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黒色の彼女

作者: さち

 猫と人間のちょっと不思議な物語をお楽しみ下さい。

 桜の蕾が色付き始めた頃、俺は社会人になった。長い就職活動を経て、何とか掴んだこの携帯ショップの店員という職。飲食店のホールのバイトを四年間してきた俺にとって、その仕事は新鮮でもあった。


 そんなある日、いつものように開店前の清掃作業をしていると、自動ドアの向こうに一匹の黒猫がちょこんと座っているのに気が付いた。


「珍しいお客さんだな。でもごめんな、まだ営業時間じゃないんだ。って言っても、猫は携帯なんか使わないか」


 硝子の向こうの黒猫に向かって独り言のように呟く。そんな俺を見て、猫はにゃあと返事をしたように思えた。


「あら、猫ちゃんじゃない。ペットショップと間違えて来ちゃったのかな?」


 そう言って俺の隣に座ったのは、先輩の門倉かどくらさんだ。年上で仕事が出来る、謂わばキャリアウーマンである。


「みたいですね。俺猫好きなんですけど、猫アレルギー何ですよね」


 俺は硝子越しに黒猫を見つめながら呟いた。


「それは、可愛そうね。でも、アレルギーで猫好きって珍しいわね」


 アレルギーであろうと、この愛くるしい生き物は大好きのである。実家では長年犬を飼ってきたが、物心ついた頃から俺は猫好きだった。勿論、飼っていた犬も大好きであったが、本音を言うと猫が飼いたかった。しかし、俺同様母親が猫アレルギーという事で、猫を飼う事は断念したのだ。


 そんな愛しの猫がこうして目の前で俺を見ているというのは、幸せであることこの上ない。


「さっ、さっさと掃除終わらせるわよ。矢澤やざわくんも、猫ばっか見てないで、外の掃き掃除もしてきて」


「俺、外行ってきます!」


 外に行けばもっと猫の近くに行ける。そう思い、自動ドアの鍵を開け、外に出ようとした瞬間、それまで座っていた黒猫は慌てて走り出してしまった。


「ああ・・・、行っちゃった・・・」


 結局、この日はこれ以降その黒猫が訪れる事は無かった。






 その三日後の昼休み。いつもの定食屋から店に戻ると、この間の黒猫がまたしても自動ドアの前で座っていたのだ。俺は思わず写真を撮ろうとスマホを取り出す。しかし、慌てた為か、スマホは手からこぼれ落ち、猫の傍に落下した。


「わっ!危ねっ!」


 猫に当たっていたら大変なことになっていだろう。幸いなことに猫も画面も無事だった。俺はスマホを拾おうと手を伸ばすと、猫が俺のスマホの画面を叩いているではないか。いつの間に内カメになったその画面で、猫が叩いていたのはシャッターのボタン。カシャッカシャッと何枚も写真が撮られ、俺のフォルダーに猫の自撮りが溜まっていった。


「ああ!ちょっと猫ちゃん!何してる・・・ハックション!!」


 猫はカメラが気に入ったのか、夢中で画面を連打している。それを邪魔するのも悪いと思い、無理に奪う事も出来なかった。


「困ったな・・・。あ、そうだ!」


 ある事を思いついた俺は、店に戻ると奥から一台のスマホを持って来た。


「猫ちゃん、これあげるからそっち返してくれないかな?」


 そう言って猫の横にそのスマホを置く。すると、新しいスマホを気に入ったのか、猫はそのスマホを口に咥え、何処かに行ってしまった。


「猫って、スマホも咥えられるんだな」


 肉球の跡で曇った画面のスマホを拾い上げると、俺は仕事に戻った。




「ちょっと矢澤くん!何で、サンプル品を猫にあげたりなんかしたの?」


 その日の仕事終わり、俺は門倉さんからきついお説教を受けていた。何故なら、俺が昼休みに店に置いていたサンプル品のスマホを猫にあげてしまったからだ。


「いや・・・、猫もスマホを気に入ってたみたいなので・・・」


「あのね、猫はスマホ使わないでしょ?猫にサンプル品あげてどうするのよ。まあ、あれは写真が撮れるのと、Wi-Fi環境じゃないと通信が出来ないから、特に困るってことはないんだけどね」


