7-5
ウロボロスを針達磨にしていた無数の刀が、
一本ずつ、オベリスクの肉体へと還っていく。
全ての刀が無くなったのを確認すると、
悪路王は、ウロボロスを担いで魔界へと消えた。
彼女の施しを受けてから、
意識が回復しただけでなく、普段から苛まれていた
身体中の引き裂かれるような痛みも無くなった。
これは、一体……?
「まだ使えそうだったから治しちゃった!もし死ぬつもりだったならごめんよ~?」
「否……有難い限りだ」
「まっ……気に食わないけど、マカちゃんの指示だから。信頼出来そうなら生かせって、ね。お礼言うならマカちゃんに言って」
体内に全ての骨が戻って来たので、
自力で立ち上がれるくらいまで回復した。
しかし、めありはまだ心配なのかオロオロしている。
「もう大丈夫だ……心配かけて、すまなかったね」
「いえ、大丈夫なら良かったわ」
ほっとしたように微笑みを浮かべる彼女を見ていると、
どうしようもない感情で満たされる。
駄目だ、この感情は……彼女だけには抱いてはならない。
どんな手段を使ったとしても、
彼女が手に入ることなど有り得ないのだから。
認めてしまえば、自分が苦しむだけなのだから……。
そうだ……距離を、置こう。
もう暫くは、私の出番もないだろうから。
「……コハク国の主は、ウロボロスだった。彼が魔界に帰った今、この国の主は居ない」
「そうだねぇ!残されたドラゴニュート族は殺すかい?」
「否、その必要は無い……彼等もまた、私達キメラと似た存在……見捨てることはできん。私が、この国を纏めよう」
「ふぅん?アレアシオンはどうするの?リスちゃん、アレアシオンの国王をキメラにしてたんじゃなかったっけ?実際、今のアレアシオンの国王はリスちゃんみたいなものでしょ」
識別記号、チルダ。
彼は、私の最初の作品であり、
嘗てアレアシオンを治めていた国王“カロ”だった。
アレアシオンは非人道的なことをしても、
それが科学に貢献できるものであれば認められる国。
しかし、それでもやはり認められるものに限りがある。
私のキメラ技術は、魔族の遺伝子を人間に取り込むもの。
人間は魔族を忌み嫌う傾向にあるため、
キメラ技術は異端として告発され、私は指名手配された。
認められない……ならば、この国の王を操ればいい。
そう考えた私は、国王を捕まえて自分の作品にした。
元々彼は、伝説の冒険者だったという設定の一人だ。
キメラになった彼は、非常に優秀な駒となった。
そうして私は、国王である彼を操りながら、
識別記号チルダとして、優秀な彼を量産した。
現在のアレアシオン王国は、
操り人形となった国王を裏で操作しているオベリスクが
裏の国王のようなものだった。
「チルダをキメラから解放する。そうすれば、以前のアレアシオン王国に戻り、私達キメラの居場所が無くなるだろう。そこで私達は、地図にも載らない隠された国に逃亡……地上から恐ろしいキメラは居なくなり、めでたしめでたしという訳だ」
「へえ!キメラって、分離もできるんだねぇ~」
「ああ……後は私達に任せて、お前達は魔界に帰ると良い。魔王が待っているのだろう?私が必要になったら、何時でも呼んでくれて構わない」
これで……暫くのお別れだ。
彼女と距離を置けば、このほとぼりも冷めるだろう。
めありは、寂しげな表情でオベリスクを見つめている。
嗚呼。どうか、そんな顔を見せないでおくれ。
君にはオリジナル達、魔王が……天王だっているだろう?
