異邦人と精霊(3)
「ダメダメ、子供は立ち入り禁止」
「だから、子供じゃないって言ってんだろ、おっさん!僕はこれでも二十……」
「いや、どう見ても十二、三歳でしょ、キミ」
新しい世界に来てから、まず最初にすべきことは、資金調達だ。少し文化が発達すれば、人間は必然と貨幣と流通を発達させる。
世の中、金である。
そこで、雪路はいつも通り、資金集めのためにカジノへ足を伸ばしたのだ。自分の見た目が今、子供のそれだということをすっかりと忘れて。
「とにかく、カジノは十八歳になってから!あと五年くらいは待ってからのご来店、お待ちしていますからね、ボク」
警備員の男は面倒くさそうに雪路の前に立ちはだかる。
その態度に、雪路は苛立ちを覚えた。
(っの野郎……。僕はお前よりも数百倍、年上だっての……!)
寧ろこの場で脳神経を弄って洗脳状態にし、カジノの中へと潜入することも考えたが、店の中にいるだろう数千人の人間はさすがに洗脳しきれる自信が無かったので、その策は断念し、踵を返す。
仕方がないので、資金繰りは手持ちの鉱石を換金することに予定は変更。だが、どのような鉱石がどのくらいの値でやり取りされているのか、そこら辺の知識はさっぱりだ。
(……もう一度、あの精霊兄妹を見つけ出した方が、色々と早いかな)
なるべくこの世界の生き物とは親しくなりたくはなかったが、彼らはある程度、親身になって質問に答えてくれていた。何より、得体の知れない呪いを使い、魂を吸い取られてもケロリとしている人間たちよりも、余程信頼できる。
雪路は、軽く靴先で地面を叩く。音は力の波紋となり、地面に広がっていく。その波紋に意識を乗せて、雪路は精霊兄妹の気配を探る。
そして、精霊兄弟の気配よりも早く、覚えのある魔力―――マナを感知した。
(えっ……)
雪路は目を大きく見開いて、気配が向かってくる空を仰いだ。
既に来ていた。真っ青な空に、まるで立つように白い翼を持った黒髪の女性が佇んでいた。
(あれ、は……なぜこの世界に……)
街を行きかう人々は、誰もが空に浮かんだ翼を持つ女性に気づかない。そして、翼を持つ人間は、まるで値踏みするかのように、地面を蟻のように忙しなく歩く人間たちを、感情を含まない瞳で追っている。
何かを探している。
「ふん。まあ、取り敢えず破壊するか」
そう呟いて。
アポストロの頭の上に、一つの黒い球が現れる。魔力の塊だ。それはちかり、と光ったかと思えば、次の瞬間。無造作に居住区へ熱線が降り注ぐ。
熱線は建物、或いは地面、或いは人間に直撃し。貫き、膨らみ、熱によって弾けて爆発する。飛び散るのは資材か、大地か、それとも肉か。
一瞬にして平和な街は恐怖の色へと染まった。悲鳴があがり、うめき声が辺りを支配する。警報が鳴り響き、それがまた、人々の不安を増幅させていく。
「アポストロだ!」
誰かが叫んだ。
「アポストロ……?」
空を見上げ続ける雪路は、信じられないモノを見るかのように、翼を持つ人間を睨む。嗜虐的な笑みを浮かべる翼を持つ人間―――アポストロの姿は、ある人物が見れば、このように呼称するだろう。
悪魔、と。
正しく殺戮を楽しむ悪魔に違いない。アポストロ―――代行者、間違っても神の遣いには見えないだろう。
それではなぜ、アポストロという通称が付けられたのか。そこは雪路の知る所ではないのだが。
それよりも、アポストロのあまりに急で歪で、非効率な殺戮に、雪路は疑問を抱くしかない。狙いはまばら。急所を狙わない一撃。威力の弱い攻撃。人間を単純に殺すことが目的ではないことは明らかだ。
では。
(奴の目的はなんだ……?いや、)
もう一つ、マナの気配がある。
(奴ら……か)
紫色の瞳を細め、雪路は僅かに意識を飛ばす。
もう一つのマナの気配の傍に、先ほど探していた精霊の兄妹の気配があることに気づく。マナとアニマが互いに活性化していているあたり、おそらく対峙している。