「良かった」


「ただ!勝手に猫にサンプル品をあげたのは良くないわよ!今後はそんなことしないようにね!」


 猫がスマホを使えるはずがない。きっと今頃、あのスマホは猫の玩具になっているのだろうとそんなことを考えていた。






 そんなある日、仕事から家に戻ると、普段から使用しているSNSにて、知らない人からフォローされていることに気が付いた。


「「クロ」?誰だこの人。知り合いにそんな人いないしな」


 見ると、先日始めたばかりらしく、一人目にフォローしたのが俺だった。


「変な人ではなさそうだし、フォローしとくか」


 SNSにおいて来る者拒まずのスタンスの俺は、とりあえずその人をフォローすることにした。






 仕事も徐々に慣れ、最近は紫陽花が見頃を迎えていた。


「あら、またあの黒猫ちゃん来てるわよ」


 客足が渋るこの時期は、暇を持て余していることが多い。そんな時ふと入口に目をやると、あの黒猫が雨宿りをしているのである。


 俺がスマホをあげてからというものの、この黒猫はしょっちゅう店に来るようになった。ある時は開店前の時間。ある時は昼前。ある時は閉店間際に。自由気ままな正確な猫らしい来店だった。


「最近じゃ、うちの看板猫ですね」


 店に来る猫の噂はたちまち広まり、今では猫目当てに店に来る人も増えていた。こちらとしては、携帯を契約しに来て欲しいというのが本音である。


 濡れた顔を乾かすように、猫は顔を洗った。




「『今日も雨。そろそろ洗濯したいな・・・』っと」


 俺は家に帰ると溜まった洗濯物を横目に、今の心境をSNSで呟いた。すると数分後、いつものようにあの人からコメントが来た。


『梅雨って嫌ですよね!私も湿気が多いので困っています・・・』


 その送り主は「クロ」さんだ。俺がフォローしたあの日以来、俺の呟きに対してクロさんはよくコメントをくれる。何でもないことにコメントが来る度に、まるでクロさんと会話をしている様な気分になった。


「やっぱり、女性は湿気が多いと大変だよな」


 これまでのやりとりから想像するに、どうやらクロさんは女性らしい。といっても、実際にクロさんを見た訳ではないので、本当に女性なのかは定かではないが、きっと物静かな落ち着いた女性なのだろうと勝手に想像している。


「それにしても、この洗濯物の山はまじでどうにかしないとな・・・」


 俺は明日の天気予報を見て溜め息を吐いた。






「矢澤くん、外に水置いた?」


 蝉の声が鳴り響く頃、うちの店では店先に水の入った皿を置くのが日課になっていた。それは、常連であるあの黒猫の為だ。自動ドアの隙間から漏れる空調の冷気を求めてか、ここ最近、黒猫は日中いつも店先に来ている。


「置いてありますよ。門倉さん、俺が忘れる訳ないじゃないですか!」


 猫好きたるもの、猫の水を忘れるはずがない。


「それならいいんだけど。それにしても矢澤くん。最近仕事の調子といい、表情も良いわね。何かいい事でもあった?」


 そう言って、門倉さんはニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んだ。


 特別これといって何かがあった訳ではない。ただ、最近SNSでのクロさんとのやりとりが日々の楽しみの一つになっていた。今までろくに女性と関わりが無かった俺にとって、クロさんとのやりとりははじめてとも言える女性とのコミュニュケーションなのだ。楽しくないわけがない。


「まあ、仕事が疎かにならないようにプライベートも頑張りなね」


 炎天下の気温の中、今日も黒猫は店にやって来た。






『私この時期の雰囲気好きなんですよねー。何か、人恋しくなるというか』


 季節はすっかり移り変わり、外は肌寒くなっていた。


 クロさんとのやりとりは未だに行われており、最近では俺からクロさんにコメントを送るようにもなり、互いがコメントを送り合うようになっていた。


「人恋しいかぁ。俺はいつも人恋しいよ」


 そう思いながらも、入力はしない。そんなことをクロさんに言ってしまったら、気持ちの悪いセクハラ親父と一緒になってしまう。俺はクロさんに対して下心があってこうしてやりとりをしているのではない。単純に、クロさんが人として、女性として魅力的だと感じているからこうして会話のように話をしているのだ。そう言えば聞こえはいいが、それを行っているのはSNSというネットの世界でのやりとりなのだが。


「一回でいいから会って話をしてみたいな」


 いつしか俺はそんなふうに考えていた。






「やあ!猫ちゃん!今日も来てくれたの!」


 雪の降る日の昼休み。常連さんは今日もドアの前でくつろいでいた。


「こんな寒いのに来てくれるなんて、俺はうれ・・・ハッ、ハックション!!・・・嬉しいよ・・・」


「はっはっはっ!なんだ矢澤くん、やっぱりアレルギーは出るんだな」


 ムズムズした鼻を啜りながら、寝転ぶ猫を写真に収めた。


「それにしても、この猫よくうちの店に来るよな。そんなにここが気に入ったのか?」


 そう言って門倉さんは猫じゃらしを使って猫と遊び始めた。猫じゃらしの範囲になると俺はくしゃみが止まらなくなるので、遊び相手はいつも門倉さんがしている。正直羨ましくて仕方ない。


