89 二人の距離
ラナの家を出ると、ルーが壁に寄りかかって座っていた。
「待ってたのか?」
「うん。どうやらもう大丈夫みたいね?」
「あぁ、心配かけてごめん。おかげでスッキリしたよ。」
ルーはどこか浮かない顔つきで尋ねた後、盛大に溜め息を吐いた。
「………はぁ~。本当は私がアーサーを元気にしてあげたかったのになぁ。あんなポッと出女に譲るしかないなんて、ほんっっと最悪っ!」
頬を膨らませて悔しさをアピールするルー。
「一応俺の恩人だからな?あんまり悪く言わないでくれよ?」
「分かってるわよ。ただ私じゃ何にもアーサーの力にはなれなかったなって。それがこの上なく歯痒いだけ。」
ルーはそっぽを向いてツンとしてしまった。俺は咄嗟にそんな彼女の手を掴む。
「そんなことないよ。」
そう言って、胸の中へと彼女を抱き寄せた。
「ちょっと、えっ? アーサー?」
あまりに突飛な状況にルーの思考回路はショートしてしまいそうになっていた。それはどぎまぎした態度となって現れていたが、そんな事などお構い無しに俺は背中に回した手を強めた。
「あの時、ルーが来てくれて嬉しかった。奇跡だって思った。でもその反面、ルーなら来てくれるんじゃないかって不思議と感じてた。」
「それは………たぶん私達の魂が繋がってるからだと思うわ。あの時のアーサーの強い想いが私に伝わって、だからアーサーがどこにいるのか分かったし、ゲートを開けたんだと思う。」
ルーは冷静を装って、あの場にゲートを開く事ができた原理を並べ立てる。
「今回の一件が落ち着いた時、考えていたんだ。ノアを失って、遅かれ早かれ今度はルーも狙われる事になるんだって。敵には世界の巫女やら剣聖なんてのもいるんだし、ならこのまま逃げても仕方ないんじゃないか、とかも考えてた。」
ルーは驚いて少し目を大きくするが、話に聞き入るようにその体を俺に預けていた。
「でも、それじゃダメだって気がついたんだ。ノアが残してくれた想い、無駄になんかしたくない!」
「ノアの………想い?」
俺は一度、ルーの肩をとって離す。目の前のルーは疑問符を浮かべていた。
俺は今まで守られてばかりいた。強くなりたいと頑張ったつもりでも、力はまだ皆に及んでもいない。仲間は強すぎるし、俺を含めて誰かが死ぬことなどないと心の片隅で楽観視していたのかもしれない。
「ノアは俺を守ってくれた。大事な人を守りたいって事がどういう事なのかを教えてくれた。ノアの分まで精一杯この世界を生きたいんだ。お前がくれたこの人生、逃げずに前を向いて生きたいって思ったんだ。お前とずっと一緒にいたいと思ったんだ!だから………これからは俺がお前を守る!これからずっと!」
「………何よ、それ。守るのは私の方なのに………。私がアーサーを守りたいのにっ!」
俺の決意に対し、ルーは反発するように声を上げた。
「………でも、嬉しいの。だって、そんな事言われるなんて思ってもみなかったもん!」
ルーの青い瞳は潤いをもって俺を見据えている。
「いいの?これからもっと大変になるわよ?逃げ出すんなら今しかないけど?」
「大丈夫だよ。自分で選んだんだ。例え辛いと思うことがあってもそれは後悔じゃない。それに前に言ったよな?この世界を楽しむって。やっぱり逃げてばかりじゃ楽しめないよ。ルーを守り抜く事がこの世界で生きる第一歩だ。」
「………そう。アーサー、ありがとうね。私、本当は今までずっと怖かったの。私が狙われるのもそうだけど、この世界で私は誰とも繋がれてないんじゃないかって、一人なんじゃないかって、どこか不安だった。でも、違った。とっても嬉しいよ!………アーサー、好きよ。」
「俺もだよ、ルー。」
二人の距離が近づいていく。
そして──
「はいは~い、お二人さん?イチャコラするのは別にいいんだけどさ、ウチの前でするのはやめてもらえないかなぁ?さっきから丸聞こえなんだよね~。」
不意に掛けられた声に視線を向ければ、家の窓から顔を覗かせるジト目のラナと目が合った。
(………えっ、もしかして全部聞かれてたの?抱き締めた所とかも全部っ!?)
他人の家の玄関先という事も忘れて、俺達は一体何をしていたんだろう。ふと周囲を見渡せば、面した通りを歩く人が何人もニヤニヤとこちらを見ていた。知らぬ間に二人だけの世界にどっぷり浸っていたようだ。
突然の羞恥に晒され、二人して真っ赤になった俺達は逃げるようにその場から早足で離れた。
「………はぁ。ラナお姉さんはおよびじゃない、か。」
アーサー達が去り、静かになった家の中で一人、ラナは呟く。初めて会った時は頼りなさそうに見えたが、何事にも一生懸命で自分を励ましてくれた年下の少年。頼りになるし、だけど、弱い部分も持っていた。共に過ごした時間はまだ僅かでも、通じ合う部分もあり、少しでも支えてあげたいと思った少年。そんな彼の事を想いながら呟いていた。
「あーあ、これが失恋かぁ。いやいや、年も離れてるし、傷は浅い方がいいって言うしねっ!結果オーライだったんだよ。うん、きっとそう!………そう。」
自分に言い聞かせるように、誰に知られる事もなく、一つの淡い恋心は静かに幕を閉じるのだった。
***
翌朝、俺は借家のリビングでセフィリアやフェイ、クリンゾンクローに心配をかけた事を謝った。
「ケケッ。オメェにとっては初めての身内の死だったらしいじゃねぇか。立ち直ったみてえだが、そんなんでこれから大丈夫かよ!?」
「ふっ、相変わらずキリウは心配性だね~。キリウはね、アーサーの事が心配で仕方ないんだよ。ゾンビと戦ってる時だってねぇ──」
「クリシュ、てめぇっ!うるっせーよ!!」
「なーんだ。やっぱ俺のアドバイスが効いたんじゃねぇかよ!」
「ガディウス。貴様、よほど私に殴られるのが好きなようだな?」
久しぶりに騒がしくも賑やかな朝を迎えていた。俺には心配してくれる仲間がいる。それが分かる、そんな一時だった。
しばらく皆で話していると、呼び鈴を鳴らす音が聞こえてきた。玄関へ行くと、そこにはラナの姿があった。昨日の事について何か言われるのかと苦い顔をしてしまったが、実際はそんな用件ではなく、俺とルーに提案があるということだった。
「ノアをこのまま持っていくのも失くしちゃいそうだし、ルーテシアのペンダントに加工するのはどうかと思ってね。私に出来ることなんてそんな事くらいだしさっ!」
ルーの首に掛かったネックレスに付いた銀の三日月のペンダント。そこにノアの黒い珠が嵌まるように加工してはどうかというのだ。俺達は一も二もなく頷いて、ラナにお願いすることにした。
ラナは兄と共に使っていた工房を持っており、そこで加工するためにネックレスを預けることとなった。
「そういえば、ここには古くから伝わる物とか何かないかな?」
俺はラナに尋ねた。もちろん、探しているのは俺の前世の記憶の鍵となる物である。四属性の魂のあるところに存在する。手がかりもないので、可能性としてそんな推測を立てていた。
「うーん。私は分からないけど、長老なら何か知ってるかも知れないよ?」
ラナに加工の件を任せ、その言葉を頼りに俺とルーは長老の家へと向かった。




