93 いざ、天空へ
ルーのゲートをくぐって地下都市の洞窟に転移した俺達は、マシンゴーレムが最後に残した魔法陣の前へとやってきた。
「剣聖の里に行けなくなったのは勿体ねぇが、まぁこれはこれで面白ぇかもしんねぇなっ!」
「剣聖ソウマ………ゼロ、必ず俺が倒す。」
「そういえば、あの少年はナインの実家であるシュバルツベイン家の創始者で、その全てを彼が牛耳っているという話だったね。つまり、これからはそのシュバルツベインの暗殺者も敵になるって事なのかな?」
「シャハハハッ、そりゃ最高にいいじゃねぇかっ!退屈しなくて済みそうだぜ!?」
クリムゾンクローのメンバーはこれから起こる未来図に戦闘脳が目覚めてしまっているようだ。皆さん目がギラギラしている。そんなガチバトル展開、俺としては本気で勘弁してほしい。
ナインもソウマと対峙し、いろいろと思う所があったようだが、その後の復興を手伝っていた期間で何やら決意が固まった様子である。
少し話を聞いたが、シュバルツベイン家ではどうやら暗殺者としての洗脳教育が施されており、ナインはそれを享受できず、最終的には隙を見て家を離れたそうだ。ナイン以外の者は生粋の暗殺者であり、彼は裏切者として捕縛もしくは処分の対象となっているらしい。
ちなみに、ソウマがナインの事を九番目と呼んでいたので九人目の子ども、あるいは強さの順位が九番目なのかと思っていたのだが、実際は九代目次期当主という意味であり、ソウマにとっての九番目のオモチャという意味のようだ。
「フム。それで、魔法陣の発動方法は分かるのか?溝が掘ってあるなど、珍しい形のようだが?」
「そうだね。私の魔力には何も反応しないようだけど………。何か仕掛けがありそうな感じだね。」
クレイとクリシュトフがこちらに視線を向ける。
クリシュトフの説明によると、普通の魔法陣は魔力をインクのようにして模様を描き、そこに魔力を流すことで魔法陣上の魔力が反応して魔法陣が発動するという仕組みらしい。
しかし、今回の場合は単に地面に魔法陣の溝を掘ってあるだけで、魔力が付与されていないため、魔力を流しても発動しなかったようだ。
要するに、今回のこれはただの落書きと同じだと言いたいようである。
「へぇー、そんなの初めて知ったよ。俺は他のを見たことないから、これが普通なのかと思ってた。じゃあ今回もアレを使うのかな?」
「えぇ、そうね。もう残り少なくなってきてたから、アーサーがへこんでる間にアリアスに転移して補充しておいたわ。」
そう言ってルーが魔法の鞄から取り出したのは一本の瓶。最近、ピンチの場面では大変お世話になっている俺のリーサルウェポン。毎度お馴染み、銀の液体である。
「それは何だい?」
クリシュトフを筆頭にクリムゾンクローの面々は揃って首を傾げている。
「これは魔酒って呼ばれてる謎の液体だよ。正式名称は『魂の誘い』、またの名を『ソールイーター』っていうんだ。」
「なにぃ!おめぇ今、ソールイーターって言ったかっ!?」
その言葉を聞いて、急にガディウスが目を見開いて俺に詰め寄ってきた。どうやら知っているようだ。だが、それよりも今は俺の肩を掴むその手を離して欲しい。無駄に強い握力で肩が潰されそうだ。
「ギブギブッ!痛いっての!!言ったよ!ソールイーターだよっ!!」
「おぉ、わりぃ。………はぁ、マジか。おいおい、ついに見つけちまったぜ。」
我に返った様子で手を離したガディウスだったが、その顔はみるみる弛緩していった。なんというか、こういうのを恍惚というのだろうか。
