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臨界のアポストロ  作者: 千年寝太郎
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異邦人と精霊(2)

 土で固められた道が続く、緑深い森の中を永遠と歩いたところに、人間の集落はあった。

 正しくは居住区、と呼ぶという。


「へぇ、割と賑やかな所じゃん」

 まず、雪路はそう評した。


 自然豊かな外の風景とは一変し、居住区の中は文明が進んだ都会のような場所だった。銀色のビルが立ち並び、道路には凝ったデザインの車が行きかう。人間たちが持っている小型通信機器はタッチパネル式で、それなりの科学技術を有していることが分かる。

 居住区は、他にも全世界に数千と存在しており、定期的な交流や、物品資源の流通も活発であるらしい。


 だからこそ、気になることがあった。雪路は振り返る。その視線の先には、白く高い壁が目の前に広がっていた。壁の高さは十メートルほど。壁の材質は一見コンクリートに見えるのだが、はてさて、実際はどうなのかは分からない。


 その壁に造られた巨大な扉を通って雪路たちは居住区にやってきたわけだが。

 いわゆる入国審査ならぬ入区審査が、非常に雑だった。

 武器持ち込みは禁止されていないので、過去に犯罪を起こした人間ではないか、顔認証システムで犯罪者ブラックリストのデータベースと照らし合わせるだけで済んだ。

 これが雪路の疑問だった。


「この壁、さっき遭った生き物を避けるためのもの?」

 白い壁は、明らかに防壁だ。外部の何らかの危険から、中の人間を護るために造られたものであることに間違いない。ただ、壁は人間を仮想の敵と想定して作り上げた者ではない筈だ。もしも“敵”が人間であるならば、人間に対する入区審査はもっと慎重で細かなものになるのは、どの世界でも変わらない。

 雪路がアデルに尋ねると、彼はきょとり、と目を丸くした。それから、雪路が指す生き物の名前を引き出してくれた。


「さっき遭った化け物は……古跡獣、と俺たちは呼んでいる。あれらは古跡から離れられない性質だから、人間の居住区までは来ることができない」

 古跡と呼ばれるおそらく旧時代の廃墟から出た途端、化け物たちの気配が無くなったのはそのためか、と雪路は納得した。

 新しい世界に来たばかりの弊害で、未だ体の感覚は正しく機能していないので、気のせいだと思っていたが。

「この壁はおよそ三十年前に、人が突如作り上げたものだ」

「へえ?」

 つまりはそこが、この世界の一つの転換点。

「壁は、アポストロの襲撃を防ぐために建設された」

「アポストロ?それって……」

 

 おお、と人間の声が辺りに膨らみ弾けたので、雪路の声がかき消された。

 一体何事か、と群衆が集まる方へと視線を向けた雪路は、

「あれが新しい精霊か」「美しいなぁ」

声の中から拾われる言葉に、アデルたちの表情が曇ったのを見た。


『さあさあ、皆さま寄った寄った!本日手に入った、若い精霊、そのお披露目だ!』


 声がするのは、大広場に造られたステージからだ。ステージの上では、拡声器を持った、洒落たスーツを着た商人らしき男が、上機嫌で辺りに宣伝をしていた。その声に引き寄せられて、人間が次々と集まっていく様子は、まるで餌を目当てに群がる魚の群れようだった。


 興味が引かれたので、雪路は“精霊”を見るために群衆の後ろから背伸びをするが、如何せん身長が小さいために、大人たちの背丈が丁度、邪魔な壁になっていて見えない。跳んでみても当然見えない。と、後ろから迫ってきたアデルにひょいと抱き上げられて、肩車をされた。


「どうだ?見えるか」

「………………滅茶苦茶恥ずかしいんだけど………」

 絞り出すように感想を述べた。

「お前、軽いな。肉をちゃんと食っているか?」

「本当の身長はもっと大きいんだけれどね。成長前の体に戻っちゃったから」


 ため息交じりに答えてから、雪路は視線を先へと向けた。

 人々に囲まれるかたちで、白い少女が虚ろな瞳で座り込んでいるのが見える。気配がアデルたちとほぼ一致するので、その少女こそが精霊だろう。白い肌、白い髪、銀色の瞳。冷たい雪のようなアニマ。質素なワンピースを着用し、太く重そうな首輪と手枷、足枷。裸足。どこの時代の奴隷だろうと思うほどの劣悪な扱いだった。

 