「俺がスマホをあげてからずっとですもんね。それ以前は来てなかったんですか?」


「矢澤くんがここに来る前は来てなかったわよ。てか、そう言えば矢澤くん、猫にスマホあげてたわね!あれどうしちゃったのかしら


 どうやら門倉さんは、俺が言わなければ忘れていたようだ。あの日はあんなに怒っていたのに、月日が経てばどうでも良くなることもあるんだな。


「そう言えばどうしたんですかね?あの日咥えて持って行っちゃいましたからね。あっ!もしかしたら、影でこっそりスマホを使って電話してるかも知れませんよ!」


「電話って誰によ?」


「うーん・・・、親猫?」


「そんな訳ないでしょ。それに、あのスマホは通話はできないやつよ」


 そういえばそうだった。だとしても、俺だって冗談で言ったのに、門倉さんは冗談が通用しないんだから。


「でも、今年は例年に比べて寒くなるっていうから、この猫ちゃん大丈夫かしら」


 そんな俺らの心配を他所に、黒猫は気持ちよさそうに再び眠りについた。






『最近寒くて困りますね』


 家に帰るとクロさんからコメントが来ていた。そんなクロさんからの何気ないコメントに対して俺は何気ない返事をした。


『本当に困りますね。クロさんはこの冬の予定とかあるんですか?』


 俺は何も考えずそんなことを送ってしまった。俺は別にクロさんを誘おうとか、そんなことを考えていた訳ではない。それなのに、気が付くとそんなことを送っていたのだ。俺は慌てて弁明しようかと考えたが、そんな俺よりも先にクロさんからコメントが来た。


『私ですか?私は特に無いですね。ザワさんは何か予定あるんですか?』


 何と、普通に返事が帰ってきたのだ。「ザワ」とは俺のSNSでのハンドルネームのようなものだ。そしてあろう事か、クロさんは俺の予定を聞いてくれたのだ。これは、デートのお誘いをしていい流れではないか。一瞬そんな邪な考えが過ぎったのだが、如何せんデートの誘いなどしたことがない俺にとって、ネットで知り合った女性にデートの誘いなど出来るわけがなく、何とも普通のコメントを返してしまった。


『実は俺も予定が無いんですよねー』


 きっとクロさんもこんな俺にガッカリしたはずだ。そう思っていると、次のコメントが来た。


『そうなんですか!何か、私達似てますね』


 俺を慰めてくれているのか、可愛らしい絵文字で文末が飾られていた。俺はクロさんに気を使わせてしまったのかもしれないと、後悔した。すると、またしてもコメントが送られてきたのだ。


『でも、これだけ寒い毎日だと私は動けなくなっちゃいますね』


 突然送られてきたこれまでの文脈から少し外れたそのコメントは、どことなく寂しい印象を受けた。理由は特にある訳ではない。ただ、何となく、胸騒ぎがしたのは確かだ。






 その翌日、定時に退勤した俺だが、あまり心晴れやかではなかった。その理由は店の誰もが同じだった。


「今日はあの猫ちゃん来なかったわね。いつも来てたのに、ちょっと心配ね」


 そう言って門倉さんは水の入った皿を片付けた。


「あの猫って、首輪してなかったから野良猫ですよね?だとしたら、どっかで暮らしてるんですよね?」


 首輪をしていなかった黒猫はいつもこの店に来ていた。それは遊びに来ていただけで、何処かに住処があるのだろう。そう考えていた。しかし、住処があったところでそれが野外だとしたら、この寒さではいくら猫でもたまったものではないだろう。そんな時、クロさんからのコメントを思い出していた。


『でも、これだけ寒い毎日だと私は動けなくなっちゃいますね』


 昨夜の胸騒ぎが再び訪れる。何故こんなにも嫌な予感がするのか。俺はいてもたってもいられなくなり、黒猫を探しに町に飛び出した。


 雪の降る町を深夜まで探し回ったのだが、黒猫を見つける事は出来なかった。




 その翌日から、店にあの黒猫が来る事はなくなった。そして、あの日以来クロさんからのコメントも途絶えてしまった。


 クロさんが最後に送ったコメントが未だに理解出来ないまま、季節は春を迎えてしまった。




『貴方とお話しできて楽しかったです。今度は、もっと近くにいられるようになりますね』

 最後まで読んで頂きありがとうございます。この作品はネットで企画した「#リプで来た3つのお題で小説書く」というものの一作品となっております。今回のお題は、「四季」「猫」「携帯」の3つでした。相も変わらず、自分テイストの物語となりました。

 今後もこの企画をやる予定ですので、気になる方は是非参加してみてください。

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