第10話
その頃の欧州では、夫の野村雄とジャンヌ=ダヴーが、そんな想いを巡らせていたこと等、当時の日本にいる私には思いも寄らないことだった。
私は目の前の育児や、その他の諸々の事に追われる現状があった。
「忠子さん。本当にすみません」
「いえ、別にお気になさらず。私の子でもありますから」
この頃までに会津を引き払い、横須賀に一家で移り住んでいた篠田りつは、月初めになると、私に千恵子の養育費を貰いに頭を下げて来て、上記のようなやり取りをする。
その度に、私は(内心で)溜飲を下げていた。
村山キクじゃなかった村山愛からは、前世に戻ってから私の性格が悪くなっていない、と突っ込まれるが、私にとってはいい気味だ、としか思えない。
何しろ、前世では上官の娘をかさに着て略奪婚をした、とりつに(主に会津で)私は悪評を流されまくり、野村の本家は離散し、岸家までその余波を食らうという被害を被った。
幾ら世界、歴史の流れが違うとはいえ、許せることと許せないことがあるのだ。
りつにこんなことをさせるのは、私にとって(隠れた)腹いせだった。
その一方で。
史実通りに私の長兄は、アルプスの麓、チロルで独墺軍と戦い、戦死していた。
このために、私の実家、岸家では跡取りをどうするか、というのが隠れた問題になった。
私の実家、岸家は、私から見て兄二人、姉一人の4人兄弟で、長兄が死んでも次兄が、一応はいる。
でも、長兄が死んだ場合、次兄が跡を継ぐというのには、家族皆が首を捻る有様だった。
何故かと言うと、私の次兄は病弱で、海兵隊に入って軍人になるどころか、大人になっても、しょっちゅう体調を崩して寝込む有様だったからだ。
だから、父が色々とコネ等を駆使して探し出した事務職仕事で、次兄は自身の糊口を凌いでいた。
そのために次兄が結婚して、子どもを作って育てて、というのは無理だ、と私も両親も姉も、更に次兄自身も達観していた。
「兄がアルプスの麓で戦死して、子どもはいなくて。弟は病弱で。私の所は娘ばかり。いっそ、将来的には総司の弟を岸家の跡取りにするのは、どうかしら。私の夫は娑婆の人間だけど、あなたの夫は海兵隊士官でしょう。強い男の子が、もう一人はできるわよ」
姉は私に(おそらくだが)無邪気にそう言ってくる。
その度に、私は無言で考え込んでしまう。
姉は言うまでもなく、ジャンヌが産んだアランのことは知らない。
だから、夫の雄が帰国した後、私とやり直して、私が雄との間で産む子を岸家の跡取りにという趣旨なのが、私の頭の中では分かっている。
でも、何となく、アランを野村家の跡取りに、総司を岸家の跡取りに、という趣旨で言っているのでは、という疑念が私の頭の中で浮かんでしまう。
この後の歴史の流れが、私には精確には分からない。
でも、雄が戦死した世界の歴史では、私がかつていた世界の21世紀の現況を考えれば、総司が岸家を継いでいるのは自明の理だ。
そして、歴史の流れの異同を少しでも縮めるのなら、アランが野村家の跡を取り、総司が岸家の跡を取る方が無難だと言える。
しかし、それは断じて飲めない話だ。
アランを野村家に迎え入れることは、私にはできない。
まだ、野村のこの家を廃家にして、岸家に戻って、雄を岸家の跡取りにした方が私にとってはマシだ。
そう考えたことから、この頃から、私は夫の雄に、岸家の入り婿になる気はないか、と手紙で示唆するようになった。
だが、このことは夫との仲に更に隙間風を吹き込ませたことに、私は後で気づいた。
私の手紙を読んだ夫は、私が自分の野村の家を軽んじている、と考えるようになったのだ。
私達が逢って話せないこともあり、夫は重大な決意を秋にしてしまった。
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