3-8
厚底ブーツと革靴の足音。
濃い桃色の瞳と、月白色の瞳が、私を見下ろしている。
カンタレラが彼女の汗ばんで額に密着した髪を、
そっと手で梳いて退かした。
ピアスだけでなく指輪も沢山しているから、
彼の手は金属が沢山着いていて、触れると冷たい。
2人の瞳に映った私は、
熱が籠り潤んだ目で泣きそうな顔をしていた。
「……どう したの」
「粗方想像はつくが……」
はあ、とマスカレドが溜息を吐く。
「ナイトメアが来たのか」
「……はい」
カンタレラがめありを支えて上半身だけ起こすと、
水の入ったコップを持たせてやった。
お礼を言って、コップに口をつける。
しかし、カンタレラが支える手ですら、
今のめありにとってはもどかしい快感となる。
水はあっという間に空になり、
それでも喉が渇いて、たまらない。
それに、渇いているのは喉だけじゃない。
「“聖杯”、辛いようなら―――……」
「めあり、です。私の名前」
「……」
「めありと、呼んでくださいませんか。今だけでいいので」
「……めあり」
ああ……彼等の声に名前を呼ばれるだけで、
意識が飛んでしまいそう。
力が抜けて、コップを落としてしまった。
マスカレドはそれを無言で退けると、
私の髪をひと房掬い上げてキスを一つくれた。
カンタレラは背中から私を抱き締めてくれた。
「ねぇ……めあり、僕達は 怖い?」
「いいえ……怖くないわ」
「そのままだと寝れないだろう……楽に、なりたいか」
「……はい」
その会話を最後に、私達はシーツの海に沈んだ。
覚えているのは、2人の慈しむように優しい愛撫と、
熱を孕んだ切なさそうな瞳と。
身体のいたる箇所に降り注がれた、キスの慈雨。
何度も快楽の絶頂に導かれ、
汗と涙に濡れながら
果てしないとすら思える時間を目合った。
***
目が覚めると、私はベッドに1人だった。
いつも着ていた服は綺麗に畳まれて、
クローゼットの上に載せられていた。
今着ているのは、誰かが用意してくれた寝間着。
そういえば、ナイトメアはインキュバスだと言った。
全て夢だったのかもしれない。
備え付けのバスルームでシャワーを済まし、
いつもの服に着替え終わったところで、
コンコンと、部屋の扉がノックされた。
「おはよう。そろそろ出るけれど、準備はどう?」
ミッチェルの声だ。
鏡をよく見ておかしな所が無いか確認する。
髪型良し、服の皺無し。
相変わらず瞳はボルドーだけれど。
部屋から出ると、ミッチェルが立っていた。
彼によれば、カンタレラの魔法で
私を先にアルカデアに送り込むそうだ。
時間差で、マスカレドとミッチェルも
すぐに向かうとの事だった。
「分かりました。カンタレラは何方に?」
「案内するよ」
ミッチェルは私の手を引いて、暗い廊下を進む。
だいぶ目が暗闇に慣れてきたからか、
何となく辺りに何があるか分かるようになってきた。
ちらほら会話の中に聞こえたのは、
ここはヴァリオンの宮殿であるということ。
確かに、体育館くらい高い天井に、
数えきれない沢山の部屋、
何時の時代のものか分からない豪華絢爛な装飾は、
世界遺産の宮殿によく似ている。
明かりの灯らないシャンデリアは不便だが。
「あの人とは、何かあったの?」
「あの人……魔王様ですか?」
「うん、そうだね」
「黒薔薇……?の、刻印をいただきました」
「なるほど、なら安心だね」
歩きながら、黒薔薇とは何かを教えてくれた。
黒薔薇は、闇属性の魔法による刻印。
光属性の魔法を無効化してくれるものだそうだ。
逆に、以前レックスからもらった白百合。
あれは、闇属性の魔法を無効化する光属性の刻印。
今回の黒薔薇は魔王が直々にくれたもので、
魔王本人が解かない限り
永遠に消えることがないそうだ。
ちなみに、魔族が使う魔法は闇属性で、
天族が使う魔法は光属性らしい。
ならばレックスは天族なのかと聞いたら、
それは違うと言われた。
しかし、マスカレドが色々考察しているようで、
天族と関わりがある可能性があるとのことだ。
それもアルカデアで調べるらしい。
「やっと、来た」
「遅かったな。準備は既に整っている」
案内された大広間では、
マスカレドとカンタレラが待っていた。
床一面に大きな魔法陣が描かれている。
2人の顔を見た瞬間、思わず赤面してしまうが、
向こうは何ともなかったので、きっと夢だったのだろう。
「忘れ物は無いか」
「荷物という荷物は無かったし、大丈夫です」
「そうか。戻ったらまず、白百合の刻印は断れ。もし難しそうであれば、私が下級魔族を利用し騒ぎを起こす。そのまま冒険者の2人と共に避難しろ」
「はい」
「その後、俺達が合流するよ。念の為、クリフォトみたいに偽名を使うから気をつけてね」
「分かりました」
「……じゃ、そこに 立って」
カンタレラが指さしたのは、魔法陣の中心。
私が足を踏み入れると、魔法陣が光り始めた。
「お土産、忘れないでね……めあり」
お土産って、確かブツブツ言っていたやつよね。
何だったっけ……
……あれ?今、私の名前を呼ばれた気がしたのだけれど、
私ったら何時教えたのかしら。
もし、私の記憶が正しければ。
3人で交わり合った情事が夢では無くなる。
謝らなくては。
私が熱に浮かされたせいで、2人を汚してしまった。
ごめんなさい……。
叫んだ謝罪は光の中に谺して、宛もなく失われた。