キリウやクレイからも唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「なぁ、一口飲ませろよ!昇天するくれぇにすっげぇ美味いんだろ?噂聞いて以来、俺達ずっと探してたんだよ。いいだろ?」
肩に手を回して顔を寄せてくるオッサンの目にはちょっと怖いものがある。見れば他のメンバーもエサを目の前にぶら下げられた野獣のような目つきだった。
(こいつら………戦闘脳に加えてアル中とかじゃないだろうな!?どんだけ酒好きなんだよ。)
彼らの目つきに身の危険を感じつつも、俺は断固として拒否の姿勢を示した。
「絶っっ対無理!これ、本当に危険なんだよ。ここで倒れられたら本気で困るからっ!運ぶのも面倒だし、下手したら死ぬからね?RPGじゃないんだから棺桶引き連れて新天地なんて、俺、絶対嫌だからね?」
「だーいじょぶだって!心配すんなよ!一口だけでいいからよぉ!なぁ、いいだろっ?」
「ケケッ、ガディウスにはやんなくてもいいから俺に飲ませろよ!俺の事は信頼してんだろ?」
男二人が顔を近付けてくる。男に迫られて一体これは誰得なんだろうか。むさ苦しいことこの上ない。
(あーあ、これが女の子ならオーケーなのになぁ。倒れた後はおんぶしてあげる特典まで付けるのに………。)
両サイドから硬い頬を擦り付けられている現状を淡い妄想で現実逃避していると、冷ややかな眼差しをこちらに向けているルーと目が合った。やましいことなんてないはずなのに思わずギクリとしてしまう。
(なんなんだ、そのジト目は。まさか俺の妄想が見えるわけでもあるまいし。)
すると、気を取り直したようにルーは微笑みを見せた。
「ふふっ、魔酒ならちゃんと後で死ぬまで飲ませてあげるから、さっさと準備なさい?」
ルーのその言葉に身の危険を感じたキリウとガディウスは、ごねる事無く青い顔のまま足早に魔法陣の中へと入っていった。気持ちは分からないでもないが、どんだけルーにビビってるんだよ。
続けてルーは俺へと近づき、耳元で囁いていった。
「あとアーサーも、これが女の子だったら即オーケーなのになぁ、なんてくだらない妄想はやめてね?あなたにはもう私という素敵な彼女がいるんだから、ねっ!」
「あ、あはは………。」
うっ、俺の脳内は大賢者様にはしっかりお見通しだったようだ。しっかり釘を刺されてしまった。
それにしても、なんか昔よりも洞察力が半端ない気がする。これはもしかすると付き合い始めたために起きた弊害なのだろうか。ちょっと早まってしまったかも、と少し後悔しているのは内緒だ。
「じゃあ皆、準備はいいな?」
皆が頷いたのを確認し、俺は瓶の栓を抜いて銀色に輝く魔酒を魔法陣の溝へと注いだ。
銀の液は溝を走り、やがて別方向を流れるそれと結び付いていく。そして、ついには魔法陣の溝を一繋ぎにした。
「発動するわよ。」
ルーがそう告げると同時に魔法陣が光を放ち始めた。それは一気に強さを増し、目を覆う程の強烈な光を生じた。
目を開けると、そこは今居たはずの洞窟内ではなかった。どこかの建物内だろうか。石造りの壁に取り付けられた窓からは暖かな陽光が差し込んでいる。
どうやら無事転移に成功したようだ。
目の前にある木製の扉を開き、外に出てみる。
「ここが天空………なのか?」
「………まさに絶景ね。」
「言葉になりませんね。」
「アーサー、ここ空の上?この白いの、雲?」
扉を開いた俺達の視界に飛び込んできたのは、澄み渡る広大な青天に高原を思わせる自然味溢れた大地と、その端を切り取ったように眼下に広がる白い雲の海。そして、その切れ間から顔を覗かせる地上の風景だった。
どうやら、ここは空に浮遊する島のようだ。
「そうみたいだな。」