 文明が進んでいるのに、正しい倫理観が構築されなかったのか。或いは。

「本当に綺麗な精霊だな」「誰があれを使うのだろう」

 人々の感想から聞くに、これがこの世界の正しい倫理と成り果てたのか。


 精霊とは、人ではない物として扱われている、ということは、アデルたちの渋い表情を見ても明らかだった。

「……助けたりとか、しないの?」

 こそりと雪路が尋ねる。

「馬鹿ね。助けるためには霊力を使わなければならないもの。そんな事をしたら、私たちも精霊だとばれて、人間に追われることになってしまうわ」

 答えたのはコハクだった。

「人間は馬鹿だから、見ただけでは私たちが精霊だって分からないの。けど、霊力を使えばたちまちばれる。……それに、仲間が人間に捕まった時点で、基本的には見捨てることが精霊たちの間で取り決めた約束。精霊にとって、より多くの仲間が人間の手から逃れ続けることが、今、最も先決なことなの。だから助けられない」


 霊力、というは精霊の力、という部分から作られた単語だろう。

 少し、自らを嘲るようにコハクは笑った。


「私たちのこと、薄情だと思ったかしら?」

「いや、別に。僕もかなり薄情な奴だからね。そこは批判しない」


 あっさりと雪路は告白してから、ふむ、と視線を白い精霊へと戻す。

 彼女の体に取り付けられている枷から、奇妙な気配が漂っていた。それは、精霊の体内のアニマを絶えず吸い続け、力を奪い続けている代物だ。

 精霊は人間に捕まった精霊を助けられない。

 取り決めだけでなく、おそらくあの鎖に触れた途端、力が出せなくなってしまう。おそらく、思考力も低下するのだろう。

 意志のはく奪。自由の拘束。


「……少しだけむかっ腹にくる程度の倫理は、僕も持ち合わせているけどね」

 雪路は自身の感情のままに、言葉を吐き出した。


「あ、来たぞ!」

 誰かが指し示す先。カツ、とやや力強い軍靴の音が辺りに響き渡って、歓声が沸き起こった。黒と金を基調とした軍服。腰には細い剣。揺れるのは、深紅の長い髪。海のように深い青の瞳。二十代前半の凛々しい顔立ちの女性が、人々の歓声に微笑して、手を振りながら、壇上へと上っていく。


「統一軍だ」

「軍?」

「そう。軍だ。この世界をアポストロから守る、という名目で、精霊を道具扱いする戦闘狂の集まりだ」


 女性が付けている腕章には、鷹を中心に据えた刺繍が緻密に縫い込まれている。

「イライナ様!」「今日もお美しいなぁ」


 男性陣が鼻の下を伸ばし始めた。確かに美人ではあるが、雪路はイライナと呼ばれた軍人の、その赤髪を見ただけで今までの経験が蘇り、嫌気がさす。

「ねえ、もしかしてイライナ様の精霊になるのかしら、あれは」

「あの方は見た目が美しい精霊しか持たないからな。確かにあの精霊は美人だ」


 女性は白い精霊に向かって歩いて行き、彼女の前で止まった。ぼんやりとした表情で、精霊が顔をゆっくりと上げれば、女性は精霊の白い髪を梳いて―――まるで紐を掴むかのように強く掴んで無理矢理立ち上がらせた。


(あー、痛い、痛い。あれは地味に痛いんだよな)

 雪路は思わず白い精霊に同情する。尤も、白い精霊は苦痛の表情一つ作らない。痛覚も鈍っているのだろうか。


「成程。白雪の精霊。これは珍しいな」

「ええ、ええ。イライナ様が気に入ると思い、急ぎ持ってきた次第でございます」

 商人は両手を擦り合わせながら、イライナに満面の笑みを作る。

「スヴィン殿はいつも、私の好みの精霊を持ってきてくれるな。礼を言おう」

「いえいえ。仕事ですから」

 へらへらと笑う商人から精霊へと視線を移した、イライナの全身に僅かに力がこもる。その手首にある、銀色のチェーンが強く輝きだす。


(―――え?)


