3-2
クリフォトが消えたのを確認すると、
黒髪のオリジナルの青年が、
ベッドに座っている私のすぐ前に立った。
「‥‥‥‥」
何を考えているのか分からない、無表情。
サラサラとした黒髪の隙間から覗く、
濃い桃色に爛々と光る瞳。
バサバサの下睫毛に隠れた青くま。
そして、唇や耳、目元や首にたくさんのピアス。
ピアス穴は所々鬱血していて痛々しい。
背丈はクリフォトと変わらないようだが、
足元をよく見るとかなり厚底のブーツを履いている。
恐らく、私のほうが彼の背丈に近いかも。
「あの‥‥」
「‥‥何?」
「まずはお名前を教えて下さいませんか」
微かに、青年の瞳が揺らいだ気がしたが、
それは気のせいだったと思うくらい一瞬だった。
彼は私の隣にぽすんと腰を掛けて呟いた。
「‥‥カンタレラ。そう 呼ばれてる」
「カンタレラ、綺麗な響き。ありがとう、教えて下さって」
‥‥何故だろう。
嗅いだことの無い甘ったるい香りがして、
頭がクラクラして思考が鈍る。
何故ヴァリオンに攫われたのかだとか、
私はこれからどうなるのだとか、
聞きたい事は山程あるのに、何処か麻痺してる。
ふと、カンタレラの耳のピアス穴から、
血が滲んでいることに気がついた。
「血が‥‥」
「‥‥触ら、ないで」
伸ばした手を叩き落とされてしまった。
そりゃそうよね、初対面の相手に触られたら嫌だよね。
ごめんなさいと謝ると、
溜息を吐かれ首を横に振られた。
「僕の血は 猛毒。触れただけ、で 死ぬ」
「え‥‥でも貴方は」
「僕は平気、だけど‥‥“聖杯”を 傷つけては いけない」
妙な所で途切れるゆっくりとした喋り方は、
唇の隙間から覗く大量の舌ピアスのせいだろうか。
ぼうっと彼の顔を見ていると、何やら閃いたようだ。
「‥‥ああ、僕の 血の匂いで。麻痺してるのか。今、止血する」
彼が自分の耳たぶを親指と人差し指で挟むと、
傷口は最初から無かったように綺麗に塞がれた。
甘ったるい匂いもしなくなった。
次第に頭の中のモヤが晴れ、思考が鮮明になった。
まずは何を尋ねるべきか。
考え込んでいると、先に彼が口を開いた。
「アルカデアに、あんたを召喚した のは‥‥僕」
刹那、息が止まった。
自分の心臓の音が大きく谺している。
1番知りたかった答えが、こうもあっさり―――‥‥。
「‥‥どうして、私を呼んだの?」
「そう 命じたのは、魔王。僕らオリジナルにも 魔王の考えは、分からない」
カンタレラの話によると、こうだ。
ヴァリオンには、魔王と呼ばれる王が鎮座している。
全ての魔族の親であり、オリジナルの上司にあたる。
その魔王が、私をこの世界に連れてくるように、
カンタレラに命じたらしい。
勿論、私は魔王の知り合いなんて居ないし、
思い当たる節も毛頭ない。
また、“オリジナル”と言う言葉は、
魔王の身体の一部を分け与えられ直接魔王に作られた、
アルカデアに蔓延る魔族とは少し違った者を指すらしい。
オリジナルは、同族の下位魔族を指揮できる。
「でも、待って。私が聞いたのは、死後の魂のうち、綺麗なものはまた新たな命となり、醜いものが魔族になるって‥‥」
「それは、間違い。正しくは、綺麗なものは 天界に閉じ込められ、天族となり。醜いものは アルカデアに、棄てられ、新たなヒトが産まれ。そして アルカデアのエーテルが 飽和した時‥‥魔族が 産まれる」
「そ、んな」
「‥‥あくまで、綺麗とか 汚いとか。天界の 勝手な判断、だから。魂を 篩にかけてるところが 気に食わない」
「美しい魂は、神様の恩恵で魔法が使えるって言うのは‥‥」
「アルカデアには、エーテルが 満ちている。エーテルがある 場所にいれば、誰でも 魔法が使える。ヒトが、二酸化炭素を 吐くように、魔王は エーテルを吐く。極端な話、魔王が居なければ 魔法も、使えなくなる」
‥‥辻褄が合う。
神様の恩恵だか慈愛だか分からないが、
それで魔法が使えるというのなら、
魔法に酷似した術が使える魔族は何だと思っていた。
だから、レッフェルの話を聞いて、
どこか胡散臭い宗教染みた話だと感じたのだろうか。
それよりも、人間が篩にかけられて
取り除かれた残骸だったことに、ショックを受けた。
あくまでこの世界の話だし、
“天界”という世界の目線の話だとは聞いたけれど。
レッフェルもフォルケッタも、優しく素敵な人だった。
そんなの、そんなの絶対間違ってるわ。
「‥‥キャパ オーバー?暫く、休むといい よ」
「‥‥ええ、ありがとう」
「目が覚めたら、見せて あげる。アルカデアの‥‥世界の仕組みを。その 瞳に」
彼の手が、私の視界を覆った。
急激に眠くなって、力無くベッドに横たわると、
彼が胸元までブランケットを掛けてくれた。
最初からずっと変化の無い、乏しい無表情で、
ベッドに腰かけたまま私を見下ろしている。
「おやすみ、“聖杯”‥‥」
鼻梁に、柔らかく湿った何かが
押し当てられたような気がした。




