1-5
レッフェルは私を抱き抱えたまま、
忍者のような身のこなしで建物の屋根伝いに駆ける。
頬を撫でる風が冷たい。
フォルケッタは言葉が刺々しいけれど、
体温が高くて温かい。
レッフェルは優しく丁寧な言葉遣いだけれど、
身体がひんやりしている。
「フォルケッタ‥‥」
無意識に、彼の名を呟いた。
レッフェルは、何か言おうとして、
けれど口を噤いでしまった。
暫くの沈黙のうち、レッフェルが口を開いた。
「あれがお城ですよ。アルカナ王城と呼ばれています。嘗て永き旅の終わりに冒険者達が各々の国を築き、そのうちの一人がエーデルシュタインの国王として鎮座しています。お城の中は安全ですから、安心してお休みください」
城の敷地内に入ると、
レッフェルは傭兵に挨拶をして私を預けた。
傭兵は彼に深々とお辞儀をしている。
レッフェルが現れてから、辺りがざわついている。
城内から傭兵が何人か出てきて、
その中に一際目立つ格好をした男性がいて、
レッフェルと親しげに会話をし始めた。
「レッフェルよ、卒業式以来だな」
「レックス様、ご無沙汰しております」
「何、畏まる必要は無いさ。しかし、昔話をしに来た訳では無いのだろう?国の対魔バリアが破られた」
「中部の酒場に傭兵の派遣を願いたく参りました。現在、上級クラスの魔族とフォルケッタが交戦中です。また、彼女は戦闘に巻き込まれた一般市民です。一時的に保護を頼めますか」
「そうか、わかった。向かわせよう‥‥彼女は此方で預かろう」
私は傭兵の案内で城へ導かれた。
必ず迎えに来ると、そう言い残してレッフェルは
傭兵部隊と共にフォルケッタの元へと向かった。
***
「なるほど‥‥異世界から飛ばされた、と」
「はい‥‥」
「稀に聞きますからね、そういう類の話は」
お城の中はとても広かった。
事情を話すと、召使いの方が図書室へと
連れて行ってくれた。
「参考になる文献があるかどうかは分かりませんが、ご自由にお過ごしください」
「はい、ありがとうございます」
図書室の扉が閉められ、途端に無音になる。
高い天井だ。部屋も一室一室が広い。
なのに埃一つ見つからない、手入れの行き届いた城だ。
壁の代わりに本がぎっしりと詰まった棚が、
天井まで聳えている。
本来ならば高いところのものは、
皆魔法で取るらしい。
私には到底無理な話だけれど。
取り敢えず届く範囲で本を見て回る。
上級魔族と戦っている人達が心配だけれど、
心配してるだけで何もしないのは違う。
私は今できることをしなくては。
「失礼する」
ノックの音の後、図書室の扉が開いて
先程レッフェルと会話をしていた男性が現れた。
レックス様、と呼ばれていた人だ。
「私はレックスと言う‥‥エーデルシュタインの国王だ。何かをお探しかね?お嬢さん」
「国王様、お初にお目にかかります‥‥申し訳ございません、私自身の名前を未だ思い出せず、申し上げることができません」
ふむ、とレックスが考えるような仕草をする。
落ち着いた大人の雰囲気を持つ方だ。
まるで寄り添うような喋り方、
威厳のある佇まい、聴く者を虜にするような諭す声色。
私の視線に気がついたのか、
彼がこちらを向いて、にっこりと微笑んだ。
「事情は聞いている。さぞかし心細く、不安だったろう。‥‥もし君が良ければ、元いた世界の話を聞かせてはくれないだろうか」
***
私と国王様が図書室で会話をしていると、
途中で召使いの方がお茶とお菓子を出してくれた。
ありがたくいただきながら、
私は思い出せる限りの話を国王様に伝えた。
拙い私の話を笑ったりはせず、
国王様は最後まで真剣に話を聞いてくださった。
「‥‥話してくれてありがとう。君のように、異世界からの来訪者は何件か報告が上がっている。しかし、そのどれもがテレポートの失敗、召喚の失敗‥‥と言った具合に、魔法の力が作用しているみたいだ。見たところ、君からは魔力が一切感じられない‥‥その事実が、君のもといた世界には魔法が無いと証明している。となると、考えられるのは、此方の世界の誰かが君を召喚しようとした。その可能性が一番高い」
「そんな、思い当たる節はありません‥‥」
「まあ、そうなるか‥‥。その様子だと、異世界の存在すら知らなかったようだしな」
レックスが立ち上がり、
本棚から1冊の書物を取り出した。
「前例のあった彼らは、各々の魔法の力で元の世界へ帰って行った。恐らく現在、この世界には異世界人は君しかいないだろう。参考になるかは分からないが‥‥これは異世界人に関するレポートのようなものだ」
書物を手渡された瞬間、彼の指が微かに触れた。
レックスは一瞬目を見開いて私の顔を見たが、
すぐに元の落ち着いた雰囲気に戻った。
「君は‥‥否、なんと言ったら良いのか。もしかすると‥‥強い魔力を持つ者程強く惹き付ける何かがあるのかもしれない」
「え?」
「少し触れただけで気が‥‥ううむ。まだ断定は出来ないが、困ったな」
その文書でも読んで待っていてくれ、と言い残し、
レックスは図書室を後にした。
***
次に図書室の扉が開いた時、
召使いの方がまたまたお茶菓子を持ってきてくれた。
マカロンにとてもよく似たお菓子だ。
とても可愛らしく、
フランボワーズのような甘酸っぱさが堪らない。
扉の向こうから、ひょこっと国王様が覗いていた。
私がマカロンを食べたのを確認すると、
何故か私の頭を撫で、うんうんと頷いた。
「あの‥‥これは一体‥‥?」
「はっきり言おう。君は魔力を持つものを誘惑する力があり、相手の魔力の強さに比例して君の誘惑も強くなる。先程私が少し指先を触れただけで気が狂いそうになった」
「ゆ、ゆゆ誘惑ですか?!」
「ああ。しかし、この菓子は一時的に食べた者の能力を無効化する力がある。主に自分の力が制御出来ない子供向けの菓子だ」
「子供向け‥‥」
「魔法を使う人々のみならず、魔族も“闇”属性の魔法を使う魔力保持生物だ。我々はある程度自制が利くが、魔族相手となるとそうもいかない。菓子は沢山作らせるから、持っていくと良い」
「ありがとうございます‥‥」
ぽんぽんと私の頭を満足気に撫でて、
国王様は行ってしまった。