6-2
サプフィールの宿は、
海が見える絶景のリゾートホテルだった。
オベリスクによるお金の力で、
最上階の部屋全てを貸切にしていた。
夜になると街は静まり返る。
少し開けた窓から入る夜風が心地好い。
「さて、お夕飯を作らなくちゃ!」
張りきって、購入した食材を分別する。
野菜や果物は水洗いにして、皮を剥かなくちゃ。
よし、頑張って4人分作るわよ!
食材を洗っていると、とんと肩を叩かれた。
振り返ると、潦が此方を見ていた。
「手伝おう」
着物の袖を紐で背中に縛り付けて、
腕を捲った彼が手際よく食材を洗っていく。
嫌われてるわけじゃ……無かったのかしら。
「ありがとう……ございます」
それ以上の会話は無かったが、
潦はとても手際が良く、
あっという間に4人分のお夕飯が完成した。
テーブルに並べられたのは、
色鮮やかなサラダに、バター香るムニエル、
貝類をふんだんに使ったクラムチャウダー。
デザートにはポムポムのコンポートと、
ポムポムのジャムを紅茶に添えて。
何だか高級料理のフルコースみたいになってしまった。
殆ど潦がやってくれたような気がする。
「わあああ、美味しそうだね!」
イヴリーンが涎を垂らしながら料理を眺めている。
急かすように、両手に握ったナイフとフォークで
テーブルをトントンと叩いて食べたそうにしていた。
「見事な出来栄えじゃないか、いただこう」
「いっただっきまーっす☆」
「いただきます」
「……」
全員で席に着いて食事を始める。
まずはサラダから……瑞々しくて、歯ごたえ抜群。
糖度が高いのか、自然な甘みが強くて、
ドレッシングも要らないくらいね。
クラムチャウダーも、具沢山でとっても美味しいわ。
食べ応え抜群ね。味は優しくて、ほっとする。
「おかわり!!」
イヴリーンが空になった器をめありに差し出した。
えっ、まだ食べ始めて全然経ってないけれど……
一人一人に多めによそったつもりだったが、
彼はペロリと綺麗に食べ切ったようだった。
まあでも、まだ余ってるからいいか。
「はーい、待っていてね」
空になった器を受け取って、おかわりを取ってきた。
そしてテーブルに戻った時に気付いたが、
イヴリーンは非常に食べ方が汚かった。
床やテーブルに撒き散らしながら、
ガツガツと無我夢中で食べている。
その姿に、私はただ唖然としていた。
「おいしい!!次おかわり!!」
「あ、あのね……もう無くなっちゃったの」
「なんで?イヴ、いっぱい食べるって言ったよね?」
「えっと……いくら何でもそこまでは食べないだろうって思ってて……」
「……もしかして、小さいから?ボクが?」
ダァン!
急に大きな音が鳴り驚いた。
イヴリーンがテーブルにフォークを刺した音だった。
食器を除けてテーブルに体を乗り上げると、
向かいに居ためありの髪を掴んだ。
「痛っ……」
「君は見た目で判断するような人なの?」
「ち、違うわ……」
「違わないよね?ねえ?……嘘を吐く悪い子には、お仕置が必要だね。あハッ!ボクがどういう魔族のオリジナルなのか、キミに教えてあげるよ」
嘘、嫌だ、怖い。
あの無邪気で天真爛漫なイヴリーンじゃない。
助けを求めてオベリスクに視線を投げかけるが、
彼は申し訳なさそうに眉を八の字にして、
唇の動きだけで「ごめんね」と伝えてきた。
潦に関しては、視線すら合わせてくれない。
やっぱり……嫌われている気がする。
「ごめ、ごめんなさいっ……」
「うふふ……キミのこと、ずぅっとボクは我慢してたんだ。最初に見た時から、とっても美味しそうだなって思ってたんだよぉ?」
うっとりとした表情で、めありの頭を優しく撫でる。
乱暴したかと思えば優しくされて、
行動に脈絡が無いのが不気味で恐ろしい。
小柄な身体にそぐわない力で彼女の腕を引くと、
イヴリーンは別室へと駆けて行った。
残されたオベリスクと潦が、静寂の中で食事を続ける。
「止めなくて大丈夫なのかね」
「好きにさせよ。が、聖杯を傷物にさせる訳にもいかぬ。いざと言う時は余が止めに入ろう」
「そうか」
***
「うっ……」
乱暴にベッドに投げ付けられるが、
スプリングのお陰であまり痛みは無かった。
すぐに身体を起こして、身を構える。
電気も付けずに連れ込まれた部屋だから、
暗くて辺りはよく見えない。
ただ、暗闇の中に妖しく光る彼の孔雀緑の瞳が、
ぼんやりと彼の顔を闇に浮かび上がらせた。
「ボクはね、何でも好んで食べるけれど……特に大好物なのは、生きた人間の肉なんだぁ。暖かく脈打つ甘い血のシロップを、たっぷりと絡めて柔らかい肉に齧り付く……あの至福の時間が、大好きなの」
「や、やめて……食べないで……」
「うふふ、食べないよ?だってキミは、魔王様の“聖杯”だもんね……勝手に食べたら、怒られちゃう」
イヴリーヌがめありに覆い被さり、
彼女のまあるい頬の天辺に、柔らかく唇を押し付けた。
