裏エピローグ
ジャンヌ視点のエピローグになります。
何故にユーグが功績を挙げられたのか、の裏事情が少し明かされます。
私は、また、夢を見ていた。
あの素敵な50年余りの夢を、ザッピングして。
ユーグとずっと過ごせた夢の時を。
そして、目が覚める度に、再度、決意する。
今度も現実のことにしてみせよう。
それにしても、ユーグって、実は腹黒いというか、腹芸ができるのだ、とあの夢というか、異世界の経験で私は知った。
何故に、あの異世界というか、ユーグが生きていた世界では、フランスは世界第三位の大国だったのか。
それは、あの世界で、インドシナ紛争やアルジェリア独立闘争が、史実のような泥沼化、過激化せずに、穏やかな方法でフランス本国からの分離独立を果たせたからなのだが。
それは、ユーグの裏人脈のなせる業でもあった。
もっとも、その代償として、ユーグは北アフリカ総督を最後の顕職として引退したのだ。
その人脈は、決して表に出せるものではなかったから。
だから、実際にそうだったのだが、ユーグは年を取って病身の身になったことを理由に、フランス大統領への就任等を固辞する羽目にもなった。
そして、その人脈をユーグが作るのには、私も実は一枚噛んでいるのが皮肉な話だった。
かつてのユニオンコルスの「首領の中の首領」レイモン・コティは、私が童貞を奪った男といえる。
だから、ユーグとコティは同じ女、私を共に抱いたいわゆる兄弟仲ともいえる。
それ故に、コティはユーグに親近感を直接に会う前から覚えていた。
(なお、私のかつての相手の一人が、そんな人間だった等、ユーグ自身は第二次世界大戦が終わる直後まで知らないままだったらしい)
また、ユーグもインドシナ総督になった際に、ユニオンコルス等、裏の組織とのコネクションの必要性に気が付くことになった。
そして、どうやってお互いに接触し、肝胆相照らす仲になったのか、私には精確なところは分からないが、少なくともユーグがインドシナ総督になってから、1年も経たない内にユーグとコティは、そういう関係になっていた。
ユーグは表立って、コティは裏から、インドシナの独立運動を穏健派と強硬派に分断して、徐々に強硬派を潰していく工作に勤しんだ。
そして、フランス本国にも、二人は二人三脚で表と裏から政治工作を行った。
二人が目指した落としどころというのが、インドシナの分離独立は認める。
但し、ベトナム、ラオス、カンボジアの三国に分裂させ、フランス連邦に入って、フランスの属国になるのが、条件というものだった。
性質が悪い、胸が悪くなる話かもしれない。
だが、フランス本国内で、植民地の完全放棄となると世論の抵抗感が強い。
かと言って、第二次世界大戦で国力を損耗したフランスの国力は、植民地維持を許さない。
そういったところからの落としどころを読んだうえでの政治工作だった。
なお、コティには、いわゆる「黄金の三角地帯」を、ある程度、抑えるという目的もあった。
21世紀の今でもそうだが、ラオス、タイ、ビルマの三国が境界を接する一帯は、麻薬の原料となるケシの一大産地なのだ。
そして、ユーグの陰ながらの支援で、コティはその目的を、それなりに果たしたらしい。
その結果が、流血をあまり伴わないインドシナの独立だった。
それと似たような方策を、北アフリカ総督の際に、ユーグはまたも講じた。
アルジェリアが、そんなに血を流さずに、双方に恨みを余り遺さずに果たせたのも、ユーグとコティの尽力によるものだ、と私は覚えている。
私の今の身体に流れる血は、半分以上は日本の血、でも、半分近くはフランスの血なのだ。
そのフランスの血を考える程、彼をまた手に入れたい、という想いが私はしてしまう。
そうすれば、フランスは栄光をまた勝ち取れるのではないか、と私はつい夢を追ってしまう。
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