一つ、妹の精霊であるコハクの、妙に濁ったアニマが活性化しているので、おそらく彼女が主体になって戦っているのだろう。人間に精霊とばれるわけにはいかないから、力は使えない、と言っていたのは何処のどいつか。
いや、見ず知らずの少年を、人間のようなものだと理解しながらも助けたのだから、ただのお人好しか。
「―――おい」
「ん?」
背後からの声に振り返り、直後、首を片手で掴まれて、雪路は軽々と持ち上げられた。息が詰まる。みしりと首の筋繊維が音を立てた。
「こんな状況で、よくぼんやりとしていられるわね」
雪路の首を絞めているのは、つい先ほど空中から熱線を降らせたアポストロだった。彼女は不服そうに首をへの字に曲げて、赤い瞳に雪路を映す。
「なに?注目してほしかった?寂しがりやなんだね、お嬢さん」
笑いを含ませながらお茶らけた口調で尋ねれば、赤の瞳には怒りと不快が滲み出る。
「ふざけたことを言ってくれるな、人間。今この場で、その首を引き千切ってやろうか?」
「やってみろよ、木っ端。そんなこと……」
屁でもない、とまで言おうとして、雪路ははたと表情筋を停止させた。
マナのない自分は通常の十代の半ばの少年より劣る体力と筋力の持ち主だ。そして、普段はマナで遮断している痛覚が、マナを使えない今、すこぶる健在だ。
倒す手段も、痛みに耐える手段も持ち合わせていないのは、戦う場に於いては地獄を意味している。
「あー、いや、やっぱり痛いのはヤダかなぁ、さすがに!なんせここ最近、体験していないからね!できれば苦痛のない感じでよろしく!」
慌てて取り繕って、当然怪訝そうにアポストロは眉根を寄せた。
「貴様、何を訳の分からない事を……」
「そこまでだ!」
良く通る鋭い声が辺りの混乱の音を貫いて、雪路の耳に届いた。
赤髪の軍人が立っている。名前はイライナと言ったか。先ほど精霊を吸い込んだ剣とは別の、真っ赤な刀身の剣を腰から引き抜いて、アポストロを睨んでいた。
「その少年から手を離せ、アポストロ!我が剣が貴様を貫かぬうちにな!」
「ふん、遅いお出ましだな、精霊術士」
勇ましいイライナの言葉を一笑で伏す、アポストロと呼ばれた女性の表情には余裕がある。
「そんな付け焼刃の力で我らに対抗しようとは、なんと浅ましいことか。聞こえないのか?精霊たちの悲鳴が」
「聞こえるもなにも。精霊は自然が人間の意志を模倣している、いわば人工知能に近い……心があるように見せかけた虚ろな力だ。聞こえるわけがないだろう」
その言葉に。アポストロの瞳には怒りが滲み出た。
「生きる価値もない、劣悪種が。今ここで、殺してやる……」
「いや。それを決めるのは君達じゃないでしょ、お嬢さん」
唸るような声に対し、雪路は横から言葉を割り込ませた。息が詰まっていて、声が届くかやや不安であったが、それでもアポストロの女性は聞こえたらしく、眼球だけを雪路へと向けてくる。
そんな彼女に、雪路は真っ青な顔で不敵に笑う。
「やめときなよ、神様の真似事なんて。型番が古いのだから、下手したら個人データごと、消されちゃうかもよ?」
単語は選んだ。アポストロと呼ばれる彼女の正体を、ある程度示唆しつつも、明言しない程度に。そうしたら、彼女は向けてくる。
「貴様っ……!」
興味と怒りと、視線全てを向けてくる。
それが狙いだ。
雪路はポシェットから取り出しておいた、豆のようなサイズのそれを指で、アポストロの目の前へと弾いた。
瞬間、眩い光が辺りを包み込んだ。
小型の閃光弾。とある世界で手に入れた便利なグッズその一だ。
ついでに筋肉の弛緩させる効果のある煙付きだ。
するりとアポストロの女性が雪路を掴む手の力が抜けた。雪路は尻餅をつきながらも急いでその場から離脱しようとする。周辺に駆け付けていた軍人たちも予想外の展開だったらしく、全員が視力を一時的に失っている。
雪路も視力を失っているのだが、元々、周辺の気配を読むのは専門分野だ。迷うことなく目印である精霊兄妹の強い気配の方へと走り始め、
―――……!