俺が肯定してやると、クーデリカは目と鼻の先の距離に雲があることにひどく興奮しているようで、目を見開いて驚きを表現した。
「本当!?じゃあ、雲の上行ってみる!」
「雲の上はふわふわで跳ねるからな~………って、おいっ!!」
島の端ですぐ下を流れる雲を眺めていたクーデリカだったが、冗談を真に受けたのか、話もそぞろに雲に向かってそのままダイブしてしまったのだ。
もちろん雲に乗れるはずなどなく、クーデリカは頭から雲を突き抜け、視界から消えてしまった。
「げっ、まずいっ!」
「はぁ、相変わらず手のかかる子ね。『アースチェイン』。」
呆れたようにそう言って、ルーは魔法を唱える。地面から伸びた鎖が勢いよく雲へと走り、やがて対象を捕らえた。
巻き戻る鎖の先端には、足を絡め取られ、まるで生け捕りにされたように宙吊りの状態になりながら、雲の中から顔を出す世界の巫女様がいた。
「ふぅ。今のは私も焦った。」
「それはこっちのセリフだ!」
何とも神々しくない光景である。こんな青い顔した金髪幼女が世界を支えてるなんて、未だに信じられないのだが。
「雲には乗れねぇのか?じゃあ、雲って何なんだ?」
この世界には空を飛ぶ魔法はないため、雲というのは意外にも未知の存在のようだ。
「簡単に言えば、雲は水滴の集まりだよ。霧と同じって言えば分かりやすいかな?」
「………マジか。綿じゃねぇのかよ。それもおめぇのいた世界の知識か?」
「そうだよ。まぁ、子どもでも知ってるレベルだけどね。」
クーデリカやクリムゾンクローの皆は一様に「へぇ~」と驚嘆していた。
「ということは、アーサーの世界の人間は空を飛べるのかい?たしか魔法もマナもないって言っていたと思うんだけど。」
「えぇ、ないわね。あるのは科学という知識の結晶よ。積み重なった先人の知恵と飽くなき願いが、魔法にも似た無限の可能性を生み出していたわ。空を跳ぶどころか、月にも行っているわよ?それに離れた相手とも話ができるし、文字や映像を送ったりもできるわね。それも一般人レベルで!」
「なんだそりゃ?嬢ちゃん、からかってんのか?」
クリシュトフの疑問にルーがすかさず答えるが、ガディウスにはそのあまりにかけ離れた文化の違いをすんなりとは受け入れられなかったようだ。
そんなガディウスへセフィリアが一言加える。
「ガディウスよ、貴様は分かっていないな。アーサーの話では魔法も使えない世界なのに洗濯機があるのだぞ!?しかもそれは前時代の物で、今では脱水も、乾燥までもが一気にできるらしい。他にも数千キロ離れた場所に大爆発を起こすことも可能だという。それも指先一つでな。もはや理解不能。魔法とは比べ物にならない程、この世界よりも進んだ文明なのだ。」
勝ち誇ったように告げたセフィリアの言葉に、皆の顔は若干引き気味だった。
「アーサー………まさかお前、神か何かか?」
「雲よりも高く飛べるなんて、そんな事が可能なのかい?君がいた世界は本当に凄い世界だね。」
「いや、俺自身は何もできないからね?夢見た人間がそれを実現して発展したのが俺の世界の文明だよ。それに………んっ?なんだ!?」
そんなこんなで科学の凄まじさが説かれる中、突如として、俺達の直上を影が覆った。
それは視界に入りきれない程に巨大な朱色の体躯をしていた。
「おいおい、なんでこんな所にいやがるんだ?」
それは大きな翼をはためかせ、ゆっくりと地上へと降り立った。
「こいつぁ──」
手足の指には白く鋭い爪が生えており、獰猛な瞳でこちらを見据えてくる。
「──ドラゴンじゃねぇか!!」
俺達の前に悠然と現れたのは、一頭の緋色のドラゴンだった。