7-8
「レッフェル……フォルケッタ……」
何故、今まで彼らの事を忘れていたのだろう。
喉につっかえていた名前がするりと口から零れると、
後から後から一緒に旅した記憶が鮮明に呼び起こされ、
懐かしさと申し訳なさに、涙が溢れ出た。
2人はめありをそっと抱き締めると、
彼女を宥めるようにして、震える背中を優しく撫でる。
「めありさん……あんな別れ方をさせてしまって申し訳ありませんでした。僕はもう、正気に戻りましたよ」
「フェルも僕も無事だよ、1人にしてごめんね」
「ううん、良いの……私の方こそ、ごめんなさい」
めありはぶんぶんと首を振った。
謝るのはこっちの方だ。
謝罪の言葉を述べて、2人を抱き締め返した。
私が記憶を失っていたのは、
カンタレラの魔法が関係しているらしい。
先程、ニクラウスはそう言っていた。
カンタレラが、私の記憶を操作したの?
一体、何の為に……?
「……ニクラウス、彼は何故私の記憶を奪ったの?」
「あー、指示を出したのはマスカレドだけどな。邪魔だ足枷だのと言ってたのは覚えてるけどよ」
「マスカレドが……」
アレアシオンで、
封印魔法を掛けてもらったあの時かしら。
マスカレドのキスで気付かなかったけれど、
きっと横で寝ていただけに見えたカンタレラが
その最中に仕込んだのだろう。
フォルケッタはニクラウスの発言を否定せず、
自らの実力を悟っているのか、
悔しそうな表情を滲ませながら言った。
「アレアシオンで聞いた話……あの時、僕は認められなくて反抗した。呆気なくやられて、魔界に閉じ込められちゃったけどね……その間に、フェルにも聞いてもらって、落ち着いて考えたんだけど、実際僕の実力じゃ足手まといだよ。でも」
「僕達、2人だったらお役に立てるかと思いますよ。めありさん、貴女を守る為なら僕達は使い捨ての駒でも良い。必ず、貴女を守ってみせますから」
暗くて気付くのが遅くなってしまったが、
よく見ると、レッフェルは髪の色が変わり果てていた。
そんな彼からは闇属性の匂いを感じる。
そっか……そういえばオベリスクが言っていたわ。
私を守る力が欲しくて、
彼の方からキメラになりたいと志願してきたのよね。
彼はめありの右手をそっと掬い上げると、
手のひらの皺に唇を寄せた。
「だから……僕達を、オリジナルの方々の下僕にして下さるよう、貴女からお願いして頂けませんか」
「でも、」
「結局僕らは消えるんだ。なら、残された時間を好きな人と過ごしたいし、残りの命も全部あんたに費やしたいんだよ……分かんない?」
フォルケッタが反対側のめありの腕を持ち上げ、
彼女の手の甲にキスを落とす。
好きな人とって……2人が、私を好きだと言うの?
私がこの世界に来なければ、
2人はトラブルに巻き込まれずに暮らして行けたのに?
