第23話
そんな話もあったのだが、時というものは容赦なく過ぎていき、世界情勢は徐々に悪化していった。
1931年の満州事変は、結果的には1937年の中国内戦再開の前哨戦といっても過言では無かった。
1937年に中国内戦は再開され、立憲民政党の宇垣一成内閣は総辞職を余儀なくされ、立憲政友会の米内光政総裁による米内内閣が成立する事態が起こる。
また、欧州では、独でヒトラー総統率いるナチス党独裁が樹立されてしまった。
既に、ソ連と言う国家が成立しており、また、中国本土では名目上は中国国民党が命脈を保っていたが、実際には中国共産党が事実上の一党独裁体制を築くことに成功しており、ウラジオストクからラインのほとりに至るまでの広大なユーラシア大陸の大部分が、独裁国家に支配されるという事態が起きたのだ。
更に、その三国は周辺諸国への強硬な態度を隠そうともしなかった。
そうしたことの余波は、私の足下にも容赦なく押し寄せた。
「それでは生きて還ってきて。勿論、お義父さまのようなことはダメよ」
「中国大陸への出征が決まってから、何度目の科白だよ。その度に、そうする、と僕は言ったよね」
「その態度が不安を掻き立てるのよ」
私の息子、野村総司と、嫁の野村美子が、私の眼前で犬も食わない夫婦の口喧嘩を始めた。
私はため息しか出なかった。
こんな新婚夫婦の半ばいちゃつきからくる喧嘩を見せつけられる立場の私を、二人は少しでも考慮してくれないだろうか。
私は、こんな夫婦喧嘩をすることもなく、夫のユーグは、ジャンヌの下に奔ったのだ。
本当に、ユーグが戦死した本来の世界の方が、私は幸せだったのではないか。
そんな私の内心の想いを忖度等、二人がする筈もなく、1938年の3月に夫婦喧嘩をしつつも、二人は仲良く夜の生活をして、美子は結婚してすぐに妊娠、私に初孫をプレゼントしてくれた。
1938年12月、実父の岸三郎や嫁の野村美子と同郷している横須賀の自宅(所有名義は実父の岸三郎)で、私は初孫の優をあやしながら、物思いに耽っていた。
先日、ミュンヘン会談の結果を受けて、衆議院選挙が行われ、今度は小泉又次郎に選挙戦で私は勝利を収めることが出来た。
だから、素直に公私共に幸せになれた、と喜びを私は素直に噛みしめてもいい筈だった。
でも、でもだった。
中国内戦は、史実と同様に泥沼化しつつあるようだ。
21世紀において、中国本土で日常的に中国語を話す人間の数と、世界中で日常的に日本語を話す人間の数は、そんなに変わらず、むしろ日本語を話す人間の数が多い、という半分冗談めいた話を、今の夫の生まれ変わりで、21世紀の私の従兄はしていた。
それだけ多くの中国本土の人民は、この第二次世界大戦で亡くなったのだ。
どういう経緯でそうなったのか、何年の戦争の結果、そうなったのかは、今の私には分からないが。
ちなみに、村山愛の記憶のあるこの世界の村山キクも、この件は肯定している。
そんな地獄のような戦争を、日中は行うことになるのだ。
必然的に、多くの日本人も死ぬことになるだろう。
その際に、間違って総司が死なないと誰が言えるだろうか。
史実とは違う歴史が流れているのは、ジャンヌが12人もの子を産み、私が衆議院議員になったことで間違いはない。
だから、何があってもおかしくはない。
来年の秋、土方勇が海軍兵学校を卒業次第、野村千恵子は土方勇と結婚することが内定し、婚約が先日、正式に発表されたが。
この世界ではその結婚式が終わるまで、平和が色々な意味で保たれるだろうか。
私は考えれば考えるほど、不安が高まる一方だった。
総司、死なないで、そして、雄も。
私は思わず心からそう願わざるを得なかった。
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