7-7
浮遊大陸コハク国。
そこは今、血の匂いで満たされていた。
「主人、逃げて…」
アスタリスクが、
傷だらけになりながらも残された僅かな力で、
オベリスクの身を案じ、その手を伸ばす。
しかし、敵はまるで害虫を見るような目で、
容赦の無く光属性の魔法剣を使い彼女を斬り捨てた。
めありから貰ったピアスが、遠くまで転がっていく。
「ケイオス様……こんな所で遊んでいらしたんですね?随分と、闇に染まってしまったように見えますが」
刃に付着した血を振り払いオベリスクに詰め寄るその男は、
あのエーデルシュタイン国王……レックスだった。
オベリスクは地面に伏した作品達を拾い上げると、
意識の無い彼らを傍の磐にもたれさせた。
煙管を蒸かしながら、
その懐かしい呼び名にふ、と顔を弛める。
「お前は確か……ヘリオス、だったか」
「ソロネである僕の名前を覚えて下さっていたとは……光栄です、ケイオス様」
「その呼び方は辞めてくれ、私はもうケイオスの座を捨てたんだ」
オベリスクを囲うようにして立ちはだかる複数の影。
レックス以外にも、イズムルート国王クロイツ、
サプフィール国王ピックと言った国王達の姿があった。
オベリスクは、身体の内側まで焼き払われていくような、
強烈な光属性を肌に強く感じていた。
天族側が、完全なる憑依をしてきたようだ。
恐らく、元の人格は完全に消されてしまったのだろう。
そうでもしなければ、
地上の人間が光属性を扱うことはできないからだ。
クロイツは杖をぎゅっと握り締めながら、
震えた声でレックスに問う。
「ヘリオス……ほ、本当に殺しちゃって良いのかな?」
「コスモス様の命令だ、構わない。あと、こちらの肉体ではレックスと呼べ」
「すっごいっすね!!地上ってこんな感じなんすね!」
「コメテ……ピック、空気を読んでくれ」
ピックと呼ばれたドワーフ族の男性は、
目をきらきらとさせながら辺りを見回していた。
レックスの魔法剣が、オベリスクの首筋に当てられる。
切れ味の非常に鋭い刃なのだろう、
少し触れただけで触れた肌からつぷと鮮血が伝い落ちた。
「コスモス様の命令により、貴方を殺すことになりました。ケイオス様、貴方を殺して……僕が貴方の代わりに“ケルブ”を務めます」
「そうか……コスモスは、元気にしているか」
「貴方が居なくなってから、彼は1人で責務を全うしていますよ。何時も忙しなさそうですから」
「……奴には申し訳ないことをしたな」
「他に……言い残すことはありませんか?」
人数的に不利な状況にも関わらず、
オベリスクが口元に不敵な笑みを浮かべる様子に、
レックスは首を傾げた。
すると、オベリスクが肺に貯めた煙を吐き出した。
その煙はどす黒い煤のようで、
触れてしまったレックスの刃が瞬く間に腐り落ちた。
警戒したレックスが、オベリスクから距離を置く。
「……無いな。天王の犬共と会話をしていると、反吐が出そうになる」
オベリスクの背中の皮膚を突き破り、
草木が芽吹くように生えた翼が、雲一つ無い空を覆う。
翼の数や大きさは、
天界では己のランクを象徴するものになる。
彼の翼を見て、ほんの一瞬だが3人が怯んだ。
オベリスクは、その隙を見逃さなかった。
鋭く研ぎ澄まされた逆さ十字が闇属性を纏い、
畳みかけるかのような怒涛の勢いで、3人に襲い掛かる。
隙をつかれた彼らは、
避け切れずに地面に磔にされてしまった。
這いつくばりながらも睨みをきかせていた
レックスの頭を踏み躙り、オベリスクが彼の耳元で囁く。
「……さて、何処まで私を楽しませてくれるんだ?」
***
「マスカレド ちょっと、来て」
「何だ」
カンタレラが呼ぶので彼の元へ足を運ぶと、
彼の水晶髑髏が映し出したコハク国で
オベリスクが国王達と戦う姿を確認できた。
アルカデアとヴァリオンで流れる時間の差のせいだろう、
映し出されている映像は非常にスローモーションだ。
そして……国王達は、光属性の魔法を使用しているようだ。
「……周囲の時間は?」
「動いて ない。オベリスクと、彼が操る キメラ、それと 国王達だけ」
「遂に動き始めたか……国王共は最早、完全に肉体を奪われたようだな……」
光属性を使用出来るのは天族だけ。
つまり、現在オベリスクと戦っている国王達3名は、
天族によって肉体を奪われている状態だ。
今更、堕天したオベリスクを処理しに来たのだろうか。
それにしては遅すぎる。
何かもっと、他の理由があるはずだ。
今まで天族は、国王達の肉体を完全に奪うことはなく、
意志を操作する事で操っていた。
表に出ることはなく、
天界から垂らした糸で操り人形ごっこをしていた訳だ。
何故、このタイミングで大きく動き出した?
聖杯は記憶を取り戻し、聖杯として完成された。
後は私達オリジナルがあのお方の肉体に戻り、
天王の処置をお任せするだけだった……。
まさか……聖杯が満たれたことを察知したのか?