否、もうその考え方はやめなくちゃ。
また潦や雉隠に叱られてしまう。
「俺様は賛成だ。コイツら、監獄を破壊しやがったからな!2人なら実力として申し分無ぇしよ」
ニクラウスが2人の肩を叩き、歯を見せて笑う。
この人、やっぱり面倒見がいいのね。
アレアシオンに辿り着く前も、
同じ畜獣種魔族の面倒を見に来ていたから、
私達とばったり出会ったんだものね。
「分かったわ、私から聞いてみる……それに、マスカレドに直接聞きたいことも出来たから」
「ぶはっ!アイツの慌てる顔が見れるかもしれねぇなあ……楽しみにしてるぜぇ?」
***
カンタレラが椅子に腰掛けている後ろで、
マスカレドは腕を組みながら彼の手元を見つめていた。
めありがマスカレドに駆け寄ると、
それに気付いたマスカレドが視線をあげる。
「マスカレド!」
「……ああ、何か用k」
ぱちん。
めありの平手打ちが、マスカレドの頬にヒットした。
彼が人間に叩かれるなんて、誰が想像できただろう。
予想していなかった彼女の行動にマスカレドは呆然とし、
カンタレラも珍しく驚いたような顔をし、
ニクラウスは影からその様子を見て笑いを堪えていた。
「何で……勝手に私の記憶を消したの?」
マスカレドは叩かれた頬に手を添えるが、
未だ放心状態なのか、一言も発さない。
怒りに震える拳を握り締め、めありは続けた。
「貴方達が、必死に頑張ってくれてる事は知ってる。命を掛けてることも理解してる。言ってくれたら私は何だって受け入れるから、何も言わずに奪うなんてしないで欲しいの……!」
虚空を漂っていた視線が、めありを捉えた。
人間そのままの姿をした彼が、
どす黒い煙を巻いて、みるみる本来の姿へと戻っていく。
鋭く尖った犬歯に、背中には蝙蝠の翼。
伸びた爪に、彼の特徴であるヴェネチアンアイマスク。
「……裏切り者は、誰だ?」
マスカレドとは思えない、ドスの効いた低い声だ。
その時、魔界中が揺れだして柱や天井にひびが入った。
様子を窺っていたニクラウスが危険を察知し、
振動で転びそうになっていためありを抱え上げると、
その場から逃げ出した。
ニクラウスの背中を追う、無数の青白い蝙蝠。
一匹が追いついて彼の肩に噛み付くが、
瞬時に引き剥がして、地面に叩き付けた。
「チッ……」
「だ、大丈夫!?」
「どうって事無ぇ!お前は此処で待って……」
「……やはり貴様か、この雑魚犬が」
いつの間に追いついたのだろうか。
ニクラウスの背後には、マスカレドが立っていた。
反応が遅れたニクラウスの肉体が、
めありの目前で、音も無くバラバラに砕け散る。
返り血が、めありを汚していく。
彼女は、あまりの恐怖にその場にへたり込んだ。
「あ……あ……」
「嗚呼、めあり……僕の可愛い、可愛いめあり……逆らうなんて、いけない子だ……」
マスカレドではない、別の誰かの声。
今の殺伐とした状況には似合わない、
あまりにも優しくて、穏やかな声色だった。
どろりとした漆黒の気体がめありの身体に絡み付いて、
彼女の動きを制限すると、
その上に覆い被さるようにしてマスカレドが体を重ねる。
それは気体なのに、まるで鉛のように重たくて、
懸命に力を入れてもびくともしない。
彼が、貪り付くようにめありの首筋に歯を立てる。
前に吸われた時は全く痛くなかったのに、
何故だろう?今は凄く痛くて、視界が涙で滲んでいく。
「い、たい……や、止めて……」
抵抗虚しく血を吸われ続けていると、
意識がぼんやりとしてきた。
身体中から血の気が喪われ、冷えていくのを感じる。
気が、遠くなる。もう駄目……。
そう思った時、視界端にキラキラとしたものが見えた。
水……?
