第25話
第二次世界大戦の想い出は幾つもある。
時として、最初の人生(前世)の時と、今回の人生の時とが入り混じってしまう。
最初の人生の時は、平凡な市井の庶民(というには少なからず裕福だったが)として、その時を過ごした。
今回の人生の時は、代議士として、国政の奥にまで少なからず立ち入って、その時を私は過ごした。
今回の人生の中で、第二次世界大戦の出来事として、個人的に最も印象深く覚えているのは、息子の総司と(義理の)娘婿の土方勇が共謀して、夫のユーグ=ダヴー(野村雄)に暴行を加えたことだ。
どうせたかが親子喧嘩だから、内々に済む、と私は看過していたのだが。
気が付けば、英米等まで巻き込む準国際問題といえる事態となり、土方勇志伯爵の嫡男にして、土方勇の実父の土方歳一が、公式にフランス陸軍総司令部に謝罪のために訪れる羽目になってしまった。
全く、何で親子喧嘩が、国際問題になってしまうのだ、と私は第一報を聞いた時に溜息を吐いた。
なお、この件で私はあらためて知ったのだが。
第一次世界大戦時、米内光政現首相は、夫の直属の上官を務めており、鈴木貫太郎現枢密院議長は、夫の所属する第三海兵師団の師団長で、夫の現地除隊に二人は協力してくれたそうだ。
そのために、国会等で二人と私が顔を合わせた際に、二人から、ここまでにあなたの夫がなるとは思いませんでしたな、と私は声を掛けられてしまった。
また、娘の千恵子の結婚の際に、林忠崇(元帥海軍大将にして)侯爵や北白川宮成久王殿下の手を、夫は煩わせて、土方伯爵家との結婚ができてもいる。
私は、夫の周囲の巻き込み体質(首相や皇族、外国政府まで巻き込んでしまう)の怖ろしさを、あらためて実感する羽目になった。
なお、この夫の周囲の巻き込み体質は、後々にも発揮され、私が三期目の連続当選を逃す一因になった。
そして、最初の人生の時と、今回の人生の時の経験が入り混じる原因だが。
正直に言って、大局的にはそう変わらない第二次世界大戦の流れだったからだ。
最初は独ソの大進撃があり、ポーランドは独ソで分割され、満州の大部分はソ連が制圧するという事態が起きた。
また、東京を始めとする日本各地には、ソ連空軍の空襲が加えられ、日本の通商路は、ソ連海軍の潜水艦部隊の跳梁に悩まされた。
だが、米国を始めとする連合国側の大反撃が始まると。
1941年秋には独がまず単独で無条件降伏に応じた。
そして、1943年の終わりまでに、ソ連、共産中国も組織的抵抗は事実上終わった。
その後も、ソ連、共産中国の正式な無条件降伏受け入れは無かったから、ある意味、第二次世界大戦は永久に終わらなかった戦争だった。
だが、連合国が占領地に樹立した傀儡政府と連合国間の講和条約が最終的に締結されたことで、表面上は第二次世界大戦が終結したという事を、日本政府を始めとする多くの人々が認め、言うことができるようになったのだ。
なお、ソ連政府、共産中国政府は、スターリンを始めとして多くの政府高官が生死不明に、21世紀になってもなったままだ。
彼らは、21世紀になってもシベリアや中国奥地で抵抗運動を指揮している、と一部の者はいい、実際にスターリンの名等で抵抗運動が続いているが、年齢的にとうに死んでいる筈で、その名を騙る偽者だろう。
第二次世界大戦では、息子の総司も、娘婿の土方勇も無事に生きて還った。
勿論、夫のユーグ=ダヴーもだ。
夫は、この世界大戦で「20世紀の不敗のダヴー」の名を轟かせる戦果を挙げた。
1943年にスターリングラードを陥落させて、第二次世界大戦のソ連の敗北を最終的に決定づけた仏第6軍の司令官は、大将にまで昇進していた夫だったのだ。
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