝いている。
「天界への扉を開く鍵が見つかった。しかし、あのお方が私達を呼ぶ気配は無い。私達で天界に乗り込む事になるだろう」
「えぇ、行きたくなーい……イヴ、光嫌いだもん。眩しくて目がチカチカしちゃう」
「貴様は自分より美しい翼を持つ天族と並びたくないだけだろう」
「煩いなバーーーカ!!!!」
ぷんすかと効果音が聞こえるくらいに頬を膨らせ、
ぷいと顔を背けるイヴリーン。
隣に座っていた潦が、
怒る彼の頭をぽんぽんと撫でて宥めるようにして、
マスカレドに質問を投げかけた。
「……して、マスカレドよ。誰を連れて行く気か?」
「全員だ」
「あ゛ぁ?俺様もかよ」
「黙れ駄犬。敵の本拠地、しかも我々の弱点を有する属性の未知なる世界だ。最悪、天王と対峙する可能性もある」
「テンメェ!!」
「一々声が無駄に大きいんですよ、君は」
「ゔぁあん!?」
怒鳴るニクラウスをぴしゃりと黙らせるナイトメア。
クリフォトは不安そうに俯いたまま歯軋りをして、
ミッチェルはいつもと変わらずに、
ただ静かに柔らかな微笑みを湛えている。
悪路王は机に突っ伏していて、
最早聞いているのかも分からない状態だ。
ラビリンスは行儀悪く机の上で足を組み、
雉隠は優雅に扇子を仰いでいる。
そんな彼らを一通り見渡して、
カンタレラはこめかみを抑え小さく溜息を吐いた。
「全員、異論は無いな?」
「退屈凌ぎには丁度いいんじゃなーい?マカちゃんに付いてくよん」
「ならば、直ぐに向かおう。オベリスク、案内を頼む」
「勿論だが、その前に……彼女は此処に残すのか?」
「……本人の意思を尊重しよう」
本当であれば、天族の手の……
光の届かないこの世界にしまっておきたい。
それが一番安全な方法だから。
しかし、彼女の意見を聞かずに私が決めてしまえば、
また彼女を傷付けてしまうかもしれない。
……恐れるものなど、何も無かった筈なのに。
マスカレドが彼女に思いを馳せていると、
部屋の扉から人影が
此方の様子を伺っているのを見つけた。
「……どうした?」
無意識に、何処か甘やかすような優しい声色になる。
人影……めありはおずおずと近寄ってきて、
マスカレドの前に立つと、
意志の宿った瞳でこちらを見上げてきた。
オリジナル達は、
黙って彼女の様子を見守っている。
「私も、天界に行きたいの」
「……あの男に聞いたのか」
「レッフェルは関係ないわ!私が行きたいだけ、お願い。足手まといにならないよう、ちゃんと何でも言う事を聞くわ。それに、その。天王は……友達だったから。もしかしたら、私の話を聞いてくれるかも」
「何でも言う事を聞く、か」
マスカレドは鼻で笑って、
側に立つめありの腕を取って引き寄せた。
バランスを崩した彼女が、椅子に腰かけるマスカレドの
膝の上に乗り上げてしまう。
恥ずかしくなって身を退こうとするも、
腰を掴まれて固定されてしまった。
彼の月白色の瞳と見つめ合う。
何度見ても、呼吸を忘れるほどに美しい。
その下の薄い唇が弧を描き、試すような言葉を紡ぐ。
「ならば、我々全員と交われ。まだ同衾していない者が半数いるだろう?……決して天族側に寝返らないと、その身体で我々に証明してみせろ」
「……っ!」
「それが出来なければ留守番だ」
「わ、私は……構わないけれど……皆は?」
「それを今更聞くのか?もう、分かっているはずだが」
マスカレドが目を逸らした先を振り返れば、
円卓に並ぶ彼等の、舐め回すような視線を感じる。
構わない、何て言ったけれどそれは嘘で。
緊張で心臓はバクバク煩いし、
体は火照って汗ばみ、手は震えている。
そんなめありに、マスカレドがそっと耳打ちをした。
「一晩くれてやる……彼等の夜伽をするんだ」
まだめありが交わっていない相手は、
ニクラウス、ミッチェル、悪路王、
ラビリンス、ナイトメア……以上5名だ。
一晩で、5人も相手するだなんて。
そんな無茶な……。
めありの背中に、冷や汗が一筋流れ落ちた。
***
部屋に戻ろうとした私に対し、
服が汚れてしまわないようにとカンタレラが
与えてくれたのは、
繊細なレースが配われた純白のベビードール。
大事なところはしっかり隠れるものの、
お腹や背中は透けるし、
丈が短いからどうしても大胆に
太腿を露出する格好になってしまう。
恥ずかしくなって、私はシーツに潜り込んだ。
マスカレドは私をいつもの部屋に送ったあと、言った。
鐘の音と共に、床を共にするオリジナル達が
部屋を訪れるだろう……と。
(どうしよう……緊張してきたわ)
じわりと涙が浮かぶ。
心を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返した。
私は大丈夫、私は大丈夫。
だって彼等の方が、もっと辛くて可哀想だから。
主君に仕え、何時か消えていくと分かっていながら、
同じ人を愛してしまうだなんて、
本当に申し訳なくて、自由に生きて欲しくって。
けれど、無力な私には何も出来ない。
唯一できることは、この身体を差し出すだけ……。
「めありさん、聞こえますか」
シーツの向こうから、レッフェルの声がする。
お行儀が悪いけれど、
私はシーツを被ったまま返事をした。
「……はい」
「ふふ、まるで子供のようですね……そのまま聞いていてください」
シーツの上から、
レッフェルの手がめありの頭を撫でる。
宥めるように、慰めるように、
ゆっくりとした動作で掌を滑らせて。
「……貴女の力になれない自分が、とても腹立たしくて情けない。キメラとなった今ですら、僕は彼等には敵いません。ですが……貴女がもし、逃げたいと。全てを辞めてしまいたいと仰るのなら、僕はこの命を投げ出してでも、僅かでも貴女の力になりたい」
「レッフェル……」
「貴女はこれから……交わるのでしょう。嫌だと僕の名前を呼べば、僕は構わずに貴女を攫います。ですから」
シーツ越しに、
めありが気付かない程度に、触れるだけのキスを一つ。
「どうか、自分を犠牲にしないで……」
ゴーン……ゴーン……
鐘の音と共に、レッフェルの気配は失われた。
そっとシーツから顔を出す。
枕元に置いていた、
胸元にいつも付けていた金のブローチへ
ふと視線が向かう。
手に取って開けば、あの時と同じ聖杯の文字。
「ごめんなさい……私は、彼等が欲しがる聖杯でしかなくて、それ以上の価値は無いの」
ブローチに反射する、己の濁った瞳。
こちらに近付く足音の主を見上げて、
めありはどこか諦めたように、妖し気に微笑む。
己を求めるかの如く伸びてきた白い腕に、
猫のように頬擦りをすれば、
嵩を増した重さによってベッドに深く沈んで行く身体。
取り返しのつかない深いところまで堕ちていく。
まるで、底無しの海みたいに。