浮遊した水玉が鋭い針の形に姿を変えると、
マスカレド目掛けて落ちていった。
マスカレド自身は微動だにせず、
背中の翼で風を煽れば、水の針は弾かれて消えた。
が、弾けた水滴が急激に凍り始め、
水滴が僅かながらに付着していた翼を凍て付かせた。
彼の翼は、灰のようにボロボロと崩れていった。
そこに、光の速度で蹴りが入った。
フォルケッタだ。
マスカレドは吸血行為を一度止め、
片手でフォルケッタ渾身の蹴りを受け止める。
すかさず空いている腕で怒涛の連撃を繰り出すが、
それも全て、マスカレドの前では無残に散っていく。
今のフォルケッタの武器は、己の肉体のみ。
魔界に攫われる過程で大剣を無くしてしまったからだ。
だがしかし、肉体のみとなった彼は身軽だった。
何故なら、彼は常に1トンはある大剣を背負っていた。
それは武器であると同時に、鍛錬の為の錘でもあった。
本来彼の得意とするものは、
父親から譲り受けた秘伝の“体術”なのだ。
フォルケッタは畳み掛けるように攻撃を止めない。
狙った急所には入らないものの、
マスカレドが少しずつめありから引き離されていく。
「フェル、今だよ!」
「了解しました!」
何時の間にか、巨大な氷の柱が頭上に現れていた。
マスカレドは羽ばたいて飛ぼうとするが、翼が無い。
柱はマスカレドに向かって勢い良く落下した。
立ち上る砂埃の中からめありを拾い上げると、
フォルケッタはレッフェルに彼女を預け、
砂埃に向かって構える。
奴がこの程度で死ぬはずも無い、次の攻撃に備えねば。
立ち上る砂埃の中に、人影が立っているのを確認出来た。
……これだけやって、まだ立てるのか。
嫌な汗が額から滲み落ちる。
この様子では、ちっともダメージは入ってないだろう。
砂埃が晴れ、ホログラムの街並みが照らす
逆光のマスカレドは、
今にも消えてしまいそうな儚さがある。
しかし、その正体は化け物じみた戦闘能力の魔族だ。
「クソッ……フェル、めありをっ……ぐ!」
「フォル!」
目に見えない攻撃が、フォルケッタを突き飛ばした。
何故だ、攻撃する動作はなかったのに。
フォルケッタが宮殿の壁にめり込むと、
その衝撃で吐血した。
あまりの痛みに視界が暗くなり、身体の力が抜けていく。
「己の力量すら把握できない害虫共め……我々オリジナルに歯向かう愚行、後悔させてやろう……」
マスカレドの片目が、青白く燃えている。
背筋が凍るような魔力の凄まじさに、悪寒が走った。
まずい、このままでは……。
「……認めろよ、アイツらは十分強えーだろ」
ぽん。
ニクラウスが、落ち着かせるように彼の肩を叩いた。
先程バラバラにされていたはずなのに、
何時の間に、傷跡一つなく綺麗に戻ったのだろう。
目を凝らしてよく見てみれば、
マスカレドの白い頬には小さな掠り傷があった。
「俺様達にそれだけの怪我を追わせりゃぁ、実力としてはかなりのもんだぜ。アイツらも、駒になることを望んでるんだ……ちょっとは認めてやれよ」
「……黙れ」
「マス……カレド」
レッフェルの腕の中に横たわるめありが、
弱々しい声でマスカレドを呼ぶ。
途端にマスカレドは硬直して、彼女に視線を合わせた。
「叩いたりして……ごめんなさい。その……私からも、お願い」
「……だが」
「彼らも……貴方と同じ。何時か、消えてしまう存在……だから、せめて……その時までは」
「っ……分かった。但し、使えないと判断したら直ぐに奴らの首を切るぞ。良いな?」
「あり、がとう……」
恐らくは彼の魔法だろう、
何時の間にか彼女は、マスカレドに抱き上げられていた。
突然腕の中からめありが消えて慌てたレッフェルだが、
彼がめありを傷つける様子は無く、
吸血した痕を舐め取って彼女の傷を塞ぐと、
また直ぐにレッフェルの腕の中に彼女を戻してやった。
口端に着いたままだった彼女の血を拭うと、
マスカレドはすれ違い様に、レッフェルに命令を下す。
「……まずは力試しだ。アルカデアのコハク国にて小規模の戦が勃発している。貴様等は此方側に加勢しろ」
「は、はい……!」
「敵の首を持ってこい、いいな」
そう言い残して、
マスカレドは宮殿内へ姿を消してしまった。
ニクラウスは壁に埋まったフォルケッタを引っ張り出し、
彼の怪我を治療してやった。
骨が折れて、内蔵に突き刺さっているのが解る。
痛いだろうに、けれど彼は少しも顔に出さず、
その表情には決意を滲ませていた。
遂に、戦いが始まる。
聖杯を巡る、天族と魔族の戦いが―――……。