という事は、聖杯を攫いに来る可能性が高い。
しかし、彼女には魔王直々の黒薔薇の刻印がある。
光属性の魔法を使用して彼女を攫うのは不可能だ。
直接攫いに来る他ないだろう。
ならば、聖杯を魔界から出さなければいい話だ。
万が一、天族に見つかり襲われたとしても、
魔界であれば此方が有利に戦うことが出来る。
(……クリフォト、雉隠、聞こえているか)
(わっ……吃驚した。なぁに?)
(彼女がヴァリオンから出られないような魔法を仕込んでおけ。気付かれないようにだ)
(……承知した)
これで良い。
後は長引いているオベリスクの戦闘を、
加勢してねじ伏せよう。
サクッと終わらせられるような相手なら、
私達オリジナルの手で対処すれば、一番効率が良い。
「カンタレラ、その3体の天族の戦闘能力を分析できるか?」
「一対一なら 確実に……怪我する可能性無く、勝てる」
「そうか……ならば3名、選抜して加勢する。情報を吐かせるために、精神攻撃を得意とするナイトメア、ラビリンス両名は確実に連れて行きたい……が、私は両名共々から嫌われている。纏め役としてミッチェルが適任だと……」
「えぇ?何時俺がマカちゃんの事嫌いって言った?」
ぬるりと、背後から現れた張本人。
驚く様子も無く、マスカレドはわざとらしく溜息を吐く。
ラビリンスは満面の不気味な笑みを浮かべながら、
マスカレドの肩を掴んだ。
「やめろ、触るな。汚らわしい」
「うーわぁ酷いなぁ!傷付いちゃった~」
「聞いていたなら話が早い、2人を連れてとっとと行ってこい」
「はーいはい分かりましたよーっと」
傷ついたという割にはふざけた表情を浮かべ、
大げさに肩を竦めてみせるラビリンス。
マスカレドがそれを軽くあしらうと、
彼はつまらなさそうに舌打ちを残し
ひらひらと手を振りながら、闇の中に踵を返した。
***
めあり達が宮殿に戻ると、ニクラウスとばったり出会った。
彼は何か言いたげな様子だったが、口籠っている。
「どぉしたのぉ?」
「ちと、そいつ借りて良いか?」
「……行くぞ、クリフォト」
「えぇ~、分かったよぅ。またねぇ、めあり」
クリフォトと雉隠は消えてしまった。
2人きりになったところで、
ニクラウスはめありをまじまじと見つめて言った。
「まーたやったのか」
「えっ、何を?」
「まぁ良いけどよぉ……あんま、無茶すんじゃねーぞ」
頭をわしゃわしゃと撫でられる。
やったって、まあ情事の事を指しているんでしょうね。
普通は軽蔑する所なのだろうが、
彼は心配そうな、何処か優しい目をしている。
気を使ってくれているのだろうか。
「んで……本題なんだがよ。後に付いて来い」
「?」
ニクラウスはくるりと背を向けて歩き出した。
慌ててめありはその背中を追いかける。
暗くてよく見えない世界だ。
こんなところにあったのか、と言わんばかりの場所に
通路や扉があったりする。
初めて見る螺旋階段を下りて、進んでいく。
ここは、地下だろうか。
大分階段を下って、もう外に出た時よりもずっと下にいる。
ぼうっとしていたら、
歩みを止めたニクラウスの背中に衝突した。
「わぶ……ごめんなさい!」
「疲れてんのか?」
「いえ、大丈夫。私は元気よ」
「そーかよ……なあ、こいつらの事覚えてるか?」
ニクラウスが指さした先に立っていたのは……。
「……めありさん」
「……」
懐かしい声、懐かしい香り、懐かしい人。
そう感じる気持ちは本物のはずなのに、
名前を呼ぼうとしても、彼らの名前が思い出せない。
喉まで来てる言葉が、つっかえて出て来ない。
片方は、黒い髪に青い瞳の男。
片方は、銀の髪に赤い瞳の男。
「あ……えっと……待って……」
「チッ……やっぱそう簡単には解けねえか。カンタレラの魔法は俺様でも厄介なんだよなあ」
事情を知っているのだろうか。
めありが思い出せない様子を見ても、
2人は驚く様子も無く、黙って彼女の様子を見ていた。
ニクラウスが彼女の背丈に合わせて少し屈むと、
真っ直ぐに視線を合わせる。
「おい、逸らすんじゃねえぞ」
「は、はい」
「大人しくしてろ」
少し三白眼気味の、満月みたいな黄金色の瞳。
色素の薄さと小さな瞳孔は、狼を連想させる。
「あー……成程な」
「何か分かったの……?」
「あいつ、記憶の封印の鍵を喉に掛けてやがったのか……道理で頭を探しても見当たらねえ訳だ。こいつらの名前を呼べないようにしてやがったんだな」
「の、喉」
「悪ぃ、目ェ瞑ってろ」
ぐいと引き寄せられると、
首元にニクラウスの顔が埋められる。
急な接近に驚き、反射的にぎゅっと目を瞑ると、
喉元にちくりと痛みが走った。
本気じゃない、加減して牙を立てられている。
暫くすると、ニクラウスが顔を上げた。
その口には、カンタレラがめありに掛けたと思われる
封印魔法が咥えられていた。
黒猫のような姿をしたそれを吐き捨てると、
それはニャーニャーと鳴きながら何処かへ逃げて行った。
「もう思い出せるはずだぜ、奴らの名前を呼んでみな」