透き通った悲鳴が聞こえてきて、足を止めた。
「……僕もそこまで余裕がないんでね。……条件付きで、なら」
雪路はイライナの腰の剣を鞘ごと引き抜いた。
「……あっ……?」
剣を抜き取られたことを感覚で悟ったのか、イライナが変な声を上げた。腰元をまさぐって剣が無い事を確認した彼女は、戻り始めた視力にて、探している剣を今まさにその場から立ち去ろうとしている少年が持っていることを確認し、大声を上げた。
「はっ……?え、ちょっと待て!おい!この、窃盗犯!」
引き留めるイライナを完全に無視して、雪路はまだ道が比較的無事な路地裏へと駆けこんだ。既に体力が限界に近い。
「あー、くそ。こんなことなら、マナを封印する前に体組織を弄っておくんだった!」
後悔を口にしつつ、雪路は手元の白い鞘に納まった剣を見る。
剣の中に封じられた精霊の悲鳴が大きくなっている。契約主と引き離されたことが原因だろうか。正直とてもうるさい。
「……乱調律で呪いを乱せば、取り敢えず苦痛は治まると思うから……それで今は我慢してくれ」
語りかけて、雪路は柄を指で軽く叩いた。
瞬間。雪路を中心に、大気が僅かに震えて、撓んだ。それと共に、雪路が聞き続けていた、剣に封じられた精霊の悲鳴が徐々に治まっていき―――静かになった。
「じゃ、後は追々……」
そこまで呟いた雪路は、言葉を止めた。
巨大な力―――マナの乱流が空間全体を支配したのを感じ取ったからだ。それは、あまりにも雪路にとって覚えのある気配だったのだが―――それが瞬時に、とある波動によってかき消された。
それは、マナを弱らせる特殊な力の波動。辺りを支配していたマナの気配が一気に緩んだ。人間は今頃、なぜか息苦しさが無くなったと首を傾げていることだろう。
マナによって書き換えられていた大気の性質が、その波動によって正常に戻ったのだ。
「調律師……。まさかこの世界にいるのか?」
世界を壊す力があるように、世界を正す力もある。
それが、調律と呼ばれる、全ての世界に共通して存在している技術だ。なので、調律を誰かが使ったとしても、それに関しては特に雪路は驚かない。あれは誰もがどこでも使える力なのだから。
よって、雪路が驚いたことは別にある。
「けど、ならなぜ……この世界はここまで異常に変化しちまってんだ……?」
疑問はふと口に出るが、それをかき消すように、男の咆哮が辺りに轟いた。それは、まるで大地そのものが怒りに吠えているようにも思えた。
「おっ……?」
雪路はその場でよろついた。足元がふらついたのではなく、地面の微弱な揺れに足を取られたからだった。しかし、雪路は足元を見て目を瞠る。
「は?なにコレ……」
まるで強い引力に引きずられるかのように、ベルトコンベアのように、地面そのものが地面の底が、動いていた。周辺の建物も、地面が動くのにつられて動いている。
そして、大地が急速に吸い寄せられていく先。吸い寄せられた大地は、形を変えながら地面の表面へと向かって行き―――地面から無数の土造りの槍が生えて、とある一点へと向かって行っていた。
ある一点。
気を失った黒色の精霊を脇に抱え、空へと立ち去ろうとする、男性のアポストロへ。