 雪路は目を疑う。

 イライナという軍人の女性の、手首のチェーンから噴き出たのは、呪詛だった。いわゆる呪い。禍々しい気配が辺り一面に広がっていく。それは通常の人間ならば、体調を崩すほどの強い呪いなのだが、

「おお、始まった」「なんと神々しい」

集まった群衆の誰一人、その禍々しさに気づかない。呪詛は辺りに舞い、目の無い羽虫へと変化して、人間の体内から命の輝き―――魂を掠め取っていく。その一体が雪路へと向かってきたので、雪路は舌打ちをしてそれを指で弾き飛ばした。羽虫は「ヂ」と小さな声を上げて、消し飛んだ。


(たかが呪いが)


 雪路がため息を吐く傍ら。コハクが、雪路の行動に僅かに目を見開いたことに、雪路は気づかない。


 他の羽虫たちは細い六本の足でニいんげんの体内から徴収した魂の欠片を以て、イライナのチェーンへと収束し、吸い込まれていく。


「―――命ずる」

 イライナは謳う。

「我が名はイライナ・エベンスロ。今この時より、汝の父であり母であり、そして主人である。汝は力果てるまで我が命を護り続けよ。白雪の精霊―――汝は今より、フェリル―――わが剣である」


 そして、悲鳴だ。精霊の悲鳴が、辺りに劈いた。甲高い悲鳴だった。苦痛の悲鳴だった。呪いを掛けられた対象としては、至極まっとうな反応だ。

 そうしてフェリルという名を与えられた精霊の輪郭は崩れ去っていき、氷のような透き通った白い輝きへと変化して、イライナが持つ剣へと吸い込まれていった。


 辺りで歓声が沸き上がった。

「なんて美しい!」「おめでとうございます!」

 称賛の声に笑みを浮かべ、イライナが手を振る光景。


 傍から見ればまるで王の凱旋のようにも見えるのだが、今しがた起こった出来事を正確に理解できる雪路にとっては、呆れるような地獄絵だった。

 そして。不意にイライナは、手首のチェーンを見て、そこにできた僅かな錆びに、怪訝そうに眉根を顰める。



「何アレ」


 一連の出来事の後、身を隠すようにアデルとコハクと共に、路地裏に移動して、雪路はその場にしゃがみ込んでいた。

 異界探索は慣れていれど、今回は自分の経験が活きないために、完全にキャパオーバーだった。

 疲れ切った声色で尋ねると、答えてくれたのはアデルだった。


「人間が開発した契約術だ」

「はあ。契約。あれが。……契約術っていう名前を付けた奴は、“契約”という単語の意味を分かっていて付けたのか、疑問だね。本来は相互の合意の下で結ばれるのが契約だろうが。あれはどう見ても隷属の呪いだ」

「呪い……相手を目に見えない力で殺す、あの呪いのことか?」

「場合によっては魔法みたいな超常現象を呪いと称する世界もあったけど……まあ、その認識でも問題ないかな」


 こめかみを摩りながら、雪路は息を吐いた。

「どうなってんのさ、この世界……。隷属の呪いを“美しい”と称賛する人間がいるとか。僕、今、マジ気持ち悪いんだけど。あんな禍々しい呪い、久々に見たよ」

「……契約術をかけられた精霊は概念化し、精霊術士の武具に宿って、その力を振るわれることになる。本人の意思に全く関係なく、な」


 アデルもやや疲れた様子で、吐き出すように説明してくれた。

 それは、正しく呪いである。

 チェーンを媒介に、呪いを発動している、というところか。呪いの発動に必要な魔力の代わりに、他者の魂を削り取って使い、精霊を隷属させる。

 利点が精霊術士と呼ばれる人間たち以外には存在しない、戦い方を持たない人間たちに対する呪いだ。


「そんな非道極まりない契約術にいつ捕まるとも分からないのに、よく人間の中に紛れようと思えるよね」

「食材や衣類とかは、人間の居住区に来ないと買えないから、仕方がないのよ」

「ああ。成程」


 人間と同様に食事と睡眠を必要とする精霊。その種類の精霊とは出逢ったことがあるので、雪路は即座に理解した。

「そりゃ難儀なことで……っと」

 雪路はよろつきながら腰を上げ、背伸びをする。

「さて。僕はもう行くよ。ここまで案内、ありがとさん」

「一人で今後、大丈夫なの?」

「ま。古跡獣っていうヤツが古跡にしかいないのなら、そこを避ければいいだけだし。なんとかなるだろ」

 コハクがやや心配そうな声音で尋ねてくる。対し、雪路は素知らぬ顔で肩を鳴らし、体をほぐす。


「何より、この世界には偶然不時着しただけだから、あまり関わるつもりが無いから。それなのに世話を見ろ、とか、それ単にムシの良い話でしかないから。借りを作りたくないし」

 それじゃ、と軽く手を振りながら、雪路は特に振り返らず、精霊の兄妹の元を後にする。

 あまりにもあっさりとした別れだったが―――これが常であるため、雪路は気にしてもいなかった。



 そして、精霊たちと別れるというこの行動を、雪路は数十分後、後悔することになる。


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