君が悲しむ表情を見ていると、
光と闇が穿ち合う痛みよりも私は辛く苦しいんだ。
「オベリスク……今まで、ありがとう。また此処に遊びに来てもいいかしら?」
「……勿論だとも。君の大好きなご馳走を用意して待っているから、また美味しそうに頬張る顔を見せてくれ」
「もう、そんなもので良いなら幾らでも!」
とびきりの笑顔で笑う彼女。
そんな笑顔を見せられてしまったら私は……。
本当に、申し訳ない。
最後に一度だけ、どうか許してはくれないだろうか。
めありの薔薇色の頬に手を添えると、
その弧を描く唇に、ふんわりと己の唇を重ねた。
くりくりとした可愛らしい目が、驚いたように見開く。
「……これも、魔法?」
「君が、私を忘れられなくなる魔法だ」
「ふふ、そんなの……忘れないに決まってるでしょう!」
花が綻ぶようにはにかむ彼女を、
慈しむかの表情を湛え、その目に焼きつける。
彼の心情を察しているのだろうか。
ラビリンスは、最後まで何も口出しせずに
2人の別れを見届けた。
***
めありとラビリンスが魔界に戻ると、
ニクラウスに羽交い締めにされたウロボロスが、
オリジナル達に囲まれて、ぎゃあぎゃあと暴れていた。
悪路王に粉砕された頭は、まだそのままなのか、
首から上が無い状態で暴れる姿は滑稽だった。
「あ、お帰り。大変だったみたいだね」
めあり達に気付いたミッチェルが迎えてくれた。
ミッチェルの傍に居たクリフォトも、
彼の後ろからひょっこり顔を出してこちらを見ている。
「めありぃ……怪我、無い?大丈夫……?」
「大丈夫よ!心配ありがとうね」
「うん……えへへ」
「クーちゃん、俺の事も心配してよ~」
めありがクリフォトの頭を撫でてやると、
嬉しそうに目を細めて笑う。
人懐こい犬みたいで、つられて微笑んだ。
なんてほのぼのしていると、悲痛な叫び声が劈く。
「嫌じゃー!!ワシまだ遊び足りないもん!アルカデアに帰るんじゃあー!!」
「るッッせぇ!!!テメェちょっとは反省しろ!!」
「貴様の方が煩いぞ、駄犬」
「んだとゴルァ!!」
またマスカレドとニクラウスが啀み合ってる。
相変わらず仲が良いんだか悪いんだか……。
苦笑いを浮かべてその様子を眺めていると、
不意にこちらを見たマスカレドと目が合った。
彼が私に手招きすると、
私の身体は勝手に彼のいる方向に引き寄せられ、
すっぽりと、マスカレドの腕の中に収まってしまった。
「きゃっ……!?」
「雉隠、彼女が聖杯だ」
「うっ……見た!先刻見たのじゃ!!しかもその名で呼ぶんじゃない!!ワシはオリジナルなんかに戻らんと言うておるじゃろうに!!!」
「雉隠……?」
「ああ、彼は人界で自らをウロボロス等と称していたが、オリジナルとしては“雉隠”と名付けられている」
「嫌じゃ~……ウロボロスの方が格好良いに決まっておる~……」
頭が無いのに、何処からか声が聞こえる。
どういう仕組みなのかしら……。
考え込むめありの手首をマスカレドが掴んで、
暴れる雉隠の肩にそっと触れさせると、
彼は驚いたのか、飛び上がって後退し
首の断面がニクラウスの顔面に思い切りぶつかった。
「ギャンッ……テメェゴルァ!!」
「止めろ!!女子をワシに近付けるでない!」
「えっ……何か、ごめんなさい」
「ククッ……気にするな。奴は女耐性がてんで無いだけだ」
「まっこと貴様らは性格が悪いのう!!揃いも揃ってワシを虐めるから魔界は嫌なのじゃ!!!このあんぽんたん共め!」
何となく彼が魔界を出た理由を察した。
ちょっと……否、大分可哀想ね。
「あまり虐めたら可哀想よ?」
「そーじゃそーじゃ!また隙をついてアルカデアに逃げてやるぞ!」
「貴様……まさかとは思うが、聖杯が満たされたことに気が付いていないのか?」
ピタリと、雉隠の動きが止まった。
その場にいた全員が、黙って雉隠を見ている。
彼が力なくだらんと両腕を垂らすと、
ニクラウスはもう抑える必要が無いと感じたのだろう、
彼を解放した。
彼は暴れること無く、その場にへたり込んだ。
「それは誠か……?闇から身を遠ざけすぎたせいで、全く感じ取れなかったぞ……」
「だろうな、貴様の闇は風前の灯だ」
「貴様らは……己を喪うことが恐ろしくは無いのか?魔王の都合で望んでもいないのに作られ、自由を与えられずに永遠とも思える退屈の中に囚われ、時が来たら用済みと消される事に憤りは無いのか?」
ぽつり、ぽつりと雉隠が零す言葉。
……それは、私も薄々感じていたことだった。
しかし、マスカレドは間髪入れずに否定した。
「無いな」
「何故、迷いも無く言い切れる?」
「……貴様には少し時間が必要みたいだな。聖杯よ」
「は、はい」
「彼と共に、ヴァリオン内を散策してくるがいい」
マスカレドの合図で、
オリジナル達はカンタレラと雉隠を除いて
何処かへと消えてしまった。
カンタレラは何も言わずにめありの左手を掬い取ると、
薬指の付け根、己の刻んだ紋様に唇を落とした。
「暫くの間、預かって おくから」
そう囁いて、彼もまた煙を巻いて消えてしまった。
薬指を確認すると、
カンタレラの封印の証である紋様が失われていた。
暫くの沈黙。……何となく、気まずい。
雉隠と2人きり、何も無い空間に残されてしまった。
彼の方を見てみても、微動だにしない。
よし、思い切って声を掛けてみようか。
「あの……良かったら、一緒にお散歩しまんか」
「……」
グロテスクな音を立てて、
雉隠の首から上がみるみる内に修復されていく。
やがて、傷一つ残らず綺麗に治った彼の顔。
蜂蜜のような黄金色の瞳に、
真夏の草木を連想させる、青々とした彩の髪の毛。
……まだ、視線は合わせてくれないようだ。
彼は黙ったまま頷くと、
差し伸べられためありの手を恐る恐る握り、
その場からゆっくりと立ち上がった。