「だから……せめて“味見”させて?」
べろり、舌が頬を這う。
恐怖で声が出ない、身体の震えが止まらない。
自分よりも一回り以上小柄なのに、
恐ろしいくらい強い力で退けることも叶わない。
自然と、涙がぼろぼろ零れ落ちた。
一滴残さずそれを舌で掬い、眼球を舐める。
「ゔぅ……っ」
「はぁ……美味しいよう。今まで食べた何よりも美味しいよ、めあり……」
彼女の震える身体を、舌で愛撫する。
頬から首筋、鎖骨、胸元と降りて唾液を塗り付ければ、
暗闇の中でてらてらと艶めかしく光る。
イヴリーンの綿毛のような金髪が、顎先に掠めた。
彼がめありの胸元に手を載せる。
温く脈打つ心臓を感じ、恍惚の笑みを浮かべた。
「此処に、めありの心臓があるんだね」
「ふう、ぐすっ……ごめんなさい……私が悪かったです……食べないで下さい……」
「うん、食べないよ……だから泣かないでね、それ以上泣かれると、可愛くて我慢できないよ?」
めありをあやすように撫でてやる。
自分よりも一回り以上大きな女性を、
子供のように扱うことに僅かながら興奮を覚えた。
「ああ……勿体無いなぁ」
彼女の頬を濡らす涙に唇を寄せて、飲み干した。
ただの涙すら甘い。
皮膚を舐めるだけでも、
舌が痺れるくらいに彼女の“味”は最高だった。
まるで何をしても空白だった場所に、
求めていたパズルピースがぴったり当てはまるような。
もっと彼女を味わいたい。
涙だけじゃ足りない。
その唾液や汗、爪の垢すらきっと美味しいんだろう。
恐怖に震える彼女の腕をとって、
指先一本一本を丁寧に舌で舐ぶる。
甘噛みする度に、
怯える彼女の身体がびくんと跳ねるのが、
堪らなく加虐心を煽る。
「……ね、ボクが怖い?」
涙を堪えてぶんぶんと首を振るめあり。
嘘ばっか、顔に出てるじゃん。
口がぱくぱくしてる。
何か言いたげだけど、今は何も聞きたくないかな。
彼女の首を絞めるように掴んで、
その薔薇色の唇を奪う。
大丈夫、ちょっと苦しいくらいで止めるから。
ああ……美味しいなあ。
何処を味見しても、ゾクゾクするくらい好みだよ。
「―――そこまで」
鶴の一声で、イヴリーンの手が止まった。
涙で朧気な視界の端に滲む紺色……潦のようだ。
イヴリーンがめありから離れた時、安堵の息が盛れた。
「イヴリーン、其方はその辺りの山一つや二つですら満たされぬ特異の胃袋よ……故に、事知らぬ者であれば致し方のない事。彼女は何も悪くは無い」
潦が此方に近寄り、ぽんとめありの頭を撫でた。
彼女は、我慢して目にいっぱい貯めていた涙を、
声を押し殺しながら抱えていた恐怖と共に吐き出した。
「だって美味しそうだったんだもん!」
「其方の都合で弱きを虐げるでない」
「なんで?嫌なら逃げればいいだけじゃん!」
「我々の力から逃げられる者は居りはせん」
イヴリーンの目線に合わせて屈み、
彼を叱る潦の姿は、まるで父親のようだった。
納得いかないのか不機嫌そうな彼へ、
心做しかいつもより優しげな声であやしている。
何だか二人の会話が本当の親子みたいで、
おかしくて涙が引っ込んでしまった。
「落ち着いたらまた戻って来るが良い……待っている」
「あ、もう大丈夫です……一緒に行きます」
「……左様か」
頬に残っていた涙の跡を、着物の袖で拭われた。
微かに、薄荷に似た甘く透き通る香り。
一瞬だけ、潦の深海のように冷たい瞳と目が合ったが、
直ぐに逸らされてしまった。
この人、よく分からない。
何かを隠しているような、そんな気がする。
部屋に戻ると、私の食べかけの食事を
オベリスクが温め直してくれていた。
夕飯を食べ終え片付けを済まし、床に入る。
明日は何をするのかしら。
何をしようにもイヴリーンとは少し気まずいし、
潦は心を開いてくれそうにない……。
そうね、まずは2人と仲良くなる努力をしなくちゃ。
それにしても……天王の花嫁って、何故だろう。
私には、魔王や天王の知り合いなんて……
でも、魔王との邂逅を果たしたあの日の、
とても懐かしい、知っている気配を覚えている。
私は一体、何を忘れているの……?
あと少しで思い出せそうなのに……。
「…………」
めありが眠りにつくと、
その穏やかな寝顔を静かに見つめる影が一人。
僅かに空いた窓から入り込んだ潮風が、
カーテンを揺らし、彼女の顔に被さる。
まるでヴェールのようだと思いながら、
男は彼女の顔を隠すカーテンをそっと退けた。
月明かりが照らす彼女の肌があまりにも白くて、
しかし、規則正しい呼吸に安堵する。
人は、脆い。
一歩間違えれば、波に攫われた砂の城ように
あっという間に壊れてしまう。
彼女もまた、聖杯と呼ばれどか弱いに過ぎない人間だ。
……悪い夢でも見ているのだろうか。
時折魘されるめありの額にそっと手を翳してやれば、
彼女は再びすうすうと健やかな寝息を聞かせてくれる。
そうして、潦は夜が明ける刻まで彼女の傍に居た。




